学位論文要旨



No 115625
著者(漢字) 中野,英之
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,ヒデユキ
標題(和) 海底境界層モデルを組み込んだ海洋大循環モデルによる深層循環の研究
標題(洋) Modeling global abyssal circulation by incorporating bottom boundary layer parameterization
報告番号 115625
報告番号 甲15625
学位授与日 2000.09.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3854号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 安田,一郎
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
 東京大学 教授 平,啓介
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 川辺,正樹
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

 海洋の深層循環は,上層に比べて非常にゆっくりとしているが,熱容量が膨大なため熱輸送としては気候系全体に対して非常に大きな影響を持つ.そのため気候モデルにとって,海洋の深層循環の現実的な再現は非常に重要である.しかしながら,既存の海洋大循環モデル(OGCM)で再現されている深層循環には,現実との間に質的にも量的にも大きな差異がある.例えば,縁辺海で形成された重い水が外洋に下り落ちるoverflow/downslope-flowが深層水形成に非常に大きな影響を持つことが指摘されているが,今までのOGCMでは再現されていない.その再現には海底境界層(BBL)の導入が必要と認識されつつあるが,BBLを陽に表現して全世界海洋モデルを平衡状態まで計算した例は未だない.また,モデルの解像度が粗く地形をうまく表現できていないことなどのために深層の水平循環パターンの再現には不十分な点が多く,非常に大切な事柄が数多く見過ごされている.

 今回の研究では,BBLを採り入れた1°×1°という平衡状態まで計算するものとしては比較的高解像度のモデルを開発し,これまでのOGCMの欠点を改善する.またその過程で今まで見過ごされてきた重要な事柄を指摘する.

2 海底境界層(BBL)の扱い

 BBLはOGCMの一番底の格子の下に等しい厚みの層を1層導入することで表現する.鉛直方向にはOGCMと同じように交換するが,水平方向にはBBLで計算された移流でやりとりをする.BBLにおいて流速を計算する際に,重い水が斜面に対して約45度の角度でおりてくることを表現できるパラメタリゼーションを施す.このように,overflow/downslope-flowを表現する際に,移流を計算するBBLを導入したことが,過去に行なわれたトレーサーだけを修正するものと本質的に異なる.このタイプのBBLを導入したOGCMを全世界海洋に適用した例は未だない.

3 数値実験の設定

 モデルはCCSR-OGCMを用いた.これはrigid-lid, Bousinessque, hydrostatic近似のもとでprimitive方程式を解くmulti-level modelである.混合層モデル,海氷モデルは含んでいない.解像度は水平1°×1°,鉛直40層.北極海は含まない.このような解像度は平衡状態まで計算する気候モデルとしてはかなり高解像度であり,今までのところ海洋循環を論じた論文は発表されていない.しかしながら,overflow/downslope-flow及び深層循環の水平パターンを現実的に再現するためには最低限必要な解像度である.観測を用いて編集した季節変動する外力を与え1平衡状態まで計算した.Nordic Seas北部及び南極周辺の大陸棚の水は観測の外力だけでは表現が困難なので修正を施している.

4 0verflow/Downslope-flowの再現

 図1はBBLを導入した場合と導入しなかった場合の海底に沿った塩分分布である.BBLを導入しない場合は,Noridic Seasから大西洋に向かって流入してくるはずの重い水が,Icelandの周りの浅くなっているところに束縛されている.これは典型的な既存のOGCMの欠点である.一方BBLを導入した場合は,Nordic Seasからの低塩分水がIcelandの東側と西側の両方から下り落ちていくという現実によく似た水平構造を再現している.

 また,このようにoverflow/downslope-flowによって深層水が生成されると,最近盛んにOGCMに導入されている中規模渦のパラメタゼーションの1つであるGent and McWilliams parameterization(以後GM)に対する感度にも大きな影響が生じてくる.GMは数々の成果をあげているが,深層の構造に非現実的な影響があることと熱塩循環を非常に弱めてしまうことが問題となっていた.

 図2はBBLを導入した場合と導入しなかった場合についてのGMの効果を,大西洋の東西平均密度で見たものである.BBLを導入しなかった場合には,図1で見たような非現実的な密度勾配がIcelandの南及び南極の周辺に現れる.GMにはきつい密度勾配を緩めるという働きがあり,非現実的な密度勾配を緩める過程において深層を過冷却する.これが,深層水の性質のGMに対する非現実的な感度の原因といえる.またこの場合,本来移流で運ばれるはずの重い水がGMの働きにより運ばれることになるので,たとえ疑似的に深層の性質がGMのない時に比べ現実に近付いたとしても流量は非現実的に減少してしまう.一方,BBLを導入した場合は,問題となっていたIcelandの南におけるGMの効果は抑えられ,流量も現実的な値を保つ.

5 深層循環の水平構造

 南極周辺で作られる底層水のなかで,オーストラリアの南に位置するAdelie Coast沖における底層水は東インド洋の底層水の性質に大きな影響を与える.しかしながら既存のモデルでは,解像度が粗く地形の扱いが不十分であることや,西岸がない場所での底層水形成が困難であることなどのため再現されていなかった.本研究のBBLを導入した1°×1°モデルではAdelie Coast沖における底層水形成を再現することができた.この底層水それは東インド洋に留まらず,太平洋にも大きな影響がある(図3). これは以下のように説明される.太平洋深層水の起源は,南極を取り囲む海嶺に遮られるため,南極周辺で生成された底層水が直接来るのではなく,南極海を一周するCircumpolar Deep Waterの下部がNew Zealand南から流入する.そして太平洋に入る直前にオーストラリアの南でその直下をながれるAdelie Coast沖を発した底層水の影響を大きく受ける.

 深層循環の最も基本的なStommel-Arons theory理論を,底層で北上し中深層で南下するという子午面循環のlayered structureを持つ太平洋に適用すると,東西流は底層では東向きで中深層では西向きとなる.しかし,3He分布から,太平洋の中深層には,緯度により向きが異なる東西流があることが示唆されている.今回の実験では,はじめて,そのような東西流を緯度分布まで正しく再現した(図4).これらの東西流は風成であることを示すことができた.この風成循環の速さは1mm/s程度と非常に小さいが,熱塩循環が弱い場所ではそれに打ち勝つには十分な大きさである.

6 まとめ

 BBLを組み込んだ解像度1°×1°のOGCMを用いて,全世界海洋の深層循環の研究を行なった.その結果,観測と似た構造を持つoverflow/downslope-flowが再現でき,深層循環の水平パターンの大まかな特徴をとらえることができた.このoverflow/downslope-flowによる深層形成により,GMで問題となっていた深層水に対する非現実的な感度等が抑えられることになった.

 BBLの導入及び1°×1°の解像度により地形の表現が正確になったことで,Adelie Coast沖における底層水形成に成功し,その底層水が東インド洋だけでなく,Cicumpolar Deep Water下部との混合過程を通して太平洋の深層にも多大な影響を与えることを示すことができた.太平洋の中深層で緯度により東西の流れの向きが異なる循環をはじめてモデルで再現し,その循環は風成循環を考慮することで説明できることを示した.

図1: Iceland周辺の海底付近の塩分分布.(a)BBLを導入しない場合.(b)BBLを導入した場合.等値線間隔は0.005psu.

図2: GMを導入したことによる大西洋の東西平均密度の増加.(a)BBLを導入しない場合.(b)BBLを導入した場合.等値線間隔は0.02kg/m3.

図3: Adelie Coast沖で深層水形成をやめた時の,海底付近の(a)温度の上昇,(b)塩分の上昇.影のついた部分は低下を示す.等値線間隔は0.2℃.と0.005psu.

図4: (a)太平洋2405m深の流速の東西成分.影がついた部分は西向き.等位線間隔は5×10-4m/s.(b)太平洋2500m深のstreic height.太い矢印は3He分布から推定した流れ[Lupton,1998より].

審査要旨 要旨を表示する

 海洋深層の循環は表層に比較してゆっくりしているが、熱容量は膨大であり、大気海洋系における熱輸送の重要な担い手である。このため、海洋深層循環の変動は気候の長期変動に大きな影響を持つことが知られている。しかし、海洋深層の循環や水塊分布は、表層に比較して、これまで十分な精度では数値モデル化されていなかった。

 本論文は4章からなっている。第1章は導入部であり、気候変動研究に対する海洋深層循環の数値モデリングの重要性、海洋大循環モデルによる深層循環研究の現状、本論文の内容と目的について述べている。第2章では、海底境界層(BBL)のパラメタリゼーションを海洋大循環モデルに対して適用した結果について記述しており、特に、中規模渦パラメタリゼーションとの併用によるBBLパラメタリゼーションの有効性、及び、深層水形成海域における急傾斜の海底を下る深層水の再現について議論している。第3章では、海洋大循環モデルにBBLパラメタリゼーションを組み込むことで得られた深層の水塊分布と循環を観測と比較し、本論文の結果が観測と良く対応していることを示した。特に、モデルで得られた太平洋の深層水の分布及び太平洋の中深層2500m付近の循環が観測を良く再現することを指摘した。この太平洋の中深層の循環については、さらに付録において、より単純化したモデルによって検討し、この循環が海面風応力に起因する風成循環であることを明かにした。第4章では、本論文のまとめと今後の課題について述べている。

 縁辺海で形成された深層水は急傾斜の海底を下り外洋に流出して深層水となるが、計算機資源の制約から全世界海洋モデルで深層水の形成や移動に重要な海底境界層を十分な解像度で表現することは困難である。このため、従来の海洋大循環モデルでは、深層水の元となる重い水の流出は拡散としてしか表現されておらず、その結果として広域の深層水分布は非現実的であった。本論文では、深層水が海底斜面を45度の角度で斜めに下るように表現した海底境界層を全世界海洋大循環モデルに適用することにより、深層のモデリングの改善を図った。なお、将来この海洋モデルを気候モデルに組み込むことを念頭に置き、深層の循環や水塊分布を再現するためにはどの程度の解像度が最低限必要かについても検討している。

 特筆すべきは、この海底境界層のパラメタリゼーションと水平解像度を緯度経度1度とすることにより、モデルの結果が深層の水塊分布や循環の観測結果を良く再現できることを示したことである。海底境界層のパラメタリゼーションによって、北大西洋深層水及び南極アデリー海岸沖で形成される南極底層水が海底斜面を下る過程を再現できるようになった。特に、従来のモデルで非現実的だった太平洋とインド洋の深層水の水塊分布が、南極底層水の形成と循環が適切に表現されることにより大きく改善され、初めてモデルで現実的に再現されるようになった。また、近年用いられるようになった中規模渦パラメタリゼーションが深層循環を非現実的にする原因を明らかにし、海底境界層のパラメタリゼーションを併用することによってその効果を発揮できることを示した。さらに、化学トレーサから推定されていた北太平洋中深層2500m付近の東西流分布をモデルによって初めて再現し、さらにこの中深層の東西流が風応力によって生ずるメカニズムを単純化した数値モデルと解析解によって示した。なお、海底境界層のパラメタリゼーションについては、論文提出者も今後の課題として述べているように、北大西洋深層水が海底斜面を下る際の暖水取り込み量が非現実的に大きく、さらに改善が必要である。今後の発展に期待したい。

 以上述べてきたように、本学位論文は、海洋深層循環のモデリング研究に大きく貢献する成果と評価でき、学位論文として、十分な成果が得られていると、審査員一同判断した。

 なお、本論文第2章、第3章は、指導教官である杉ノ原伸夫教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク