学位論文要旨



No 115649
著者(漢字)
著者(英字) SILVA,AMILA
著者(カナ) シルバ,アミラ
標題(和) 水文モデルの蒸発散評価に対する熱・水収支的視点の導入
標題(洋) INCORPORATING ENERGY AND WATER BUDGETS INTO EVAPOTRANSPIRATION ESTIMATION IN HYDROLOGICAL MODELING
報告番号 115649
報告番号 甲15649
学位授与日 2000.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4765号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 HERATH,A.Srikantha
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨 要旨を表示する

 この数年、気候モデルのサブモデルである地表面スキーム(LSS)が数多く開発されてきた。LSSは、大気と陸面の間でのエネルギー、水、運動量の交換を、エネルギー交換過程での植生と土壌タイプによる違いを考慮にいれて、算出する。一方、分布型の物理過程に基づく水文モデルでは、流域における水文過程を他のモデルよりも詳細かつ潜在的に正しく記述している。さらに、対象とする流域について利用可能な情報と知識を最大限扱うことができる。このモデリングは、地理情報システム(GIS)とリモートセンシングの2つの大きな技術によってサポートされる。

 この10年間、水文モデルの研究には大きな進展があった。水文モデルの開発の過程で、蒸発散の計算には、土壌水分の状態、植物の根の分布と深さに関する情報を取り込むことで部分的に物理過程を考慮した経験的な方法に基づいてモデリングが行われてきた。しかし、土壌からの蒸発と植物から蒸散の配分割合によるキャリブレーションが必要な経験的な定数がある。通常この2つの蒸発についての観測が実際にないために、定数の決定は面倒である。気象予測や気候モデルで使われる現在のLSSにある一つの大きな問題は、大流域の河川流量の再現ができないことである。これは、水の収支と移動を計算する際の上部(浸透)と下部(基底流出)での境界条件の表現が十分でないことに起因する。一方、実用化されている(伝統的な)水文モデルでは、LSSと同じ空間スケールで作動し、河川流量の再現が可能である。

 この研究の目的は異なるモデリング手法における蒸発量の推定について分析することであり、以下のステップからなる。1)気象データを用いた蒸発量の推定2)2つの気象観測タワーを用いた蒸発量の流域スケールにおける空間変動の推定3)点スケールでの蒸発量の推定とパラメータの感度解析4)様々な蒸発量推定手法の検討5)エネルギーの効果を考慮した水文モデルに向けた蒸発量推定手法の提案

 蒸発量の推定には長い歴史があり、現在用いられている方法論は過去の経験から得られた結果である。2種類の標準的な蒸発量、すなわち、可能蒸発量と「代表的な植物被覆からの蒸発量」、がある。また、蒸発量の推定法は、水収支に基づくかエネルギー収支に基づくかで、大きく2通りに分けられる。水収支を考慮する場合に用いられるのが、ライシメータやパン蒸発計であり、それぞれに、限界とともに潜在的な利用可能性を持っている。

 エネルギー収支に基づくものには何種類かあるが、本研究で用いるのはPenmanによる方法と、Penmanの方法から、Kimberly(アイダホ州)における空気力学的パラメータを元に季節変化を修正した方法である。この方法は、エネルギー利用可能量と蒸発の空気力学的影響を結合していることから、一般に「結合法」と呼ばれる。千葉県の海老川流域の前原における気象観測タワーでの観測から求めた気象学的パラメータを使い、結合法により「代表的な植物被覆からの蒸発量」を求めた。気象観測データは、1997年2月、5月、6月、7月におけるものが、10分間隔で利用可能である。同じく結合法を用いて、同一流域にある2つの気象タワーでの観測から「代表的な植物被覆からの蒸発量」の空間分布を調べた。

 2つの観測タワーは、わずか3kmしか離れておらず、前原(1つ目の観測点)は、二和(2つ目の観測点)に比べて、海に近く標高も低い。「代表的な植物被覆からの蒸発量」にもっとも影響するパラメータは、相対湿度であることが分かった。2つの観測点での推定の違い(18%)のほとんどを説明可能である。パラメータの時間方向の感度も、様々な間隔で時間平均したパラメータを用いて2つの点での時間のずれの影響も調べ、もとの結果と合わせて分析した。

 NCARが開発した地表面モデル(LSM)と、東京大学生産技術研究所で開発された水文モデルであるIISDHMを比較して、モデリング手法の違いを検討した、水文モデルのモデリング、とくに蒸発散の推定における熱収支を考慮することの影響を評価した。IISDHMは、遮断蒸発量、植物を通した蒸散量、土壌からの蒸発量、そして可能蒸発量を計算する。可能蒸発量は、土壌水分、葉面積指数(LAI)、植物の根の分布、根の深さなどの土壌と植物の特性を考慮した蒸発量の限界である。一方LSMは、エネルギーの分配と水の利用可能量を考慮している。二和観測点での、点スケール観測(6月1日と9月10日)に、LSMを適用し、その際に、一般的に求められたパラメータと点ごとに求められたパラメータの両方を実行させた。

 一般的なパラメータ(とくに土壌の水文的パラメータに基づくテクスチャ)を用いた場合には、期待されたほどの精度が得られなかった。一般的なパラメータを用いた場合には、土壌水分と土壌温度の検証は不可能である。しかし、ローカルなパラメータ(観測点において採取された土壌サンプルから求めた水理特性)を用いた場合には、現実に近い土壌水分と温度の変化を求めることが可能であった。

 この2つに加え、地中への熱量の比較から、モデルを用いて水とエネルギーの分配を評価することは可能だと言える。多くのLSMのように、顕熱、潜熱、地中への熱の分配が求まる。

 潜熱は、さらに、遮断蒸発、蒸散、地面からの蒸発に分けることができる。これらの要素は、全利用可能なエネルギーの分配であり、利用可能な水の量、すなわち水収支、によって異なる。水収支は、全流入量(降雨)の各部分からなる。

 直接利用可能でないパラメータの最適化は、いかなる方法でも必要である。この場合も例外ではない。土壌の水文特性に関するものはすべて利用可能で、未知であるのは、わずかなパラメータ、特に熱伝導度と比熱という土壌の熱特性に関するもの、蒸発量推定にとって重要なパラメータである「最適な含水量」だけである。簡潔な誤差計算と最適化手法を用いて、シミュレーションに最適なパラメータが選択された。土壌水分と土壌温度の誤差に最も感度が高いのは、「最適な含水量」である。飽和土壌水分量は、土壌水分の推定にとくに高い感度を持つ。最適化されたこれらのパラメータの下でLSMが推定した蒸発量の各成分を、水文モデルの結果の参照用に用いた。

 地表面モデルと水文モデルによる蒸発量推定の比較は、LSMに合わせてチューニングされたパラメータによって行われた。まず、水文モデルによる全蒸発量は、LSMに比べて小さいことが分かった。水文モデルでは、3つの基本的かつ経験的なパラメータにより、蒸発量の各成分(土壌からの蒸発、蒸散、遮断蒸発)の配分が計算される。パラメータのうち2つは、様々な植物や土壌タイプを対象とした既往の研究により推定されている。代表的な値は文献値である。良くチューニングされたパラメータにより、水文モデルで求めた蒸発量の各成分の配分は、LSMのそれに近づいた。水文モデルのこうした各成分への配分は、LSMをもとにした適切な蒸発量の配分(それは従来の水文モデルでは不可能であった)を得たあとで初めて可能になる。

 この研究によって、水文モデルにおける蒸発量の各成分の配分のパラメタリゼーションの方法が提案された。これは、詳細な気象データが利用可能でない、水文モデリングの際に有効である。前述の目的を達成するために、提案された方法をLSMの推定に必要なパラメータがそろった様々な植生タイプに拡張していくことが必要である。様々な土地被覆での研究を行うことで、水文モデルでの蒸発量推定に必要なパラメータセットの作成が可能になり、より適切な蒸発量の推定の行える強固な分布型水文モデルが利用可能となる。

審査要旨 要旨を表示する

 蒸発散量は、水文循環系の諸要素の中で評価が最も困難であり、従来は、ある水文期間での水収支の残差を可能蒸発散量を用いて時間的に配分するなどの便宜的な方法が取られてきた。近年、流域の土地条件や気候・気象条件の変化に対する応答を適切に表現し予測できる物理水文モデルへの発展の中で、物理的合理性を持ちかつ実用的な蒸発散の評価手法の開発が水文モデリングにおける重要な研究課題となっている。本論文は、この課題の解決に挑戦したものであり、「Incorporating Energy and Water Budgets into Evapotranspiration Estimation in Hydrological Modeling(水文モデルの蒸発散評価に対する熱・水収支的視点の導入)」と題し、8章で構成されている。

 第1章は、序論であり、水循環と熱循環ならびに両者の相互作用がレヴューされた後、1)既往の蒸発散モデリングにおける不確実性を明らかにし、蒸発散の適正な評価のための要件を見出すこと、および、2)水文モデルに適正な蒸発散量評価手法を見出すこと、の2つの目的が上げられている。また、論文の全体の構成が示されている。

 第2章では、蒸発散評価の取り扱いに焦点を当てて分布型水文モデル(distributed hydrological model;以下DHM)と地表面モデル(land surface model;以下LSM、本研究では米国のNational Center for Atmospheric Researchが開発したLSMを対象)とについて関連文献のレヴューがなされている。主な論点として、DHMでは実蒸発散量評価が可能蒸発散量に基礎を置いているのに対して、LSMでは熱収支と水収支の両方の要件から直接実蒸発散量が算定されること、LSMの方が蒸発散の記述が詳細であり、熱収支式と水収支式が同時に解かれていることから地表面の水文過程についてはDHMより適正であること、等が指摘されている。

 第3章では、水文学における蒸発散評価法が概説された後、本研究において可能蒸発散量の評価に採用されるPenman-Kimbley法について解説されている。また、この研究で対象とされる2つの観測サイト(千葉県海老川流域)とデータについて説明されている。

 第4章では、実蒸発散量評価に影響する要素について議論されている。DHMでは、まず可能蒸発散量(ここでは、その一種であるreference crop evaporation)が算定され、次に植生からの実蒸散量と表層土層からの実蒸発量に配分されるが、本研究では、その配分を決める関数として、葉面積指標と2つの調整パラメータを持つ関数および土壌水分量と1つの調整パラメータを持つ関数(合計3つの調整パラメータにより配分)が採用される。この章の後半では、可能蒸発散量の評価の空間的変動を支配する要素が何であるかについて、2つの観測サイトのデータによって調べられ、地中熱流、相対湿度、純放射、気温および風速の5要素の中で、相対湿度が支配的効果を持つ要素であることが明らかにされる。

 第5章では、LSMとDHMの実蒸発散量算定アルゴリズムの具体的振舞いが観測データを適用することによって吟味された後、LSMの結果を用いてDHMの蒸発散配分パラメータを決定する方法が提案されている。

 LSMの土壌の水理/熱パラメータ群には、データが無いところでも適用が可能なように土壌組成に対して標準値が与えられている。まず、それら標準値を用いて観測サイトにLSMのアルゴリズムを適用したところ、土壌水分の計算値が観測値と大きな差を示した。そこで、現地の土壌サンプル試験から得られたパラメータを適用したところ、土壌温度、土壌水分とも良い一致が見られ、LSMを局地的に適用し、精度の良い計算値を得るためには現地に則した土壌パラメータ値を使用すべきであることを明らかにしている。

 DHMの実蒸発散算定アルゴリズムには可能蒸発散量を実蒸発散量に配分する3つの調整パラメータが含まれており、それらは植生と土壌特性に応じて経験的な値が与えられている。それらのパラメータ値を用いて推定された実蒸発散量はLSMで算定されたそれよりかなり過小な値となった。そこで、LSMの期間合計実蒸発散算定値に合致するように3つのパラメータを調整したところ、植生からの実蒸散量と土壌面からの実蒸発量とへの配分ならびに両者の時系列計算値ともLSMからの算定値に良く一致することが見出された。

 以上から、現地に則した土壌パラメータを用いてLSMから算定された実蒸発散量に合致するように、DHMの3つの蒸発散配分パラメータを調整することにより適正な実蒸発散量を算定するという、DHMに対する新たな実蒸発散算定法が提案された。LSMで実蒸発散を算定するにはDHMに比べて多くの観測値とパラメータが必要であるが、本研究で提案された手順により一度蒸発散配分パラメータを決定しておけば、DHMにおいて効率的に適正な実蒸発散量を算定することが可能となる。

 第6章では、LSMに含まれるパラメータの感度分析と非計測パラメータの最適化が取り扱われている。非計測パラメータのうち土壌の熱伝導率と最適蒸発散含水量の2つが高い感度を持つことが明らかにされ、土壌水分量と土壌温度の両方の誤差が最小になるように2つのパラメータが最適化される。

 第7章では、これまで対象とした観測サイトとは異なる気候条件を持つタイのSukhothai微気象・水文観測点の観測データを適用することにより、LSM適用の妥当性とともに第5章で提案されたDHMの新たな実蒸発散算定法の妥当性が検証されている。

 第8章には、本論文の結論とともに今後の研究の方向が要約されている。

 以上要するに、本研究は、DHMとLSMにおける実蒸発散モデルの振舞いを観測データとの対照の上で詳細に明らかにするとともに、DHMに熱収支の点からも合理的な実蒸発散量算定手法を導入して、その妥当性を明らかにしたものであり、水文・水資源工学の今後の発展に貢献するところ大である。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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