学位論文要旨



No 115596
著者(漢字) 橋爪,祐美
著者(英字)
著者(カナ) ハシヅメ,ユミ
標題(和) 職業を持ちながら在宅介護する娘・嫁の生活と介護体験に関する研究
標題(洋)
報告番号 115596
報告番号 甲15596
学位授与日 2000.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1682号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 講師 山本,則子
 東京大学 助教授 大嶋,巌
 東京大学 講師 萱間,真美
内容要旨 要旨を表示する

I. 研究目的

 我が国の要介護高齢者数は増加し介護期間は延長している。核家族化・少子化にみられる人口動態の変化やマスメディアを通じた西洋文化の流入によって、従来要介護高齢者の介護活動を中心的に担っていた娘・嫁を取り巻く環境は変化した。しかしながら痴呆以外の要介護高齢者の介護者に対する支援策は十分に整備されているとはいえない状態にある。

 本研究は職業を持ち働きながら、痴呆と診断されていない軽度から中等度の寝たきり状態にある要介護高齢者を在宅介護する娘・嫁を対象に、日常生活や介護体験を説明する理論を作成し、在宅介護者支援策のための知見を得ることを目的とする。

II. 研究方法

1. 研究デザイン

 研究デザインは帰納的な質的研究とした。データ収集の方法は職業を持ちながら在宅介護する娘・嫁に対する研究者自身によるインタビューとした。得られたインタビューデータは、逐語録を作成して分析を行った。分析方法はある限定された領域におけるデータに忠実な具体理論の作成を目的としたGrounded theoryの継続的比較分析法を用いた。

2. 対象

 調査対象は、フルタイムまたはパートタイムの職業を持ちながら、痴呆と診断されていない、寝たきり度判定基準のJ2〜C判定にある要介護高齢者を在宅介護する娘・嫁で、かかりつけの病院や在住する地域の訪問看護サービスを利用している者14名であった。これらの対象者は地方農村小都市のI県に在住していた。

3. 抽出されたカテゴリーの検証

 抽出されたカテゴリーの真実性(credibility)について、Grounded theoryと地域看護学及び要介護高齢者の介護者の研究に長けた2名の看護研究者による継続的なデータ分析・解釈に関する詳細なフィードバックと、抽出されたカテゴリーをもとにしたインタビューに対する対象者の返答や同意によって検討した。

III. 結果

 職業を持つ介護者の日常生活を説明するカテゴリーとして、介護者のstrategy(戦略)に関する11のカテゴリーと42のサブカテゴリーが抽出された。以下、カテゴリー名及びサブカテゴリー名は斜体で示す。

1. 介護者のstrategy(戦略)に関するカテゴリー

 職業を持つ介護者がマスコミ等を通じて規範の重要性の変化を認識し、自分のやりたいことや生き方を尊重した生活を送るために介護者がとるstrategy(戦略)に関するカテゴリーである。

1) 働く

 介護者は、<介護を優先する規範>に対し、≪生活・子供の成長と独立・介護・趣味・老後にお金が必要な時代の変化≫を認知して、介護よりも、現金収入を得ることを優先して働く。生活のために働く、子供のために働く、介護のために働く、趣味・遊びのために働く、老後のために働く、のサブカテゴリーが抽出された。

2) 任せる

 介護者は<家事・介護は自分一人の役目とされる規範>に対して≪男女平等に家事・介護を分担する時代、同居家族と分担する時代、介護サービスに任せる時代、他家へ嫁いだ同胞・義理の同胞と分担する時代の変化≫を認知して、自分一人で家事・介護をせずに、家族や介護サービスに任せる。男性の家族員に任せる、同居家族に任せる、介護サービスに任せる、他家へ嫁いだ同胞・義理の同胞に任せる、のサブカテゴリーが抽出された。

3)気分転換する

 介護者は<家事・介護を優先する規範、拡大家族における親子関係を尊重する規範>に対し≪拡大家族における親子関係よりも夫婦関係や核家族における親子関係を優先する時代の変化、自分の時間を持つ時代の変化≫を認知し、自分の時間を作り、気分転換する。自分の時間を持つ、夫婦の時間を持つ、家族で遊ぶ、というサブカテゴリーが抽出された。

4) 動かす

 介護者は<高齢者・夫に従う規範>に対して≪要介護高齢者が長く生きる時代の変化、男女平等に家事・介護を分担する時代の変化≫を認知して、被介護者や夫を動かし、被介護者の寝たきり化への移行の防止をはかり、夫の家事・介護への協力を求める。被介護者を動かす、夫を動かす、のサブカテゴリーが抽出された。

5) 反論する

 介護者は<高齢者・夫・医師に従う規範>に対して≪年長者に対等に接する時代の変化、男女平等の時代の変化、医療に不信感を抱く時代の変化≫を認知して、被介護者・夫・医師に反論して一方的には従わず、自分の意思を伝える。被介護者に反論する、夫に反論する、医師に反論する、医師を選ぶ、のサブカテゴリーが抽出された。

6) 被介護者を低く価値づける

 介護者は<高齢者を敬う規範、高齢者の長寿を尊ぶ規範>に対し≪要介護高齢者を低く価値づける時代の変化≫を認知し、被介護者を低く価値づける。被介護者を「ただの年寄り」と見なす、被介護者の長生きを低く価値づける、被介護者を笑う、のサブカテゴリーが抽出された。

7) プライバシーの侵害を受け入れる

 介護者は<プライバシーを尊重する規範、介護は自分一人でする規範、家族内で生じた問題は家族で対処する規範>に対して≪一人で介護できない時代≫の変化を認知して、介護サービスに介護の一部を任せる。プライバシーの侵害を気にしない、介護サービスのお陰で生活できると考える、のサブカテゴリーが抽出された。

8) 介護サービスの利用を肯定する

 介護者は<介護を優先する規範、介護は自分一人でする規範、家族内で生じた問題は家族で対処する規範>に対し、≪一人で介護できない時代の変化≫を認知して、介護サービスに介護の一部を任せることを肯定する。介護者は、規範に反する行動をとる後ろめたさよりも、介護サービスを利用して得られる利益のほうを尊重して、サービスの利用を肯定する。夫の仕事を妨げない、介護サービスの利用によって、被介護者の身体状態が良くなると考える、介護サービスの利用よって、被介護者の精神状態が良くなると考える、のサブカテゴリーが抽出された。

9) 自分の老後について考える

 介護者は<遊びをタブー視する規範、子供が親を介護する規範、親に従う規範、拡大家族における親子関係を尊重する規範>に対し≪個人の生活や生き方を尊重する時代の変化≫を認知し、被介護者の世代が行ってきた遊びよりも家事・介護を優先し、子供が親を介護し、親に従う生き方とは異なり、自分の時間を持って楽しみ、子供に迷惑をかけないという、老後の生き方について考える。楽しい老後の送り方について考える、子供を当てにしない、自分の施設入所を肯定する、好かれる高齢者になろうと考える、若い世代のやり方を肯定する、のサブカテゴリーが抽出された。

10) 自分のやり方を肯定する

 介護者は<介護を優先する規範、施設介護をタブー視する規範>に対し≪個人の生活や生き方を尊重する時代の変化≫を認知し、被介護者の世代が行ってきた介護を優先し、在宅介護を美徳とする方針をとらず、自分の仕事・自分の時間・家族とすごす時間の確保の為に、介護サービスを利用し、被介護者を施設介護に委ねることを肯定する。自分の為に仕事を続ける、介護サービスの利用を肯定する、被介護者の施設入所を肯定する、家族の時間を尊童する、のサブカテゴリーが抽出された。

11) 自分を笑う

 介護者は<介護を優先する規範、夫に従う規範、高齢者に従う規範、高齢者を敬う規範、医師に従う規範>に対し≪個人の生活や生き方を尊重する時代の変化≫を認知し、被介護者の世代が遵守してきた規範に反する行動をとる。介護者のこれらの行動は社会的にタブー視されるものであるが、介護者は笑うことによって自分を肯定的に解釈する。介護よりも仕事を優先する自分を笑う、介護よりも遊びを優先する自分を笑う、介護サービスに任せる自分を笑う、夫に反論する自分を笑う、被介護者に反論する自分を笑う、被介護者を低く価値づける自分を笑う、医師に従わない自分を笑う、のサブカテゴリーが抽出された。

 また、職業を持つ娘・嫁が介護役割を担う過程を説明する、1)介護者になるプロセス、とこれらの介護者が提供する介護量を次第に変化させる、2)介護量増減のプロセス、の2つのプロセスが抽出された。

IV. 考察とまとめ

 介護者の戦略(strategy)に現れている、職業を持つ女性介護者の生き方を理解し、介護者が、家事・介護に身体的精神的に過剰な負担を強いられることなく、自分の時間を持って生活にゆとりを感じつつ職業を続けられる権利の擁護が重要である。介護者の精神的健康を促進する支援として、被介護者の、身体的精神的機能の衰退や障害の程度と、介護者の、介護活動に対する前向きさのレベルや、無力感・介護者の自尊心との関連をアセスメントし、介護者の介護活動に取り組む姿勢を評価し、介護者が体験する可能性のある、無力さ・低い自尊心を受け止めて行く。介護者のソーシャルサポートに関する支援として、介護者が家族・家族以外の誰かに、日々の介護体験や生活について語れる相手を持っているかをアセスメントし、介護者が語れる人的・物理的環境を整備する。

 介護者支援プログラムとして、メディアを用いた働きかけや、介護者が一日の大半を過ごす職場において、日々の生活での悩み・不安や愚痴を自由に語れる場を設けることが考えられる。今後の課題として、新たに調査者を選定して行くこと、被介護者側の認識や介護状況の調査、戦略(strategy)による日常的な介護負担の軽減について数量的に検証して行くことが考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は職業を持ち働きながら、痴呆と診断されていない、軽度から中等度の寝たきり状態にある要介護高齢者を在宅介護する娘・嫁を対象に、日常生活や介護体験を説明する理論を作成し、在宅介護者支援策のための知見を得ることを目的とした。Grounded theoryの継続的比較分析法を用いて、職業を持つ介護者14名の、日々の具体的な介護体験や介護者の生活状況を想起したインタビューから具体的に記述し、限定された領域におけるデータに忠実な具体理論の生成を試みたものであり、下記の知見を得ている。

1. 職業を持つ介護者がマスコミ等を通じて規範の重要性の変化を認識し、自分の生活や生き方を尊重した生活を送るために介護者がとる戦略(strategy)に関する11のカテゴリーと42のサブカテゴリーが抽出された。

2. <働く>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)生活のために働く、2)子供のために働く、3)介護のために働く、4)趣味・遊びのために働く、5)老後のために働く、が抽出された。

3. <任せる>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)男性の家族員に任せる、2)同居家族に任せる、3)介護サービスに任せる、4)他家へ嫁いだ同胞・義理の同胞に任せる、が抽出された。

4. <気分転換する>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)自分の時間を持つ2)夫婦の時間を持つ、3)家族で遊ぶ、が抽出された。

5. <動かす>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)被介護者を動かす、2)夫を動かす、が抽出された。

6. <反論する>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)被介護者に反論する、2)夫に反論する、3)医師に反論する、4)医師を選ぶ、が抽出された。

7. <被介護者を低く価値づける>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)被介護者を「ただの年寄り」と見なす、2)被介護者の長生きを低く価値づける、3)被介護者を笑う、が抽出された。

8. <介護サービスの利用を肯定する>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)夫の仕事を妨げない、2)介護サービスの利用によって、被介護者の身体状態が良くなると考える、3)介護サービスの利用によって、被介護者の精神状態が良くなると考える、が抽出された。

9.<自分の老後について考える>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)楽しい老後の送り方について考える、2)子供を当てにしない、3)自分の施設入所を肯定する、4)好かれる高齢者になろうと考える、5)若い世代のやり方を肯定する、が抽出された。

10. <自分のやり方を肯定する>カテゴリーが抽出され、サブカテゴリーとして、1)自分の為に仕事を続ける、2)介護サービスの利用を肯定する、3)被介護者の施設入所を肯定する、4)家族の時間を尊重する、が抽出された。

11. <自分を笑うカテゴリー>が抽出され、サブカテゴリーとして、1)介護よりも仕事を優先する自分を笑う、2)介護よりも遊びを優先する自分を笑う、3)介護サービスに任せる自分を笑う、4)夫に反論する自分を笑う、5)被介護者に反論する自分を笑う、6)被介護者を低く価値づける自分を笑う、7)医師に従わない自分を笑う、が抽出された。

12. 職業を持つ娘・嫁が介護役割を担う過程を説明する、1)介護者になるプロセス、とこれらの介護者が提供する介護量を次第に変化させる、2)介護量増減のプロセス、の2つのプロセスが抽出された。

 以上、本論文は、高齢者介護を契機に開発された、職業を持つ介護者の対処行動のバリエーションを、一連のプロセスをもって明らかにした。これにより、公衆衛生看護活動において、女性介護者が自分の生き方を大切にした健康な生活を送り、健康な介護を提供するための支援策に寄与する知見を得た。本研究はこれまで未知に等しかった、職業を持つ娘・嫁の生活と介護体験の一部を明らかにし、女性介護者のQOLを保障する地域ケアサービスプログラムの構築に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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