学位論文要旨



No 115607
著者(漢字) 川島,真
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,シン
標題(和) 中華民国前期外交史研究
標題(洋)
報告番号 115607
報告番号 甲15607
学位授与日 2000.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第292号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱下,武志
 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 佐藤,慎一
 東京大学 助教授 野島,陽子
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、中華民国外交档案(外交文書)を用いて、中華民国前期(いわゆる北京政府期、1912〜1927年)の外交が如何なるもので、それを如何に捉えるかということを考察する。この時期の外交には様々な側面があるにもかかわらず、敢えて論点を絞らずにこの時期全体を捉えようとしたのは、先行研究のありかたと関係がある。この時期の外交に関する先行研究は、大きく分ければ二つの方向性から成っている。第一は、共産党史観や国民党史観の歴史言説によって、二十一箇条条約などを事例として、その外交を帝国主義迎合的な「売国外交」だとし、また「軍閥」混戦期にあって無力な中央政府の外交には何ら成果が無いとする見解である。第二は、こうした史観を克服するため、あるいは中国の継続的近代化を強調するため、この時期の外交を「修約外交」などの側面から捉え、不平等条約改正にも「革命外交」以上の大きな成果があったとする見解である。前者はポリティカル・ディスコースにのり、実証性に乏しいために、後者により克服されつつある。しかし、日本では後者の側面はまだ看過されがちであり、また国外においても通史を記す際には、前者の方向性で記述されることが多い。後者についても、そうした成果は認められるものの、依然実証性に乏しく、如何に前後の時代との整合性をつけるか、軍閥混戦・分裂という批判にどうこたえるか、また同時代史的にも、また「国民革命」以後も何故、成果無き外交として位置付ける言説が支配的であったのかなどといった問題が残されている。

 本稿では、こうした先行研究のありかたに対して、これまで十分に使用されていない外交档案を利用し、先行研究の諸論点を可能な限り克服し、整合性をつけることによって、暫定的な回答を提示し、中華民国前期外交を再構成することを目的とする。そこで、まずその外交を文明国化志向の近代主権国家外交であったとし、その近代外交行政の確立を組織制度や人事制度から考察、次いでその政策理念・立案・執行過程を、最大懸案であった不平等条約改正をめぐる諸政策から検討した。その結果、前記の先行研究にあったように、この時期の外交が多くの外交的成果を挙げていたことを確認するとともに、南方の広東政府でも同じような試みがなされていたこと、革命外交と北京政府の修約外交は相互補完的な関係にあり次政権に継承されていったこと、「統一」「独立」「主権」「これ以上奪われず、奪われたものは奪い返す」「大国化志向」などといった、現在にまで継続する中国近現代外交の鋳型がこの時期に形成されたのではないかという問題提起をおこなった。また、この時期に外交関係の史料が編まれ、記憶作りがおこなわれていたことも示した。

 次にこの時期の対朝鮮政策、対シャム政策、あるいは対「非列強」政策などを、主権と宗主というテーマから、具体的な歴史過程の中で検討した。その結果、たいへん微妙であるが、この時期にも宗主の側面から捉える可能性、宗主と主権が重層化したり、絡み合う可能性があることを確認した。それは、朝鮮に対して、条約上は平等であっても自らを列強と同等に位置付けて上位とする政策であり、またシャムとの交渉でシャム国王を漢字で「皇帝」と記すことのできない判断であった。こうした側面を主権と宗主の絡み合いで考えるか、それとも中国外交に伝統的に通底する政治文化とするかは依然疑問である。

 そして、国内が分裂状況にあったとする批判に応えるため、広東政府の外交や地方交渉を、外交をめぐる中央と地方という側面から、その歴史過程を検討した。その結果、広東政府には、中央政府としての外交、西南地域を代表しておこなう地域外交、実効支配のおよぶ広東を代表する外交などの三層構造があり、その政策は基本的に北京政府と大差なかったこと、交渉においては表面的には敵対している北京政府と連絡をとりあっていたことなどを示した。また、地方の外交案件については、内政面では中央と連絡をとろうとしない地方政府も、幾つかの条件下では中央政府と連絡をとりあって交渉にあたったことなどを示した。さらに、実効支配領域に乏しく、条約履行能力を問われていた北京政府が、ワシントン会議参加に際して様々な手法で地方を絡めとっていきながら、国内からの要請と国際的な要請との間の調整をおこなっていくさまを示し、さらに関東大震災の際には地方と外国との狭間で苦悩するさまを明かにした。地方と没交渉であったのではなく、むしろ対外的には一致する姿勢を示そうとしたのである。北京政府側の档案を使用しているのでこのような結果になるのかもしれないが、地方から完全に遊離していたわけではないことは確かであろう。

審査要旨 要旨を表示するb

 本文50万字(416ページ)、資料・文献目録ならびに外交官履歴表86ページに及ぶ本論文は、これまでの中国外交史研究を代表する坂野正高、佐藤慎一氏による清末を中心とした成果を踏まえながらも、中華民国前期の外交の特質を、方法的にも資料的にも可能な限り広く史実を求め、それを新たな角度から明らかにすることを試みた力作である。

 第一の特徴は、基本的な視点として、これまで中華人民共和国成立に導かれる政権構想に対して否定的に位置づけられてきた中華民国政府を、その近代化・文明国化の政策を再評価すべきであると主張し、近代外交の組織と制度の形成過程を克明に明らかにし、そこにおける「交渉署」の役割の重要性を指摘したことにある。

 第二の特徴として、方法的に外交を広く捉えることを試み、欧米との不平等条約改正をめぐる外交関係のみならず、いわゆるアジア外交が清朝以来の歴史的な関係の連続性の視点の中で議論されており、関東大震災に関する日本外交も検討されている。

 さらに第三の特徴として、本論文の最も高く評価される点であるが、いわゆる北京の中央政府と広東という地方政府との外交をめぐる交渉過程を検討している。そこでは、広東政府が持つ、中華民国の正統的政府という主張、南方地域の代表ならびにその根拠となる自己の実効的な支配地域の存在という広東政府の三層構造を明らかにしている。

 ただし、極めて意欲的に中華民国前期の外交史を広く捉えようとする試みは、論点を拡散させかねない傾向を持っていることを指摘することが出来る。しかし、この間題は今後新たな方法的準備のもとに稿を改めて検討すべきであり、本論文において明らかにされた中華民国前期外交史に関する議論をそこなうものではないと考える。

 本委員会は、上記のような画期的な成果をあげていることに鑑み、本論文が博士(文学)の学位に十分に相当するものであると判断する。

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