学位論文要旨



No 115626
著者(漢字) 宮田,佳樹
著者(英字)
著者(カナ) ミヤタ,ヨシキ
標題(和) 負イオン質量分析法の地球化学的研究応用 : 海洋試料中のルテニウム定量法の開発と大気中のホウ素同位体比に関する研究
標題(洋)
報告番号 115626
報告番号 甲15626
学位授与日 2000.09.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3855号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野崎,義行
 東京大学 教授 高野,穆一郎
 東京大学 助教授 中井,俊一
 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 助教授 植松,光夫
内容要旨 要旨を表示する

【序】 ホウ素は10Bと11Bの2つの安定同位体を持ち、その相対質量差が大きいために、自然界での同位体分別が期待される元素である。しかし、他の軽元素、例えば炭素、窒素、酸素などの同位体比を用いた地球化学的研究に比べると、ホウ素同位体比(10B/11B)の研究は極めて立ち遅れている。その主な原因は、質量分別効果の小さい正イオン表面電離型質量分析法では、実験操作が煩雑な上、十分な感度が得られなかったことにある。最近開発された負イオン質量分析法ではイオン化効率が二桁程度向上したため、極めて微量のホウ素からでも同位体比の測定が可能となった。本研究の目的は、この負イオン質量分析による微量ホウ素濃度と同位体比との測定から、地球表層でのホウ素の地球化学的物質循環を明らかにすることにある。特に大気中の微量ホウ素の起源については、海水からの単純蒸発説(Gast and Thompson,1959)がNishimura et a1.(1973)の追試によって打ち消された後、海塩粒子からの気化説、人為起源説などが提起されている(Fogg and Duce,1985)。同位体比手法の導入は、これらの議論に新たな視野をもたらすことが期待される。

【試料と方法】 測定に用いた試料は、高感度分析を必要とする海洋大気と雨水および雪である。洋上大気試料は、東京大学海洋研究所の白鳳丸と淡青丸で採取した。また、比較のため晴海埠頭、有明埠頭や東京大学海洋研究所屋上でも大気試料を採取した。降水試料は、日本とカナダを往復する定期貨物船SKAUGRAN(4万6千トン)の船上で採取した。雪の試料は、東京都武蔵村山市、小平市で採取したものである。

 船からの汚染を避けるため航走中、風向きが前方から左右60。以内の時にのみ大気採取した。大気を直接、エタノールードライアイスで冷却したコールドトラップ(〜-74℃)に導き、凝縮水とともに大気中のホウ素を定量的に採取した。その凝縮水を室温で融かした後、標準試料と同様に比較的低温で白金フィラメントに塗布した。イオン化効率をあげるため、その上にLa(NO3)3を塗布した後、四重極表面電離型質量分析計(Finnigan MAT THQ)で同位体比の分析を行った。測定した質量数は42(10BO2-)および43(11BO2-)である。ベースラインは40.5を取った。測定精度は、試料により異なるがおよそ±1%。である。なお、得られた測定値は全て酸化物の補正を行い、NIST951ホウ酸で規格化してδ11B値で次式で表示する。

ホウ素濃度は、10B濃縮スパイク(NIST,SRM952)を用いて同位体希釈法で定量した。精度は約5%であった。

【結果と考察】 白鳳丸KH98-3次航海で採取した海洋大気中のホウ素濃度分布をこれまでの文献値とともに図1に示す。中緯度(北緯3°以南)では100ngm-3以上の濃度を示すのに対して、北緯35。以北では、大気中のホウ素濃度は一般に100ngm-3以下であり、北に向かって次第に減少している。北緯35°以北はアジア大陸を起源とする気団、35°以南は、海洋性の小笠原気団の影響を反映しているのかもしれない。また、北では気温の低下がヘンリー定数に影響を与え、その結果例えば、海面からの蒸発・あるいは海塩粒子から気化するホウ素の量が減少している可能性もある(Fogg and Duce,1985)。海洋から大気へホウ素を供給するプロセスとして・海水からB(OH)3の形で直接蒸発するホウ素に加えて、海面でのバブルジェットによって形成された海塩粒子から、B(OH)3が気化する渦程も考慮する必要がある。

 海洋大気中のホウ素同位体比(δ11B値)の分布を図2に示す。北緯35。以北で北に向かうにつれ、ホウ素同位体比がより正となる傾向を示した。δ11B値とホウ素濃度の逆数との間には、直線関係(図3)が見られ、大気中のホウ素は同位体組成の異なる二つの成分の混合によって支配されているように見える。しかし、その端成分のひとつを同位体効果のない海水とするとその濃度は4ng/m3となり、平衡濃度19ng/m3(Nishimura et a1.,1973)よりも小さい。

 また、もう一方の端成分はδ11B値が-12%。(Y切片)程度の低い値を持つことがわかる。

 地球表層物質は-30〜+60%。まで様々なホウ素同位体比を示すが、これほど低い値を持つ物質はあまりない。例えば、非海洋性蒸発岩や電気石が-10%。以下のδ11B値を持つが、これらのローカルな堆積物が広く分散して大気中のホウ素の供給源になっているとは考えがたい。また、大気へ放出される火山ガスの凝縮水のホウ素同位体比は、+2.3〜+21.4%。の範囲にあり海洋大気の端成分とは明らかに異なる。つまり、ホウ素同位体比の異なる2つの供給源の単純混合だけでは大気中のδHBの変動を説明することは困難である。

 そこで、海洋から蒸発するホウ素の同位体分別について考えてみた。気相液相間のホウ素同位体の分別についての研究は、高温(200℃以上)の地熱系について少しなされているが、低温での研究はこれまで実験が困難であったため皆無に近い。唯一の常温で行われた海水の蒸発実験(Xiao et al.,未発表)では、+38.8%。の海水と共存する気相のホウ素同位体比は+22.7〜+37.3%。となった(Barth,1998の引用による)。従って、同位体分別係数Δは、-1.5〜-16.1%。となり、もしこれが正しければ水素や酸素同位体などの他の軽元素と同じように海水からの蒸発と凝縮の繰り返しによって自然界で大きな同位体分別が起こりうる。

 そこで、海水から蒸発するホウ素の同位体分別に分別蒸留のレイリーの式を適用してみる。ここでは気相に存在する海水起源のホウ素が凝縮し、微小量のホウ素が水相に連続的に除去されていくようなモデルを考える(図4)。はじめに気相から凝縮するホウ素の同位体比を海水と同じ+39.5%。とした。もし、同位体分別係数Δが-数%。程度の値ならば、蒸発―凝縮の過程では大気中のホウ素同位体比はとても説明できない。しかし、-10%。より小さな値を持つなら、レイリー分別のプロセスで大気中や降雨中のホウ素同位体比を説明することは十分可能である。つまり、大気中のホウ素同位体比の変動が海水からの蒸発と海塩粒子からの気化で説明できるかどうかは、同位体分別係数の大きさにかかっており、その決定が今後の課題である。

【結論】 本研究では、大気中のホウ素同位体比を初めて測定することに成功した。その同位体組成は大きく変動するが、一般に海水組成と比べて軽い同位体に富み、海水からホウ素が蒸発する際に他の軽元素と同様、強い同位体分別効果が働いている可能性が示唆された。

図1. 海洋大気中のホウ素濃度分布。

白抜きの数字はNishimura et al.(1973)による。

図2. 海洋大気中のホウ素同位体比(δ11B)の分布。

図3. 海洋大気のδ11Bとホウ素濃度の逆数との関係。

図4. レイリー分別過程におけるδ11Bの変動。

実線は液相を、点線は気相を表している。(a)と(b)の曲線は気液相問のδ11Bの同位体分別係数Δが、各-1.5%。と-16.1%。の場合に相当する.図の右側に、降雪と洋上の降雨と大気のδ11B値の変動帽を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は全5章からなり、第1章は序論で研究の目的、その背景と意義が述べられている。とくに最近開発された負イオン質量分析法が地球化学の分野に新たな視野を開きつつあることが白金族元素とホウ素を例にして述べられている。第2章では、負イオン質量分析法の原理、その発展の歴史が詳しくレビューされていて、本論文の基礎をなしている。とくに実際に用いた四重極質量分析計の技術的な改良、操作の利点と欠点が書かれていてこの分野での今後の研究者に指針を与えている。

 第3章では、海洋試料中のルテニウム(白金族元素の一つ)の測定法の開発について詳しい実験が記されている。とくに負イオン質量分析の諸条件の検討では、微妙なフィラメント上への試料のローディングについてイオン化促進剤の選択を含めて詳しく記述されている他、負イオンのスペクトルがイリジウムやオスミウムとは異なり、頂点が平坦ではない場合が多いことを実例をもって示した。また、ルテニウムの分離・精製に関しては、ニクロム酸カリウムを用いた酸化と蒸留法を用いているが、その際クロムの混入が問題となった。これについての対策の指針も示されている。また、大西洋と太平洋のマンガン団塊13試料のルテニウム濃度の測定では、平均値として12ng/gの値を得ている。海水のルテニウムの分析は、世界でまだ誰も成功していないが、検出感度から考えて負イオン質量分析法が現在のところ最も有力な方法であり、本論文の記述は今後の展開にとって重要なマイルストーンとなることが期待される。

 第4章では、軽元素のホウ素同位体比に関する分析法と、大気試料の分析結果およびその考察について記述されている。負イオン質量分析法にり、従来の陽イオン表面電離質量分析法より感度が2〜3桁上昇し、極く微量のホウ素からでも同位体比の測定が可能となった。しかし一方、質量差別効果、ブランクの間題、ビームの検出方法など多くの技術的問題が隠されているが、それらについて詳しく記述されている。とくにピーク・ジャンピングの測定モードがFinnigan MAT THQの四重極質量分析法では容易に使えるため、標準試料との繰り返し測定により質量差別効果の問題は克服できること、同位体希釈分析によって超微量のホウ素定量を可能にしたことなど、分析法に関するいくつかの重要な進展がなされた。この方法に基づいて、これまで論争されてきた大気中のホウ素の起源と循環に関して、同位体手法の立場から初めてアプローチした。とくに白鳳丸航海で集めた洋上大気のδ11B値が-12.8%。〜+5.1%。の範囲で大きく変わることを明らかにした。これらの値は火山ガスよりも低く、その他の供給源を考える必要があることを意味する。平衡実験では海水からの蒸発は困難とする論文があるが、レイリー蒸留式を用いて計算すると、動的過程で海水からホウ素が蒸発する際の質量差別効果が十分大きければ説明可能であることを示した。これは大気中ホウ素の同位体比を測定した初めての研究であり、レビュアーからも高い評価を受け、現在国際学術誌に印刷中である。

 第5章は、まとめと将来展望が記述されている。

以上、本論文は、重元素のルテニウムと軽元素のホウ素を対象として、最近進展の著しい負イオン質量分析法を開発・検討し、地球化学の間題に適用した意欲的研究であり、今後の展開に重要なインパクトを与えることが期待される。

 なお、本論文第4章は、指導教官ほか3名との共同研究であるが、論文提出者が主体となって試料を採取し、分析と結果の考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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