学位論文要旨



No 115632
著者(漢字) 玉川,徹
著者(英字)
著者(カナ) タマガワ,トオル
標題(和) 9Be(K-,K+)反応を用いた準自由Ξ-生成の研究
標題(洋) Quasifree Ξ- Production in the 9Be(K-,K+)Reaction
報告番号 115632
報告番号 甲15632
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3859号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 徳宿,克夫
 東京大学 助教授 榎本,良治
 東京大学 教授 松司,哲男
 東京大学 助教授 森,俊則
 東京大学 助教授 櫻井,博儀
内容要旨 要旨を表示する

 核子間(NN)相互作用(核力)は、豊富な散乱実験データを基に、50年以上に渡って研究が行われてきた。幾つかの現実的な核力ポテンシャルが中間子交換機構を基に構築され、実験事実を良く説明してきた。また、核力にはその短距離領域に強い斥力芯が存在することが位相差解析からわかっており、この起源は核子のより基本的な構成粒子であるクオークの自由度を考えた模型により良く説明されている。近年、核力の研究で得られたこれらの知識を、他のバリオン間相互作用に拡張する試みが行われている。今のところ、ストレンジネス量子数(S)を含んだバリオンであるハイペロンと核子間及び、ハイペロン間の相互作用が活発に研究されている。これらの研究は、ストレンジクオークという新たな自由度が、核力で得た知識にどのような変更を強いるのかを通して、バリオン間相互作用の本質や起源に迫るというものである。

 実験的にバリオン間相互作用を研究するには、バリオン間の散乱実験を行うことが重要である。しかし、ハイペロンの寿命が非常に短いことから、散乱実験がほとんどおこなわれていないのが現状である。S=-1系(ΛN,ΣN等)に関しては、最近新たな散乱実験がおこなわれ始め、また、Λ(Σ)ハイペロンを原子核中に束縛したΛ(Σ)ハイパー核の構造を研究することにより、相互作用のスピン依存性など、徐々にではあるがデータがたまりつつある。一方、さらにストレンジネス量子数を増やしたS=-2系(ΞN,ΛΛ,ΛΣ等)に関しては、実験結果の不足から、その相互作用の性質は全く分っていない。このような状況のもと、S=-2系における相互作用の実験的研究の第一歩として、9Be(K-,K+)反応を用いた準自由Ξ-生成を通して、Ξ-と核子の相互作用を研究することにした。

 これまで、素過程でΞ-を生成する場合、P(K-,K+)Ξ-反応がよく用いられてきた。今回の実験は原子核を標的とするが、素過程におけるΞ-生成と同じ運動量領域の(K-,K+)反応をとらえることによりS=-2系を生成し、そこから放出されるΞ-をとらえてやる。原子核標的におけるΞ-生成と、Ξ-の原子核中での振る舞いを実験データと比較するために、古典的なカスケード描像が成り立つと考える(図1)。Ξ-が準自由(K-,K+)反応により原子核中で生成され、そのΞ-が原子核中を走行する間に核子と相互作用を起こすという模型である。このような模型は、原子核中の核子やΛハイペロンの振る舞いを説明するのに成功している。今回我々は、終状態にΞ-を含む事象(図1.(a),(b))を取り扱うこととした。

 放出されたΞ-をとらえるために、我々は、大立体角を覆う円筒型検出器系(CDS)を新たに建設した。Ξ-は、その崩壊粒子(Ξ-→Λp,Λ→pπ-で最終的に残るp,π-,π-)から不変質量を構成して同定するが、そのためには、崩壊粒子を大立体角で捕まえることが重要である。また、S=-2系の生成断面積は数10μb/srと小さいことから、大強度のK-ビームを用いた実験を行うことが不可欠である。CDSは主飛跡検出器にドリフトチェンバーを用いていることから、高計数率に耐えることができ、統計量を増やすことができるという特徴がある。

 実験は、ブルックヘブン国立研究所(米国)AGS加速器の大強度K中間子ビームライン(D6)を用いておこなわれた。D6ビームラインから供給される、強度6.0×106K-/spill、運動量1.8GeV/c(広がり士3%FWHM)のK-は、CDSの中心に置かれた標的に当り、(K-,K+)反応により、S=-2系を生成する。放出されたK+は、前方に置かれたK+スペクトロメータでとらえられる。K+スペクトロメータは、ビームに対して5°付近に放出されたK+を、立体角20msrでとらえられるようにセットされている。入射K-はビームに混入しているπ-から、飛行時間測定により分離され、π-の混入率は1%以下に抑えられている。放出されたK+は、飛行時間測定と飛行経路測定を用いて粒子質量を求めることにより、π+やpから分離される。π+やpの混入率は1%以下に抑えられている。

 このように同定された(K-,K+)反応より、9Be、12C、protonにおける(K-,K+)反応断面積(ただし前方;θ,K+に対して1.5°から8.5°の平均)が求められた。それぞれ、dσ/dΩ=65.4±4.2(stat)±3.3(syst)、92.7±10.6(stat)±5.4(syst)、30.8±3.2(stat)±1.8(syst)μb/srであった。これらの断面積の質量数(A)依存性を求めると、(dσ/dΩ)A=Aα×(dσ/dΩ)protonに対し、α=0.37±0.06という結果を得た。これは、過去により重い原子核に対して測定された依存性(α=0.38±0.03)と誤差の範囲内で一致している。

 CDSの構成を図2に示す。CDCは半径30cmの円筒中に12の粒子位置読み出し層を持つ。中心から数えて第4層から6層と第10層から12層の読み出しワイヤーは、ビーム軸に平行に張られており、第1層から3層と第7層から9層の読み出しワイヤーは、ビーム軸に対して3°から5°の角度を付けて張られている。これにより、CDCはビームに垂直な面内だけでなく、3次元的に粒子飛跡の再構成を行うことができる。また、低運動量の粒子を精度よくとらえるために、ヘリウム50%、エタン50%のガスを用い、物質量を下げることにより、検出器中でのエネルギー損失を抑えている。CDCの空間分解能は240μm(rms)、角度分解能としてΔθ=2°(rms)、Δφ=1.2°(rms)、運動量分解能として、dP/P=3.3%(rms;100MeV/c粒子に対し)が得られた。また、バーテックス分解能として、ΔX=ΔY=3.0 mm、ΔZ=3.3mmが得られた。

 同定された(K-,K+)事象のうち、同時にCDSでΞ-が再構成された事象を選びだすことにより、9Be(K-,K+Ξ-)X反応の断面積を求めた。これにより、(K-,K+)反応でΞ-が放出される確率が求められ、Remit=78.1±10.1(stat)±7.8(syst)%という値を得た。(K-,K+)反応によりΞ-が原子核中で生成されると仮定し、この放出確率より、Ξ-の原子核中での吸収(Ξ-p→Ξ0nもしくはΞ-p→ΛΛによる)に対する平均自由行程を求めると、λabs=3.4-1.8+3.3(stat)-1.1+2.5(syst)fmという値を得た。ちなみに、今見ているΞ-の生成直後の運動量は、中心値が約550MeV/c、広がりが約150MeV/c(σ)である。

 再構成したΞ-の角分布をモンテカルロシミュレーションの結果と比較したところ、核子のフェルミ運動から予想される以上の大角度(ビーム軸に対しての極角θΞが大きい部分)にΞ-が放出されていることがわかった。古典的なカスケード描像のもとで、これらのΞ-は、(K-,K+)反応で生成された後、原子核中の核子と再度衝突(準弾性衝突)したために大角度に放出されたと解釈することができる。そこで、直接放出されたΞ-と、準弾性散乱をしたΞ-の分離を試みた。この分離は、P(K-,K+)Ξ-反応を仮定して計算されるΞ-の方向と、CDSで再構成されたΞ-の方向のなす角(コリニアリティー)分布を用いておこなった(図3)。

 この分離により、9Be(K-,K+)反応に対するΞ-直接放出の確率としてRescape=63.6±8.2%を、準弾性散乱の確率としてRscat=14.5±2.6%を得た。Rscatとアイコナール近似を用いることにより、原子核中でのΞ-と核子の準弾性散乱断面積として、σΞ-N=20.9±4.5(stat)-2.4+2.5(syst)mbが得られた。この値を自由空間における弾性散乱断面積に直すために、原子核効果としてパウリブロッキングとΞ-原子核ポテンシャルを考慮し、補正をおこなった。その結果として、σΞ-N=30.7±6.7(stat)-3.5+3.7(syst)mbが得られた。この値を他のバリオン-核子弾性散乱断面積と比較してみると、NN、ΛN、ΣN、と同じオーダーであることがわかった。また、σΞNとλabsから、Ξ-の原子核中での平均自由行程が得られ、その値はλΞ=1.7-0.4+0.6(stat)-0.4+0.6(syst)fmあった。

 一方、我々はΞ-とpの両方を終状態に含む事象9Be(K-,K+Ξ-p)Xも測定しており、その起源をΞ-p散乱として、9Be(K-,K+)X事象に対する確率を求めた。その結果RΞp scat=5.8±3.5(stat)±1.6(syst)%という値を得た。上で求めたRscatはRΞp scatとRΞn scatの和であるはずなので、RΞs cat=RΞs cat-R-Ξp cat=8.7±4.4(stat)±3.1(syst)%という値が得られた。この結果から、アイコナール近似を用いて、原子核中におけるΞ-p、Ξ-n準弾性散乱断面積を求めると、σΞp=19.8±12.9(stat)-5.8+6.0(syst)mb、σΞn=18.5±10.4(stat)-3.7+3.9(syst)mbという値が得られた。原子核効果を補正した結果、Ξ-p、Ξ-nの自由空間における弾性散乱断面積は、σΞp=29.1±19.0(stat)-8.5+8.8(syst)mb、σΞn=27.1±15.3(stat)-1.5+5.7(syst)mbという値を得た。これから、σΞn-pとσΞ-nは同程度のオーダーであるという結論が得られた。

 以上の結果は、全く実験データの無いS=-2系において、相互作用断面積に関する初めての情報を与えたという意味で重要である。これらの結果は、S=-2系における今後の理論構築に制限を与えるものである。

図1:古典的なカスケード描像。準自由反応で生成されたΞ-が、核外に放出されるまでに、核子と相互作用を行う。

図2: 円筒型検出器系。粒子飛跡検出用ドリフトチェンバー(CDC)、Z位置検出用ストリップチェンバー(CDZ)、粒子飛行時間検出用ホドスコープ(CDH)から成る。全測定器は、ビームと逆方向にかけられた5kGのソレノイド磁場中に置かれている。

図3: (K-,K+)から予想されるΞ-の方向と、CDSにより再構成されたΞ-の方向のコリニアリティー分布。実線は、直接放出(点線)と準弾性散乱(破線)及び、バックグラウンド(一点鎖線)によるフィッティングの結果を表している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はBe(K-,K+)反応後、Be標的の周りに生成する粒子を大立体角で捕らえることににより、原子核でのΞ粒子生成及びその二次散乱の頻度を定量的に押さえ、ストレンジ数=-2をもつΞ粒子と核子との相互作用を研究したものである。

 原子核標的とK-の反応から、前方K+粒子を捕らえる実験は過去にも存在するが、大規模な測定器を使った標的周りの粒子観測はこれが最初となる。解析ではまず、前方K+粒子の運動量分布からΞ粒子の原子核内での生成断面積をp、Be、Cについて求めた。結果は、過去の同様な実験と一致しており、その原子核数依存性は、K-粒子とK+粒子が核内の核子と独立に反応していくと言う核内カスケード模型で上手く説明できることを示した。

 次に、前方生成K+粒子の運動量が、核内Ξ生成に対応する事象を選んで、標的核周りの粒子発生の研究を進めた。陽子と2個のπ粒子の不変質量分布から、Ξ粒子の同定に成功した。原子核の残りが静止していると仮定して、入射K-粒子と生成K+粒子から求まるΞの予想観方向と、実際に観測したΞ粒子の方向とを比較すると、核子のフェルミ運動だけでは説明できない大きなずれのある事象が多数あることを示した。これは、新しい発見であり、論文提出者とその共同研究者が開発した、大規模な円筒型測定器系(CDS)により初めて観測できるようになったことは特筆すベきことである。測定器の捕獲効率を補正する定量的な解析により、この大きくずれた分の断面積をもとめた。これは、前方K+反応の解析から得られたΞ生成断面積の16.1±2.6%にあたる。同様に、ずれのない部分、つまりΞが生成しそのまま出てくる確率が62.0±8.2%であることを示した。

 論文では、この大きくずれた成分がΞと核子との核内散乱によるものと仮定をおき、カスケード模型をもとに、Ξと核子との反応断面積に変換した。その結果Ξの運動量が500MeV程度の領域で、ΞN弾性反応断面積として30.7mbを得た。カスケード散乱の仮定の上とはいえ、この測定は世界初めてであり、バリオン・バリオン散乱のモデル構築のうえで、一つの制限を与える。

 さらに、Ξと同時に陽子が放出されている事象の頻度を測定し、上記の解析結果との比較から、Ξp反応とΞn反応の断面積を別々に求める試みをしている。現時点では精度があまり上がらないが、両断面積ともに同程度の大きさであることがわかった。

 以上にあげたようにこの論文は、(K-,K+)反応からのΞ粒子の運動量を精度よく捕らえることにより、Ξと核子との相互作用を、カスケード描像をもとに研究した世界で初めてのものである。

 なお実験は高エネルギー加速器研究機構の福田共和氏、及び米国ブルックヘブン国立研究所のAdam Rusek氏をスポークスマンとする国際共同実験BNL-E906グループとの共同研究であるが、この論文に関しては提出者が主体となって解析及び検証を行ったものである。また、実験の遂行にあたって、提出者は新設したCDS測定器の性能評価の中心的な役割を担っており、ここで独自の手法を開発したことも特筆できる。以上により論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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