学位論文要旨



No 115707
著者(漢字) 劉,千鳳
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,センホウ
標題(和) ウェーブレット変換の渦擾乱の自動検出への応用
標題(洋) An Application of Wavelet Transforms to Automated Storm-Scale Vortex Detection
報告番号 115707
報告番号 甲15707
学位授与日 2000.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第161号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 菊地,文雄
 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 助教授 石岡,圭一
 京都大学防災研究所 助教授 林,泰一
内容要旨 要旨を表示する

1 目的

 ウェーブレット変換は、与えられたデータを位置と波数に関して分解し、局所化された波数解析を可能にする。本論文ではウェーブレット解析を気象用ドップラーレーダーによるデータに適用し、竜巻を伴うような強いメソサイクロンを効率良く検出する方法を開発する。ここで提案する方法は、10〜200km程度の水平スケールを持つ強い渦擾乱(メソスケール渦擾乱)の自動検出を目的とする新しい数値アルゴリズムであり、連続ウェーブレット変換を応用して観測データからメソスケール擾乱を抽出した後、渦形状を仮定した上で変分法を用いてデータ処理を行なうものである。この結果、メソスケール渦擾乱の検出、位置検出精度の向上、渦擾乱規模の分離、大気の収束・発散の高度依存性など、従来の方法では困難であった解析が可能になる。

2 背景

 気象用ドップラーレーダーによって観測されるメソスケール渦擾乱(メソサイクロン)の動径速度場は、半径数百kmのレーダー画像上(Plain Position Indicator(PPI)画像上)において、近接した正負の極大の対から成る構造を持っている。メソサイクロンは10km規模の水平スケールを持つ大気渦であり、竜巻、ひょう、洪水などの激しい現象を伴って発生し災害をもたらすが、このような気象現象を捉え警報を出すことを主な目的として、アメリカでは1988年からNext Generation Weather

 Radars(NEXRAD)計画が開始された。この計画により1997年までに、アメリカ全土は約160台のドップラーレーダー(WSR-88D)によってカバーされ、自動検出アルゴリズムによってメソサイクロンを検出し観測情報が提供されている。このドップラーレーダーネットワークによって、メソサイクロンの検出確率と精度が向上し、そこに発生する竜巻の警報のリードタイム(発生予測警報を出す時間と竜巻が発生する時間の差)が改善され災害が減少したことが報告されている(Polger etal.1994,Bieringer and Ray1996)。

 現在WSR-88Dレーダー網データを用いる現業のメソサイクロン自動検出アルゴリズムは主に方位角方向のシアーパターンを判断基準としている。しかし実際の大気渦は周囲の大規模流れや小規模の乱れなどの影響により、複雑な形状を備えているのが一般である。さらに、しばしば観測機械による信号ノイズも含まれるため、メソサイクロンを精度よく検出するためにはシアーパターンに基づく手法では検出が困難な場合も少なくない。また検出された大気渦の位置についても誤差が発生しやすい。

 そこで、これまでドップラー動径速度場を用いて2次元速度場の推定するさまざまな手法が提案されてきた。よく知られているのは局所線形性の仮定に基づき局所的最小2乗近似を行なって風速、渦度、発散場などを推定する手法(Volume Velocity Processing(VVP))である。しかしこの手法は、大規模な一般風の構造の解析には適しているが、線形風速を仮定するためにメソスケールのおける気象現象への応用は難しい。1989年Sasaki et al.はRankine渦モデル近似に基づく変分法によるメソサイクロンの2次元速度場の推定する方法を提案した。この方法は、動径方向速度から2次元場を推定することを可能にするが、一様風や微小撹乱、またノイズの影響を受けるため、生データへの応用は必ずしも容易ではない。そこで、本論文では連続ウェーブレット変換を応用する新しい手法を提案し、メソスケール渦擾乱のドップラーレーダーデータを用いて一連の試験を行い、実際の観測データへの応用可能性を議論する。

3 数値計算法

 本論文において提案する手法は、メソスケール渦擾乱の新しい自動検出アルゴリズムである。この手法は、I.渦位置の検出、II.渦の渦度と発散の推定、の2段階から成る。本手法の特徴は、渦の運動学的諸量を決定する前に、データを一旦連続ウェーブレット変換し、データに含まれるノイズの除去、および擾乱のメソスケール成分の抽出を行なうことである。

 まず、ドップラーレーダー観測によって得られた動径風速成分u(x,y)の2次元ウェーブレット変換は次式によって行なう。

ここで実観測のデータを前提として、Δγ=0.25km、Δθ=0.25。とする。αはウェーブレットのスケールパラメータ、(bx,by)は位置パラメータであり、rj,θjは(離散的な)観測データが与えられる位置の極座標である。

I.渦位置の検出

 メソスケール渦擾乱はRankine渦で良く近似されることが知られている。そこで観測データに近いRankine渦を求め、その中心位置をもってメソスケール渦擾乱の中心とみなすことにする。この方針を精度良く実現するため、ノイズ除去などの効果 を考慮し、まず観測データu(x,y)とRankine渦の動径方向成分ur(x-x,y-y)を各々連続ウェーブレット変換したものを用意し、それらを畳み込んだ関数

を計算する。ここで(x,y)はRankine渦の中心である。渦擾乱が存在する場所では畳み込み関数は正の極大値をとる。一方、渦擾乱の存在していない場所付近では被積分関数は正負のペアとなり積分によりほぼ打ち消し合うので畳み込み関数の値は相対的に小さくなる。

II.渦度と発散の推定

Iで推定された渦擾乱の位置に基づき、観測された渦擾乱と(一様収束流を伴う)Rankine渦との2乗誤差

を最小化し、Rankine渦の発散と収束を決定しそれを渦擾乱の発散・収束の代表量とみなす。

 これらの作業においては、物理的および数値的なさまざまなパラメータの選択が要求され、実際の応用に際してはそれらの現実的な値と作業手順の決定が必要である。本研究では、アメリカのNational Severe Storms Laboratory(NSSL)から提供されたNEXRADドップラーレーダーよる観測データを使用して、これら実際的作業におけるパラメータ値や作業手順の決定を行なった。

4 模擬実験とその結果

 観測データへの適用に先立ち、一般風などを想定した模擬実験を行い本論文の手法の誤差評価を行なった。人工的に次の3種類のデータを作成し、渦位置と渦度、発散の推定を行ない、誤差は、渦検出の場合では推定位置と真の位置との距離として、また渦度・発散推定の場合はそれぞれの量の相対誤差で評価した。

(a)一様風の誤差評価

 メソサイクロンより遥かに大きな空間的スケールの一般風が、メソサイクロン検出に与える影響を評価するため、1個のRankine渦の速度場に10m/sから20m/sの一様速度場を加えた模擬データを用いる。

(b)ノイズ撹乱の誤差評価

 メソサイクロンよりも小さい空間的スケールの乱れやノイズの影響を評価するため、1個のRankine渦の速度場に分散2m/sと4m/sの正規乱数を加えた模擬データを用いる。

(c)複数個渦の分離実験

 現実のメソサイクロンは、大小さまざまの複数の渦が重ねる状況で出現している。そのような場合、スケール毎に渦を分離して位置特定を行なうことの可能性を評価するため、空間的スケールの異なる2つのRankine渦を重ねた模擬データを用いる。

 これらの実験の結果、連続ウェーブレット変換処理を行なう場合は行なわない場合と比較して、位置推定の平均誤差が、(a)では約1/8に、(b)では約1/4に、(c)では1桁以上、それぞれ減少することを見い出した。また発散の推定においては、連続ウェーブレット変換によって(a)と(c)では2桁以上の精度の向上が得られた。以上の結果は連続ウェーブレット変換を用いた前処理法が、従来の方法に比べ、精度を大幅に改善することを示している。

5 観測データへの適用

 本手法を、1992年5月にアメリカ・オクラホマ州Normanにおいて得られたメソサイクロンのドップラー速度場へ応用し、手法の有効性を検証した。地上観測によればこの観測の間、F1からF4の規模の竜巻が23個が発生したことが報告されている。ここではメソサイクロン検出の本来の目的である竜巻の検出、および、ドップラーレーダによるメソサイクロンの鉛直構造検出を試みた。

(1)竜巻の検出

 本手法により検出されるメソサイクロンとそれを特徴づけるパラメータを利用して、竜巻の発生の判定基準を作成し、それによる検出確率を評価する。使用するパラメータは、畳み込み関数値、渦度、発散、の3つである。また竜巻発生判定の成績評価法として、ここではcritical success index(CSI)評価指数を用いた。これは検出確率と誤警報の両方を考慮にいれた成績評価法である。また手法比較のため、現業で使用されている判定基準であるWSR-88D mesocyclone detection algorithm(MDA)についても同時に成績評価を行なった。この結果それぞれの手法におけるパラメータ調整を行なった後のCSIの値は、WSR-88D MDAの場合0.21、本手法の場合は0.25まで上昇した。この結果は、本手法がメソサイクロン検出精度に有利であるのみならず、検出されるパラメータが竜巻発生判定においても効率のよい基準を与えることを示している。

(2)メソサイクロンの鉛直構造

 ドップラーレーダーは、仰角を変化させることによって、異なる高度の動径風速を観測することが可能である。本論文では、この観測データを用いてメソサイクロンに伴う渦度と発散の垂直分布の推定を試みた。これは本手法を、メソサイクロン検出の実際的業務のみならず、メソサイクロンの構造研究に使用することを企図している。この結果、渦度と発散の高度分布を連続ウェーブレット変換処理を用いて推定したものは、ウェーブレット処理を行なわない場合に比較して、安定な推定を与えることを見い出した。これは、ウェーブレット処理によってメソサイクロン周囲の流れの付加的影響を除去することができるためと考えられ、特に強いメソサイクロンのように大きな風速を問題とする場合に有利な特徴である。またこのような処理の結果得られた鉛直構造は、竜巻発生前に中層(約5km)で強い渦度が、竜巻の発生時には下層(約1〜2km)で強い渦度が現れることを示している。また収束は下層で強く、中層以上では発散になることを示している。これらの結果が単一のドップラーレーダーの観測データから検出可能であることは、本手法の有効性を支持している。

審査要旨 要旨を表示する

 ウェーブレット変換は、与えられたデータを位置と波数に関して分解し局所化された波数解析を可能にする。本論文はウェーブレット解析を地球科学分野のデータ解析に応用するための新しい手法を示し、実用化のための基礎を確立するものである。本論文で対象とするのは、気象用ドップラーレーダーによる風速データであり、申請者は、竜巻を伴うような強いメソサイクロンの位置と特性をレーダーのデータから効率良く検出するための新しい方法を提案している。さらに申請者は、この方法について精度や計算時間など現実の使用のために必要な種々の検討を行ない、新しい手法としての基礎を確立している。

 気象用ドップラーレーダーによって観測される10km程度の水平スケールを持つ強い大気渦擾乱(メソサイクロン)の動径速度場は、半径数百kmのレーダー(PPI)画像上において近接した正負の極大の対として観測される。メソサイクロンは、しばしば竜巻、ひょう、洪水などの激しい現象を伴って災害をもたらすため、早期の検出が大きな課題となっている。特に米国では、このような気象現象を捉え警報を出すことを主な目的として1988年NEXRAD(NEXt generation weather RADars)計画が開始され、1997年には米国全土は約160台のドップラーレーダー(WSR-88D)によってカバーされ、自動検出アルゴリズムによってメソサイクロンを検出し観測情報が提供されるようになった。

 現在NEXRADレーダー網データを用いる現業のメソサイクロン自動検出アルゴリズムは、主に方位角方向の動径速度差分のパターン(シアーパターン)を判断基準としている。しかし、実際の大気渦は周囲の大規模流れや小規模乱れなどの影響により複雑な形状を備えているのが一般的である。さらに、観測機械による信号ノイズの影響もあるため、シアーパターンに基づく手法では検出が困難な場合も少なくなく、また検出された大気渦の位置についても誤差が発生しやすい。

 本論文では、このようなメソサイクロンを自動検出しその特性を観測データから抽出するために、I.渦位置の検出、II.渦の渦度と発散の推定、の2段階から成る方法を提案している。

 この手法では、まず観測データを2次元連続ウェーブレット変換を用いて処理した後、メソサイクロンについてRankine型の渦形状を仮定し予想される動径方向速度場との内積を用いて、渦位置を畳み込み関数の極大点として検出する。この方法では、従来ドップラーレーダー上で特定の画像パターンを判断する必要があったのに対し、関数の極大点を検出すれば十分であるため、結果的に検出の高速化と結果の信頼性の向上が図れる、という利点をもつ。またウェーブレット変換の特性から、メソサイクロンよりも大規模なスケールの背景風や小規模なスケールの局所擾乱の影響を避けられることも期待される。

 この手法の実用化においては、数値処理の段階で現れるさまざまなパラメータの具体的な値や、処理方法の詳細を決定することが必要である。そこで申請者は、実際に米国のNEXRADによって観測された相当量のメソサイクロン観測データを用いて、これら実際的作業におけるパラメータ値や作業手順の決定を行なっている。さらにこの手法の精度・信頼性を調べるため、渦擾乱に、一様風、正規乱数、異なるスケールの渦擾乱、などを加えたデータを人工的に生成し、連続ウェーブレット変換処理の有無が結果に与える影響を検討している。その結果、連続ウェーブレット変換を用いることで、位置推定の誤差は、一様風付加の場合約1/8に、正規乱数付加の場合約1/4に、また異なるスケールの渦を付加した場合1桁以上、それぞれ減少することが見い出されている。この結果は従来の方法に比して、申請者の提唱する手法が安定で信頼性の高い渦位置を与えることを示している。

 またメソサイクロンの特性として、一様発散域をもつRankine型の渦で近似した場合の、渦度、発散、渦度半径、発散半径、をドップラーレーダーのデータから求める方法も論じられている。申請者の提案する手法は、観測データおよびRankine渦を各々連続ウェーブレット変換した後、両者のL2ノルムを最小化することでこれらのパラメータの値を決定するものである。申請者は、この方法による誤差を、一様風、正規乱数、異なるスケールの渦擾乱、がそれぞれ存在する場合について詳細に検討し、ウェーブレットの使用によって誤差が1桁から2桁減少することを示している。

 以上の検討の上に立ち、申請者は本手法を、1992年5月にアメリカ・オクラホマ州において得られたメソサイクロンのドップラー速度場へ適用し、特にメソサイクロンの渦度と発散の鉛直分布を求めている。その結果、連続ウェーブレット変換によって結果の安定性が確保されること、また単一のドップラーレーダーのデータからもメソサイクロンの鉛直構造が解析可能であることが見い出されている。特に、後者の点は、従来の結果を大きく越えるもので、本手法の信頼性と将来性を示している。また申請者は、本手法によって得られたメソサイクロンの特性値を用いて、メソサイクロンによる竜巻発生の推定を行ない、従来のシアーパターンによる推定法に比して良い推定が可能であることを示している。

 以上、本論文では、連続ウェーブレット変換を気象用ドップラーレーダーのデータへ応用するための新しい方法が提案され、実用化のための実際的基礎づけが行なわれた後、試験データおよび現実の観測データを用いて、方法の有効性が示されている。本論文においては、応用数学的手法の単なる適用に留まらず、気象観測において実際に用いるための詳細な基礎づけが行なわれており、応用的価値の高いものと判断される。

 よって、論文提出者劉千鳳は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク