学位論文要旨



No 115597
著者(漢字) 張,小凡
著者(英字)
著者(カナ) チャン,シュウファン
標題(和) 多環芳香族化合物汚染土壌の修復技術
標題(洋)
報告番号 115597
報告番号 甲15597
学位授与日 2000.09.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2190号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 矢木,修身
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

 1991年イラク軍はクウェートから退去する際に788の油井を破壊し、そのうち613の油井において火災が発生し、76の油井から原油が土壌へと噴出した。一日に燃焼及び噴出した原油は約2〜4百万バレルにのぼり、その状態は300日にわたって続いた。油井からあふれ出した大量の原油のうち、燃え残ったものは、オイルレイクとなった。オイルレイクはクウェートの7つの主要な油田のうちの5つの油田に位置しており、数で250以上、面積で49平方キロメートル以上である。噴出した原油は砂漠土壌に浸透し、地下水を汚染し、経済的に大きな問題となるとともに人間の健康にも多大な影響を与えるものと危倶されている。この原油によって汚染された土壌を処理、修復する既存の技術としては、物理、化学的処理が実用化されているが、経済性、安全性等の面でバイオレメディエーション技術の活用も期待されている。本研究では、クウェートの石油汚染現場を対象として、バイオレメディエーション技術の実用化をめざしたいくつかの検討を行った。

1、多環芳香族化合物汚染土壌の浄化処理技術の検討

 これまでの試験によって、多環芳香族化合物汚染土壌の汚染除去を促進するための資材として椰子殻炭が優れていることが確認されている。そこで、この研究では椰子殻炭よりさらに優れた資材を探すこととした。いろいろな検討の結果、低温炭化炭が椰子殻炭より優れた資材であることが明らかとなった。低温炭化炭は石油の吸収力が高く、海洋汚染などの現場での石油の回収に利用されている。低温炭化炭と椰子殻炭の分解促進効果を比較する実験を行った結果、同じ条件で培養150日経過時点で、椰子殻炭ではTEMで平均約32%が減少したが、低温炭化炭では平均約40%の減少が確認され、低温炭化炭が椰子殻炭以上の分解促進効果を発揮することが確認された。次に、日本の土壌をクウェート石油汚染土壌に添加することにより、石油分解が促進されるか検討した。この結果、クウェート石油汚染土壌に10%の割合で日本の土壌を添加することによって、著しく石油成分分解が促進された。また、この混合土壌を新しいクウェート汚染土に10%の割合で添加すると、同様に分解が促進された。このことは、クウェート土壌の微生物相が貧弱であることが、石油成分の分解を遅らせていることを示している。

2、多環芳香族化合物分解菌の単離、同定、及び分解機構の検討

 1の実験、及びこれまで当研究室で行なわれた一連の実験結果から、クウェートの汚染現場においてより効果的に汚染を除去するためには、石油成分特に多環芳香族化合物分解菌の添加が有効であると考えられた。そこで、多環芳香族化合物のモデル物質としてピレンとフェナントレンを選び、これを唯一の炭素源、エネルギー源として生育する菌株のスクリーニングを行った。この結果、ピレン、フェナントレンを分解する菌株各1株を取得した。リボソーム16SrRNAの部分塩基配列の解読、及びホモロジー検索により、2株ともSphingomonas属に含まれると判断され、それぞれPY3とPH2に命名した。PY3株及びPH2株の芳香環の分解経路を解明するため、インドール、及び2.3-ジヒドロキシビフェニルなどを用い、その分解性を調べた。また、フェナントレンを用い、休止菌体反応を行った。GC-MS分析を行った結果、それらの菌株による多環芳香族化合物の分解は初発酸化を経由し、メタ開裂で分解が進むことが示された。これらの菌株は、クウェート土壌から集積されたもので、クウェート石油汚染現場にも適応すると考えられた。また、Sphingomonas属は、これまで歴史的に人畜に重篤な病気は全く引き起こしていないため、微生物添加(バイオオーグメンテーション)に利用可能と考えられた。

3、Sphingomonasのピレン分解遺伝子のクローニングと塩基配列の解読

 実験2で分離されたピレン分解菌を微生物添加試験に使用するためには、添加細菌の菌数のモニタリングの必要がある。そこで、この研究ではPY3株を用いてピレンの分解に関与する遺伝子をクローニングし、塩基配列を解読し、この遺伝子でモニタリングすることとした。PY3株から全DNAを抽出し、制限酵素で部分消化して、そのDNAの部分断片を大腸菌PUC119プラスミドに組込んで、大腸菌JM1O9細胞内でクローン化した。また、2.3-ジヒドロキシビフェニルの分解力を指標にして大腸菌から活性を示すコロニーをスクリーニングし、メタ開裂酵素遺伝子を取得した。これらの遺伝子を大腸菌に入れ、2.3-ジヒドロキシビフェニルの休止菌体反応を行った。TLC及びGC-MS分析した結果、2.3-ジヒドロキシビフェニルの中間代謝物である安息香酸が検出され、この菌による芳香族化合物の分解は初発酸化を経由し、メタ開裂して分解が進むことが明らかになった。これらの遺伝子の塩基配列を解析した結果、6つのORFが含まれ、いずれも芳香族化合物のメタ開裂遺伝子と関連していることが示された。また、ホモロジー検索により、他のメタ解裂遺伝子に対する遺伝子レベルの相同性は極めて低いことが確認されたため、この菌株の特異配列を定量的PCRで測定することによって定量が可能と判断された。

4、石油汚染土壌におけるバイオオーグメンテーションの適用

 バイオオーグメンテーション実験には多環芳香族化合物(ピレン)分解菌であるSpingomonas sp.PY3株を用いた。実験は、まず室内実験によって行い、この結果に基づいて野外実験を試みた。微生物の添加方法については添加後に菌数が減少することを押さえるための種々の検討を行った。分解の程度はEPA指定の16種類の多環芳香族炭化水素の残留を指標として評価した。添加資材については、低温炭化炭と珪藻土を中心に調整した資材中で高い生残数を維持することが分かった。この方法による微生物添加試験を室内実験で行った。添加後1ヶ月培養を行い、HPLC分析で多環芳香族化合物の残量を分析した結果、ベンズアントラセン、フルオランテンなどの顕著な減少が確認された。しかしながら、ピレンについては減少は確認されなかった。次に、この菌株を用いた添加試験をクウェートブルガン油田のオイルレイク102付近に設置された試験地で行った。多環芳香族化合物の残量を分析した結果、バイオオーグメンテーション効果が確認された。

5、モニタリング方法の検討

 モニタリングは、PY3株の16SrRNA配列をターゲットとした蛍光プローブを作製し、相補的塩基配列が引き合う性質を示すことを利用して、土壌から抽出されたバクテリア画分を染色する(Fluorescent In Situ Hybridization(FISH))方法、PY3株の芳香環のメタ解裂遺伝子の特異配列をターゲットとして、定量的PCRで測定する方法、及びPY3株の2.3-ジヒドロキシビフェニルの分解性を利用して、コロニーカウントで計数するなどの方法を併用して行った。この結果、FISH法はSphingomonas特異的プローブを使用したため、PY3株を特異的に染めることができず、正確な計数には適さないと判断された。2.3-ジヒドロキシビフェニルの分解活性を指標としたコロニーカウントでは、クウェート土壌中にバックグラウンドとしてこの活性を示す菌株は検出限界以下でしか存在しないため、計数が可能であった。コロニーカウントを基本として、野外試験においてPY3株をモニタリングした結果、添加時に1g土壌あたり6x107個生息したが、その後10日後までは、106レベルで残存していることが確認された。しかしながら、14日目以降は急激に菌数の減少が見られた。今後、この減少の原因を解明し、安定に生残させる技術の確立が必要である。

 本研究では、クウェート石油汚染土の浄化処理のため、石油成分分解促進資材の添加、石油成分分解菌の分離と同定、分解菌の添加及びモニタリングの方法等について検討を行った。この結果、以下のことが明らかとなった。多様な成分を含む原油を微生物を用いて分解するには、土壌中に存在する多くの微生物の潜在的な分解活性を十分に引き出し分解させると共に、分解能力をさらに強化する意味で分解促進資材を適切な方法で添加することが重要であると考えられた。土壌から分離した多環芳香族化合物分解菌PY3株の添加はクウェート汚染土壌中においても十分分解力の増強に繋がる可能性があることが示された。また現場の環境下において有効なモニタリング方法を確立した。今後は、今回行ったような実際の汚染現場での分解試験から得られる基礎的知見をさらに集積し、適切な分解促進資材の添加、菌株の添加及び添加方法などの検討によって、様々な環境条件下に応用可能なバイオレメディエーション技術が確立できるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、土壌の石油汚染は頻繁に発生するようになり、石油汚染土壌の生物的処理技術の実用化が望まれている。本論文は、石油汚染土壌の生物的浄化の研究を、湾岸戦争で汚染したクウェート国の砂漠土を用いて行ったものであり、6章から成っている。

 論文は石油成分のなかで分解が困難とされている多環芳香族化合物の分解除去に焦点をあてて進められている。序論の1章に続き、2章ではクウェートの砂漠土で多環芳香族化合物の分解が遅い原因を調べ、微生物相の貧弱さが原因であると結論づけた。また、石油成分の分解促進資材として、低温炭化炭がこれまで報告されている資材では最も効果が高い資材であることを見出した。

 2章の結果、多環芳香族化合物分解菌の添加が浄化処理に有効であると考えられたため、3章では、多環芳香族化合物のモデル物質としてピレンとフェナントレンを選び、これを唯一の炭素源、エネルギー源として生育する菌株を、対象とする土壌中で集積し、PY3およびPH2の2株を取得した。これらの2株は同定試験の結果、Sphingomonas属と同定され、この属の菌株がこれまでに人畜に重篤な病気を引き起こしていないことから、土壌添加(バイオオーグメンテーション)試験に使用可能な菌株であると判断した。また、各種の芳香族化合物の分解能力を試験した結果、PY3株がPH2株より多くの種類の多環芳香族化合物を分解することから、土壌添加試験にはPY3株が適していると判断した。

 4章では、PY3株の土壌中でのモニタリングのための情報を得るため、この菌株の芳香環の開裂に関与する遺伝子をクローニングし、塩基配列を解読した。解読されたクローンにはメタ開裂に関与すると考えられる6つのORFが含まれていたが、ホモロジー検索の結果、いずれもこれまでに報告された遺伝子と相同性が低く、新規な遺伝子と考えられた。

 5章および6章では、石油汚染土のバイオオーグメンテーション試験をPY3株を用いて行っている。試験は、日本における室内試験、クウェート国立科学研究所における室内試験およびクウェート国のブルガン油田の試験地における野外実験の3回行われた。日本における室内試験では、微生物の添加方法が検討され、珪藻土担体に混ぜ込んだ方法で添加した場合、土壌中で生残させることが可能であることが確かめられた。クウェート国立科学研究所での室内試験では、現地で使用可能な資材に混ぜ込んだ条件で生残するか検討され、良好な結果を得た。最終的に野外実験が行われ、添加後、多環芳香族化合物の残存量、微生物の生残菌数が定量的PCR法とコロニー計数法でモニタリングされた。2種の多環芳香族化合物がモニタリングされたが、残存量はPY3株添加土壌は無添加土壌に比べて明らかな減少が認められた。また、同時に行われたPY3株の生残菌数は、約2週間にわたって高いレベルで維持されていた。

 以上、本論文は石油汚染土壌の生物的浄化処理の研究を行い、基礎的かつ実用的な成果を得、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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