学位論文要旨



No 115702
著者(漢字) 梅渓,通久
著者(英字)
著者(カナ) ウメタニ,ミチヒサ
標題(和) 血管内皮細胞における転写因子GATAの役割の解析
標題(洋)
報告番号 115702
報告番号 甲15702
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第4818号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 助教授 鎮西,恒雄
 東京大学 助教授 浜窪,隆雄
 東京大学 助教授 油谷,浩幸
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では,血管内皮細胞における転写因子GATAの役割の解析を扱った.動脈硬化をはじめとした炎症性疾患において,リンパ球と血管内皮細胞との細胞接着は,リンパ球の血管外遊走の最初のステップであり,この分子生物学的解析は炎症性疾患の新規治療法開発につながる重要な意義を持つ.そこで,本研究は,単球と血管内皮細胞との細胞接着の分子および遺伝子転写レベルにおけるメカニズムを解明することを目的とした.

 まず,多くの因子やステップを経て行われる細胞接着という現象を分子・遺伝子レベルで解析する手段を得ることを目的として,ヒト単球系細胞株U-937とヒト血管内皮細胞HUVECとを用いて細胞接着の定量的な測定が可能であり,かつ化合物の細胞接着阻害作用のスクリーニングに有効性の高い細胞接着測定系を構築した.また,遺伝子発現の変化を検討するために,感度及び定量性がともに高いRNase Protection Assay法によりmRNA量を測定した.RNA調製法も定量法に合わせ,多くのRNA試料を簡便に調製,定量できるシステムを構築した.このシステムにおいて,HUVECにおける細胞接着分子Vascular Cell Adhesion Molecule-1(VCAM-1)mRNA発現量はTNFα刺激による最大発現量の状態でtotal RNA換算1μgから5μgまで直線的な比例関係を得た.本法を用いることにより,多種のmRNAを同時にしかも迅速に定量できることが可能となった.本法を用いてHUVECにおけるVCAM-1mRNA発現誘導の時間経過を測定した結果・通常の培 養条件ではVCAM.1mRNAの発現は認められなかったものの,TNFα,IL-1β,PMA,もしくはLPSのいずれの刺激によっても発現誘導がみられ,刺激後2-4時間で発現量がピークに達し,12時間ではいずれの刺激によっても発現がみられず,VCAM-1mRNAが刺激により惹起される一過性の発現パターンを示すことが明らかとなった.

 次に,今回構築した細胞接着測定系を用いて,単球の炎症部位への遊走を抑制し,その結果として炎症を抑える薬物の開発を目的に低分子化合物のスクリーニングを行なった.その結果,細胞接着を阻害する新規低分子化合物K-7174を得た.K-7174は,TNFαやIL-1β,もしくはPMAにより誘導されたVCAM-1の発現を特異的に,また濃度依存的に阻害した.mRNA発現レベルにおいても,TNFαによるVCAM-1mRNA発現誘導を特異的,および濃度依存的に抑制し,さらにVCAM.1mRNAの安定性には影響しなかった.ゲルシフトアッセイによる解析の結果,K-7174はVCAM.1遺伝子プロモーター上に存在する転写因子結合部位のうち,GATA結合部位に対する転写因子の結合を特異的に抑制した.炎症において活性化することが知られているNFκB結合部位を含むGATA以外の結合配列に対してはK-7174は影響を及ぼさなかった.このK-7174によるGATA結合抑制作用は濃度依存性を有しており,K-7174はHUVECにおいてGATAの結合が既に報告されているエンドセリンー1前駆体遺伝子プロモーター領域に存在するGATA配列に対する結合をも濃度依存的に抑制した.K-7174はGATA結合配列への結合を直接競合的に抑制する作用を示さなかったことから,K-7174はGATAタンパクのDNA結合活性の発現に作用するものと考えられた.これらの結果から,炎症性サイトカインのVCAM-1誘導における転写因子GATAの重要性が示唆され,またNFκB活性には影響せずにVCAM-1発現を抑制するK-7174は,新規の作用機序を持つ有望な抗炎症剤であると考えられた.

 次に,血管内皮細胞における細胞接着分子VCAM1の発現誘導に重要な役割を果たしていることが明らかとなった転写因子GATAの作用を詳細に検討し,血管内皮細胞における内皮特異的な機能の発現メカニズムの解明を試みた.GATAタンパクに対する特異抗体を用いた研究によって,主にGATA.6が,また他にもGATA-2,GATA-3,GATA-4がTNFαによるVCAM4発現誘導に関与していることが明らかにされた.またGATA-4とGATA-6を含む複合体の存在も示唆された.HUVECにおけるGATAタンパクの役割を解析するために,まず遺伝子導入効率が低いことが知られているHUVECへの高効率遺伝子導入法を決定した.この実験条件に基づいてGATA-2,GATA.3,GATA-4,およびGATA-6に対するアンチセンスオリゴヌクレオチドを作製し,HUVECに導入してそれぞれのGATAタンパクの発現を抑制した結果,GATA-6に対するアンチセンスオリゴヌクレオチドが最も強くVCAM-1発現誘導に対して抑制作用を示し,GATA-6の存在がVCAM.1の発現誘導に対して必要条件であることが明らかとなった.さらに,GATA-3をHUVECに過剰発現させたところ,VCAM-1の発現が抑制されたことから,GATA-3がVCAM-1発現に対して抑制的に働くことが示された.これらの結果から,血管内皮細胞において,GATAタンパクがそれぞれ異なる機能および炎症性サイトカインに対する反応性を持ち,VCAM-1発現誘導における転写調節にGATA.3が抑制的に,一方でGATA-6が促進的に働き,TNFα刺激によりVCAM-1遺伝子プロモーター領域GATA配列における結合にGATA-3からGATA-6への構成成分の変化がおこることにより,VCAM-1の遺伝子発現が開始されるという新たな転写メカニズムが存在することが明らかとなった.

 本研究において,内皮細胞でのVCAM-1誘導におけるGATAファミリータンパク群の重要性と,GATAタンパクの結合活性の制御が炎症をはじめとした内皮機能不全状態に対する有用な治療法のアプローチとなる証拠が示された.今回得られた化合物K-7174はGATAタンパクの生理的役割の解明のための強力なツールとして有用であるだけでなく,新規作用機序を有する抗炎症剤として臨床に用いる薬物のリード化合物としても有望である.本研究は様々な炎症反応の場である血管内皮細胞における分子レベルおよび遺伝子転写調節に関して新たな知見を提供するものであり,動脈硬化をはじめとした炎症性疾患に対する新規治療法を開発するための基礎研究として極めて意義深いものである.

審査要旨 要旨を表示する

 遺伝子の発現の調節機構は転写調節因子によって担われ、その作用機構の解明は、ヒトゲノムの解読がほぼ終了した今日において生命科学の中心的課題となっている.炎症や動脈硬化、臓器移植後の拒絶反応において白血球の血管内皮細胞への接着とトランスミグレーションとよばれる血管外への遊走過程は、血管疾患の解明と治療法開発の上で中心的問題となっている.本論文において梅渓は、この白血球の接着、トランスミグレーションの過程をになう新たな転写調節機構を明らかにし、その機序に介入する新たな治療薬のスクリーニングに成功した.

 梅渓らは、培養されたヒトの血管内皮細胞と単球系細胞のシステムを用いて炎症性サイトカインまたは刺激物質による刺激後の単球の接着とトランスミグレーションを抑制する新たな化合物のスクリーニングを進めた.K7174はこうしたスクリーニングの結果得られた新規の白血球の内皮細胞への接着とトランスミグレーションを抑制する化合物であり、動物実験において毒性のみられない濃度である種の炎症性疾患を抑制する効果が認められ新規の抗炎症薬として注目される.

 梅渓らは、この薬物が血管内皮細胞に作用して炎症性サイトカインによる接着因子VCAM-1の発現誘導を抑制することを発見した.従来、接着因子のサイトカインによる誘導は転写因子NFkBを介することが知られるが、K7174はこうした従来知られる転写因子系列ではなく、血球や血管内皮細胞の機能調節に重要なことが知られるGATAファミリー転写因子群に作用することを証明した.

 炎症性サイトカインによる転写調節にGATAファミリー蛋白が作用することが従来報告されていなかったため、VCAM-1やエンドセリン1のプロモーター配列を用いて解析し、K7174がGATA因子の作用を抑制し、炎症性サイトカインによる誘導を抑制していることを確認した.この抑制は転写調節レベルで行われている.

 GATAファミリーには6個のよく類似した蛋白がある.従来は内皮細胞においてはGATA2の作用が報告されている.しかしGATA2の特異的抗体を作成して検討したところではGATA2だけでなく他のGATA因子の関与も示唆された.そこでそれぞれの特異的抗体を用いてGATAファミリーのどれが内皮細胞での接着因子の転写にかかわるかを検討した.その結果GATA2、3、4、6の4種類が接着因子の転写調節にかかわることがDNAと内皮細胞由来の核内蛋白の相互作用で示された.さらに炎症性サイトカインの添加時にこれらのGATA因子自体の転写が調節を受けmRNAの量が変動することが確認された.

 こうしたGATAファミリーの多重的な作用(リダンダントな働き)は内皮細胞では予測されていなかった新たな作用機構のためGATAファミリー因子のアンチセンスオリゴヌクレオチドを内皮細胞にとりこませ、それぞれの作用をみた.接着因子VCAM-1の発現に対しGATA3は抑制的にGATA6は促進的に働く事が証明され、リダンダントな作用がそれぞれ実は抑制と促進の両方向に働くことが証明された.

 本論文は第一に炎症の基本過程において内皮細胞と白血球が相互作用する際に炎症性サイトカインによるシグナルがGATA転写因子群の作用をうけることの発見、第二にGATAファミリーの中に促進的な作用のものと抑制的な作用のものがあることの発見と証明、第三にこの機構を介する新規薬物の発見、という3つの新たな知見を報告し、転写調節の原理解明とそれを用いた疾患治療薬開発に新たな方向を示す業績であると考えられた.またこれらの業績を短期間になしとげた能力は特例適応に該当する出色の成果であると評価された.

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められた.

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