学位論文要旨



No 115663
著者(漢字) 曹,文燕
著者(英字)
著者(カナ) ソウ,プンエン
標題(和) 都市における高齢者のための生活行動空間に関する研究 : 中国北方大都市におけるケース・スタディ
標題(洋)
報告番号 115663
報告番号 甲15663
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4779号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 伊藤,毅
内容要旨 要旨を表示する

 中国は経済発展途上国でありながら、世界でも前例のない厳しい高齢者問題に直面している。これまではほとんどの高齢者は自宅で老後生活を送るのが一般像であった。近年、高齢者問題に対応する家族の役割の低下によって、高齢者居住施設の供給方式が多様化し、量的に増大し始めた。しかし、必ずしも高齢者の心身の要求を充分に考慮したものではない。また、主な都市住宅--集合住宅における高い定住率の結果として、目前に迫りつつある高齢化社会に対応する居住環境の整備も日々の問題となってきた。一方、高齢者にとって、住宅内部での生活行動は全行動の一部であり、外部での各種行動への参加によって、社会との接点を持つことができ、その中で、加齢・老化の影響で、高齢者がよく利用するようになる家の周辺、近隣、地域といった範囲が高齢者の生活領域の拡大に重要な意味を持つことになる。つまり、高齢者の日常生活行動に適する都市空間のあり方を探ることが、高齢化に対応する都市居住環境の整備においての一つの重要な課題であるといえる。

 本論では、中国の高齢者と都市空間との特有な関わり方に注目し、まず、現状の特徴を把握するために、高齢者の都市利用行動と環境の相互関係を、都市における生活行動空間の構造及び居場所の分布と使われ方を分析・考察する。その上で、生活行動空間の形成に支える要素を明らかにし、今後中国の都市発展に伴う高齢者のニーズに対応する都市空間のあり方を考える際の示唆を得ることが目的である。

 本論文は、序章、終章、及びその他の四章から構成されている。

 序章では、研究の背景、研究の目的と方法、研究の特色といった本研究の基本的な考え方を述べる。

第一章から第四章では、具体的な実地調査及びその結果についての分析・考察を行う。第一章では、まず分析の前提となる調査方法の概要を述べる。それから対象者の高齢者像を比較する:「公寓」入居者が高齢で、心身能力共に低下し、また子どものいない高齢者が多いという傾向が見られるのに対し、在宅の場合は、前期高齢者、自立できる高齢者が主であり、さらにほとんどの対象者が子どもを持ち、子どもと同居している割合もかなり高いことが分かった。

 在宅生活から「老年公寓」へ入居する理由に、主に高齢者側の「心身状態・自立能力の低下」、「家族の介護能力の不足」があげられ、次いで「家族関係の問題」と「厳しい住宅事情」となっている。総じて言えば、現段階では受動的な入居が主である。

 「老年公寓」の選択要因は、「子ども(親戚)の住まいに近い」、「「公寓」と周辺環境に満足する」が最も多く、次いで「「公寓」の周辺環境に馴染んでいた」となる。自分の慣れ親しんだ住環境よりは、むしろ子どもとの空間的に近い関係を保つことがより重要視される傾向も見られた。

 第二章では、マクロ的なアプローチから、高齢者の生活行動と都市との関わりを考察する。

 時・空間的に展開された生活行動がprivate、semi-private、semi-public、publicの四つのコンミュニティの諸領域における利用時間の分布から、行動領域の構成パターンが類型化された。在宅高齢者の場合は、五つのパターンに分けられ、外出できる人は自宅を拠点としながらの外出志向が強い。自立できる人がsemi-public領域の近隣空間よりは、外出する度にpublic領域を利用する傾向がある。また、住棟のすぐ近くの近隣空間は、行動能力が低下しはじめ、遠くへ外出しづらい高齢者の行動拠点になり易い。「老年公寓」の対象者は行動領域の構成により多様なパターンがある。自立できる人は「公寓」の共用空間よりは、public領域を利用する傾向がある。また、在宅高齢者が自宅を行動拠点とする特徴と異なり、「公寓」の場合には、居室が必ずしも生活行動の拠点となるのではなく、行動拠点は居室以外の空間にまで展開し、「公寓」の共用空間や「公寓」外の都市空間は行動拠点となるケースは少なくない。

 「外出行動から都市空間の利用特徴」を分析した結果、外界と接触するため、また健康のためというのが外出行動の主な動機であり、外出行動は日常的に行われる余暇的な生活行動である。在宅高齢者が日常的な余暇的外出と必要的外出が共に多いのに対し、「公寓」高齢者は日常的な余暇的行動が主でありながら、非日常的な外出も多いことが特徴である。日常的外出の行動圏及び行動の場所の分布は、共通して500m圏内に最も多く、主に1km圏内となる傾向が見られる。さらに、外出行動に主に利用される場所は商業関係の場所、地域の高齢者がよく集まって利用する公園、住居周辺の街路や路地となっている。外出行動の屋外化傾向が著しく見られた。

 「住居と密接する都市空間の利用」について、窓、ベランダ、屋上テラス、「公寓」の庭などの利用実態を通して考察した。これらの場所は行動能力の低下している高齢者にとって、外部社会と接触するための欠かせない空間的媒介であり、日常的な居場所となりやすい。彼らのこのような利用が物的環境から制約を受けやすく、行動の広がりが物的環境によって制限された例が多く見られた。

 「居住様態の差違による都市利用形態の違い」では、行動能力と居住形態の差違からもたらされる都市空間との関わり方の違い、「老年公寓」の立地の違いによる地域社会との関係、家族との関係及び外出行動の差違を議論した。

 最後に、コンミュニティの諸領域における、社会的コンタクトの質を考察した。「老年公寓」のsemi-public領域では交流行動が集合住宅団地より多い傾向が見られる。また、在宅対象者と「老年公寓」対象者ともに、public領域での交流が形態的に豊富であり、交流の量も多い。

 第三章では、高齢者の都市利用の屋外化傾向に注目し、ミクロ的なアプローチから分析・考察を行う。まず、「屋外生活活動の発生実態」では、滞在的行動と余暇的行動が主である傾向が見られた。行動の構成員は高齢者一人、高齢者のみからなるグループ、及び高齢者以外の人と関わって行う行動などとなっている。午後二時以降と早朝に高齢者の活発な屋外生活活動が見られ、男性高齢者の活動水準が女性高齢者より高い。また、平日と休日とでの屋外生活行動の発生状況には大きな差は見られなかった。

 屋外生活行動には多様な居方が存在する。主に「公共の中での一人」、「交流目的の集まり」、「他者との居合わせ」、「趣味目的の集まり」、「家族を伴っての利用」、「家事行為を含む利用」及び「一時的滞在」があげられる。

 「滞在的行動の空間的分布特徴」では、空間の属性にしたがって三つの空間に分けることができた。「S通りの歩道」では、滞在的行動、さらに長時間の滞在的行動は、人々がよく出入りする、入り口へアクセスしやすい、また交通の交差点のような場所に集中する傾向が見られる。小規模の「X公園」では、限られた空間の中で、また多様な環境を作る要素の併存、多様な行動が利用できるように計画されたため、公園というオープン的な性格もあり、多様な居方が共存することができた。団地内部の近隣空間では、道路の交通状況(車以外の歩行者と自転車の通行)が行動分布に影響を及ぼしている。交通の少ない道路は、両側の路地と一体化され利用されるケースが多く、その空間がパブリック性の高い空間であれば、行動のパブリック性も高くなり、公共的な場所と離れている住棟前の場所では、集団的な利用がほとんどなく、個人的な・家事的な行動が多い。さらに、眺めるといった行動が通行量の多い主要道路の両側に分布している。最後に、滞在的行動の発生は座れる場所の質と関係し、座る場所には多様性と移動性があるため、座具の配置にも多様性と柔軟性が要求され、各種な座具がそれぞれの役割をバランスよく担うことが考慮されるべきであると指摘した。

 「行動と空間との対応」では、「場所選択の安定性」と「滞在時間の持続性」から場所との関わり方を「定着型」、「流動滞留型」、「目的型」及び「一時的型」に分類できた。また、場所における行動の共有現象について、個体と個体、個体と集団、集団と集団の三つのタイプが見られた。パブリック性の高いS通り歩道、X公園及び公園外側のオープンスペースでは、多様な居方及び場所との関わり方が見られ、その中で、同一時間帯に同じ場所で繰り返して発生する定着型の行動が目立ち、さらに行動の共存現象も多く見られる。パブリック性の最も低い住棟前では、居方がより単純であり、家事的行動や一時的利用が多く、また、場所との関わり方に目的型が最も目立ち、行動の共存現象はほとんど見当たらない。最後に、「社会的コンタクトの質」について、集団性のある活動はパブリック性の高い空間で行われる傾向があることが分かった。偶然なふれあいはS通り歩道、近隣主要道路と両側のスペース、及び住棟前でよく発生する。眺めるなどの間接的な交流は、パブリック性の高い場所、或いはパブリックな場所と視覚的アクセスしやすい場所でよく発生する。さらに、「習慣的交流による居場所の定着」、「眺める対象の存在」、「物売りの役割」、などの側面から、社会的コンタクトが居場所の形成に与える役割も分析・議論した。

 第四章では、第二章と第三章の考察に基づき総括的な考察を行う。まず「都市空間との関わりにおける特徴」では、「行動内容の余暇性と生活性」、「場所利用の滞在性と日常性」、「地域での居場所の定着」、「行動の個人性と社会性」、「屋外生活行動の必然性」、という特徴を指摘した。

次に、「都市における生活行動空間の形成を支える要素」では、「社会生活と人間関係」、「構築環境の質」、「目的地へのアクセスしやすさ」、「高齢者の都市空間に対する認識」、及び「住居の持つ意味」の五つの側面から論じた。

 最後に、「自立と社会的参加を促進」という視点から、高齢化に対応するための都市空間のあり方について議論した。

 終章では、諸章のまとめを行い、本研究のケーススタデイから得られた知見に基づき、中国の都市高齢者の日常生活行動に適する都市空間の計画について提言を試みた。さらに、今後継続すべき研究の課題を提示した。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は高齢化社会に対応する居住環境の整備が急務となりつつある中国の都市部において、高齢者の環境とその利用行動との相互関係を分析・考察することによって、生活行動空間の形成を支える要素を明らかにし、今後の中国における都市発展に伴う高齢者ニーズに対応した都市空間のあり方を提案することを目的としている。

 論文は序章、終章を含めて六つの章から構成される。

 序章では、研究の背景、日的と方法、特色といった基本的な考え方を述べている。

 第一章では、分析の前提となる調査と調査対象の概要について述べている。

 第二章では、時間の経過とともに展開される一日の生活の流れを、コミュニティのprivate領域からsemi-private, semi-public,そしてpublic領域までの空間的広がりにおいてマクロな視点から連続的に捉え、分析・考察している。

 高齢者の心身能力、生活背景や性格により諸領域に対する接し方が異なるため、高齢者の日常生活行動を取り巻く諸領域の構成の仕方を見直す必要性が明らかになった。つまり、必ずしもprivate領域からpublic領域の順に展開するわけではなく、個人の多様な行動領域に対応して、多様な展開が可能な空間領域の構成を考慮すべきことを示唆している。

 次に、外出行動は日常的な余暇的生活行動として、また外界との接触あるいは健康保持のために行われていること、それを反映して外出可能な多くの高齢者がパブリックな都市空間を日常的行動あるいは社会交流の場として求めており、その行動圏・場所分布では、500m〜1km圏内に集中的していることが明らかにしている。

 さらに、窓際・ベランダ・屋上テラス、そして「老年公寓」 (老人ホームの通称)の庭など住居における外部と接触する空間・場所の利用実態の分析・考察を通して、これらの場所は行動能力の低下した高齢者にとって、社会との接触に欠かせない空間媒体であり、日常的な居場所となっているにもかかわらず、物的環境上の制約から利用や行動が制限される実態を明らかにしている、また行動能力と居住形態の差違による都市空間との関わり方の相違、「老年公寓」の立地の差異による地域社会や家族との関係、外出行動の相違について論じている。

 第三章では、高齢者の日常生活の場として利用される集合住宅と周辺を対象に、屋外生活行動のビデオ撮影記録を通して、都市空間内の居場所とその使われ方を生態心理学の「行動場面」の方法を参考してミクロな視点から、分析・考察を行っている。

 主に滞在的行動と余暇的行動に分けられる屋外空間での生活行動として「公共の中での一人」「交流日的の集まり」「他者との居合わせ」「趣味目的の集まり」「家族を伴っての利用」「家事行為を含む利用」「一時的滞在」といった多様な居方を挙げており、社会的コンタクトが居場所の形成に与える役割を論じている。

 第四章では、第二章と第三章の考察に基づき総括的な考察を行っている。まず、「行動内容の余暇性と生活性」「場所利用の滞在性と日常性」「地域での居場所の定着」「行動の個人性と社会性」「屋外生活行動の必然性」という都市空間との関わりにおける特性を指摘し、都市における生活行動空間の形成を支える要素を、「社会生活と人間関係」「構築環境の質」「目的地へのアクセスしやすさ」「高齢者の都市空間に対する認識」そして「住居の持つ意味」の五つの側面から論じている。

 終章では、以上の各章のまとめを行っている。

 まず、住居周辺の地域空間は高齢者の日常的・生活的・余暇的・社会的場であるという都市空間の位置づけと意味を明らかにしている。高齢者と都市との関わり方の形成要因には、物理的環境の適切さと文化・伝統の背景以外に、外部とのコミュニケーションを求めたいという高齢者側の社会的・心理的ニーズがあり、今後この観点から、高齢者のための都市空間のあり方を見直すことが必要となることを指摘している。さらに、本研究から得られた知見に基づき、中国の都市高齢者の日常生活行動に対して適切に対応する都市空間計画について提言を試み、今後継続すべき研究の課題を提示している。

 以上のように、本研究はの中国北部の大都市の在宅高齢者と「老年公寓」に住む高齢者を対象に、都市における生活行動空間の構造及び居場所の分布と使われ方からそれらの相互関連を論じたものであり、今後急速な高齢化が予想される中国において都市の高齢者環境の在り方を明確にしたもので、その先見性と実効性に優れている。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる

UTokyo Repositoryリンク