学位論文要旨



No 115619
著者(漢字) 大月,孝之
著者(英字)
著者(カナ) オオツキ,タカユキ
標題(和) 生物学的排水処理におけるモデル参照型制御システムの実用化研究
標題(洋)
報告番号 115619
報告番号 甲15619
学位授与日 2000.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4756号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 迫田,章義
 東京大学 講師 池袋,一典
 東京大学 講師 荒巻,俊也
内容要旨 要旨を表示する

 生物学的排水処理の代表的なプロセスである活性汚泥処理は、微生物反応による酸化プロセスであり、ランニングコストが安く、排水組成や水量の変動に既存微生物の馴致やポピュレーション・微生物相の変化等で柔軟に対応できるなど多くのメリットを持っている。反面、制御システム構築の観点からみると、本質的な非定常性、非線形性、プロセス自体の複雑さ、経験知識への依存、動力学的な状況の変化、場合によっては制御目的が変わることなど、特徴的な性質をもっており、自動制御システムの構築を困難にしている。このため、実プラントの運転では運転員による運転条件の調整が不可欠となっている。本論文では、複数のモデリング手法を同時に活用するモデル参照型構成により、広範囲な運転条件下で適切な制御値を自動的に決定できる制御システムの構築を試みた。

 生物学的排水処理プロセスの制御で活用される運転員の知識は、定量的なものから定性的なもの、理論的なものから経験的なものまで、様々な知識が総合的に利用されている。このような知識を一つのモデリング手法のみで制御システムに組み込むことは困難であり、必然的に様々な知識の表現方法を適宜利用できるようにする必要がある。また、様々な知識に基づいて行われた判断および提示された制御方針は最終的な制御量に集約する必要がある。

 以上のような検討を基に開発した制御システムは、以下の特徴を持つ。

● 表1に示すモデル表現を制御システムが利用することができ、様々な知識を制御システムに組み込むことが出来る。

● ファジィエキスパートシステムは、様々なルール知識に基づく状況判断の結果を重みづけ情報を基に総合し、総合的な状況判断結果を提示することができる。

● ファジィコントローラーは、もしくは、C++による数式表現により、状況判断に基づいた制御量の決定を行う。

● 様々なモデリング手法の協調的な動作のため、知識工学の分野で広く利用されているブラックボード概念に基づいたシステム構成を持つ。このシステム構成は、様々な専門家が自らの専門知識をもって、黒板(ブラックボード)上のデータを共有しながら議論をする様の類比からきている(図1)。開発したシステムでは、各知識表現が共有できる表2のようなデータ表現を予め定め、共有のデータベースとして利用する。本データベースにオンライン情報だけでなく、手分析値や観察結果、状況判断の結果も適宜蓄積し他の判断に利用することで、総合的な状況判断が可能となる。

● 生物学的排水処理における、非定常で非線形な運転状況での定量的な汚泥発生量、処理能力の将来予測を行うため、IAWタスクグループの提案している炭素窒素計汚濁物質除去の動力学モデル(Activated Sludge ModelNo,1)を利用する。

 図2は、本論文で制御対象としたし尿処理システムの活性汚泥処理部分である。除渣後のし尿及ぴ浄化槽汚泥を無希釈のまま間欠的に硝化脱窒素槽に投入し、一槽の中で、曝気工程および嫌気工程を経て98%以上の窒素除去率を得ている。生物処理液に対してはUF膜による固液分離を行い、処理水へSSがリークすることなく最高2万ppmの高濃度汚泥を維持できる。このようなプロセスを維持管理するために、運転管理員は溶存酸素濃度、酸化還元電位、pH等のオンライン指標、手分析による水質指標、臭気・発泡状況などの観察清報を総合的に勘案して、投入負荷、BOD酸化およびアンモニアの硝酸への酸化に必要な曝気量、硝酸の窒素ガスへの還元に必要なメタノール添加量、汚泥濃度調整のための汚泥引抜き量等を調整している。

 このし尿処理プロセスを対象に、投入負荷、曝気量、メタノール添加量、汚泥引抜き量を自動制御する知的制御システムを構築し、実証を行った。図3に、データベースを中心としたモジュール構成を示す。

 図4は開発したシステムの主画面であり、各制御量の現在の制御状況をユーザーに提供している。図5は、ファジィエキスパートシステムによる曝気強度に関する状況判断に関するルール知識をツリー表現で示した例である。図6は、処理水質に関する保証値および経験的な制御知識に基づきエアレーション強度と硝酸の還元に必要なメタノール添加量を制御した例であるが、エアレーション制御により硝酸の発生を抑制しながら、さらに窒素濃度の規制範囲内でメタノール注入量を適切に減少した事例となっている。

 図7は、制御システム構築のために開発した呼吸速度計測装置の概念図であるが、密閉容器内で気液の平衡を保ちながら酸素消費量を気相の酸素濃度により計測しており、ファウリングの問題がないため長期間の安定した計測が可能になっている。図8は、オンライン呼吸速度計により毒物混入時に硝化活性の低下を観察した事例である。活性の低下とともに処理水のアンモニア濃度が急激に上昇していることが観察され、呼吸速度計測が活性汚泥プロセスの動力学的な状況を的確にモニタできることが判る。

 図8では、さらに、2/20の時点での最大硝化活性を基に、理論モデルにより処理能力の回復の速度を予測している。IWAタスクグループモデルは毒物阻害に関するモデル化を組み込んでいないため、実際の呼吸活性の回復を忠実には予測できないが、日々計測される活性値に基づきどの程度の負荷が許容されるかを検討する一つの指針を与える定量的なモデル表現方法の一つとして有効に利用可能である。図9は、呼吸速度計測情報および将来の排水の受け入れ計画、プラントの操業計画、理論モデルによる将来の処理能力を考慮に入れて、投入負荷計画を自動立案するインターフェイスである。本図の例では、運転員が2日間の負荷停止を指定し、負荷管理EMが新しい制約に基づき計画を修正した状況を示している。貯留槽の溢れを防止するため、負荷停止の前の負荷が増やされており、負荷停止後は無負荷環境での活性低下予測に基づき負荷が抑制されている。その後、硝化活性の回復予測に基づき負荷は徐々に上昇している。

 本論文では、さらに、産業排水処理を対象に、理論モデルを積極的に活用してプロセスの解析を行うことにより、制御システムの概念設計に行う手法について議論する。産業排水は、性状が個々のプラントにより全く異なり、微生物に阻害性を示す場合も多い、呼吸速度計測による排水中の汚濁物質量と分解速度の確認結果をモデル化するために、図10に示す複数の汚濁成分が異なる速度で加水分解を受け微生物に資化されるモデルをIWAタスクグループモデルをベースに構築した。同モデルの実際の排水処理システムへの適用を通して以下を示した。

・個々の排水系統中の汚濁物質の、処理水質への影響評価、プロセスのボトルネックの定量的な検討が可能である。

・排出源や、処理プロセスにおいて、従来困難であった定量的な解析による運転管理方法の立案・制御システムの概念設計に有効に利用できる。

表1.開発した制御システムで利用できる制御知識のモデル表現方法

表2.ブラックボードに保存できるデータ

図1.ブラックボードシステムの概念構成

図2.高負荷し尿処理プロセスの生物学的排水処理フローシート

図3.制御システムのモジュール構成

図4.制御システムの主画面

図5.ファジィエキスパートの状況判断画面

図6.メタノール注入量の制御例

図7.オンライン呼吸速度計の構成

図8.オンライン呼吸速度計による阻害事例の硝化活性計測事例

図9.投入負荷自動立案画面

図10.産業排水処理プロセスの加水分解モデル

審査要旨 要旨を表示する

 生物学的排水処理は、自然の持つ排水の浄化能力を生かしたプロセスとして広く用いられている。その適用範囲は下水をはじめとした生活排水から、様々な工場排水にまで及んでおり、また規模としても数百万人の排水を処理する規模から、小さな工場の排水の処理までさまざまである。この生物学的排水処理の大きな弱点はその制御にある。他分野では様々の高度な制御によってプロセスの信頼性を高め、また無駄が最小化されているのに対し、生物学的排水処理においては、経験的な設計と運転が行われている。その理由としては、微生物の機能がプロセスの中心になっていること、流入する排水が変動を伴っていることなどが挙げられている。本論文は、そのような状況の中で、数学的なモデル、現場運転者の経験則、簡易な物質収支の考え方を組み込んだ制御システムを提案し、その実用化を行った成果をまとめたものである。

 本論文は「生物学的排水処理におけるモデル参照型制御システムの実用化研究」と題し、全7章からなる。

 第1章「研究の目的」では、本研究の背景、目的、意義を述べている。とりわけ、生物学的排水処理がプロセス制御の観点からどのような特徴を持っており、またどのような困難性があるかを示した上で、本研究の目的を明確化している。

 第2章「既往の研究」では、代表的生物学的排水処理である活性汚泥法の理論モデルについて、国際学会で共同で作成されたモデルを中心に示し、一方で運転者の経験を生かしたエキスパートシステムによるモデリングについて既存の研究をレビューしている。さらに、本研究において特に重要な、モデル参照型制御システムについてのこれまでの研究例を考察している。

 第3章は「モデル参照型制御システムの開発」である。本章においては、本論文で構築するモデル参照型制御システムの構成について、その詳細と特徴について述べている。本研究では、理論的な数学モデル、経験的に抽出された数学モデル、運転員の経験をエキスパートシステムとして組み込む言語モデル、あいまいな判断要素を加味するファジイモデルを構成要素としている。そして、特性の異なるこれら複数のモデルをブラックボードシステムを用いて同時に活用するシステムを開発しており、ここに本研究で提示する制御システムの最大の特徴がある。理論と経験、さらにはあいまいさという、従来は異なった判断基準と考えられてきたものを常に持ち合わせ、状況に応じて最大限に生かす点に本システムの本質がある。本研究では、この制御システムを実際の排水処理システムに実装させている点に特徴があり、実装に当たっての問題点、あるいは考慮点も明らかにしている。

 第4章は「し尿処理を対象としたモデル参照型制御システムの構築事例」である。この章では、前章で示した制御システムを実際の高負荷型のし尿処理プロセスの運転に適用した際の事例を述べている。ここでは、99%の除去率を達成するためにきめ細かな制御が要求される脱窒プロセスの管理への適用と、実際の日々の運転管理に必要な負荷制御について扱っている。それぞれの制御対象に対し、どのような制御手法が用いられているかを詳細に示しながらその制御の実際を示している。本章では、制御システムを適用した最終結果を単に示すのではなく、さまざまな制御のパーツをブラックボードを介して動員する本制御システムの内容を明らかにしており、研究として重要な内容である。

 第5章は「産業排水処理制御システム構築への理論モデルの活用」である。排水の成分が急激に変化する特徴を持った産業排水に対する本制御システムの有効性を示すのが本章の目的である。この場合には、排水自身のもつ阻害性、難分解性を評価する事がまず重要になる。本研究では、呼吸速度の測定によって、比較的簡易にこれらの排水の分解特性を調べ、その結果を理論的な排水処理モデルに組み込む制御方式を示している。ここで得られている結果は、制御システムの構築事例として重要であるのみならず、排水処理の数学モデルの内容についても示唆を与えるものである。

 第4章と第5章で示された事例から、本制御システムは、状況に応じて論理モデル的な要素と経験的な要素を有効に活用していることが示された。本研究のような、より実際的な制御に関する成果は、理論的には必ずしも斬新的なものではないが、これを実プロセスに適用して、そのパフオーマンスを調べた成果は実用化に当たって非常に重要である。

 第6章は「開発システムの評価と今後の課題」であり、今回開発したシステムがどのような構成要素からなるかをあらためて評価し、今後本制御システムを発展していく際の課題を明らかにしている。

 第7章は「結論」で、研究成果を総括している。

 本研究は、経験的にしか運転されてこなかった生物学的排水処理プロセスに対して、理論的な要素と経験的な要素を組み込んだ制御システムを開発し、実用化の見地から評価したものであり、その独創性、有用性、得られた成果には大きなものがある。本論文は環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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