学位論文要旨



No 115618
著者(漢字) 明日香,寿川
著者(英字)
著者(カナ) アスカ,ジュセン
標題(和) 越境酸性雨問題および地球温暖化問題に関する日本の国際協力のあり方
標題(洋)
報告番号 115618
報告番号 甲15618
学位授与日 2000.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第4755号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 児玉,文雄
 東京大学 教授 石,弘之
 東京大学 教授 定方,正毅
 東京大学 助教授 梶井,克純
内容要旨 要旨を表示する

 アジア、特に中国における環境破壊とエネルギー消費が地球全体に及ぼす影響の甚大さについては、中国国内のみならず、中国の国外でも合意が形成されつつある。しかし、「中国文明」の数千年にわたる自然破壊の負の遺産、エネルギー消費拡大の圧倒的なスピード、中国が初めて経験する工業化・産業化、そして「自由」な市場経済が、これ以上の環境破壊をストップさせようという試みを凌駕しているのが現状である。一方、日本では、環境エネルギー分野での国際協力を、その非軍事性、技術優位性などから「好ましいオプション」とする認識が強い。また、環境ビジネスが21世紀に持つ可能性への期待が大きく、巨大市場、生産基地としての中国に熱い視線を送っている。さらに、気候変動枠組み条約でクリーン開発メカニズム(先進国からの資金・技術協力のもとで地球温暖化対策プロジェクトを途上国で実施した場合に、先進国がクレジットを得るメカニズム)が導入されたことによって、地球温暖化対策プロジェクトを行うことが経済的価値を持つことになり、中国は最大のクレジット供給国になるとも予想されている。このような状況のもとで、本研究では、分析視角の一つを「中国という存在・制度」の把握と設定し、その分析結果が、国際的な協力による「環境安全保障体制の構築」や「国際環境政策」に関する合意形成に役立つことをめざしている。

そのために、以下のような具体的な問題意識、および目的のもとに研究を行った。

 第1は、越境酸性雨問題の定量的な把握である。本研究では、将来的に日中間で具体的な数値目標を伴った硫黄の排出削減の政治的・経済的な取り決めの内容を検討する際の基礎資料を提供することを目的の一つとしている。そのために、まず、生態系の酸性化の状況や日本と中国との影響関係を定量的に把握し、状況改善のために考えられる政策オプションの内容と国際協力を行うことによって期待される経済合理性について明らかにするとともに、具体的な政策や政策研究の方向性について考察する。

 第2は、地球温暖化対策プロジェクトの評価方法の検討である。地球温暖化問題は、国際社会に存在する様々な問題(例えば貧困問題)の中のうちの一つにすぎない。また、対策プロジェクト自体にも多くの種類があり、何らかの「合理的な」基準のもとに、他種プロジェクトとの優先順位づけや具体的なプロジェクトの策定を行う必要がある。したがって、プロジェクト評価の定量的な分析手法がまず必要であり、すでに世界銀行やドイツ政府の援助機関などは、そのような手法を開発している。本研究では、まず、地球温暖化問題の本質や国際社会の対応を分析する。次に、国際協力の中での位置づけを確認しながら、既存の地球温暖化対策プロジェクトの内容を整理する。さらに、プロジェクトの優先順位付けの考え方や評価手法の開発に資する検討を行う。

 第3は、円借款、技術協力、他の国際協力メカニズム、民間投資などの様々な公的資金および民間資金の役割分担方法の検討である。すでに日本では国際協力に関して様々な資金/技術移転スキームが存在し、それぞれの整合性および地球温暖化対策および越境酸性雨対策の要素を取り入れた再構築が検討課題となっている。しかし、ルール設定如何によっては、公的資金の使用が京都議定書での数値目標の拡大解釈となる可能性があり、貿易ルールとの齟齬も懸念されている。このような状況のもとで、本研究では、まず各先進国や各国際機関による具体的な国際協カスキームの現状を把握する。次に、国際ルールに則とり、かつ日本の状況にも即した環境保全分野における国際協力のための援助スキーム、特にファイナンシャル・スキームのあり方に関して提言を行う。

 これらの検討によって、以下のような結果を得ることができた。そして、それらに基づき、いくつかの具体的な提言を行っている。

 第1は、中国の環境問題に対する現実的かつ説得的な戦略の確立に関するものである。中国の環境問題は深刻であるものの、状況の大きな変化は短中期的には期待できない。また、越境酸性雨問題においても、国家間の定量的な影響関係に関する合意が存在せず、かつ日本における酸性物質に対する臨界負荷量が明らかでないために、大きな政治的なモーメンタムを持ちにくい状況になっている。さらに、中国には、国際社会、特に先進国から「地球環境問題における加害者」と認識されることに対する大きな反発もある。したがって、中国への対応としては、中国におけるローカル・ベネフィットを強調するとともに、外部コストの内部化などの必要性を強く主張していくことが効果的である。

 第2は、複合効果戦略の確立に関するものである。環境エネルギー分野の国際協力の柱として、途上国のローカル・ベネフィット、すなわち環境重視や貧困解消などを、日本の国際協力の援助コンセプトとして確立する。ただしその際には、一般にWin-Win戦略という言葉が意味するホスト国の経済的効果(利益)と環境的効果という2つの効果の他に、特にアジアの場合には、1)越境大気汚染防止、2)(統合評価モデル計算などに基づいた)最小コストによる複数の汚染物質排出の経済合理的なコントロール、などの複合効果も存在することを明らかにすることが必要である。

 第3は、トップダウン方式による、越境酸性雨に間する影響関係の確定とターゲット都市の選定に関するものである。日本政府は、以下のようなアクション・プランのもとに、中国および韓国に対する具体的な国際交渉を進めていくことが考えられる。まず初めに、日本・中国・韓国の3ヶ国環境大臣会合決議などのトップダウン方式によって、越境酸性雨に関する影響関係を明らかにすることを目的とした共同研究チームを構築し、ある一定の期間、例えば2年間で結論を出すようにさせる。その際、硫黄酸化物(SO2)などの大気汚染物質の長距離輸送モデルに関しては、中立的な立場に立ちつつ、影響関係に関しては中国の主張により近い国際応用システム研究所モデルの活用を念頭におく。次に、日本に対する影響が大きい中国および韓国の地域/都市と、日本において感受性の高い(臨界負荷量が小さい)地域の影響関係を明らかにすることによって、国際協力を実施する際の経済合理性が高い組み合わせを確定する。さらに、確定した(経済合理性の最も高い)地域に対して、排出削減のための資金/技術援助の実施を集中的に行う。ただし、対象地域あるいは都市には、努力目標となるような硫黄排出の数値目標を持たせる。同時に、その都市へCDM投資を誘導するような制度設計を中国政府と検討する。

 第4は、収益性や環境外部コスト計算のルーチン化および結果の公表である。環境エネルギー分野での国際協力プロジェクトによるベネフィット、特に複合効果を合理的に策定/評価するために、すでに開発された分析方法を用いて(あるいは、日本がこれから独自に開発して)、プロジェクトの定量的評価をルーチン化することが必要である。これらの結果は、地球温暖化対策重視という姿勢の表明、政府施策に関するアカウンタビリティ(説明責任)の徹底、透明性の確保、そしてプロジェクトの経済合理性、有用性、必要性などを国民や財政当局に対して明らかにするために、一般に公表することが望ましい。

 第5は、国別/地域/セクター別の環境エネルギー戦略の策定である。多様性に富むホスト国政府との政策対話を強化することによって、政策決定プロセスの上流、すなわち国/地域/セクター全体での環境エネルギー政策、科学技術政策、マクロ経済政策、などの策定に関与できるような体制をつくる。その場合、世界銀行のように、「ホスト国の環境規制の強化や環境コストの内部化を融資条件の一つとする」といったような姿勢を明らかにすることも検討に値する。

 第6は、プロジェクト実施前のキャパシティ・ビルディングおよび実施後のモニタリング・運営管理・普及促進の強化である。取引コストを低減するために、情報共有、研究協力、リスク分散、現地でのネットワーク作り、などに関する様々な制度設計を行うことが望ましい。また、排出量の継続的なモニタリングや、ファイナンス・スキームも含めた運営管理システム(例えば、電気料金の徴収および徴収料金による再投資など)に対する組織的な支援システムの構築も不可欠である。

 第7は、カーボン・ファンドの設立である。現在、世界銀行が設立を進めているようなカーボン・クレジットの売買を仲介するメカニズム(カーボン・ファンド)を、日本政府が自らのイニシアティブによってアジアに設立する。具体的には、アジア開発銀行(ADB)にそのような機能を持たせることも考えられる。また、地球温暖化問題に関する制度構築と越境酸性雨に関する制度構築との関連づけも検討課題である。

 第8は、柔軟なファイナンシャル・スキームの確立である。保険、保証、協調融資、ツー・ステップローン、収益性を確保するためのリボルビング・ファンド、小規模プロジェクトのためのマイクロ・クレジットやグラントによる支援、などの様々なファイナンシャル・スキームのより積極的な活用を行ことである。また、カーボン・クレジット獲得のための制度設計のためには、まず財源の面から、これまでの一般財源や財政投融資の利用とともに、炭素税や排出権割当などの新しい制度からの資金調達を検討する必要がある。同時に、プロジェクトの種類、実施の目的、そして収益性によって、優遇金利体系、保険/保証制度、技術協力との組み合わせやアカウントを差別化するべきである。少なくとも、カーボン・クレジットを獲得するための公的資金は、他の公的資金と明確に区別することが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、以下の3つを研究目的としている。すなわち、第1は、越境酸性雨問題の定量的な把握である。第2は、地球温暖化対策プロジェクトの評価方法の検討である。そして、第3は、円借款、技術協力、他の国際協カメカニズム、民間投資などの様々な公的資金および民間資金の役割分担方法の検討である。

 本論文の構成は、全7章および総括からなる。第1章で、越境酸性雨および地球温暖化問題において日本の国際協力の主な対象となる中国の環境エネルギー問題に関する現状と課題の整理、第2章で、環境エネルギー分野における国際協力の現状と課題の整理、第3章で、日中間の越境酸性雨.問題の定量的な把握を、それぞれ行っている。第4章、第5章、第6章、第7章では、地球温暖化問題に関しく問題の本質、国際社会の対応、地球温暖化対策プロジェクトの経済合理性、さらに具体的なプロジェクトの経済性評価、国際協力のためのファイナンシャル・スキームに関して検討している。これらを踏まえて、最後の総括では、日本、中国、そして地球環境にとって状況を望ましい方向へ展開するための具体的な政策プロセスを考察している。

 具体的な内容は以下の通りである。

 第1章では、「そもそも中国とはどういう国なのか」という問題意識のもとに、中国と地球社会との関係という視点から、地球温暖化、越境酸性雨、そして食糧輸入の問題などを、本論文の第2章以降の議論への入り口として説明している。また、中国における環境政策の発展の過程を見るとともに、環境問題や地球社会に対する社会意識について、中国での独自のアンケート調査の結果などをもとに明らかにしている。

 第2章では、「国際社会のアクターの具体的な活動の把握」という問題意識のもとに、国際協力に関わるアクター(国際機関、企業、政府、地方自治体、NGO)の活動を、環境保全技術の技術移転という側面から明らかにしている。

 第3章では、「中国の影響および目本のオプションの定量的把握」という問題意識のもとに、まず、日本と中国における生態系の酸性化の状況を定量的に把握し、日本と中国との硫黄の排出および沈着に関する影響関係(source-receptor matrix)の定式化を行っている。次に、状況改善のために考えられる日本と中国が持つべき政策オプションの内容と、「共同実施」を行うことによって期待される経済合理性について説明している。その上で、日中協力の経済合理性の存在と各政策オプションがもつコストとベネフィットを定量的に明らかにしている。

 第4章では、「国際社会の具体的な取り組みの把握」という問題意識のもとに、まず地球温暖化問題の本質について説明したあと、各国の交渉ポジション、およびその背景にあるものを明らかにしている。次に、気候変動枠組条約第3回締約国会議の結果を、「各国の交渉ポジション」を中心に総括している。さらに、今後の合意形成のための要点に関して筆者の考えも示している。

 第5章では、「地球温暖化対策プロジェクトの合理的策定および評価方法の開発」という問題意識のもとに、まず、「合理性」の定義と評価方法の必要性を確認している。次に、地球温暖化対策に資するプロジェクトを、国際協力プロジェクト全体という大きな枠組みの中で位置づけている。さらに、具体的なプロジェクトの策定および評価の際の留意点、環境破壊という外部コストの内部化などの具体的な評価方法、温室効果ガスの排出削減に伴う副次的効果を分析している。最後に、国際協力のホスト国、ドナー国、そして地球環境に対するベネフィットを最大にするための複合効果(マルチ・エフェクト)戦略に関して説明したあと、プロジェクトの評価方法に関する課題と実際に日本において国際協力プロジェクトの評価制度を構築する際の要点を明らかにしている。

 第6章では、まず、プロジェクトの経済性評価における基本的な要点を、具体的なプロジェクトを取り上げてケーススタディをもとに分析している。次に、今後のカーボン・クレジットの価格交渉への教訓や日本からの積極的な投資が期待される具体的な温室効果ガスの排出削減プロジェクトなどについて考察している。

 第7章では、まず、今後の地球温暖化国際交渉の争点と国際協力との関係、特に国際協力スキーム全体に与える影響が大きい「追加性問題」に関して細かく議論している。次に、「どの資金を、何に対して、どのように、どれだけ使えばよいか?」という問題意識めもとに、ファイナンスの問題を多面的に論じている。

 以上、本論文は、越境酸性雨問題および地球温暖化問題という重要な環境問題に関する、日本の国際協力のあり方という視点から、それらの問題への対処方法を定性的かっ定量的に考察しており、斬新な研究成果をあげている。そして、開発問題や国際協力問題という大きな枠組みの中での越境酸性雨問題および地球温暖化問題の位置づけ、そして、それらの問題の定量的な分析、問題解決とそのための政策枠組みに関する具体的な提言を行っていることは、高く評価できる。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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