学位論文要旨



No 115719
著者(漢字) 藤川,暢子
著者(英字)
著者(カナ) フジカワ,ノブコ
標題(和) 飛行時間法を用いた上層大気測定用中性ガス質量分析器の開発
標題(洋) Time-of-flight Neutral Mass and Velocity Spectrometer for Upper Atmospheric Research
報告番号 115719
報告番号 甲15719
学位授与日 2000.11.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3870号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 向井,利典
 東京大学 教授 小山,孝一郎
 東京大学 助教授 中村,正人
 東京大学 助教授 早川,基
 東京大学 助教授 岩上,直幹
 東京大学 助教授 比屋根,肇
内容要旨 要旨を表示する

 熱圏、電離圏と呼ばれる超高層大気では電離したガスと電離していない中性ガスが混在しお互いに弱い相互作用を通し影響しあっている。電離した成分はさらに上層のプラズマ大気の影響を強く受けているが、中性ガスの方は個々の粒子はそれぞれの過去の履歴を引きずりながら独自の運動をしていると考えられる。原子や分子間の衝突頻度が小さいため流体としての近似が適用できず理論的にも取り扱いが難しい領域である。観測的にも電離気体では普通に行われてきた速度分布関数の観測が実現していない。

 我々は飛行時間測定と位置検出を併用して、中性ガスを構成する原子、分子の質量数、組成毎の速度分布関数を求める方法を考案した。本研究で実現化するにあたって問題であった中性粒子のイオン化と加速の方法、位置検出の方法を確立し、これを実験室で実証することによって飛翔体搭載への準備段階に到達した。

測定原理

入射中性粒子を電子ビームによりパルス的に電離し、その後イオン源下のメッシュ電極に負電位をかけ、粒子を入射方向に対して垂直に電場加速する。検出器までの粒子の飛行時間(Time-of-flight)から粒子の質量が求められ、検出位置の分布から粒子の入射方向を含む二次元の速度分布を知ることができる。入射方向と垂直に加速することで元々の速度を保ったまま質量分析が出来ることが特徴である。検出はMCP(Micro channel plate)とCCDで行う。イオンの加速開始の後、ある時間だけMCPの高圧電源をオンにするゲート操作で測定する質量の粒子を分別し、MCPの背面の蛍光スクリーンを介してCCDで位置検出を行う。CCDは電荷を蓄積することが出来るため、同時に複数の粒子の位置を検出でき、また読み出しを一括して行うことが出来るので、通常の2次元位置検出アノードに比べて検出効率が上げられ有利である。また生成イオンの加速開始を行うメッシュ電極の電位切り替えのタイミングを遅らせることによって、ある時間内(放置時間)にイオンを入射速度方向に自由に進ませることによって、もともとの速度分布を位置分布として見るときに拡大することが出来る。

室内実験による開発研究

1. 飛行時間測定試験

真空チェンバー中にAr,He,H2などの既知のガスを導入して飛行時間測定による質量分析の特性を調べた。これより、Arガスとチェンバー内の残留ガスであるN2,02,H20,N,0など存在比がよく一致しておりほぼ正しいマススペクトルが得られていることがわかる。実験結果で現れている質量数15のピークはイオン源からの脱ガスによるものでCH3+であると考えられる。またAr+とAr2+、N2+、02+などの計数率の比から電離断面積の比をいくつかの電子ビームエネルギーのもとで求め、過去の電離断面積のデータと比較した。以上より飛行時間測定による質量分析が可能であることが示された。

2. 位置検出試験

真空チェンバーにHeガスとN2ガスを導入し、MCP高電圧のゲート操作による質量分別と、CCDによる検出位置分布の取得を行った。図3に放置時間を変化させたときのHe+とN2+の検出位置分布を示す。飛行時間試験の結果とMCP高電圧のスイッチングによるゲートの時間、そのときの位置検出の分布強度を比較して、ゲート操作によって特定の飛行時間(質量)の粒子の検出位置分布が観測できることを確認した。放置時間と質量による検出位置の分布範囲の違いが、粒子の質量によって違う熱的な速度分布によって説明できることから、位置検出によって中性粒子の速度分布の観測を実現できることが確認された。

まとめ

中性大気粒子の質量分析と同時に速度を観測するというアイデアを実現するための測定方式を確立し、実験的にこの方式の可能性を実証した。今回の実験ではイオン源での脱ガス、アノードのチャージアップが原因と思われる電子ビームの広がりが生じていた。このため位置分布の定量的な解釈が困難になっている。今後はチャージアップの防止と、電子電流の確保のためイオン源の改良を行い、飛翔体に搭載可能な形に開発していく。

審査要旨 要旨を表示する

 地球、金星、火星の上層大気の組成、温度は高度と共に変わり、また、太陽活動に大きく影響されているが、熱圏〜外圏大気の主成分は酸素原子、その温度は500〜1000Kである。熱圏大気の構造とダイナミックスは酸素原子の生成・消滅、輸送過程に大きく支配されており、これらの物理過程の研究において酸素原子の速度分布の情報が重要なのは当然であるが、これまでの中性ガス質量分析器ではそのようなデータを得ることができなかったため、定性的な議論に留まっている。従来、ロケット/衛星に搭載された中性ガス質量分析器では、中性ガスを電子銃で電離して生成されたイオンを加速、すなわち、初期エネルギーの広がりを無視できるエネルギーに揃え、特殊な形状の電磁場を通してイオンの速度選別をすることにより質量を求めるという原理に基づいていたので、元の中性ガスの速度分布を測定することが原理的に不可能である。また、上層大気の主成分である酸素原子に関わる測定データの信頼性にも疑義がある。すなわち、酸素原子は反応性が強いため、測定器内の壁に吸着している酸素原子が他の原子、分子と反応して新たな分子(例えば、NO、02)を生成する。そのため、得られた質量スペクトルに現れる原子・分子ピークだけでなく、壁との反応で生成される分子成分も含めて解析する必要があるが、それらの分子成分は自然にも存在するので、そう簡単なことではない。地上の実験室におけるデータと経験則を用いて自然に存在する原子・分子密度を求めているのが実態である。本論文の目的は、測定器に入射してくる中性ガスの速度分布を種別毎に測定するための新しいタイプの質量分析器を開発することである。このことにより、測定器内の壁の影響を必然的に無くすることができるのもメリットになる(壁に吸着した成分と反応して生成された分子の速度は入射してきた粒子速度の半分程度に落ちる)。

 本論文は全5章から構成されており、まず第1章で研究の動機と目的について述べている。上層大気の中性ガスを種別毎に速度分布を測定することの意義を総括すると共に、過去のロケット・衛星搭載用質量分析器、中性ガス温度・測定技術をレビューし、新しいタイプの質量分析器開発の必要性を述べている。第2章で、種別毎に速度分布関数を測定することのできる新しいタイプの中性ガス質量分析器を考案し、その設計原理から具体的な設計、期待される性能と誤差評価を数値的に議論している。第3章では、前章で設計された分析器を試作し、その特性を実験的に調べている。新しいタイプの測定器を開発する場合、当初の予想にない技術的な問題が生じることはしばしばあるが、今の場合も例外ではなかった。第4章ではそれらの問題を詳細に検討している。最後に第5章で、本論文で得られた成果と今後の課題をまとめている。

 第2章で述べている設計原理は単純ではあるが、これまでにない新しいアイディアに基づくものである。すなわち、測定器に入射している中性粒子をパルス的電子ビームで電離した後、(1)入射速度に垂直な方向に一様電場を印加することにより生成されたイオンを加速し、(2)一定の距離の所に置かれた検出器により飛行時間を測定しようとするものである。(1)により入射方向の速度は保存されるので、電子ビームの場所から検出位置までの距離は入射速度と飛行時間から求めることができる。また、その飛行時間はイオンの質量と電荷量及び飛行距離の関数となる。従って、粒子種別で決まる飛行時間窓の間に検出された位置を知ることにより、粒子の質量弁別と速度分布関数を独立に求めることができるというのが原理である。実際の分析器では、円筒上の形状の中心に電子銃を配置し、軸対称な360°のディスク状の視野を有する分析器を考案している。本章では、その設計パラメータを数値的に求め、予想される性能と誤差評価を行っている。

 第3章では、前章の設計に基づいて試作した分析器の性能を実験的に調べている。具体的には、電子銃によるパルス的電子ビームの特性、飛行時間法による中性ガスの質量分析性能、及び、飛行時間窓の間に検出された位置分布から粒子の速度分布、温度測定に関する実験を行い、その結果を議論している。その結果、この新しいタイプの中性ガス質量分析器が所定の目的を達成可能であるという結論が得られたが、検出された位置分布のイメージは粒子の速度分布関数、温度で単純に決まるものにならないという予想外の問題が判明した。それは、飛行時間計測のために印加される電場がイオン源の領域にわずかな空間的非一様性を形成していることによるもので、実験室の残留ガスを用いて試作した分析器の試験を行わざるをえないため、電離されたイオンが室温(300K〜0.03eV)という超低エネルギーイオンであり、その初期運動が微小電場に大きく影響された結果であることが判明した。この問題を数値実験により評価した結果に基づいてその対策法を議論したのが第4章である。

 第5章では、新規開発の中性ガス質量分析器が当初の目的である粒子種別毎に速度分布を測定できるという結論をまとめ、今後の展望を述べている。

 以上、本論文では、惑星の上層大気の構造とダイナミックスの研究のために新たなタイプの中性ガス質量・速度分析器を考案、試作実験した結果がまとめられている。この分析器は今後、惑星の上層大気の研究に大きく貢献することが期待され、本論文の成果は博士(理学)を与えるに十分な内容であると認められる。なお、本論文の内容は、鶴田浩一郎氏、早川基氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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