学位論文要旨



No 115609
著者(漢字) 張,允起
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,インキ
標題(和) 蕭公権の政治思想
標題(洋)
報告番号 115609
報告番号 甲15609
学位授与日 2000.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第156号
研究科 法学政治学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平石,直昭
 東京大学 教授 佐々木,毅
 東京大学 教授 渡辺,浩
 東京大学 助教授 苅部,直
 東京大学 教授 佐藤,愼一
内容要旨 要旨を表示する

 蕭公権(1897-1981)は、中国における近代政治学研究に多大の貢献をした政治学者である。本稿は、蕭公権の研究成果を具体的に検討し、その研究の問題意識と方法論の意義を思考し、彼の政治学研究の特徴を明らかにすることを目標とする。

 序では、蕭の家庭環境と知的背景を述べる。第一章では、近代中国政治学界と政治多元論と,の関わりを追究して、重点的に『政治多元論』の内容を考察する。そして、蕭と西洋近代政治学者の関係を手がかりとして、彼の西洋政治思想研究の問題意識と方法論的特徴を考える。政治多元論の受容は、当時の中国の政治現実との間に密接な関係がある。それに対して、当時の中国政治学界は積極的な態度を示したが、政治多元論それ自身についての学理上の検討は充分に行われたと言い難い。蕭公権の『政治多元論』は、法、政治、経済、哲学,倫理などの側面から政治多元論を綿密に考察し、検討したものである。彼は、抽象的一元論(abstract monism)→抽象的多元論(abstract pluralism)→具体的一元論(concrete monism)というふうに一元論と多元論の発展を歴史的に捉えた。そして、ギリシア、ローマから中世、近代に至るまでの西洋政治思想を振り返って、現代の多元論者の言論によって示唆された一元論とギリシア政治理論との親和性、および現代と中世における多元論の類似点と相違点を指摘した。西洋政治理論の研究に関する蕭公権の基本的な立場は、二〇年代のアメリカ政治学界の変動と密接な関係がある。彼に直接な影響を与えたのは、セイパインの方法論、主権に対するウィロピーとフォレットの見解、およびフランク・ティリーの哲学的立場であった。彼は多元論者の矛盾を指摘する一方、それを完全に否定しようとするのではなく、むしろその理論の中の新しい要素を積極的に取り入れて、伝統的一元論の欠点も意識し、両者の歴史的背景と相互関係を綜合的に把握した上に、「具体的一元論」の可能性を展望した。同時代の西洋政治学者に対する評価でも、同じように、その歴史的背景と相互関係を綜合的に把握した上に、その得失を分析し、価値判断を下した。それは多元論と一元論の調和、あるいは政治理論と政治科学の融合を図るセイパインの方法と立場と通じる。これは彼の丁綜合の担い手」としての第一歩であった。

 第二章では、蕭の思想形成の歴史的背景を概観した上で、学術と政治の関係に関する彼の言論およびその政治的判断の具体的な内容を考察し、彼における「自由社会主義」の概念を吟味し、政治理念と政治現実の間を往き来する彼の認識の特徴と立場を考える。蕭公権は、今世紀の三、四〇年代において、学術と政治の関係を考えながら、学術の独立を説いて、当時の中国内外の政治現実に直面し、具体的な意見を提出し、彼の政治的判断の一端を同時代の人々.に示していた。そこにあらわれたのは、彼の『政治多元論』以来の強い立憲主義の立場、近代民主制度に対する肯定、人類理性への愛着、政治生活の基礎的な部分に対する重視、国際秩序と主権国家の関係をめぐる思考などである。三、四〇年代の憲政と「訓政」に関する論説、「統一」と「均権」に対する強調、四〇年代の「妥協」論、更に政党政治、選挙制度、地方自治、言論の自由などに関する発言は、いずれも理念、歴史、現実を充分に配慮し、当時の様々な世論を綜合的に把握した上での一政治学者としての思慮の結果であり、いわゆる「御用学者」または特定の党派に属する知識人の意見とは明確に区別される。また、国防、外交、国際政治に関する彼の議論にも現実主義と理想主義という二つの側面があり、それまでの世界機構の欠点を意識しながら、「近代の超克」や「西洋の没落」などの立場を取らず、世界平和に関する中・西思想の共通点を探り、国際平和への中国の貢献を期待する。彼は、「科学としての政治学」に務めて、自分の専門知識を生かして、「自由社会主義」という概念を発展させたばかりでなく、「自由」そのものに対しても、中国と西洋の政治思想の文脈を概観した上で新しい解釈を与えた。それらは、政治現象とその背後に隠された思想背景を、歴史的綜合的に把握しようとする蕭公権自身の思想構造を浮彫にし、「綜合の担い手」としての彼の立場も容易に看取される。

 第三章では、当時の中国政治思想史研究の学術背景を概観し、蕭の『中国政治思想史』の内容を具体的に考察し、その特徴を分析し、彼の中国政治思想研究の問題意識と方法論を検討する。彼は、中・西政治思想の比較に務めながら、先秦諸子を代表とする中国政治思想の原型を検討し、西洋思想を中国思想と付会する傾向を批判する一方、中国政治思想自身の変遷にも注目し、その内部の変化と発展の契機を探究し、中国政治思想の停滞論を否定する。彼は、研究対象の時代背景を十分重視した上で、時には研究対象の思想世界の内部へ入りこみ、その論理上の矛盾を指摘し、その得失を判断し、さらに研究対象との対話を試みた。そこに窺えるのは、『政治多元論』以来の問題関心と立場である。彼は、抽象的な分析を避けて、原資料に基づいて、研究対象を具体的に把握し、単なる「伝統批判」、または「伝統擁護」という立場を取らなかった。蕭公権の『中国政治思想史』の完成は、「中国政治思想史」という専門分野の確立を象徴するものであると言ってもいい。彼は、自分が生きている二十世紀の時点を強く意識し、中国の文化遺産を人類歴史という広い視野の中で反省しようとした。問題関心としては、三、四〇年代の彼の政治的判断とも内在的な関連を持っている。清末以来の「中体西用」や「全面的西洋化」などの議論に対する一つの回答として、梁啓超の中国政治思想研究の意図との間に連続性が見られる。それは「西洋中心主義」、あるいは「中国中心主義」といういずれの立場とも区別される。蕭公権の中国政治思想研究は、「類型論」または「単なる歴史的な方法」を避けて、研究対象の歴史背景に注意しながら、思想家および各流派の思想的な関連を中・西政治思想史の範囲の中で横断的、または縦断的に考察し、動的にその個性と意味を把握しようとした。その方法論には、トレルチ、マンハイムを代表とする、ダンニング、マッキルウェイン、セイバインの政治学史研究で現われた二十世紀の「歴史主義(Historismus)」からの影響が見られる。

 第四章では、蕭の『中国郷村』、戊戌維新研究、康有為研究を検討し、その研究方法、問題意識、および彼の文明観を考察する。彼は、当時のアメリカにおける中国研究の先入観を排斥し、「儒教国」という通説に異議を唱えた。帝政中国の農村支配に対する蕭の研究は、先行研究を修正し、あるいは更に具体化した。『中国郷村』は、帝国の統治者の心理、地方官吏の行為、郷紳の役割、農民の反応のほかに、保甲、里甲、社倉、宗族、社学、郷約などの地方制度、慣習も考察の対象とされ、それらの要素を大きな政治システムの中から看取し、帝政中国という構造を明らかにしようとしていた。「翁同〓と戊戌維新」という論文の意図は、戊戌維新の発生する歴史環境を明らかにすることにある。蕭は、先行研究を参考にしながら、政治史と思想史の方法を駆使し、時には研究対象に対する心理分析と道徳評価も行う。彼は、研究対象を歴史状況の中に置き、保守派、温和改革派、急進派の思想と動機を歴史全体の文脈の中で把握し、「戊戌維新」の立体像を描こうとしている。康有為研究に関しては、蕭公権は以前の自説を修正し、基本資料をもとにして、康有為の思想の内部に入りこみ、康の問題意識をある程度自分の問題意識とし、その思想内部の論理性を見つけ出し、また歴史的文脈の中で整理して、康有為思想の全体像を読者に示した。それは康有為個人の思想を明らかにすると共に、中国近代思想史における諸問題を再整理した。蕭公権は、康有為の思想を哲学、政治、行政、経済、教育などの側面から考察し、伝統と近代、中国文明と西洋文明の融合を図る康有為の「文化綜合(cultural synthesis)」の方法を高く評価した。そして、康有為と同じように、本来の儒家思想と専制君主に利用されてきた「帝国儒教」を区別し、本来の儒家思想と民主主義の問に接点があったと明確に認識した。その上、儒家思想を中国文化全体の一部分とみなし、中国文化の多元性を強調した。人類文明の問題に関して、「中国中心主義」の態度にしても、「西洋中心主義」の態度にしても、いずれも「文化的な傷(cultural trauma)」の徴候である。普遍化の道を通じて、文化綜合(cultural synthesis)に努めることこそが中西文化論争を解決する正しい方法である。これは康有為の立場であると共に、蕭公権自身の立場でもあった。このような「綜合」の方法は、蕭公権の学術思想の特徴を示しただけでなく、政治学における「第三の道」も暗示している。

 結びの部分では、蕭公権の業績を振り返って、マンハイムの理論に即して、爺の政治学研究の特徴を再確認した。「綜合の担い手」としての蕭公権は、抽象的な理論と方法というよりむしろ具体的な研究を中心にして、シュペングラーやトインビーなどと異なる「綜合」の方法を通して、中国ないし全人類の歴史、現実と未来を思考し、政治学における「第三の道」を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 蕭公権は胡適、郭沫若らとほぼ同世代に属し、今世紀の中国・米国の学術界で大きな業績を残した学者・知識人である(1897-1981)。彼は1920年に渡米、26年にPolitical Pluralism『政治多元論』で博士号を取得して帰国し、中国各地の大学で教えつつ『中国政治思想史』の大著を完成した。30〜40年代の激動期には、党派から独立した政治学者として内外の問題に健筆をふるった。また49年に再渡米して後は、帝政中国の農村支配の実際を分析したRural China『中国郷村』を、晩年には康有為について未刊資料に基いた研究A Modern China and A New World『近代中国と新しい世界』等を刊行し、研究史上に新しい頁を開いた。このように彼の業績は多岐にわたり、近代中国の第一世代の政治学者であると同時に、歴史家・思想史家として、それぞれの領域で第一級の成果をあげている。しかし彼についての系統的な研究はまだ殆どなされていない。著作集は未完であり、著者が発掘した重要な論説もある。こうしたなかで本論文は、彼の政治思想の全体像を明らかにしようとした開拓者的な作品である。

 「はしがき」で著者は、蕭の政治学研究と西洋政治理論との関連、政治思想史研究の問題意識、政治学研究の方法論と立場についての検討が殆どなされていない現状を指摘し、その解明を本稿の目的としてあげ、そのために蕭の主要著述と活動を時間的順序をおって分析するとしている。このプランに従って本論文は4章からなる。

 第一章では、政治多元論が20〜30年代の米国や中国でもっていた意味が概観され、蕭の『政治多元論』が詳しく紹介される(27年刊。同書は欧米でも最初の政治多元論に関する包括的研究であり、今日の政治多元論研究でも引照される古典的位置を占めている)。20世紀前半の中国で政治学は、大学の学部編成等に制度化され、現実問題に関連する理論が議論された。そのなかで政治多元論は、聯省自治や郷村建設などいずれも国家、社会、個人三者の関係を問う問題に対して、それに応える枠組みを提供する理論として広い関心を集めたという。一方米国では、政治多元論は政治学のアイデンティティーをめぐる問題をひきおこし、規範的な政治理論の立場からする反対論と帰納的な行動科学の立場からする賛成論を生んだ。その中でセイパインは、一元論、多元論についてそれぞれの形成の歴史的背景を重視し、それらが出現する必然性を指摘して是々非々の態度をとった。蕭の『政治多元論』はセイバインのそれに近い立場から包括的な検討を加えたものとして評価される。

 『政治多元論』の内容は多岐にわたるが、後の薫との関連で著者は次のような点に注目している。(1)法と国家の関係や政経関係をめぐる多元論者の議論の背後に、蕭が一元論の影を見いだしてその論理的な錯誤を指摘しつつ、他方で20世紀の複雑化した社会のなかで個人自由や産業自由、経済自治などを実現するには「主権の再建」が必要であり、その必要を明らかにしたものとして多元論の問題提起を評価すること。(2)政治多元論の哲学的背景を検討するなかから、蕭が「具体的一元論」という立場をうちだし、プラグマティズムを誤った政治理論に導くとして批判する一方で、多元論者の多くが、政治や国家に関するオースチン流の分析的方法を批判して倫理目的論的な接近法をとる点を評価し、実行可能な政治理論は人間性をその基礎とせねばならないことを示したとして多元論の貢献を認めたこと。(3)全体を通じて蕭が、自由主義、立憲主義、地方自治、また伝統的な政党政治を強く支持していることなどである。

 以上の論述を通じて著者は、対立しあう理論を総合して新しい立場をうちだす蕭の「綜合の方法」、また政治理論を広く倫理や社会を含んだ人間に関する理論とみる立場が、後年の彼の政治学研究や政治判断の性格を規定したとして注目している。

 第二章では、30〜40年代の中国において、蕭公権が政治学者として行った社会的発言とその現実認識の特徴が検討される。著者は、清末以後の知識人の動向を概観し、五四世代が伝統の全否定や西洋崇拝に傾いたのに対して、蕭の世代は客観的な態度を持し建設的な改革案を多く出したという。そして蕭に関しては、彼が伝統中国の「実用主義」的な学問観(富や権力の獲得をめざして学問する「科挙」精神)を批判し、真理探究をめざす学問の価値とその独立を主張するとともに、当時の激しい国内対立のなかで学問の党派化に反対し、講学の自由・教育自治の原則を強調したことをあげる。そこに著者は、中国における職業的大学人の誕生の象徴をみるとともに、左右両翼の階級利益に荷担する知識人が多いなかで、全体的な展望と関心にたつ公共空間の開設をめざし「綜合の担い手」となるように訴えたマンハイムに対応する動向をみている。

 つづいて著者は、政治の近代化を近代化のかなめとした蕭公権の発言を、憲政、選挙、政党政治、中央地方関係、対外関係に分けて紹介し、彼の立憲主義や政党政治の理念が『政治多元論』以来のものであること、連邦制に反対した蕭が兵権統一とともに県レヴェルでの地方自治を重視したこと、さらに大西洋憲章に呼応して戦後の世界平和への中国の貢献として「王道」の理念をあげたことなどを指摘している。憲政論で蕭は、民衆の水準が低い今は訓政しかないという主張に反対し、「憲政を実行する他にその能力を訓練する方法はない」として、憲政の早期実現を目指した。戦後中国の体制構想をめぐる闘争に際しても、憲法条文に拘わって憲政の実現を延期させるのは無責任であるとして各党派の建設的な妥協を要請した。こうした立言を支えたのは、蕭によれば、「党派をこえる客観的観点」即ち「一般の政治学の原理と具体的な事実」に基く制度の実行可能性および実行したさいの結果の推測であった。この一文を紹介しつつ著者は、政治判断における蕭の「綜合の担い手」としての性格を指摘している。

 さらに著者は、戦後の薫が唱えた「自由社会主義」の理念を、20世紀の政治経済体制をめぐる問題への解答として検討している。それによれば蕭は、政治自由と経済平等の総合が望ましいとし、英国労働党の社会主義と孫文の三民主義を評価した。しかし彼はそこに止まらず18世紀の伝統的自由主義と19世紀の民主社会主義の折衷の産物として「自由社会主義」を主張した。そこには蕭自身の新しい「遂生達意の自由」観があるという。「遂生」とは「生を求める活動の円満な達成」、「達意」とは「精神生活の満足」、「自由」とは「人類の本性発展の自然な結果」であり、儒学の古典である『中庸』にいう「率性」がそれにあたる。そして人民の政治的自決によって経済統制者とその方式を決定する社会を作れば「遂生達意」に適うであろうとされる。このように古代中国の語彙で自己の新観念を説明する蕭に著者は、自由と平等の融和だけでなく、中西思想の融和をも目指す意図を見いだし、再び「綜合の担い手」としての性格をみている。なおこの「自由社会主義」の理念が述べられた『自由的理論與実際』は、著者が香港中文大学の図書館で発見したもので、全集の編者にも知られていなかった作品である。

 第三章では蕭の中国政治思想研究の特徴、問題意識、方法論が考察される。まず著者はこの分野での先達である梁啓超が、新思想建設のためには自社会の遺産に基き批判選択をへて発展を図るべきだとしたことをあげ、20年代後期から中国政治思想史研究が次第に重視されるようになった背景には、五四運動の伝統否定と、それがもたらした精神的空白への反省があったとする。そして当時現われた陶希聖らの研究を概観した後に、『中国政治思想史』(39年脱稿、45年刊)の内容を紹介し、その特徴を次のように指摘している。

 (1)時代区分の基準として「思想変化の大勢」と「思想の歴史的背景」の二つをあげ、前者では四段階、後者では三段階にわけて停滞論を否定し、あわせて複眼的な考察を加えていること、(2)中国と西洋の政治思想の具体的な比較を通して、類書にみられる中西思想の安易な附会を批判し、中国思想における諸概念の独自性を指摘したこと、(3)正統と異端という経学の伝統に囚われた見方を排し、思想家間の関連を歴史的背景のなかで解明したこと(孔子と諸子の関係など)、(4)個人と団体、政治と倫理など『政治多元論』以来の関心からする分析がなされるとともに、政治学の観点から対象を取捨選択し、独自の政治思想史像を描きだしたこと(魏晋時代の反政治思想の極致として無君思想をとりあげ、唐末五代の道家の政論を始めて扱い、宋代政治思想の重点は理学でなく功利思想にありとし、従来は無視されていた太平天国をとりあげたことなど)、(5)西洋近代の地方自治思想などと比較して、明清の思想家を転換期のそれとして評価したこと(郷村自治構想、選挙や学校など反専制の含意をもつ制度構想、平等な個人を真理の権威とする自由思想、政治制度の変化を政治進化の客観的な事実として見る見方など)、(6)戊戌維新と辛亥革命の思想家について近代国家の政治思想という見地から分析し、憲政、政党政治、自由と民権、中産階級、世論、民族独立、世界平和など、蕭自身のテーマと重なる論点に即して分析したこと、などである。とくに著者は「治術」の伝統がある中国では、それと違った視角から「政治」に関する議論を考察する必要があり、それには西洋政治理論の体系的な訓練が必要だったとして、『中国政治思想史』を独立した学問分野としての斯学の誕生を告げるものと高く評価している。

 さらに著者は、蕭が孫文を評した一文(先秦以来の学術に通じなければ中国の思想家といえず、欧米の学術に通じなければ近代の思想家といえない、この二条件を孫は兼備し、さらに集成綜合の能力をもった)を紹介し、蕭自身の自己投影をそこに見ている。すなわち蕭の中国政治思想史研究は「中国」と「近代」が交差する地点に成立し、彼は自分が生きている20世紀という時点を強く意識し、人類史という広い視野のなかで中国の文化遺産を反省しようとしたというのである。そして著者は、歴史的背景との関わりのなかで学派相互の関連を分析し、それぞれの個性を明らかにする蕭の方法に、マンハイムの歴史主義との共通性を見ている。

 第四章では、49年に再渡米して以後の蕭が研究領域と問題意識を広め深めて、中国歴史研究の新視座を開いたことが示される。蕭は、59年のある論文で、欧米の中国研究者にとって一般的な「儒教国家、儒教社会」という中国像に異議を唱え、法家が一貫して帝国支配の重要な手段となっていたことを指摘した。そこにはまず仮説をたて、ついで証拠を集めるという米国流の中国研究への批判があり、彼自身は「以学心読、以平心取、以公心述」という帰納的な方法をモットーとしていた。この方法に基いて、帝政システムの衰退をもたらした勢力と要因を発見し、その後の事件を理解する手がかりをえる目的で書かれたのが『中国郷村』(60年刊)である。そこでは地方誌、族譜、外国人の記録など多種多様で膨大な資料を素材にして、帝国統治者の心理、地方官吏の行為、郷紳の役割、農民の反応、地方制度、慣習などが描かれ、帝政中国の地方支配の構造が明らかにされている。とくに著者は本書の一貫した関心が、中国の伝統社会における本格的な地方自治の存否を検討することにあったとし、そこに仲国郷村』が従来の研究の深化としてあった所以を見いだしている。民国時代の蕭は、県政建設や地方自治等を強調していたが、帝政中国に自治がなかったとすれば、憲政に基く地方自治の実現がまさに近代化のかなめとなるからである。

 ついで康有為研究に関しては、大量の未刊資料にふれた蕭が『中国政治思想史』段階での彼への評価を改めた(保皇の為の立憲で偽民主だという見方から、立憲の為の保皇で漸進的な真民主だったという見方へ)ことにふれつつ、同時にそこに蕭自身の問題関心の深まりを見ている。著者によれば晩年の蕭は、東西古今の諸問題をいかに綜合するかに腐心しており、康研究はそれをまとめる思想空間を与えた。したがって蕭にとって康研究は、中国近代思想史上の諸問題の再整理だったとともに、蕭一生の研究の総決算の意味をもったというのである。

 そこで著者は『近代中国と新しい世界』(75年刊)の広範囲に及ぶ内容を紹介しつつ、とくに以下の点に注意している。蕭は西洋文明の衝撃に対する清末知識人の反応を伝統固守型、全面欧化型、中間型の三類型にわけ、さらに中間型を二種類にわけて、その多くは部分的西洋化を主張するが、少数の人は、中国の時代遅れの諸制度を変革するのは西洋化ではなく普遍化だと信じたという。蕭によれば、彼らは文明という普遍的価値に立って西洋・中国双方の現実を批判し、東西思想の綜合に務めたのであり、『大同書』の康有為は、中西のユートピア思想の伝統を摂取して創造的に融合し、新たな理想世界を再建したユートピアンとして、そうした綜合者という観点から注目されるべきだという。著者は蕭がこのように康における文化綜合の方法や文明観の意義を強調している点に、東西思想の綜合をめざした蕭自身の文明観や方法論との関連を見ている。

 最後に「結び」で著者は、改めて『政治多元論』以来の蕭の歩みを振り返り、そこに一貫している方法意識と立場を確認しつつ、無時間的な図式論と歴史的直接性に対して「第三の道」を提示したマンハイムに引照して、中国と人類の歴史、現実と未来を思考した蕭公権は、政治学における「第三の道」を歩んだとして論文をしめくくっている。

 以上が本論文の要旨である。

 本論文の長所としては以下のような点をあげることができる。第一に、その重要性にもかかわらず、これまで殆ど取り上げられずにきた蕭公権という対象を選び、香港・台北・シアトルなど各地を廻って関係者へのヒアリングを重ね、資料の調査や発掘に従事して、今後のさらなる研究のための基礎を築いた点をあげることができる。その着眼のよさと粘り強さは評価に値する。重要な論説の発見があるほか、書誌的な面でも中文・英文・日文の関連する書物雑誌類を渉猟しており、信頼がおけ有益である。

 第二に、これと関連して、国内外を問わず、突っ込んだ検討が行われずにきた蕭公権について、西洋政治思想研究、中国政治思想史研究、内外政治についての現状分析と将来構想、中国歴史研究など、多分野にわたる著述類を精査し、研究史や時代状況のなかにそれぞれを位置づけるとともに、彼の方法意識や問題関心の発展過程、また分野間の関連を跡づけて、一つの全体像を示したことである。「綜合」という方法の一貫性による特色づけは筋が通っており、また憲政や地方自治などの論点に即して、政治多元論という最新の政治理論・中国政治思想史という歴史研究・激動する内外政治についての現実政治論という三つの領域の交錯を追究した点は、とくに興味深い。著者は修士論文では「徂徠学の朱子批判」をテーマとして、中国古代思想とともに近代政治学への関心を深めた。蕭公権の一特徴は、近代政治学・西洋政治思想研究と中国政治思想史研究という両分野をカヴァーしていることにあるが、著者は修士課程在籍中に培った両分野への関心を一層飛躍させて、蕭の研究に実らせたといえる。

 第三に、蕭の政治思想の現代的意義を捉えるために「近代中国の政治学」という面だけでなく「20世紀政治学」という観点からの評価を試みたことである。蕭の作品は中文・英文で発表され、活躍舞台も中・米両国にまたがった。『政治多元論』は欧米学者を念頭に英文で書かれ、「自由社会主義」の理念も20世紀の体制選択を正面から問題としていた。そして康有為研究には、普遍的価値の観点からする中西思想の総合への関心が窺える。著者は、そうした彼の思想を評価するには世界的規模の政治理論動向のなかでの検討が必要と考える。そして直接指導を受けたセイバイン等との関連を分析してその知的経歴を明らかにしている。この試みは、蕭という特異な軌跡を辿った思想家を評価する新しい視点の提出として、学界に対する一つの問題提起の意味をもつといえる。

 しかし本論文にも短所がないわけではない。第一に、蕭公権の著述を要約するさいの詳細さに比して、分析的な検討がやや浅い傾向があることである。著者には、蕭という自分が発見した政治学の先達への深い敬意があり、彼の業績をできるだけ全体的に紹介し、その業績自体をもって語らしめようという気持ちが強くある。そこには中国での政治学の学問状況への著者の思いもあるようであり、それがこうした事態をもたらしている面も否定できない。それにしても蕭の諸著述について、さらに多次元的な分析があればなお良かったのにと惜しまれる。

 第二に、「20世紀政治学」という視点を投入したのはよいとしても、とくに蕭を理解する上で、著者が繰り返し試みているマンハイムヘの引照がどれだけ妥当なのかについての説明が十分でなく、なぜとくにマンハイムなのかについて疑問を残すことである。それと表裏をなして「近代中国の政治思想」という面では、同時代の思想家との比較検討や関連の分析がなお十分でなく、重要にして興味深い素材を活かしきっていないという印象を残す点が惜しまれる。

 しかしこれらの短所は、本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、政治学的な観点からする蕭公権研究の基礎を築いた開拓者的作品として、また近代中国知識人の多様な精神生活のなかの一つの軌跡を明らかにしたものとして、学界に対する重要な貢献であると認められる。したがって本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価できる。

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