学位論文要旨



No 115624
著者(漢字) 中田,隆
著者(英字)
著者(カナ) チュウダ,タカシ
標題(和) 対流圏の鉛直微細構造に関する研究
標題(洋)
報告番号 115624
報告番号 甲15624
学位授与日 2000.09.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3853号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

 雲は大気の状態によってさまざまな高度に現われる。ときには同じような高度に何層にも重なった雲が見られることもある。このような多層構造の雲層が現れるためには、大気中に相対的に湿った層と乾いた層が折り重なっていることが必要と思われる。

 大気が物理量の層構造をもつという観測結果はごく最近になっていくつか報告され始めている。Iseline and Gutowski(1997)は、レーウィンゾンデの冬期のデータを用いて頻繁に見られる対流圏中層の湿潤層について調べた。その湿潤層は一つの鉛直プロファイルに一層程度しか現われないもので、平均高度は600-500hPa、平均的な層厚は約1.5kmであった。Dalaudier et al.(1994)は、地表面から成層圏中層まで鉛直方向に20cmの解像度で気温を測定し、気温の鉛直勾配が正で、層厚が3〜20mの多くの薄い層を発見した。また、Newell et al.(1996)は、航空機観測により水蒸気やオゾン等の鉛直プロファイルを求め、平均的な層厚が数百mの変動量について調べた。

 これらの研究は大気に微細な鉛直構造が存在することを示している。しかしながら、微細構造の中における温度と水蒸気との関係についてはこれまでほとんど調べられていない。微細構造の成因を考える上でも構造内での水蒸気と温度の関係は重要な手がかりを与えることが期待できる。そこで、本研究では対流圏の鉛直微細構造における気温と水蒸気の関係に注目して詳細な解析を行なった。

 解析には以下の4つのラジオゾンデによる高層観測のデータセットを用いた。

(1)TREX(Torrential Rainfall EXperiment)データセット:梅雨末期の降水系の解明を目的として1996年6〜7月に、各大学、研究所の共同研究として行なわれた観測のデータセット.

(2)TAPS(Tsukuba Area Precipitation Studies)データセット:関東平野のメソスケール現象を研究することを目的として行なわれている観測のデータセット.

(3)気象庁による高層観測データセット

(4)観測研究船淡青丸(東京大学海洋研究所)で得られたデータセット

 図1は九州の南に位置する硫黄島でTREX期間中の1996年6月27日00UTCに我々東京大学海洋研究所のグループが行なった高層ゾンデ観測から得られた比湿と温度の鉛直プロファイルを示している。解析の対象は高度1〜8kmとした。高度1km以下では大気境界層であるため、その運動を支配している力学が自由大気中と異なると考え解析領域から除いた。また、高度8km以上では気温偏差については議論できるが、比湿に関しては絶対量が小さくなり比湿の偏差を有意に取り扱うことが難しいので除外した。比湿の鉛直プロファイルには数百mスケールの変動が見られる(図1(a))。この変動と温度プロファイルで見られる変動とを比較すると、比湿が極大となる高度では温度の極小、比湿が極小となる高度では温度の極大が見られる(図1中の矢印)。また、これらの鉛直プロファイルに対して行なったスペクトル解析から比湿、気温の両者ともに鉛直波長にして500m付近にピークがあることがわかる(図2)。この例に限らず、TREX期間の167個のサウンディングのほとんどに、鉛直スケール200〜800m、の範囲に1つあるいは2つの局所的なピークが見られた。

 このような数百メートルの鉛直スケールをもつ微細構造を取り出すためにデータ処理を行なった。最初に、鉛直方向に10m間隔の気温のデータT(zn)に対して、700mの移動平均T(zn)=(1/71)Σj=n-35j=n+35T(zi)を計算することによって、トレンドT(zn)を求め、観測データT(zn)とトレンドT(zn)との差T'(zn)=T(zn)-T(zn)を求めることにより、偏差T'(zn)を得る。次に、観測精度上、微小スケール(200m以下)について議論することは困難なため偏差T'(zn)に200mの移動平均T''(zn)=(1/21)Σj=n-10j=n+10T'(zj)を行なって微小スケールの偏差を除去する。比湿に対しても同様の方法で偏差を取り出す。

 図3はこのようにして得られた気温の偏差(実線)と比湿の偏差(破線)の鉛直プロファイルである。データは1996年6月27日9:00JSTに鹿児島県硫黄島で我々が観測したものである。気温偏差、比湿偏差が取る値の範囲はそれぞれ、-0.4〜0.4K、-0.6〜O.6g/kgであり、その層厚は両者ともに約300mであった。また、図3からこの二つの物理量の間に負の相関があることがわかる。このときの相関係数は-0.55であった。TREX期間の他の鉛直プロファイルも同様の特徴を示した。さらに、図4からTREX期間に観測された微細構造のほとんどは昼夜を問わず気温偏差と比湿偏差との間に負の相関を持つことがわかった。

 この結果の一般性を調べるために、地域と季節の異なる二つのデータセットについても同様の解析を行なったところ、同じように負の相関が卓越した。特に、対流性大気擾乱が減衰した後に負の相関が卓越した。また、微細構造の成因は内部重力波等の鉛直変位だけでは説明できないこともわかった。

 データ解析から、微細構造の成因が何らかの形で対流活動と結びついていることが示唆されたので、数値実験により、果たして対流活動により微細構造が形成されるかどうか調べた。数値実験にはオクラホマ大学のストーム解析センターが開発したメソスケール数値モデルであるARPS(Ver.4.4.0)を用いた。一定の浮力振動数(N2=1.5×10-4s-2)と適当な相対湿度の分布をもつ初期場に温度擾乱を与えて対流雲を発達させ、16時間の長時間積分を行なって、モデル大気の構造の変化を計算した。

 その結果、対流雲によって正の相関をもつ微細構造が形成され、対流雲の外側に移流されるうちに負の相関をもつ微細構造に変化することがわかった。そのような微細構造の形成には、雲頂付近で大きな鉛直方向の温位偏差、Total waterの偏差が作られることと、雲粒の蒸発による冷却が起きることが重要であることがわかった。

 以上のように、本研究では大量の高層観測データを用いた解析と数値実験により、従来、あまり注目されていなかった対流圏自由大気の鉛直微細構造について調べた。その結果、これまで報告されていない鉛直スケール数百メートルの鉛直微細構造を発見した。そのスケールでは、気温偏差と湿度偏差との間に負の相関が卓越した。その成因について調べたところ、冬期の微細構造は、気塊の鉛直変位によって生じている可能性も否定できない。しかしながら、夏期の微細構造については、単純な鉛直変位では説明できないことがわかった。このような夏期の微細構造を形成する1つのメカニズムとして、観測から対流雲の作用が示唆された。この示唆にもとづいて対流雲が減衰した後に生ずる大気構造を調べる数値実験を行なったところ、観測結果と整合的な鉛直スケールや気温偏差と比湿偏差が負の相関を持つ鉛直微細構造が得られた。

図1: 1996年6月27日9:00JSTの硫黄島における(a)比湿と(b)気温の鉛直分布.

図2: 1996年6月27日9:00JSTの硫黄島における(a)比湿と(b)気温のスペクトル.実線はFFT,破線はMEMによる計算.

図3: 気温偏差(実線)と比湿偏差(破線).比湿の符合を逆にしてある.

図4: TREX期間の相関係数の頻度分布(薄い色は昼間,濃い色は夜間)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は主な部分として2つの章からなり、第2章では鉛直高分解能気象データのデータ解析結果の議論であり、第3童では構造のメカニズム理解のために数値実験をおこなっている。

 大気が物理量の鉛直微細構造をもつという観測結果が、観測機器の鉛直精度向上により、いくつか報告され始めている。10m程度の薄い層、数百mの層、さらに1.5km程度の層など様々な層が存在している。論文提出者はそのなかで、東大海洋研の観測などに見られる数百mの層に着目をして、その気象データの解析(とくに温度と湿度)、およびその成因をさぐるために数値実験をおこない研究をおこなった。

 第2章では梅雨期、夏期、冬期に得られた、大量の鉛直高分解能のラジオゾンデを用いて、対流圏自由大気における気温と水蒸気の鉛直微細構造が存在することを見つけ、その構造、特性および環境場について考察している。

 まず、TREX(Torrential Rainfall Experiment、1996年夏期に実施)期間の気温と比湿の個々の鉛直プロファイルにたいしてスペクトル解析をおこない、大半のサウンディングデータに200〜800mの特徴的な鉛直スケールが含まれることを示している。さらに個々のスペクトルを観測地点毎に平均したところピークは弱くはなるが400m付近に鉛直の卓越スケールがあることを示した。この鉛直スケールに着目し、気温と比湿を比較すると、比湿の極大(極小)が温度の極小(極大)によく対応しているので、さらにバンドパスフィルターを用いて偏差をとりだし、解析を進めている。

 その結果、温度と比湿の偏差は約300mの層厚をもち、温度は約0.2Kの標準偏差、比湿は約0.2g/kgの標準偏差をもつことがわかった。さらに国内18ケ所の高層観測データなどを用いて気温偏差と比湿偏差の対応関係を調べることにより場所や季節によらず負の相関が卓越することを示している。

 さらにレーダアメダス解析雨量図、衛星画像、可降水量、天気図との関係を調べた結果、対流性擾乱や前線付近においては気温偏差と比湿偏差の相関係数が正で、それらの減衰後あるいは存在しない場所では負の相関が卓越することがわかった。負の相関をもつ温度と比湿の微細構造が空気粒子の鉛直変位によって説明できる可能性をしらべたところ、冬期の鉛直微細構造は気塊の鉛直変位で説明できる可能性はあるが、夏期の微細構造は気塊の鉛直変位のみでは説明出来ないこともわかった。

 つぎに第3章では、対流性擾乱と微細構造との関係を数値実験によって調べ、微細構造発生メカニズムを考察している。用いたモデルは2次元モデルで積雲対流を陽に表現するモデルである。

 対流雲の発達過程において、乱流エネルギーが雲頂付近にピークをもち、側面の方に向かって弱くなる分布ができる。時間がたつと対流雲の側面で安定成層が効くために、乱流エネルギーが複数のピークをもつようになる。それに伴い乱流により雲の中の空気が拡散し、空気塊に含まれる雲粒と雨粒が蒸発し空気塊は冷えることで、外向きの気圧傾度力が大きくなって外に向かう流れができる。外向きに流れる領域では、比湿は相対的に多い。温位は雲の内側では暖かいが、雲の外では蒸発のために冷たくなる。このために、雲の外では比湿偏差と温位偏差は負の相関をもつことになる。また、雲から空気塊が流出した結果として、その上下の領域では空気塊は相対的に暖かく、乾燥した状態であり、ここでも比湿偏差と温度偏差は負の相関となる。このように微細構造を作るためには、対流雲で生成される乱流の運動エネルギーが空間的にむらを作ることと、雲粒の蒸発による冷却で決まることを示している。

 なお、本論文の第2章および第3章は、新野宏、木村龍治との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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