学位論文要旨



No 115672
著者(漢字) 白,香蘭
著者(英字)
著者(カナ) ハク,コウラン
標題(和) 生体・食品の凍結・貯蔵・解凍過程への応用を目的とした氷の電気物性の研究
標題(洋)
報告番号 115672
報告番号 甲15672
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4788号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西尾,茂文
 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 白樫,了
内容要旨 要旨を表示する

 新鮮な食品を常温で貯蔵すると、食品表面に付着した微生物や食品内部の酵素の働きにより、食品の変色、変成が起こる。食品を凍結すると、低温と氷結による水分活性の低下により、食品本体や微生物の生化学反応を抑制することができ、食品の元の性質を長時間保たせることができる。特に、冷凍食品は冷蔵食品に比べ、保存期間がより長いことから、1946年に始まった冷凍食品業は、それ以来、驚異的発展を遂げ、冷凍食品の消費量は食品総消費量の約60-80%を占め、世界で発展速度が一番高い食品加工業となった。

 一方、生体組織の凍結による保存法は生体組織の移植において、摘出された生体組織が短時間しか持たないという問題を解決するための究極ともいえる方法であり、対象細胞によっては、理論上は飽和液体窒素温度(-196℃)で半永久的に保存できることができる。生体の凍結保存は我々人類の生命医学と直接な関連をもつ研究分野である。

 このように、食品、生体を冷凍することにより、細菌の繁殖を防ぎ、代謝を抑制し、保存期間を伸ばすことができる。しかし、これらの研究はまだ不完全で、問題点が数多く存在する。

 凍結過程では、氷結晶の生成と成長により、組織構造がメカニカルな力により破壊を受けたり、氷結晶形成による細胞溶質の濃縮により、高浸透圧にさらされる。このようなメカニズムによる細胞組織の凍結損傷は凍結速度と関係が深く、食品の凍結では、一般的に、急速凍結により生成される微細氷が緩慢凍結より効果が良いといわれる。熱伝導による急速凍結法は対象が大きいほど、均一な冷却は実現されにくく、食品中心部に巨大な氷結晶が生成することにより、食品は物理、化学的ダメージから免れることはできない。生体の凍結保存では、対象に添加物として凍害防御剤を導入することにより、水分をガラス化することができる。しかし、凍害防御剤の細胞膜の透過性の大小などの理由で生体を自由自在にガラス化させることはできない。マイクロ波の照射によるガラス促進や過冷却の促進の研究例があるが、そのメカニズムの解明は充分になされていない。

 次に凍結後の貯蔵過程では、再結晶化現象により、成長した氷結晶が対象のストラクチャーを破壊し、生鮮食品の場合は、解凍時のドリップも多い。貯蔵過程中に冷凍食品内部の氷結晶の形態変化をモニターすることができれば、対象食品に適切な凍結貯蔵温度を選び、厳密な制御管理を行うことにより、品質を保ちつづ、省エネルギー的な貯蔵をすることができる。しかし、現在使われている顕微鏡による観察や静電容量の変化に基づく計測などは、測定原理から、実用上の応用には問題点がある。したがって、簡便で、自由度が高い非破壊計測法を開発する必要があると考えられる。

 冷凍食品、生体の解凍過程においては、昇温速度が遅い場合、再結晶化により氷結晶が成長する。また、-1℃〜-5℃の温度帯では、生化学的反応や酵素の反応が特別に促進されるため、食品では解凍後にドリップの流失や、食品の変色、変成が起き、生体では生存率の低下につながる。再結晶化を防ぎ、生化学的反応による被害を防ぐために急速に解凍するのが好ましい。現在使われている解凍方法はさまざまであるが、マイクロ波による誘電加熱解凍(電子レンジによる解凍)は、食品の誘電損失による発熱を利用しており、食品内部から加熱できる革新的な方法であることから、注目を受けている。しかし、マイクロ波解凍では、食品の表面や角部分が局部過熱されてしまう加熱ムラ現象が起こりやすい欠点を持ち、食品を均一に加熱することが難しい。また、生体の解凍では、37℃のお湯を使った急速昇温が普通であるが、熱伝導による解凍法であるため、対象のサイズが大きくなると、生体全体を均一に解凍することが困難である。この様に食品、生体の解凍において、急速、均一解凍法の開発は重大な意味を持つ。

 以上の様な凍結・貯蔵・解凍における問題点は、氷の挙動がその主な原因である。

 本論文では氷の電気物性に着目し、より効果的な食品、生体の低温保存技術の開発を目指した。

 まず、電磁波の波長が比較的長くなる数十Hz〜数GHzの周波数帯域で、-60℃〜-2℃の温度範囲にわたって氷の比誘電損率を測定した。その結果、単位体積氷の単位時間における誘電加熱量を示す重要なパラメータであるfε"は、測定範囲で250kHzと3MHz近傍で二ヶ所ピークが存在し、それぞれの温度依存性が違うことがわかった。即ち、250kHz近傍では温度が高くなるほどfε"が大きくなるが、3MHz近傍では温度が低くなるほどfε"が大きくなる。この温度依存性の相違は、それぞれの周波数において誘電損失の種類が異なり、250kHzでは緩和形損失、3MHz近傍では共鳴形損失が起きているためであると示唆した。(第2章)

 次に、氷に実際に交流電場を印加し、解凍実験を行い、すでに測定した氷の比誘電損率スペクトルを検証した。その結果、交流電場印加による誘電加熱の有効性が証明され、250kHz、3MHz近傍に発熱のピークが存在することが、加熱実験から得られた周波数スペクトルからも確認できた。この知見に基づき、誘電損失を考慮した一次元熱伝導モデルによる氷の昇温の数値計算を行い、氷の昇温過程における交流電場の影響を急速解凍と均一解凍の角度から定量的に評価した。計算結果によると、3MHzにおける氷のfε"のピークが温度が高くなるにつれ減少する特徴を持つことから、この周波数の電場を印加することにより、氷が均一・急速に解凍される可能性があることが示唆された。(第3章)

 氷はプロトンがキャリアとなる半導体であることから、電気物性に対して構造敏感であることがしられている。そこで、氷の結晶形態変化と電気物性変化との関係をさぐるため、まず、単結晶と多結晶の氷をつくり、それぞれの氷を一定温度(-15℃近傍)の下で長時間貯蔵しながら、氷結晶の形態変化と電気物性の変化を同時に計測した。その結果、単結晶氷の場合、氷晶は再結晶を起こさず、電気物性(比誘電損率と誘電損失係数)の周波数分布も測定した時間範囲では時効効果が存在しなかった。一方、多結晶氷の場合は、再結晶による氷晶形態の変化に伴い電気物性が時効効果を示し、特に緩和形損失のピーク周波数が移動することがわかった。ついで、氷結晶の形態を定量化するため、冷凍食品内部の水溶液の代表として、30%と40%濃度の果糖水溶液を-15℃近傍で長時間保持しながら氷晶粒の形態変化と電気物性の変化を同時に計測した。氷晶周囲の水溶液の濃度は貯蔵温度が一定の場合、一定であり、ピーク周波数の時効効果は氷晶粒形態の変化によるものと考えられる。果糖水溶液中の氷晶形態を単位氷晶の大きさ、結晶数密度、粒界線長さ密度などのパラメータで定量化し、横軸を緩和形ピーク周波数とすると、氷晶形態とピーク周波数の間には一対一の対応関係が存在し、ある一定濃度と温度条件で緩和形ピーク周波数は溶液内部の氷晶粒の形態を代表できる。従って、電気物性の計測により、対象内部の氷晶粒の形態を推測する可能性がある。(第4章)

 氷晶の粒界と電気物性の変化間の関連のメカニズムを定性的に調べた。まず、分子動力学法(MD法)により、単結晶氷と粒界が存在する多結晶氷を作った。系の誘電吸収スペクトルを計算し、すでに知られている実験値と比べることにより、計算で使われて水分子モデルの妥当性を検討したうえ、粒界の存在が氷系の電気物性への影響を与える可能性を検討した。また、多結晶氷のCole-Coleプロットに基づき、再結晶化現象を氷の緩和形損失の等価回路を用いて解析すると、再結晶化の進行により、導電率σが減少し、静電場における誘電分極程度を表すε(0)は増加することがわかった。そこで、静電場を印加したMD計算より、単結晶系と多結晶系でε(0)を求めた。結果、ε(0)は単結晶氷の方が多結晶氷より大きくなった。このことは、多結晶氷の実験結果と一致し、多結晶氷の電気物性の時効効果は氷内部の粒界の変化によるものであることがわかった。(第5章)

 食品、生体の冷凍や解凍への応用においては食品,生体には水分のほかタンパク質、脂質、電解質などが含まれており、見かけの電気物性が氷とは異なる可能性がある。既存の常温、または冷凍状態での一部の食品、生体の比誘電損率測定値などから食品、生体の比誘電損率は氷より多少差があるが、依然として氷の電気特性が主要であることが推測できるものの、種々の食品について、電気物性の周波数特性の温度依存性は未だ測定例が足らず、実用の際には食品、生体全体の誘電損失特性を調べる必要があることを示した。

 本論文の最後に、交流電場の印加による氷核生成制御の可能性を検討した。古典的核生成理論によると、均一核生成を仮定した場合、クラスターの半径が臨界核半径を超えた時に、氷晶へと成長する。交流電場の印加により、臨界核半径を増加させることができ、臨界核半径が過冷却水中のクラスターの半径より大きい限り核は成長しない。そこで、クラスターの物性を氷あるいは水に相当すると仮定し、核生成制御に必要な最小電界強度を求めた。計算結果によると、計算で使われた周波数範囲では最小電界強度の値が大きく、現実的な実現が難しいが、交流電場の印加による核生成制御の可能性は存在することから、広い周波数範囲におけるクラスターの物性に関する研究が必要であることを示した。(第6章)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「生体・食品の凍結・貯蔵・解凍過程への応用を目的とした氷の電気物性の研究」と題し、(1)交流電場中に置かれた氷の誘電損失が250kHzおよび3MHz近傍において極大値を取ることを発見し、250kHzは(誘電損失が温度が高くなるほど大きくなる)緩和型損失、3MHzは(誘電損失が温度が低くなるほど大きくなる)共鳴型損失であることを示し、(2)共鳴型損失を利用することにより、マイクロ波解凍(2.45GHz)で起るサーマル・ランナウェイ(解凍過程で温度が高くなった部分が誘電損失が大きくなりさらに温度が高くなり温度ムラが拡大される現象)を克服できる均一・急速解凍法の提案と実証とを行ない、また(3)緩和型誘電損失を利用することにより、凍結保存過程における氷結晶の形態変化を非破壊で測定する方法の提案と実証ならびにその解析的的考察を行なうとともに、(4)誘電損失を利用した凍結過程における核生成制御の可能性の検討などを行なったものである。

 論文は7章よりなる。第1章の「緒論」では、生体や食品の凍結保存および氷の誘電損失の利用に関する従来の研究の整理と問題点の指摘を行ない、研究の目的と論文の構成について述べている。

 第2章は「氷の比誘電損率の測定」と題し、氷の電気物性の測定について述べている。即ち、氷の誘電損率を数10〜数GHzの周波数帯、-60℃〜-2℃の温度範囲で測定し、誘電損失に比例する周波数と誘電損率との積が250kHzおよび3MHzでピークとなること、および誘電損失は、前者では温度が高くなるほど大きくなるが、後者では温度が低いほど大きくなることを報告している。そして、誘電損失のこうした温度依存性に関する解析計算を行ない、前者は緩和型損失、後者は共鳴型損失であることを示している。

 第3章は「交流電場を利用した氷晶の解凍実験およびシミュレーション」と題し、第2章の結果を解凍過程へ応用することを提案・実証している。まず、交流電場中に置かれた氷晶の昇温実験を行ない、3MHz近傍で共鳴型誘電損失特有の発熱が発生することを確認している。次に、自然対流下での解凍過程に対する交流電場の影響を数値計算により3.5MHzまでの周波数帯について検討し、3MHz近傍にて急速かつ均一な解凍過程が実現できることを示している。

 第4章は「凍結貯蔵時における氷晶の形態と電気物性の経時変化の計測」と題し、単結晶と多結晶の氷を作成し、これらを-15℃に保ち、氷結晶の形態変化と電気物性の変化とを同時に測定している。即ち、単結晶の氷は再結晶を起こさず、比誘電損率や誘電損失係数(比誘電損率と比誘電率との比)も経時変化を起こさないが、多結晶の氷は時間とともに、再結晶を起こし結晶粒が大きくなるとともに、緩和型損失に相当するピーク周波数が変化することを示している。また、30%、40%の果糖水溶液を-15℃で保持し、氷の結晶形態変化と上記ピーク周波数との定量的関係を求め、氷晶寸法、氷晶数密度、粒界線長さ密度などの結晶形態パラメータとピーク周波数とが良好な対応関係にあることを示している。この結果は、緩和型誘電損失を利用することにより、凍結保存中に時効効果により起る氷晶形態の変化を非破壊により推定できる可能性を示唆している。

 第5章は「氷晶粒界が電気物性に及ぼす影響の解析」と題し、分子動力学法および等価回路により緩和型損失と粒界との関係を考察している。まず、分子動力学法を用いて単結晶、多結晶の氷の誘電吸収スペクトルを計算し、実験値と比較することにより計算で使用した水分子モデルの妥当性を確認し、粒界の存在が氷系の電気物性に影響することを示し、前章の結果を解析的に確認している。次に、再結晶化について等価回路を用いて解析し、再結晶化の進行とともに導電率が減少し、静電場における誘電分極は増大することを前章の測定結果を用いて示した上で、分子動力学法を用いて、静電場における誘電分極を単結晶、多結晶の氷について計算している。その結果、誘電分極は単結晶より多結晶の氷の方が小さくなることを示し、多結晶の氷の電気物性の経時変化は再結晶化の進行に伴う粒界の変化に起因していることを示している。

 第6章は「低温保存した食品、生体への応用」と題し、交流電場の急速かつ均一解凍への応用、氷構造の時効効果の非破壊推定への応用に関する問題点を纏めるとともに、氷核生成制御への応用の可能性を検討している。氷核生成の制御については、核生成の抑制に必要な最小電界強度を古典的核生成理論に基づいた計算により求め、計算範囲内の周波数では極めて高い電界強度が必要であるが、理論上は可能性があることを示している。

 第7章は結論である。

 以上要するに、本論文は生体や食品の凍結・保存・解凍過程を念頭に、氷の電気物性およびその各過程への応用について論じたものであり、機械工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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