学位論文要旨



No 115608
著者(漢字) 齊藤,毅
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,タケシ
標題(和) O.マンデリシターム『Tristia』論 : 「故国的なもの」と「異国的なもの」
標題(洋)
報告番号 115608
報告番号 甲15608
学位授与日 2000.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第293号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 沼野,充義
 東京大学 教授 長谷見,一雄
 東京大学 教授 金沢,美知子
 東京大学 教授 桑野,隆
 東京大学 教授 西中村,浩
内容要旨 要旨を表示する

 本論はロシアの詩人O.マンデリシターム(1891.1938)の第2詩集『Tristia』(1916.1920)の読解の試みである。その読解は、とくに詩人自身が「詩集」に代えてもちいていた「書物」の概念に従って行なう。「書物」とは、一言でいえば詩篇の集まりでありながら、それ自体。ひとつのテクストとしての統一性を持つということである。そこにおいては、ひとつの基本的な主題が差異化の過程の中で、いくつもの主題を形成してゆき、同時に全体の構成をも形づくるというものである。本論が目的とするのは、『Tristia』全体の主題構成に注目し、それらがどのような連関を形づくっているのかを考察することである。

 その際、主題連関の軸となる主題(つまり差異化して他の主題を形成してゆく主題)として、「故国的なもの/異国的なもの」を設定した。この主題は、まず国家をはじめとする人間の共同体に関わるものであり、さらに言語の本質的なカテゴリーをもなしている(故国語/異国語)。とくに『Tristia』が書かれた時代は世界大戦とロシア革命のさなかであったため、それらを題材とした詩篇には、この「故国的/異国的なもの」の主題、そのヴァリアント、またテクスト間の複雑で豊かな連関がみられる。これらの連関を通して、戦争、そして革命は「故国的/異国的なもの」の差異の強化、そして動揺と描かれる。この差異は、人間の共同体がある権威によって同一性が措定されるときに刻まれる差異であるが、そうした権威の力はつねに共同体の同一性を保つように働く。それは、空間的にも、時間の連続性という点においても、また言語的にもそうであるが、しかし、文化や作品の創造においては、そうした同一性を動揺させること、「故国的なもの/異国的なもの」の境界を横断することが避けえないことが、この「書物」全体の主題連関、テクストの構成などから読みとくことができる。それゆえ、この「書物」のタイトルには、「故国的/異国的のもの」の主題のヴァリアントである「(故国から異国への)流刑」を暗示する、オウィディウスの作品のタイトルが引用されているのだと考えられる。また、ロシア語で書かれた作品につけられた、このラテン語のタイトルは、「故国語/異国語」の往き来である詩のあり方をも示している。

審査要旨 要旨を表示するb

 本論文は、ロシアの詩人オシプ・マンデリシタームの第2詩集『Tristia』について、主としてその主題構成の観点から分析・読解したものである。全体は2部に分かれ、第1部では、一冊の「書物」として『Tristia』がどのような主題によって構成されているかが論じられ、第2部ではいくつかの個別の詩編を詳細に分析することによって、第1部の主張を補強する、という構成をとっている。

 マンデリシタームは20世紀ロシアを代表する大詩人の一人であり、特に1970年代以降の欧米における研究の蓄積は膨大であり、また最近はロシア本国での研究の活性化にも目覚しいものがある。しかし、日本ではこれまでマンデリシタームに関する研究はごくわずかな散発的なものでしかなかった。本論文はマンデリシタームに関する日本で最初の本格的かつ総合的な博士論文である。

 特に、『Tristia』という詩集をマンデリシターム自身が特別な意味をこめて考えた「書物」としてとらえ、「書物」全体としての主題構成を分析するというアプローチは先行研究の中にも前例があまりなく、本論文の独創的な点になっている。齋藤氏はそういった観点から、「故国的なもの/異国的なもの」の対比を基本的な軸として、革命、彷徨、冥府への下降といった様々な主題が詩集全体を構成していることを論証した。この結論を導きだす過程は、個々の詩篇テクストの緻密な読解とヨーロッパの歴史や文化の背景に関する幅広い調査に支えられており、十分な説得力がある。

 審査の席上では、(1)論文の構成に改善の余地がある、(2)「国」や「共同体」といった概念についてより厳密な考察が必要ではないか、(3)「書物」や「亡命」といった主題についてはさらに広いヨーロッパの文脈での検討も必要であろう、といった指摘も出たが、本論文が目本におけるマンデリシターム研究を国際水準にまで引き上げる画期的な業績として高く評価されるべきだということは、明らかである。よって審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するものとの全員一致の結論に達した。

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