学位論文要旨



No 115639
著者(漢字) 阿部,渉
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ワタル
標題(和) ニセトゲクマムシ属および近縁属(緩歩動物門:ヨロイトゲクマムシ科)の系統分類学的研究
標題(洋) Systematic Study on the Genus Pseudechiniscus and lts Related Genera (Tardigrada : Echiniscidae)
報告番号 115639
報告番号 甲15639
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3866号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,正倫
 横浜国立大学 教授 青木,淳一
 東京都立大学 教授 山崎,柄根
 東京大学 教授 柏谷,博之
 東京大学 講師 上島,励
内容要旨 要旨を表示する

 緩歩動物門(Tardigrada)はクマムシ類とも呼ばれ、体長100μm〜1mm程度の微小な後生動物の一群である。紡錘形の体に通常4対の歩脚をそなえ、系統学的には節足動物門などに近縁である。地理的分布は全世界的であり、生態的分布も陸上、淡水中、海水中と極めて多岐にわたる。これまでに19科101属800種以上が記載されている。

 クマムシ類は種レベルでの分類が極めて混乱している。確実な根拠に基づいて同定できる種が極めて少ないのである。原因として以下のことがあげられる。

1) 体サイズが小さく、微細な形態形質を正確に把握することが困難であるため。近年の光学検鏡法の進歩により、以前には観察が困難であったより微細な形態も種の識別に用いられるようになってきた。このような状況の下、古い時代に記載された種はもちろん比較的最近に記載された種でも原記載が不十分となってしまい、種の定義が不明確になっている場合が多い。

2) 体表を覆うクチクラが極めて薄く、本来の形状を保ったままの良好な状態のプレパラート標本を作製することが困難であるため。したがって、ある形態形質の示す状態がその種が本来もつ状態なのかあるいは変形してしまった状態なのかを見分けることが難しい。

 これらのことは1種数の多い陸産のグループについて特によく当てはまる。

 以上のことをふまえ、本研究では系統分類学的研究が進んでいない異クマムシ綱のヨロイトゲクマムシ科Echiniscidae Thulin,1928を研究対象とした。本科の種のほとんどは陸上の蘇苔・地衣類上に生息する。本科は現在12属約240種から構成される。体背面に発達する背甲板の配列および形状などが属を識別する上で重要な形質とされる。

 本論文では、第1部で、ヨロイトゲクマムシ科の属レベルでの系統解析を行った。その結果、ニセトゲクマムシ属を含む5属が単系統群をなすことを把握した。このことをふまえ、第2部では、この5属を対象に絞り、各種の実体を明らかにすることを目的として、分類学的な再検討を行った。

第1部:ヨロイトゲクマムシ科各属の系統類縁関係

 ヨロイトゲクマムシ科の属間の系統類縁関係を推定すること、また第2部で行う分類学的再検討の対象群を絞り込むことを目的に、分岐学的手法を用いた系統樹の構築を試みた。ヨロイトゲクマムシ科自体は、体背面に肥厚したクチクラの背甲板をもつことや、メスがらせん状の受精嚢をもつことなど多くの共有派生形質で定義できるまとまりのよい科である。それぞれの属の形態情報は、筆者が作製した標本、国内外の研究機関および研究者所蔵の標本、あるいは過去の文献記録から引き出した。筆者が新たに作製した標本については「熱殺法」を採用した。「熱殺法」とは、スライドグラス上の水滴中に生きたクマムシ個体を置き、下から5秒間ほどライターなどにより熱を加え、クマムシを殺す方法である。「熱殺法」を適用した個体を充分量の封入剤で包埋することにより、本来の形状を保った良好な標本を作製することができた。本方法は自活性および植物寄生性のセンチュウ類のプレパラート標本作成において使われていたが、陸生クマムシ類にも極めて有効であることを初めて明らかにした。これらの標本を用いて、微分干渉顕微鏡と走査型電子顕微鏡により外部・内部形態を詳細に観察した。背甲板の微細な形態や感覚毛の基部の形状など、これまで十分に比較検討されてこなかった形質を含む44形態形質を抽出することができた。各形質の極性決定は外群比較によった。外群には、ヨロイトゲクマムシ科が属するトゲクマムシ目から、ハダカトゲクマムシ属(ハダカトゲクマムシ科)およびイソトゲクマムシ属(イソトゲクマムシ科)の2属を選定した。コンピュータソフトにより最節約樹を探索した結果、樹長82、一致指数0.72の単一最節約樹が得られた(図1)。「ニセトゲクマムシ属+ツノトゲクマムシ属+ヒゲナシトゲクマムシ属+Antechiniscus+Proechiniscus」の5属からなる分岐群(以降、ニセトゲクマムシ類と呼ぶ)と「トゲクマムシ属+コケブタ属+コケウンカ属+Testechiniscus」の4属からなる分岐群の2つの大きな分岐群が存在することが判明した。ニセトゲクマムシ類は、1)擬側板をもつ、2)体表を覆う顆粒は半球状のクチクラの突起からなる、3)咽頭内部のcuticular thickeningはplacoidよりも薄い、という共有派生形質で定義できる。これら5属は、もともとニセトゲクマムシ属から分離・分割されたという歴史的経緯を持つものの、その単系統性はこれまで分岐分析では検証されてはいなかった。また「トゲクマムシ属+コケブタ属+コケウンカ属+Testeciniscus」の分岐群がニセトゲクマムシ類と姉妹群関係にあることが示された。また、ProechiniscusはP. hanneae 1種からなり、ニセトゲクマムシ属から最近になって分離された属である。Proechiniscusは擬側板を持つヨロイトゲクマムシ科のうち、最も原始的な属とされてきたが、本属の背甲板の配列と形状、消化器系の形状などの点ではニセトゲクマムシ属ではなく、むしろツノトゲクマムシ属に類似することが判明し、また分岐分析の結果からもこれら2属は姉妹群をなすことが示された。

第2部:ニセトゲクマムシ類の分類学的再検討

 第1部で行った系統解析により、ニセトゲクマムシ類5属が単系統群をなすことを把握した。第2部では、種レベルでのまとまった分類学的再検討がなされず、実体が不明瞭な種を多く含んでいたニセトゲクマムシ類を対象に絞り、種レベルで分類学的に再検討した。特に、基準標本に基づき既知種を詳しく再記載することに重点を置いた。本研究を開始する時点では、ニセトゲクマムシ類は、ニセトゲクマムシ属30種4亜種、ツノトゲクマムシ属9種、ヒゲナシトゲクマムシ属3種、Antechiniscus5種、Proechiniscus1種の計5属48種4亜種が有効名とされていた。

 使用した試料は、アジア・ヨーロッパ・北米・中南米・オセアニア・アフリカ産のプレパラート標本、計33種である。このうちの25種については基準標本も入手し、研究に供した。本研究で調査できなかった種のうちには、基準標本が失われ、またその後の採集記録もない種も含まれる。

 各種について過去の文献記録を整理し、ほぼ完全なシノニムリストを作成した。併せて分布記録も整理した。標本の外部形態および内部形態を詳細に検鏡し、各形態の計測、描画、写真撮影を行い、各種ごとに詳しく記載した。多くの種について原記載や再記載中には盛り込まれていなかった形態形質を多数記載中に含めることができ、各種の実体を明瞭にすることができた。

 ツノトゲクマムシ属の種では、腹側に鉛直方向に走る数本の浅い溝が発達していることを確認した。この溝の存在についてはこれまで全く知られていなかったが、ツノトゲクマムシ属に特有な形質状態であることが判明した。研究の過程で、北海道産のニセトゲクマムシ属の1種Pseudechiniscusasperを新種として記載した。また模式産地であるマダガスカルからのみ知られていたツノトゲクマムシ属の1種Cornechiniscus madagascariensisをインド北部から記録した。また、Antechiniscus jermanniはA.lateromamillatusの、Mopsechiniscus granulosusはM.imberbisの、またPseudechiniscus jiroveciはP.facettalisの新参同物異名であると結論づけられた。またP.bartkei unilobatus、P.novaezeelandiae aspinosus、P.n.laterospinosusの各亜種は、亜種扱いする根拠がないと判断した。さらに、Pseudechiniscus sinensisは属の所属すら疑わしく、疑問種とすべきとの見解を得た。

図1. ヨロイトゲクマムシ科の属間の単一最節約樹

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、緩歩動物門ヨロイトゲクマムシ科についての系統分類学的研究の結果をまとめたものである。扱った種はいずれも体長1mm以下で、蘇苔類や地衣類、堆積葉下などに生息している。緩歩動物門は環形動物門と節足動物門を結ぶ動物群として、すなわち体節動物の起源および系統を考察するために注目される動物群である。しかし、体サイズが小さい上に体表をおおうクチクラが極めて薄いため、微細構造を観察するためのプレパラート標本の作成が困難であった。本論文の序論において、新しい標本作成法を開発したことが述べられている。

 本論文の本編は2部よりなり、第1部においてはヨロイトゲクマムシ科の属レベルでの系統解析を行い、ニセトゲクマムシ属を含む5属が単系統群をなすことを把握している。この結果を踏まえ、第2部においてはこの5属に属する種の分類学的再検討が行われている。

 第1部においては、分岐分類学的手法を用いて系統樹の構築がなされている。良好な標本を用いて、微分干渉顕微鏡と走査型電子顕微鏡により外部、内部形態を詳細に観察し、背甲板の微細形態や感覚毛の基部の形状などのような従来は十分に観察されていなかった形質を含めて44形態形質を抽出している。外群にはヨロイトゲクマムシ科が属するトゲクマムシ目からハダカトゲクマムシ属(ハダカトゲクマムシ科)とイソトゲクマムシ属(イソトゲクマムシ科)の2属を選定し、コンピュータソフトにより最節約樹を探索して樹長82、一致指数0.72の単一最節約樹を得ている。ニセトゲクマムシ類は、1)擬側板をもち、2)体表をおおう顆粒が半球状のクチクラの突起からなり、3)咽頭内部のcuticular thickeningがplacoidよりも薄いという共有派生形質で定義できることを明らかにしている。

 第2部においては、ニセトゲクマムシ類を対象にして種レベルでの分類学的検討を行っている。アジア・ヨーロッパ・南北アメリカ・オセアニア・アフリカ産の計33種の標本を入手し(うち25種はタイプ標本)、外部および内部形態を詳細に検鏡し、記載、計測、描画、写真撮影を行っている。その結果、従来の記載にない形態形質の詳細を数多く新たに追加している。

 なお、第2部の一部は東京女子医大の宇津木和夫名誉教授、国立科学博物館の武田正倫動物研究部長(東京大学大学院理学系研究科教授併任)、農林水産省森林総合研究所の伊藤雅道研究員との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって研究を行い、第1著者となっていることから、、論文提出者の寄与が十分であると判断することができる。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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