学位論文要旨



No 115711
著者(漢字) 笹井,研
著者(英字)
著者(カナ) ササイ,ケン
標題(和) N-アセチルグルコサミン転移酵素Vのゴルジ体局在機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 115711
報告番号 甲15711
学位授与日 2000.10.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2199号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

---はじめに---

 真核細胞と原核細胞との大きな相違の1つは、細胞がオルガネラ(細胞内小器官)と呼ばれるコンパートメントに区分されていることである。個々のオルガネラは、それぞれ独自の機能を営みつつ、細胞全体として制御され、細胞の生命が維持されている。また一方で、細胞は、数多くある蛋白質が、正しい場所に存在し、正しい機能を行っているために、正常に保たれているといえる。従って、蛋白質の局在機構・分泌機構を理解することは細胞生物学上・大変重要な課題といえる。更に蛋白質の分泌機構は細胞生物学上重要であるだけでなく、様々な有用物質の生産を考える上でも、解明すべき重要な課題と言える。多くの分泌蛋白質はゴルジ体で様々な糖鎖修飾を受けるが、その分子機構には不明な点が多い。この糖鎖修飾はゴルジ体に存在する糖転移酵素と呼ばれる一群の酵素により行われる。

 本研究では、蛋白質分泌の一過程である糖鎖修飾機構を理解することを目的に、糖転移酵素の一種、N-アセチルグルコサミン転移酵素V(GlcNAcT-V)を用いて様々な解析を行い、酵素活性に必要な領域の同定と、この糖転移酵素がゴルジ体に正しく局在する機構の解明を行った。

 本論文は三章より成り、第一章では、種々の欠失変異体を用いた解析による、GlcNAcT-Vの酵素活性に必要な領域の同定を、第二章では、第一章で明らかになった酵素活性に「不必要な」領域が、GlcNAcT-Vのゴルジ体局在に重要であることの証明を、第三章では、GlcNAcT-Vがゴルジ体に局在する分子機構を、それぞれ論じている。

---第一章---

 N-アセチルグルコサミン転移酵素Vの酵素活性発現に必要な領域の同定

 全長741アミノ酸からなるヒトGlcNAcT-VのcDNAを発現ベクターに組み込み、元来GlcNAcT-Vの酵素活性を持たないCOS-1細胞に一過性に遺伝子導入する系を用いて、酵素活性発現に必要な領域の同定を行った。C末端側の欠失変異体を数種作成し、解析を行ったところ、わずか12アミノ酸を欠いた変異型をはじめ、作成した全てのC末端欠失変異型のGlcNacT-Vはその酵素活性を保持していなかった。GlcNAcT-Vは、Cys残基を数多く含む分子で、分子のジスルフィド架橋が酵素活性に関与することが予想されたため、SH基を酸化・還元し酵素活性を測定したが、活性に影響はなく、ジスルフィド架橋は酵素活性の発現には無関係であると分かった。また、野生型のGlcNAcT-Vはジスルフィド架橋依存的な相互作用により多量体化していたが、欠失変異体においても、その多量体化能は失われていなかった。

 次に、N末端側からの欠失変異体を、別の糖転移酵素とのキメラ蛋白質として作成して、同様にCOS-1細胞に一過性に発現させ解析を行った。N末端から187アミノ酸を欠く変異体はGlcNAcT-Vの活性を有したものの、N末端から242アミノ酸を欠いた変異体は、もはや酵素活性を有していなかった。

 更に糖転移酵素の中には、酵素自身に付加されているN型糖鎖が酵素活性に必須なものもあるので、GlcNAcT-Vについても同様の検討を行った。ヒトGlcNAcT-Vには6カ所のN型糖鎖付加可能部位が存在する。ヒトGlcNAcT-VのcDNAを一過性に発現させた後、続いてツニカマイシン処理により、N型糖鎖の合成を抑制したところ、N型糖鎖を持たない分子がイムノブロットにより観察され、ヒトGlcNAcT-VにはN型糖鎖が少なくとも1本以上付加されていたことが分かった。このN型糖鎖修飾を受けていないGlcNAcT-Vには、通常のN型糖鎖修飾を受けている分子の酵素活性と同程度の活性が存在し、GlcNAcT-V自身に付加しているN型糖鎖は、酵素活性発現には関与していないことが証明された。

 以上、第一章では、ヒトGlcNAcT-Vの酵素活性発現には、188番目から741番目のアミノ酸だけで十分であること、酵素活性発現にはN型糖鎖の付加が必ずしも必要でないことを明らかにした。

---第二章---

N-アセチルグルコサミン転移酵素Vのゴルジ体局在に関わる領域の同定

 第一章で酵素活性発現に関与しないことが判明した、N末端187アミノ酸のうち、細胞質領域と膜貫通領域以外の45番目から187番目の領域の役割を解析するために、同領域を欠く欠失変異体(GlcNAcT-V△1)を作成し、細胞内の活性の分布を調べた。

 第一章と同様、野生型・欠損型のGlcNAcT-VcDNAをCOS-1細胞に一過性に発現させ、細胞懸濁液を超遠心法により、膜画分と可溶性画分とに分画し、それぞれの画分について酵素活性を測定した。野生型のGlcNAcT-Vや他の糖転移酵素に関しては、それらの酵素活性が膜画分に存在したのに対し、GlcNAcT-VΔ1の場合は、可溶性画分にも高度な酵素活性が認められた。また、培養上清中に現れる酵素活性と、細胞内に留まる酵素活性の比を検討したところ、野生型ではほぼ1対1であったものが、GlcNAcT-VΔ1では培養上清中に細胞内の約10倍の酵素活性があった。このことは、45番目から187番目のアミノ酸の欠失によりGlcNAcT-V分子が細胞表面に現れやすくなったことを示している。

 実際に抗体を用いた免疫染色法により細胞内局在を調べたところ、GlcNAcT-Vはゴルジ体に局在したのに対しGlcNAcT-V△1では細胞膜に局在しており、45番目から187番目の領域はGlcNAcT-Vのゴルジ体局在に必要な部位であると結論づけられた。

 以上第2章では、酵素活性発現には無関係であった領域が、分子のゴルジ体局在に必須の部位であることを明らかにした。

---第三章---

N-アセチルグルコサミン転移酵素Vのゴルジ体局在機構の解析

 45番目から187番目(184番目)のアミノ酸領域中には4つのCys残基があり、2次元構造予測からも、ヘリックスの一端に疎水性アミノ酸が集中するなど、分子間相互作用が予想される領域である。実際45番目から184番目の領域を用いた酵母Two-hybrid法などによりこの領域がホモ多量体を形成しうることが分かった。

 GlcNAcT-Vはジスルフィド架橋依存的な相互作用をしているが、GlcNAcT-V△1について同様の検証を行ったところ、この分子は、予想通り多量体化能が著しく減少していた。従って、この領域を介した多量体化が、GlcNAcT-Vのゴルジ体局在機構に関与していると予想された。この予想は、活性体として分泌されたGlcNAcT-Vが、ジスルフィド架橋依存的な多量体を形成し得ないという結果により支持された。

 最後に、この領域を糖転移酵素と同様のII型膜蛋白質で細胞表面に存在する酵素であるγ-gultanyltranspeptidase(γ-GTP)に挿入したキメラ分子を作成し、細胞内の局在を調べたところ、ゴルジ体へと局在を変え、GlcNAcT-Vの45番目から184番目のアミノ酸領域が単独でゴルジ体局在信号になり得ることが分かた。また野生型として細胞表面に存在するγ一GTPは、ジスルフィド架橋依存的な多量体を形成しないのに対して、ゴルジ体局在型のキメラ分子は多量体化能を獲得していた。

 すなわち、今回用いた2種のII型膜蛋白質(GlcNAcT-V、γ-GTP)は多量体化によりゴルジ体に留まり、細胞表面に輸送された際には多量体化が解かれていることが分かった。

 以上第3章では、GlcNAcT-Vのゴルジ体局在とジスルフィド架橋依存的な分子多量体化には相関があり、またこの多量体化には45番目から184番目のアミノ酸領域を介した分子間相互作用が関わっていることを示した。

---まとめ---

 以上、3章に渡る本研究により、GlcNAcT-Vの酵素活性発現に必要な領域を同定すると同時に、活性発現に「関与しない」領域が、ゴルジ体局在に必須の部位であることを明らかにした。これは、他の多くの蛋白質がそうであるように、糖転移酵素もまたドメイン構造を取っていることを示すものである。糖転移酵素は、細胞質領域(cytoplasmic tail)、膜貫通領域(transmembrane domain)、幹領域(Stemregion)、触媒部位(catalytic domain)からなるドメイン構造を取っていることになる。従来、膜蛋白質のゴルジ体局在に関しては、細胞質領域、膜貫通領域、幹領域の全てが重要と考えられていたが、GlcNAcT-Vのゴルジ体局在に関しては、特に幹領域が重要であることが分かった。この結果は、主に二つ存在するゴルジ体への蛋白質局在機構のうち、膜貫通領域のみが重要とする「脂質選別仮説」を否定し、付近にある蛋白質と相互作用することにより多量体を形成し、輸送小胞への取り込みを抑えるとする「近縁蛋白質認識仮説」を支持するものといえる。また、糖転移酵素の幹領域のみの挿入が他のII型膜蛋白質の局在をも変えた最初の例でもある。

 本研究とは別に、GlcNAcT-V△1を発現する細胞に於いては、酵素活性によって生合成されると予想される糖鎖構造がGlcNAcT-Vを発現する細胞に比べて著しく少ない、という結果を得ている。ゴルジ体に局在しないGlcNAcT-V△1は酵素活性を高度に保持しているとはいえ、細胞内では機能していないと考えられた。つまり、糖転移酵素が「正しく機能する」すなわち「目的の糖鎖構造を作り出す」ためには、ゴルジ体に局在する必要があることを示していると考えられる。

 このように糖転移酵素はゴルジ体に局在してはじめて機能的になるにも関わらず、この局在機構については未だ不明な点が多い。今回、GlcNAcT-Vに関するゴルジ体局在機構を明らかにしたことは、将来、普遍的な「蛋白質のゴルジ体局在機構」を理解するにあったってのよき指針となり得、意義深いことと言える。普遍的機構を解明した上で糖鎖遺伝子を発現させることで、目的の糖鎖構造を持つ蛋白質を創り出すことができ、効率的な有用蛋白質生産へ向けた研究が展開できると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

糖タンパク質の糖鎖修飾はゴルジ体で行われるが、糖鎖修飾酵素関連分子がゴルジ体に局在する機構は明らかにされていない。本研究では、糖蛋白質分泌の重要な過程である糖鎖修飾機構を理解することを目的に、ヒトN-アセチルグルコサミン転移酵素V(GlcNAcT-V)について、酵素活性発現に必要な領域の同定とゴルジ体に局在する機構の解明を行ったものである。

 第一章ではGlcNAcT-Vの酵素活性発現に必要な領域の同定を行った。ヒトGlcNAcT-Vは741アミノ酸からなる糖タンパク質で細胞質領域、膜貫通領域、幹領域および触媒部位からなる。まずGlcNAcT-V cDNAを同酵素活性を有さないCOS-1細胞に一過性に遺伝子導入する系を用いて、酵素活性発現に必要な領域の同定を行った。C末端側からの欠失変異体を数種作成し解析を行ったところ、わずか12アミノ酸を欠いた変異型で活性が消失した。一方、N末端から187アミノ酸を欠く変異体は活性を有していたが、242アミノ酸を欠いた変異体では活性が認められなかった。従って、ヒトGlcNAcT-Vの酵素活性発現には、188番目から741番目の領域が必要であることが明らかになった。さて、ヒトGlcNAcT-Vには6カ所のN型糖鎖付加可能部位が存在するが、ツニカマイシン存在下でGlcNAcT-Vを発現させ解析した結果、ヒトGlcNAcT-VにはN型糖鎖が少なくとも1本以上付加されていること、活性発現にN型糖鎖は関与していないことが証明された。

 第二章ではGlcNAcT-Vのゴルジ体局在に関わる領域の同定を行った。野生型GlcNAcT-VおよびN端(45-187アミノ酸)欠損変異型(GlcNAcT-VD1)をCOS-1細胞で発現させ、細胞懸濁液を超遠心法により、膜画分と可溶性画分とに分画し酵素活性を測定したところ、野生型の活性は膜画分に存在したのに対し、GlcNAcT-VD1は可溶性画分にも高度な酵素活性が認められた。また、培養上清中に現れる酵素活性と、細胞内に留まる酵素活性の比を検討したところ、野生型ではほぼ1対1であったものが、GlcNAcT-VD1では培養上清中に細胞内の約10倍の酵素活性がみられた。つまり、45番目から187番目のアミノ酸の欠失によりゴルジ体に留まれなくなったことを示している。免疫染色法により細胞内局在を調べたところ、GlcNAcT-Vはゴルジ体に局在したのに対しGlcNAcT-VD1ではその局在は見られず、45番目から187番目の領域がGlcNAcT-Vのゴルジ体局在に必要な部位であると結論づけられた。

 第三章ではGlcNAcT-Vのゴルジ体局在機構の解析を行った。ゴルジ局在領域(45-187)をII型膜蛋白質で細胞表面に存在する酵素であるγ-gultamyltranspeptidase(γ-GTP)に挿入したキメラ分子(γ-GTP-G)を作成し、細胞内の局在を調べたところ、ゴルジ体へと局在を変え、GlcNAcT-V45-187領域は、ゴルジ体局在信号になり得ることが確認された。この領域中には4つのCys残基が存在し、3次元構造予測から、ヘリックスの一端に疎水性アミノ酸が集中するなど、分子間相互作用を予想させた。そこで、45-184アミノ酸領域を用い、酵母Two-hybrid法により解析した結果、この領域はホモ多量体を形成しうることが分かった。また、GlcNAcT-Vはジスルフィド架橋依存的な相互作用をしているが、GlcNAcT-VD1は、多量体化能が著しく減少していた。従って、この領域を介した多量体化が、GlcNAcT-Vのゴルジ体局在機構に関与していると予想された。また、細胞表面に存在する野生型γ-GTPは、ジスルフィド架橋依存的な多量体を形成しないのに対して、ゴルジ体に局在したキメラ分子γ-GTP-Gは多量体化能を獲得していることも明らかになった。

 従来、膜蛋白質のゴルジ体局在に関しては、細胞質領域、膜貫通領域、幹領域の全てが重要と考えられていたが、GlcNAcT-Vのゴルジ体局在に関しては、特に幹領域が重要であることが分かった。この結果は、GlcNAcT-Vが付近にある蛋白質と相互作用することにより多量体を形成し、輸送小胞への取り込みを抑えるとする「近縁蛋白質認識仮説」を支持するものである。

 以上、本論文では、GlcNAcT-Vの酵素活性発現に必要な領域を決定し、ゴルジ体局在に必須の領域が存在することも発見した。これらの発見は蛋白質のゴルジ体局在機構を理解するにあたっても重要な知見で、糖鎖生物学・細胞生物学領域に貢献しているところが少なくない。よって、審査員一同は、本論分が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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