学位論文要旨



No 115726
著者(漢字) 石井,晋
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ススム
標題(和) 戦後日本の杜会経済秩序 : 経済システムの分化と企業・労働者・政府
標題(洋)
報告番号 115726
報告番号 甲15726
学位授与日 2000.11.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第143号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 加瀬,和俊
 東京大学 助教授 谷本,雅之
内容要旨 要旨を表示する

 両大戦間期の社会経済史を踏まえて、第二次世界大戦後から高度経済成長開始に至るまでの日本の社会経済史を歴史的に理解することが本研究の内容である。その際、歴史を、構造・機能的にとらえるだけでなく、論理的で安定的な時間軸に即して把握し、社会経済秩序1の動揺と再生という視点から、政策史的側面を中心に分析する。それは、戦後経済史を再構成する試みであるとともに、時間軸を失った構造・機能的分析を乗り越えるだけでなく、生産力史観に正面から対決し、新たな視角を提示する試みでもある。

 序論では、独占資本主義論、レギュラシオン学派、比較制度分析等の先行研究を批判的に検討した上で、本研究の視角を理論的に提示する。その際、基本視角となるのが、経済システムの分化2という時間軸の設定である。象徴化された一般的メディアを擁するがゆえに、経済システムは分化、拡大する内的な論理を持っている。歴史的過程において、経済システムの分化はさまざまな抵抗を受けた。とりわけコーディネーション設計3の活発化に伴う利害調整問題は、両大戦間期から戦時、戦後にかけての社会的な大混乱を引き起こす大きな要因であったと考える。その過程で、同時に経済循環システム4が混乱し、また敗戦・占領によって改革がなされたことによって利害調整問題は変質する。戦後においては、循環システムを再生し、同時にそれと整合的な社会経済秩序を構築することが大きな課題となった。その際、政府の役割がクローズ・アップされる。主要課題は、経済循環システムの再生とそれと整合的な社会経済秩序の形成過程である。

 1 後述する経済循環システムを成り立たせる利害調整制度、動機づけ構造などを含む秩序。

 2 貨幣二元コード化(支払うか否か)に準拠して行われる度合

 3 目的を達成するために、さまざまなコードを動員することによってなされる設計。

 4 ある社会の一定期間における、モノ・サービスの生産、所得の分配、投資・消費などの需要のあり方。

 第2章では、先行研究に依拠しながら、序論で示した視角を軸に、両大戦間期から敗戦に至るまでの日本の社会経済史を簡潔に再構成する。その際、コーディネーション設計をめぐる利害調整に焦点を当てながら、全体社会的な大変動を理解し、戦後社会経済史を分析する際の歴史的前提条件を明らかにする。

 第3章では、復興期を取り上げる。経済復興会議は、経済循環システムを再生するために、利害調整制度と動機づけ構造を構築するなどコーディネーションを設計する一つの試みであった。権力コードが限定された状況下で、労働者側によって強調されたのが、貨幣コードを後景に退かせ、「共感」コードに基づく相互行為的コミュニケーションを主軸に据えるという方針であった。新たなコーディネーション設計に関して、生活を保証する最低限の賃金の支給、民主的な企業組織改革などの点に関して大筋の合意は存在したが、具体的活動の過程ではさまざまな対立が生じた。経営者側が、賃金体系を改革して、競争的な動機づけ構造を導入しようとしたときに対立が激化した。その際、徹底した民主化を求める産別会議の運動が、経済復興を阻害するものとして労働者の間でも次第に支持を失っていった。

 第4章では、ドッジ・ライン以後の財政・金融政策に着目する。ドッジ・ラインによって、一瞬のうちに、安定した循環システム及びそれと整合的な社会経済秩序が再生することは不可能であった。とりわけ独立後になると国内の諸利害が噴出したし、政府もまた持続可能な循環システムの設計を模索していた。朝鮮戦争の勃発は、利害に対する受動的な対応を導き、その結果、金融・財政面からインフレ圧力が高まった。しかし、朝鮮戦争休戦が日程にのぼる中で、循環システムの持続可能性が懸念され、インフレ抑制の動きが始まる。最終的には、金融界、産業界の総論における合意をもとに、国際収支均衡を基準に強力な引き締めが実施され得た。循環システムに関する最も基本的なグランド・デザインが、「総論」として合意されたものといえる。

 第5章では、朝鮮特需の漸減と援助の消滅によって、日本経済の循環システムの先行きを懸念される中で生じたMSA「援助」をめぐる動きを検討する。日本の再軍備進展と引き替えにアメリカから提示されたのが、MSA「援助」であった。経済界などの間では広く、「援助」のマクロ経済的な効果が期待された。政府は、「経済援助」の可能性を強調して交渉を進めたが、アメリカ側は「経済援助」を渋る一方、日本に対して大幅な軍備拡充を要求した。結局のところ、日本側は「防衛力漸増」路線を維持する一方、「経済援助」は僅少なものにとどまり、将来的に打ち切られることが確実となった。一方、MSA協定を推進する政府と経済界に対する反発が強まった。総評を中心とする国民的な反対運動に展開するが、これに伴って労働運動の政治性が強められる。この結果、総評内部での亀裂が生じ、より現場に根づいた、経済闘争を重点に置く路線が主流となる。その後、春闘が定着し、それはベース・アップの一般化と持続的な賃金上昇に貢献する。事態は紆余曲折をしながら展開したが、MSA「援助」をめぐる動きは、内需拡大に基礎を置いた経済循環システムが形成されるに至る一つの契機となったのである。

 第6章のテーマは、海運・造船業といった個別産業の利害がマクロ的にどのように調整されていったのかに着目する。戦後、蓄積水準が低下し、独占禁止法に制約された企業側からの政府支援に対する要請は、より切実なものとなった。他方で、政府官僚は、持続可能な経済循環システムの再生というグランド・デザインを考慮する必要があった。インフレ抑制、国際収支均衡などマクロ経済の基本的条件に関わるグランド・デザインは「総論」において合意されていた(第4章)が、それと「各論」の利害は矛盾する可能性をはらんでいた。1950年代前半の海運・造船振興政策において潜在的矛盾が顕在化した。民主的な政治制度において実現した海運業の利害の突出に対して、グランド・デザインの側からの反作用が生ずる。ただし、それは政府による強権的なコーディネーションの押しつけではなく、開銀、市中銀行、関連産業等の諸利害関係主体を経由する紆余曲折した過程であった。結果として高度経済成長を起動するような船舶輸出振興政策が実現する一方で、海運業の突出した利害は抑制された。

 第7章では、鉄鋼産業政策を取り上げる。そこでは、グランド・デザインに適合的な政策も、また業界の利害に対応した政策も実現しなかった。通産省は、「経済自立」あるいは持続可能な循環システムの再生という観点から、投資調整を効率的に行うことを重視したが、業界はしばしば資金や輸出振興等の政府助成を求めたものの、「カルテルの自由」を強調した。通産省は、グランド・デザインに固執することができず、次第に業界の利害にすり寄せられて行くが、それも独占禁止政策の枠内でのことであった。この結果、実現したのは輸出振興政策や「勧告操短」に代表される需給調整政策であり、それは投資促進的な影響を与えたものと考えられる。

 補論では、大企業と中小企業との間の利害調整を素描する。「勧告操短」をはじめとする需給調整政策は、独占禁止政策との間で微妙な関係を生ずる。「勧告操短」の主要な対象が大企業であっただけに、とりわけ中小企業との間の利害をどのように調整するかが課題となった。しかし、私企業のカルテルと異なり、「勧告操短」が政府による指示であったこと、また公正取引委員会による監視が存在したことは一定の歯止めとして機能した。言い換えれば、政府-大企業間のコーディネーション設計をめぐる利害調整結果のしわ寄せが、中小企業に及ぼされることはかなりの程度制御された。利害調整のあり方は、国家統制へと帰結した1930年代とは大きく異なっていたのである。

 以上の議論は、次のように整理できる。戦後初期、循環システムの混乱と政府を巻き込んだコーディネーション設計活動の活発化のため、形式合理的5な市場の利害調整機能への信頼は大きく低下していた。同時に企業内における権力コードは十分に機能していなかった。そこで、占領軍によって導入され、敗戦下に受容された「民主化」あるいは「平和」等の価値に彩られた独特のコーディネーション設計志向や経済循環システムへの構想が、主に労働者によって主張された。それらの主張は、市場の形式合理性を制限し、経済システムの分化を抑制する傾向を持つものであった。そうした構想は、適切な利害調整制度や動機づけ構造の具体的設計を欠いていたため、挫折せざるを得なかった。しかし、政治的な価値を中和される形で、経済システムの分化と調和的なものとして、社会経済秩序の一部として吸収されていった。

 この間、市場の形式合理性に対する信頼が低下し、同時に民主制が強化されたため、政治に利害調整が委ねられ、市場の形式合理性が抑制される傾向が強まった。そのような利害調整を適切に処理する合理的な制度配置は、理論的にも歴史的にも決して自明なものではなく、利害調整制度が流動化した。しかし、結果的に、循環システムを安定させ、高度経済成長を実現するような社会経済秩序が形成されるに至る。その秩序は、政治的利害調整制度における一定程度の形式合理性を保持したまま、市場の形式合理性を抑制しないことを可能とするものであった。経済システム分化の進展という歴史的過程に対応して耐性が強められたのである。(3943字)

 5 ルールあるいは手続きにおいて、他のシステムを人為的に動員する可能性が排除されている度合。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、第二次世界大戦後の日本において、「経済システムの分化」の動きに対応して、安定した「社会経済秩序」と「経済循環システム」が再構築される過程を論じたものである。本論文は次のように構成されている。

1、序論

2、恐慌と戦争

3、経済循環システムの再生−経済復興会議を中心に−

4、朝鮮戦争期のマクロ経済政策

5、援助・再軍備と経済循環システム−MSA協定をめぐって−

6、海運造船振興政策

7、産業政策・輸出振興政策と鉄鋼業

 補論 産業政策と中小企業

8、結論と展望

 「経済システムの分化」は、「モノやサービスを交換する取引が貨幣二元コード化に従って行われる度合いが高まること」と定義される。「貨幣二元コード化」は、「貨幣による支払いを行うべきか否か」という判断を意味する(pp.20-21)。筆者も指摘しているように、このような意味での「経済システムの分化」に注目することはは決して新しい試みではなく、市場社会の形成に関するKarl Polanyiや大塚久雄の研究に代表されるように、むしろ社会科学研究の流れの中でオーソドクッスな見方といえる。著者があえて「経済システムの分化」を本論文の基本概念としたのは、以下に述べるように、そのことを通じて近年の経済史研究の混迷を打開することを意図したためである。

 日本における経済史研究は長くマルクス主義の強い影響下に置かれていた。生産力の発展を起動力として社会関係が歴史的に変化して行くとするマルクス主義の歴史理論は、長く経済史研究の枠組みを提供してきた。しかし、現実世界におけるソ連の崩壊、およびそれと関連して発達した比較制度分析およびその歴史研究への応用は、このような「生産力史観」の基礎を解体した。マルクス主義的発展段階論が現実によって棄却されるとともに、「生産力」は独立変数ではなく、制度ないし社会関係の結果であることが示されたからである。このことが経済史研究の安定した「時間軸」を失わせ、それを混迷に追い込んだという認識が本論文の出発点である。著者は、「生産力」に代わる時間軸として「経済システムの分化」にあらためて着目した。

 本論文は、ある社会における生産・需要・所得分配のあり方を「循環システム」と呼び、これを支えるルールを「社会経済秩序」と呼んでいる(p.20)。この用語法を用いると、「経済システムの分化」の極点は、「貨幣二元コード化」という「社会経済秩序」が「循環システム」の全体を律している状態ということになる。さらに本論文は、「利潤追求などの目的を設定し、人為的、計画的にその遂行を目指す設計活動」という意味でコーディネーションという概念を用いている。人々によるコーディネーションの試みが、「社会経済秩序」と「循環システム」の変化を介して「経済システムの分化」に影響を与えるというのが本論文の基本的な見方である。

 第2章ではこのような観点から、先行研究に基づいて、第一次世界大戦期から第二次大戦後の戦後改革期までの経済史が再構成されている。第一次大戦後、産業構造の変化に対応して、政府・大企業・中小企業・労働者・農民などさまざまな主体によるコーディネーションの試みが生じたが、それらはむしろ循環システムを不安定化し、そのことがさらに経済システムの分化を抑制するような伝統主義的価値観を呼び起こした。その帰結が総力戦と国家統制であり、その下で天皇制イデオロギーに基づく秩序形成が試みられた。しかし敗戦が国家目的を喪失させた時、日本の経済社会は戦間期に解決されなかった課題に再び直面した。戦後改革は、その課題を解決するための前提を準備したが、課題そのものを直接に解決するものではなかった。

 続く第3章〜第7章は、以上の認識をふまえて、戦後、1950年代前半までに、循環システムを安定させ高度経済成長を実現するような社会経済秩序が形成されたという見方の実証に充てられている。第3章では、労働者に主導された経済復興会議を「共感コード」に基づくコーディネーションの試みと位置づけたうえで、その限界のために経営者主導のコーディネーションに代替されたことが論じられる。第4章では、民主化の結果顕在化したさまざまな利害が財政支出の要求として現れ、それがインフレ再燃の危機をもたらしたとされ、その際に金融界と産業界が1953年に金融引き締めについて合意したことによって循環システムに関する「グランド・デザイン」が形成されたとされる。第5章では、MSA協定をめぐる日米交渉において日本側の新特需への期待が裏切られたことが内需を中心とした循環システムの出発点を与えたこと、およびMSA協定への対応をめぐる紛争が総評の路線転換をもたらして内需中心の循環システムを裏付ける利害調整面の枠組みをもたらしたことが示される。第6章と第7章では、上記の「グランド・デザイン」の枠内における個々の産業に関する利害調整の過程が、海運・造船、鉄鋼、および中小企業について明らかにされる。第8章は、前章までの検討結果を、経済システムの分化に対する社会の「耐性」の強化という論点でまとめている。

 以上から明らかなように、本論文の第一の特徴は、経済史研究の独自の新しい枠組みを設定し、これに基づいて1910年代から1950年代にまでの長期にわたる歴史過程の再構成を行ったことにある。特に「経済システムの分化」傾向に対する反動として戦争と戦時経済の内生的説明を試みた点は注目に値する。 「生産力史観」ないしマルクス主義的発展段階論に代わる経済史研究の時間軸を設定しようとする意欲的な試み、および幅広い文献と著者が発見したさまざまな諸事実を新しい枠組みに基づいて再構成した能力は高い評価に値する。また、第3〜7章は、それぞれ独立した実証研究として見た場合にも、公刊可能ないし若干手を加えれば公刊可能な水準に達している。

 もっとも、残された課題も少なくない。第一に「経済システムの分化」が著者の意図した通り、「生産力」に代わる安定した時間軸となることが十分説得的に示されていない。それは、市場社会の形成といった非常に長い歴史過程の時間軸としては妥当であるとしても、著者が対象としている現代経済史の時間軸としての有効性は自明でなく、本論文によっても論証されているとはいえない。第二に、著者は循環システムと社会経済秩序が変化する動因をコーディネーション活動に求めているが、多様なコーディネーション活動が特定の時期に生じた原因については十分に説明していない。第三に、著者は「循環システム」という概念によって、「再生産構造」等の従来の概念に対して需要の側面を強調している。しかし、本論文では需要の発生メカニズムについては検討されていない。このほか、本論文の論旨とは必ずしも関連が明確でない記述が散見される等の問題も指摘できる。

 以上のような問題点を残しているとはいえ、先に述べた通り、本論文で示された著者の構想力と実証研究の能力は高く評価されるべきであり、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献し得る能力を持っていることは明らかである。したがって、審査委員会は全員一致で石井晋氏に博士(経済学)を授与することを決定した。

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