学位論文要旨



No 115733
著者(漢字) 江藤,陽子
著者(英字)
著者(カナ) エトウ,ヨウコ
標題(和) 運動による心肥大 : ラット自発走運動モデルを用いた検討
標題(洋)
報告番号 115733
報告番号 甲15733
学位授与日 2000.12.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1686号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 要旨を表示する

 持久運動は負荷に対する適応としての心肥大、いわゆるスポーツ心臓を形成する。一方、弁疾患や高血圧などにみられる病的な心肥大はしばしば心機能低下を伴い心不全へ移行しうる。心肥大を抑制する様々な治療法が検討されているが、適応としての代償性心肥大は抑制するべきではなく、病的心肥大と区別すること、また代償性心肥大から非代償性心肥大への移行を予測・阻止することが重要であると考える。私は、運動誘発性心肥大のモデルとしてラットのスポーツ心臓を作成し、病的心肥大モデルとしての上行大動脈縮窄術による圧負荷心肥大と比較し、肥大形成のメカニズムを検討した。過去に報告された動物運動モデルのほとんどは、トレッドミル走や水泳などの短時間の強制的な運動を用いているが、ストレスを伴い神経内分泌学的に非生理的な点がある。そこで私は、住居と運動エリアが一体となった独自の多機能運動ケージを作製し、自発的に運動を行わせ、心肥大を誘導した。

 近年、心肥大形成の過程で重要な役割を果たす情報伝達物質としてカルシウム-カルモデュリン依存性ホスファターゼであるカルシニューリンが報告され、注目されている。当初、カルシニューリンは心肥大から心不全に移行する重要な役割を果たしていると考えられた。しかし現在までに報告されているカルシニューリン活性や、血行動態上の負荷におけるカルシニューリン阻害薬の効果についての結果は様々である。サイクロスポリンAやFK506によるカルシニューリンの活性阻害は心肥大形成を抑制したと報告された一方、無効であったとの研究結果もある。さらにin vivoの血行動態負荷モデルにおいてカルシニューリン活性は不変或いはむしろ低下するとも報告された。しかし、これらの研究はいずれも主に病的な心肥大を対象としたものであり、運動誘発性の心肥大のシグナリングにカルシニューリンが関与しているか否かについては全く報告がない。本研究では1)自発走運動により形成された肥大心の心機能の評価及び形態学的・組織学的な検討を、対照の安静群と比較して行った。また 2)カルシニューリンの運動誘発性心肥大の形成への関与を検討した。さらにこれらについて 3)大動脈縮窄による圧負荷心肥大モデルと比較し、運動誘発性心肥大と病的心肥大の心肥大形成のメカニズムの相違を検討した。一方4) これらのモデルに対し、サイクロスポリンを投与しカルシニューリン活性を阻害することにより心肥大が抑制されるかどうかを観察した。

方法 : 雄のWisterラットを用い、以下の5群に分類した。

1) 運動群:生後7週のラットを特製の運動ケージで飼育し自由に走行させた。

2) 安静群:運動群の対照として生後7週のラットを通常のケージで飼育した。

3) 大動脈縮窄1週群:生後10週で縮窄作成後1週間経過したもの

4) 大動脈縮窄4週群:生後10週で縮窄作成後4週間経過したもの

5) sham群:大動脈縮窄群に対する対照としてsham手術を行った。

 更に、運動群及び大動脈縮窄4週群にサイクロスポリン投与(40mg/kg/2daysの皮下注射)を行った2群をもうけた。

 運動群、安静群は10週後に心臓超音波検査を行った。すべての群において血行動態学的計測を行い、その後心臓を摘出し、下記の項目について検討した。

1) 心臓超音波検査:左室拡張終期、収縮期径、時間速度積分値(≒一回拍出量)

2) 血行動態学的計測:左室拡張終期圧、左室収縮期圧、大動脈縮窄群においては左室―大動脈間圧較差

3) 左室心筋重量/体重比、副腎重量

4) 左室心筋組織のカルシニューリン活性及び蛋白レベル(Western blot)

5) 左室心筋細胞横径の計測

6) 血漿心房ナトリウム利尿ホルモン濃度

結果:ラットの走行距離は平均1日2.4±0.7kmであった。運動群の最終体重は安静群と比較して有意に小であった(運動群:431±17g,安静群:476±12g,p<0.05)。1)左室拡張終期径は運動群で大の傾向にあり(運動群:7.2±0.5mm,安静群:6.6±0.8mm,p=0.06)、一回心拍出量は運動群において有意に大であった(運動群:4.6±0.3cm,安静群:3.7±0.2cm,p<0.05)。

2) 左室心筋/体重量比は運動群において安静群と比較し15.4%(p<0.05)増加した。左室心筋重量と走行距離の間には正の相関を認めた。大動脈縮窄4週群は、sham群と比較し33.1%(p<0.05)増加したが、1週群では差は認めなかった。

3) 左室拡張終期圧は運動により影響されなかった。一方、大動脈縮窄4週群においては有意な上昇を認めたが、1週群では認められなかった。左室−上行大動脈間の圧較差は大動脈縮窄2群において同程度であった。

4) カルシニューリン活性は運動群では安静群と比較し有意に上昇し(46.4±8.3pmol/min/mg vs.18.4±0.5,p<0.001)、また大動脈縮窄1週群においてはsham群と比較し有意に上昇した(44.9±6.7pmol/min/mg vs.22.1±3.7,p<0.001)が、4週群(29.0±3.4pmol/min/mg)では有意差は認めなかった。カルシニューリン蛋白量は活性と同様の傾向を認めたが、統計学的に有意ではなかった。

6) 心筋細胞横径は大動脈縮窄4週群ではsham群と比較し有意に大であった(24.0±2.2μm vs.19.5±2.3,p<0.01)が、1週群(20.9±1.7)では不変であった。運動群では安静群と比較し大の傾向を認めた(20.7±1.4μm vs.17.9±3.2,p=0.07)。いずれの群においても明らかな心筋の線維化は認めなかった。

7) 血漿心房ナトリウム利尿ホルモン濃度は運動群と安静群では差を認めなかった(0.73±0.28vs.0.59±0.26)。大動脈縮窄1週群ではやや上昇したが有意ではなく(1.12±0.29,p=0.11)、4週群では有意に上昇した(1.48±0.30,p<0.05)。

8) サイクロスポリン+運動群では運動のみの群と比較し心筋/体重比は小であり(-20%,p<0.01)、安静群と同程度であった。一方、サイクロスポリン+大動脈縮窄群の心筋重量は大動脈縮窄群と比較し小の傾向にあり(-11%,p=0.06)、sham群と比較すると有意差は認めないものの(p=0.16)平均値は大であった(+10%)。

考察

1) 心臓の形態・機能に対する運動療法の影響:強制運動療法との比較

 今回私の行った自発走運動療法によってもたらされた心肥大の程度や形態学的な変化は過去に報告された強制的な運動療法による変化と一致する。さらにそれらの研究では心筋細胞レベルでの収縮能の増大や、拡張終期容積、一回駆出量及び心拍出量の増加を示し、心機能が強化されたことを示唆する。我々の自発走運動ラットでは心エコーにて一回心拍出量の増加も認め、形態学的のみならず機能的にも従来の運動療法と同様の効果を得られたと考えられる。過去の報告によると強制運動トレーニングを行ったラットの副腎の重量、副腎腺内のカテコールアミン含有量及び副腎髄質体積の増加が認められている。本研究での自発走運動ラットでは副腎重量/体重比は安静群と比較し有意な増加は認めず、従来の強制的運動療法に比ベストレスは軽度であると思われた。

2) 心肥大におけるカルシニューリンの役割

 本研究で、自発走運動により肥大の形成されたラット心筋においてカルシニューリン活性の上昇を認めた。またサイクロスポリン投与は運動による心肥大を完全に抑制したが、圧負荷心肥大は完全には抑制しなかった。心肥大形成の過程におけるカルシニューリンの役割については意見は一致していない。当初カルシニューリンは病的な心肥大刺激に反応する物質であると考えられていたが、最近の圧負荷心肥大モデルでカルシニューリンを阻害した数多くの研究の結果はさまざまである。臨床の場においても移植後サイクロスポリンを投与されている患者でむしろ心肥大が形成される例もある。運動誘発性心肥大についてカルシニューリンの関与を発表したのは今回の我々の研究が初めてであり、心肥大形成の起源に関する新たな見解をもたらす可能性がある。

3) 心肥大形成の過程とカルシニューリン活性の変化

 私はさらに圧負荷の期間によってがカルシニューリン活性が変化することを発見した。心肥大が運動群と大動脈縮窄4週群で形成された一方で、カルシニューリン活性は運動群と大動脈縮窄1週群において上昇したが4週群においては変化はみられなかった。カルシニューリン活性と心肥大の重症度に関して一見矛盾する結果は過去にも報告されている。これらの結果を説明する一つの仮説として我々は次のように考える。つまり、カルシニューリンは、負荷に対する適応としての肥大の初期の段階で重要な物質であり、非代償期つまり心不全に移行してしまった段階ではむしろ活性は低下するのではないかと思われる。

まとめ: ラットを特製の自走かご付回転ケージで飼育することによって、心機能の保たれたいわゆる“スポーツ心臓”に相当する遠心性の心肥大が形成された。この心肥大モデルにおいてカルシニューリン活性が上昇しており、またサイクロスポリン投与でその心肥大が完全に抑制されたことから、運動誘発性心肥大の情報伝達にカルシニューリンが重要であることを示した。一方、上行大動脈縮窄による左室圧負荷心肥大ラットでは、初期(1週)に上昇したカルシニューリン活性が、心機能低下の現れる術後4週ではむしろ低下しており、サイクロスポリンによる心肥大抑制効果も不完全なものであった。以上から、カルシニューリンは適応としての心肥大を形成する過程で重要な物質であり、心肥大から心不全への移行における役割はむしろ補助的なものに過ぎないと考える。心肥大を抑制する治療薬の候補として、カルシニューリン阻害薬を位置付ける研究も見受けられるが、適応としての心肥大を抑制し、心不全への移行を阻止できないとするとむしろ有害なものであると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、心肥大モデルの違いによる心肥大の形態学的特徴、及び心肥大形成における情報伝達物質カルシニューリンの役割について、ラット自発走運動モデルと上行大動脈縮窄モデルを用いて検討したものであり、下記の結果を得た。

1. 江藤の開発した自発走運動モデルは従来の強制的な運動モデルに匹敵する運動量を課すことができ、かつ強制運動で問題となるストレスによる影響もなく、より生理的な動物運動モデルであることが示された。また、大動脈縮窄による圧負荷モデルのような左室拡張終期圧の上昇やナトリウム利尿ペプチドの増加は認めず、心機能の保たれた代償性の心肥大であることが示された。

2. 自発走運動モデル及び上行大動脈縮窄モデルのいずれも心肥大を形成したが、心筋細胞横径が有意に増大したのは大動脈縮窄群のみであり、自発走運動モデルでは心筋細胞が縦方向に肥大することが示唆された。また心エコーにおいても運動モデルでは左室内腔の拡大が認められ、いわゆるスポーツ心臓に相当する形態を呈した。

3. カルシニューリンの脱リン酸化酵素活性は運動誘発性の心肥大において有意之上昇した。一方、上行大動脈縮窄による心肥大においては、代償期と考えられる初期の段階でカルシニューリン脱リン酸化酵素活性が上昇したが、非代償期と考えられる時点ではむしろ低下し、カルシニューリンは適応としての代償性心肥大を形成する過程で重要な役割を果たすことが示唆された。

4. 運動モデルにカルシニューリン阻害薬であるサイクロスポリンを投与すると、心肥大を完全に抑制した。一方、大動脈縮窄圧負荷モデルにサイクロスポリンを投与したところ、心肥大は軽減されたが完全には阻止されなかった。これらの結果は、カルシニューリンが適応としての心肥大を形成する上で重要な物質であるという上記3の結論を裏付ける。

 以上、本研究において、心肥大形成から心不全へ移行する過程で重要とされるカルシニューリンは、病的な圧負荷心肥大よりも、運動誘発性の心肥大形成に重要な役割を果たすことが示された。本研究は心肥大形成における情報伝達物質の新たな役割を見出し、心肥大・心不全の治療法の開発に大きな貢献をなすことから、学位授与に値するものと考えられる。

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