学位論文要旨



No 115735
著者(漢字) 田村,早苗
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,サナエ
標題(和) 森林組合作業班における新規就業者の定着に関する研究 : 賃金形態の視点から
標題(洋)
報告番号 115735
報告番号 甲15735
学位授与日 2000.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2201号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 大橋,邦夫
 東京大学 助教授 酒井,秀夫
 東京大学 助教授 井上,真
内容要旨 要旨を表示する

 林業労働力の減少・高齢化が深刻化する中、1990年代に入り森林組合を中心とする雇用労働において若年労働者の新規就業が見られるようになった。新規就業者は町内・周辺市町村の転職者だけでなく新卒者や、都市部からのUターンIターンも少なくなかった。この動向は、それまでの不安定な雇用、低賃金、低位な労働条件を払拭し、職場としての魅力を整備する取組みの成果と評価され、林業労働の組織化が「戦後型林業労働力」依存から新たな段階を迎えたとして、大きな関心を集めた。

 しかし、年月の経過とともに問題が生じてきており、その最たるは労働条件を整備したことによって生じたコストアップを生産性向上という自助努力で吸収できずに経営上問題を引き起こしている点である。

 このように問題を認識すると、新規就業者の現状を収益性の枠組みにおいて検証する作業が必要であると考えられる。しかし、実証的研究に基づいた成果は非常に少なく、特に育林事業に関しては皆無に等しい。

 ところで、森林組合が新規就業者をどのように組織化しているかは、賃金形態に基本的姿勢が表れている。これまで採られてきた賃金形態は出来高制であり、生産量に対応して賃金を支払う形態である。作業管理を労働者に委譲する、いわば自己管理型の労働形態で、森林組合は作業班を形態的に包摂していただけであった。そのため出来高制は雇用関係の不安定さと密接な関係をもっていると言われてきた。これに対してそのような弊害を払拭して新規就業者を確保しようと導入されたのが月給制である。これは森林組合が労務管理・作業管理を実行し、作業班を実質的に包摂する組合管理型といえる。つまり、月給制を導入してはじめて森林組合は作業能率、生産性など収益性における基本的な課題に対峙することとなったのである。そして現在、この点に関して問題が生じている。

 そこで本論文は、新規就業者を雇用するために導入された月給制の効果と問題点を経営=森林組合と、労働=新規就業者の両面から分析し、現段階において月給制を総括するとともに今後の改善点を明らかにすることを課題とした。月給制の特質を把握するにあたっては、出来高制との比較分析を行った。

 まず、森林組合作業班における新規就業者の動向を把握するために全国調査を実施した(第1章)。これにより概要を把握した上で、新規就業者の雇用に積極的な森林組合を選定し、詳細な調査を実施した。経営の側面からは人事管理・生産管理・賃金管理の現状(第2章)および労働生産性・労働コスト(第3章)の実態を分析した。新規就業者の側面からはどのような点に働くことのインセンティブを持つのか、参入時と現在およびその変化について分析した(第4章)。

 以上の分析から、現在の月給制は若年者の採用において大きな効果はあったが、出来高制に比べて労働生産性が低いこと、参入時に比べ賃金に関して魅力を感じる人が減少していることがわかった。森林組合、新規就業者の双方に問題を生じており、早急に改善する必要がある。

 新規就業者の増加傾向は1990年代に入って顕著に見られるようになった。92年以降の5年間に新規就業者を雇用した森林組合は作業班を持つ全森林組合の半数に及び、全国に広がっている。その数は作業班全体では1割に過ぎないが、30歳未満層で7割、30歳代で3割以上を占めており、若年層において新規就業者は中心的存在となっている。若年層の賃金形態は半数近くが月給制であり、月給制が若年層の採用にもたらした効果は大きいと言える。

 森林組合の認識としては、月給制を導入すると人事、生産(事業活動)、経理・会計面において計画的・主体的に管理しやすい点を評価している。しかし、同時に月給制はモチベーション、能力評価、事業量の安定・確保に問題があって、労働生産性の低下とコストアップを引き起こすと、危惧する見解が多いこともわかった(第1章)。

 それでは、労働生産性・労働コストはどのくらいなのだろうか。育林作業の労働生産性(ha/人日)を分析した結果、月給制の労働生産性は出来高制に比べ低く、その差は新植、補植、地拵え、保育を含めた育林作業全体で約1.5倍という大きなものであった。作業種別にみると下刈では少なくとも1.5倍、除伐と間伐では2倍の差があった。また、出来高制に比べて月給制では組合間の格差が大きい。作業管理を作業班員に委譲している出来高制に対し、月給制では組合が作業管理を行っていることから、労働生産性向上における管理能力の重要性が認識された(第3章第1節)。

 労働コスト(人件費/ha)は労働生産性と賃金の関係によって決まるため、必ずしも月給制が高いわけではない。本調査では出来高制と同レベルに労働コストを抑えている月給制の事例や逆に賃金が高いために労働コストが上昇している出来高制の事例を検証した。労働コストの分析から、出来高制においては賃金水準、つまり単価の設定が問題となること、月給制においては労働生産性の格差が労働コストに及ぼす影響の大きさを再確認した(第3章第2節)。

 一方、月給制は新規就業者にも問題を引き起こしている。新規就業者は参入時に比べて収入の安定性や昇給昇格など賃金に関して魅力を感じる人が減少している(第4章)。

 それでは、賃金はどのような仕組みで決められているのか。現在の月給制は年齢、勤続年数の2つの属人的要素で賃金が決まり、昇給も一律に行われることが多く、いわゆる年功型賃金である。年功型賃金の弊害を克服するために能力主義を組み込もうとする事例も見られたが、制度的に整備されておらず、結果的に賃金の仕組みが不透明になっている(第2章第3節)。新規就業者が賃金に関する魅力を低下させた要因の1つは、現在の月給制が労働意欲や技能向上の努力、能力の違いを賃金に生かす仕組みを持たないことにあると考えられるのである。

 このように見てくると、雇用の安定化を志向して導入された月給制は、生産性の向上とインセンティブの向上を基本とする経営合理性の枠組みの中で改善する必要があると言えよう。改善点は労働生産性の向上と能力主義を組み込んだ賃金制度の構築である。そこで、この2点に関する改善の可能性について本研究で得られた成果を整理した。改善の可能性は出来高制との比較において優位な点に見出した。

 第1に作業班の編成原理である。人間関係中心の出来高制に対し、月給制は技能中心で班を編成し、定期的な編成換えと日常的にはフレキシブルな人員配置が可能となっている。これにより、優秀な作業班員の技能の共有化、班の能力の平均化が可能となる。実際、同程度の経験年数を有する作業班の中で労働生産性を比較したところ、出来高制では班の格差が顕著に見られたのに対し、月給制では認められなかった。労働生産性向上には作業組織の柔軟性が必要であるが、この点では月給制が有利と言える(第3章第1節)。

 第2に技能向上や作業方法に関する新規就業者の意識の変化である。新規就業者の意識は参入時における自然への憧れや林業の意義など抽象的な価値観から、現在は技能向上や作業方法の創意工夫など作業重視に変化してきている(第4章)。これらに強い魅力を感じる人が出来高制より月給制で増加しているという結果は、経営側から言えば森林組合主導による人事管理・生産管理の有効性を示していると考えられ、新規就業者の側から言えば彼らの意識が能力主義を志向する方向に変化していると考えられる。これから鑑みると、能力主義を組み込んだ賃金制度導入に対する合意は新規就業者の側には形成されつつあると言えるだろう。現状は能力評価に消極的で年功型賃金制度に甘んじる森林組合の認識に問題があると言わざるを得ない。

 第3に労務管理の問題である。管理のあり方は新規就業者の意識だけでなく、労働生産性に影響することが実証された。定期的な人事異動、作業計画と実行の照合およびその対応を積極的に行っている森林組合の労働生産性が相対的に高い数値を示したことから、生産管理技術を中心とする管理能力の重要性が示唆された(第2章第2節、第3章第1節)。

 当然、管理能力の強化にはコストを要する。本研究で、月給制と出来高制の労働生産性の相違を数値で示したことで投入すべき管理コストの幅が明らかとなり、新規就業者対策における管理能力強化の実施に道筋を示すことができた。

 以上挙げた月給制の問題点を改善できれば、今後、新規就業者は作業班の中心的存在として定着するだろう。一方で、森林組合による管理体制を嫌う新規就業者が自己管理型の労働を選択することも十分に考えられる。その際、森林組合は自己管理型の労働力をも内部で組織化するのか、あるいは雇用関係は持たず外部で下請関係におくかどうか。どちらを採るにしても、森林組合が多様な労働力を組織化するためには月給制を定着させることにより、作業能率・生産性向上のための管理技術を修得、蓄積しなければならないだろう。

審査要旨 要旨を表示する

 林業労働力の減少・高齢化が深刻化する中、1990年代に入り森林組合を中心とする雇用労働において若年労働者の新規就業が見られるようになった。新規就業者の定着は今後の林業労働力のあり方を左右する重要な問題である。森林組合が新規就業者をどのように組織化しているかは、賃金形態に基本的姿勢が表れている。出来高制では、森林組合は労務管理を労働者(班長)に委譲し、月給制では森林組合が自ら実行する。本論文はこの点に着目し、賃金形態別に新規就業者の現状と問題点を雇用と労働の両面から分析し、定着を実現するために解決すべき課題を明らかにしたものである。

 まず、森林組合作業班における新規就業者の動向を把握するために全国調査を実施した。これにより賃金形態、貸金水準、社会保険等雇用の実態と月給制が若年層の採用にもたらした効果を明らかにした。しかし雇用側には、月給制はモチベーション、能力評価、事業量の安定・確保に問題があり、労働生産性の停滞とコストアップを引き起こすと、危惧する見解が多いこともわかった(第1章)。

 そこで第2章以降で事例調査により、賃金形態別に労務管理の実態と労働生産性・労働コストを把握した。育林作業の労働生産性の分析では実証データを用いて月給制の低位性を初めて明らかにした。また、回帰分析により月給制においては経験年数による生産桂の向上がみられないことが明らかになり、労務管理に欠点のあることを指摘した。労働コストの分析では、出来高制においては賃金水準の格差が、また月給制においては労働生産性の格差が労働コストに及ぼす影響の大きいことを明らかにした。前者に関して出来高単価の決定方法の検討が今後の課題となる(第3章)。

 一方、月給制は労働側にも問題を引き起こしている。新規就業者に対する意識調査によると、参入時に比べて収入の安定性や昇給昇格など賃金に関して魅力を感じる人か減少している(第4章)。賃金制度と賃金構造(個人別昇給の実態)の把握から、その要因は現在の月給制が労働意欲や技能向上の努力、能力の違いを賃金に生かす仕組みを持たないことにあると考えられた(第2章)。

 以上から、雇用の安定化を志向して導入された月給制は、生産性の向上と労働に対するインセンティブの提供を基本とする経営合理性の枠組みの中で改善する必要があると言える。

 そこで、終章でこの2点の実行可能性について本研究で得られた成果を整理した。第1に作業班の編成原理である。人間関係中心の出来高制に対し、月給制は技能中心で班を編成し、定期的な編成換えと日常的にはフレキシブルな人員配置が可能となっている。労働生産性向上には作業組織の柔軟性が必要であるが、この点では月給制が有利と言える(第2章第2節)。第2に林業労働に対する意識の変化である。月給制の新規就業者の意識は自然への憧れや林業の意義など抽象的な価値観から技能向上・作業方法の創意工夫など作業自体重視に変化してきている(第4章第2筋)。この結果は、経営側から言えば森林組合主導による人事管理・生産管理の有効性を示し、新規就業者の側から言えば彼らの意識が能力主義を志向する方向に変化していると考えられる。現状は能力評価に消極的な森林組合の労務管理に問題があると言える。

 以上の検討により、改善を実行するには労務管理能力の高度化が必要であることが明らかとなった。当然、労務管理能力の高度化にはコストを要する。本研究で、月給制と出来高制の労働生産性の相違を数値で示したことで投入しうる管理コストの値が明らかとなった。一方で、森林組合による管理体制を嫌う新規就業者が自己管理型の労働を選択することも予想される。その際、森林組合は自己管理型の労働力をも内部で組織化するのかあるいは下請関係におくかどうか、どちらを採るにしても、作業能率・生産性向上のための管理技術の修得、蓄積により月給制を定着させることが、今後森林組合が多様な労働力を組織化するために必要となる。

 以上要するに本論文は、新規就業者のパフォーマンスに関する賃金形態別の実証的分析から、採用における月給制の効果と、労働生産性と労働に対する意識変化を中心とする問題点を明らかにし、さらにこれら問題点の改善可能性の検討により今後の林業労働力の雇用の方向に関する知見を提示したものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

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