学位論文要旨



No 115712
著者(漢字) 黒岩,三恵
著者(英字)
著者(カナ) クロイワ,ミエ
標題(和) 聖王ルイ伝の画家と十四世紀パリ写本彩飾の研究
標題(洋)
報告番号 115712
報告番号 甲15712
学位授与日 2000.10.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第295号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青柳,正規
 東京大学 教授 小佐野,重利
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 西野,嘉章
 名古屋大学 名誉教授 辻,佐保子
内容要旨 要旨を表示する

 この論文では、1320年ころから40年代までパリで活動した、聖王ルイ伝の画家という通称で知られる世俗彩飾画家について研究をする。14世紀前半最大の彩飾画家、ジャン・ピュセルの周辺の画家として位置付けられ、宮廷様式の優美さと独特の諧謔味を特徴とする画風を持ち、これまでに10点あまりの写本によってその存在を知られてきた聖王ルイ伝の画家は、その作品と活動についてはほとんど何も研究されてこなかった。図版及び2巻から構成されるこの論文では、第1巻において画家をモノグラフィーの中心に据える、美術史研究で最も伝統的な形式を踏まえながら、6章に分けて画家の作品と活動、その表現法の特徴について考える。

 問題提起と論文の構成を予告する序章に続き、第1章で聖王ルイ伝の画家の作品を紹介し、そこから画家の活動のクロノロジーを再構成する。

 第2章では、パリ大学の構成員で、同じ教区内に住み、しばしば同じ写本を分担して彩飾する分業システムによって関係し合うパリの世俗彩飾画家の活動のあり方を踏まえ、聖王ルイ伝の画家の共同制作者について取り上げる。

 第3章においては、奥行き感のある空間表現の展開について考察する。1320年代半ばから、イタリア絵画を起源とする新しい絵画表現への聖王ルイ伝の画家の関心の高さを示し、それが、ジャン・ピュセルとの交流を通じてもたらされたものであるのと同時に、1320年代に宮廷でイタリア絵画がもてはやされたことも反映するもので、高名なイタリア画家の作品のモデルが、ジャン・ピュセルを経由するばかりでなく、パリに流布していた可能性も示唆する。1335年以降、聖王ルイ伝の画家は、絵画空間そのものを三次元的に表す試みを一見放棄するが、その理由について考察する。

 第4章では、欄外余白装飾について取り上げる。ドロルリーは、ジャン・ピュセルの影響をこうむる一方、幻想的な怪物はまれで、職人尽くし的な人物モティーフが大半を占める。これらは、多くの場合意味不明だが、ぺージ上のテクストと対比させることで、それぞれに異なった意味を持ちうる。文字を追うのに疲れた目と頭をリフレッシュさせ、テクストの意味を改めて別の角度から読み解くきっかけを与える機能がドロルリーにはあったと考えられる。

 第5章では、彩色について考える。パリの写本彩飾の伝統である、青と赤を主調とする彩色の起源について、12世紀以降の中世の色彩観の変化があると捉える。聖王ルイ伝の画家は、青・赤の配色を2次装飾では厳格に踏襲し、挿絵においては、中間色をふんだんに用いる。それらは、自然主義的な傾向によって用いられるようになったものだが、青・赤の対立的な配色と類似する、補色に近い色同士を組み合わせて用いる色使いを特徴とする。

 色彩とも密接に結びついて、人物像に象徴的な意味を付加する役割を果たしているのが、第6章で扱う服飾である。聖王ルイ伝の画家の服飾表現は、四半世紀の経歴を通じほとんど変化がなく、人物の社会的身分を区別するために描き分けられている。各衣装の意味する社会的身分について概説し、具体的な作例を通じて、人物の身分、状態を示すのは衣装の色ではなく形状であることを確認する。同時に、特定の人物の服飾の色を意図的に他の人物のそれと変えることで、その人物が持つ特性を暗示する場合もあることを例証する。また、紋章の特徴を挿絵に利用し、特定の家系を強調したり隠蔽したりする表現について考察する。

 第2巻は、32点34冊を数える聖王ルイ伝の画家のカタログを収める。各作品を写本学的なデータ、彩飾画家たち、挿絵やドロルリーの主題一覧などの共通項目で記述し、第1巻では扱うことのできなかった個々の作品の特徴と問題点を解説に論じる形をとる。また、図版を第3巻に収録する。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は1320年頃から1340年代にパリで活躍した彩飾画家、通称「聖王ルイ伝の画家」(以下、「画家」と略記する)に関するモノグラフィックな研究である。

 本論文は「画家」の様式検討を議論の骨格とする第一巻、「画家」が制作に関与した彩飾写本の作品総目録の体裁を採る第二巻、作品図版を集めた図版巻の三部から成る。主論をなす第一巻では、現存作品の編年、工房制作の実態、空間表現の源泉、欄外装飾の機能、賦彩方法の特徴、服飾表現のシンボリズムなど、多様な角度から「画家」とその周辺画家の作品に詳細な検討が加えられる。作品編年の項では、これまでの研究史を踏まえ、中世後期写本美術への接近手段として「様式分析」の方法的可能性についての弁明を行ったのち、年記の存在する『ベルヴィルの聖務日課書』他の二写本を様式と年代の基準作例としつつ、「画家」の作品の編年を試み、これまで位置づけの確かでなかった『危険な墓所・ライオンの騎士』を1320年頃の「画家」の手に帰し、他の作品と併せて様式の変遷を明らかにしている。パリ派写本工房における制作分業システムを論じた項では、「画家」の共同制作者を特定し、なかで「ペルスヴァルの画家」と「ROSS.lat.307の画家」が「画家」の経営する工房で助手として働いていたことが明らかにされる。また、「画家」の作品に見られる透視図法的な空間表現が、十四世紀初頭のイタリア絵画に由来するものであり、それらが通説に言われる通りの「ジャン・ピュセル経由」のみならず、他の画家の作品を経由してパリの宮廷にもたらされていた可能性が指摘される。さらに、後続の議論のなかでも、「画家」の欄外余白装飾について装飾頭文字に附属する棒状装飾の形状から五つの類型を同定したこと、賦彩法として欄外等の二次装飾には赤・青の対比が、挿絵には中間色がそれぞれ用いられるという特徴を抽出したことなど、新しい知見が導き出されている。

 第二巻は、いくつかの例外はあるものの、「画家」の関与した彩飾写本を実地に精査し、それらについて美術史的・書誌的な事実を網羅的に記述したもので、膨大な参考図版を掲げた第三巻とともに本論文の基礎資料の体を成しており、今後「画家」について研究しようとする者にとって有価な基本文献ともなり得る。

 本論文はピュセルの影に隠れ、その存在が見えにくかった「画家」の仕事について、一次史料の実証的な検討を踏まえつつ、様式論的な立場からその全体像に明確な「輪郭」を与えようとするものであり、図像やそのプログラムについての解釈論を遠ざけている点にやや不満が残るものの、全体としての考証性と網羅性において、これまでにない独自の研究と言うことができる。以上により、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと判断する。

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