学位論文要旨



No 115737
著者(漢字) 金,昌勲
著者(英字)
著者(カナ) キム,チャンフン
標題(和) 哺乳類胚の卵管輸送の分子機構に関する研究
標題(洋) Studies on the Molecular Mechanisms Underlying the Oviductal Transport of Mammalian Embryos
報告番号 115737
報告番号 甲15737
学位授与日 2001.01.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2203号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

 卵胞から卵管内に排卵された卵は、卵管膨大部で精子と会合・受精した後、卵割を繰り返しながら子宮へと輸送される。卵管内における卵や胚の輸送時間は、動物種によってそれぞれ異なるが、種内では、極めて精巧な機構によって決定されている。このような卵管内における卵や胚の輸送には、卵管全体の運動に関わる筋収縮、交感神経支配、卵管内の卵管分泌液さらには卵管上皮の繊毛運動などが複雑に関与していると考えられている。さらに、これらの要因は,視床下部ー下垂体ー性腺系から分泌される種々なホルモンの支配を受けている。このように、これまで胚の輸送に関する物理学的、生化学的ならびに生理学的研究は数多く報告されているが、胚と卵管との認識機構に関する分子レベルでの仕組みについてはほとんど研究されていない。一方、胚の透明帯は、卵子形成や受精において重要な役割を果たしており、主要な成分である3種類の糖タンパク質(ZP1,ZP2,ZP3)によって構成されている。各種動物の受精時における精子の透明帯への接着ならびに侵入の種特異性が、ZP遺伝子の構造ならびにそれらのアミノ酸配列との関連から精力的に研究されている。さらに、透明帯表層には各種糖質の存在が確認されており、同じく、受精の種特異性と関連させて研究が進められている。このように、透明帯表層に存在する各種分子と受精、とくに卵子と精子との相互関係については、多くの研究が行われている。一方、胚の卵管輸送における透明帯表層分子の役割については、全く明らかにされていない。

 以上のような背景から、本研究は、卵管内における胚の輸送がどのような分子機構によって支配されいるかを調べるために行なったものである。

 第一章では、体外受精で作製したウシ胚ならびにマウス胚を偽妊娠マウスの卵管に移植し、90時間後に、卵管および子宮を灌流することにより胚を回収する実験を行った。その結果、移植したウシ胚の45.5±32.7%(n=12)が卵管より回収され、3.3±7.8%(n=12)が子宮より回収された。これに対し、マウス胚は卵管からは全く回収されなかった。ウシ胚の外径はマウス胚の約1.5倍であることから、ウシ胚の子宮への輸送が卵管-子宮移行部で妨げられている可能性が考えられたので、胚回収直前の卵管を顕鏡した結果、ウシ胚の多くは卵管膨大部に滞留していることが認められた。また、異種胚の卵管内滞留が移植時の卵管への機械的ストレスに起因している可能性も考えられることから、ウシ胚とマウス胚を交互に移植用ピペットに取り移植した結果、ウシ胚でのみ顕著な卵管内滞留が認められた。これらの結果から、マウス卵管が胚を何らかの機構で認識し子宮へ輸送していることが判明した。なお、本実験の過程で、ウシ体外受精(IVF)胚を体外で培養した場合に比べ、マウス卵管に移植した場合に高率に桑実胚あるいは胚盤胞へ発生することが確認され、マウス卵管を利用した培養法がウシIVF胚の発生率向上に有効であることが示された。

 胚の透明帯表層を構成している主要な成分であるZP分子(糖タンパク質)と胚の卵管輸送との関係については全く明らかにされていない。第二章では、マウス透明帯表層に存在する各種ZPに対する抗体を用いて、マウス胚の卵管輸送におけるZP分子の重要性について検討した。本実験では、K.Hinsch博士(ドイツ)から譲り受けたZP2-20、ZP3-5、ZP3-6およびZP3-9の一部ペプチド領域を抗原として作製された抗血清(ウサギ血清)を用いた。各種抗血清をマウス2細胞期胚に作用させた(37℃、5%CO2、95%空気、30分間)後、マウス卵管に移植し、90時間後に灌流により回収した結果、抗ZP2-20ならびに抗ZP3-9血清を作用させた胚で子宮への輸送が有意に阻害された。抗ZP2-20血清は、異なった動物の透明帯に共通なペプチド配列を抗原として、また、抗ZP3-9はマウス透明帯に特異的なペプチド配列を抗原としてそれぞれ作製されたものである。本実験の結果は、これらのZP,ペプチド領域がマウス卵管の胚に対する種特異性を認識する上で極めて重要であることを示している。

 透明帯表層を構成しているZPは、糖鎖を有する糖タンパク質であり、また、透明帯には、各種糖質の存在が確認され、受精時の精子と卵子との相互関係における糖質の重要性が検討されてきている。第三章では、糖質、タンパク質、脂質に対する各種分解酵素を透明帯に作用させた場合に、胚の卵管輸送にどのような影響を及ぼすかを検討した。なお。本実験では、ウシ胚と同様にブタ成熟卵子でもマウス卵管内での顕著な滞留が認められたので、入手が容易なブタ卵子を異種胚として用いた。分解酵素は、タンパク分解酵素として、trypsinおよびpronase、糖質分解酵素としてβ-galactosidase、β-glucosidase(G3)、β-glucuronidaseおよびneuraminidase、脂質分解酵素としてphospholipase C、phospholipase Dおよびphospholipase A2を用いた。なお、これらの酵素を作用させる濃度や条件は、これまでの報告ならびに予備実験で得られた結果を参考に決定した。ブタ卵ならびにマウス胚に各種酵素を作用させた(37℃,5%CO2,95%空気、30分間)後、それらを偽妊娠マウスの卵管に移植し、90時間後に回収する実験を行った。その結果、ブタ卵では、neuraminidase処理で有意な滞留が、マウス胚では、trypsinならびにG3処理胚で有意な滞留が認められた。とくに、G3処理胚で極めて顕著な滞留が認められたので、その特異性について検討するため、G3のインヒビターであるdeoxynojirimycin, N-methylcalysteginesをG3と同時に添加してマウス胚に作用させた結果、移植胚の滞留はほとんど認められなかった。また、G3処理により透明帯の構造的な破壊が生じ、そのため胚の輸送が阻害されている可能性も考えられたので、G3処理胚を電顕により観察した結果、無処理胚と差異は認められなかった。これらの結果から、ZP分子内糖鎖を含め透明帯表層に存在する糖質が卵管の胚に対する種特異的認識に重要であることが示された。

 以上、本研究で得られた結果は、卵管が胚の透明帯表層に存在する種特異的ZP分子を認識することにより卵管内輸送を制御していることを示すものである。また、ZP分子内糖鎖を含め透明帯表層に存在する糖質も卵管の胚に対する種特異的認識に重要であることが判明した。さらに、本研究における異種胚移植による実験系は、哺乳類卵および胚の卵管内輸送における細胞ならびに分子機構を解明する上で極めて有用な手段であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 卵胞から卵管内に排卵された卵は、卵管膨大部で精子と会合・受精した後、卵割を繰り返しながら子宮へと輸送される。卵管内における卵や胚の輸送時間は、動物種によってそれぞれ異なるが、種内では、極めて精巧な機構によって決定されている。このような卵管内における卵や胚の輸送には、卵管全体の運動に関わる筋収縮、交感神経支配、卵管内の卵管分泌液さらには卵管上皮の繊毛運動などが複雑に関与していると考えられている。さらに、これらの要因は、視床下部−下垂体−性腺系から分泌される種々なホルモンの支配を受けている。このように、これまで胚の輸送に関する物理学的、生化学的ならびに生理学的研究は数多く報告されているが、胚と卵管との認識機構に関する分子レベルでの仕組みについてはほとんど研究されていない。

 以上のような背景から、本研究は、卵管内における胚の輸送がどのような分子機構によって支配されているかを調べるために行なったものである。

 第一章では、体外受精で作製したウシ胚ならびにマウス胚を偽妊娠マウスの卵管に移植し、一定時間後に、卵管および子宮を灌流することにより胚を回収する実験を行った。その結果、移植したウシ胚の45.5±32.7% (n=12)が卵管より回収され、3.3±7.8% (n=12)が子宮より回収された。ウシ胚の多くは卵管膨大部に滞留していることが認められた。これに対し、マウス胚は卵管からは全く回収されなかった。また、異種胚の卵管内滞留が移植時の卵管への機械的ストレスに起因している可能性も考えられることから、ウシ胚とマウス胚を交互に移植用ピペットに取り移植した結果、ウシ胚でのみ顕著な卵管内滞留が認められた。これらの結果から、マウス卵管が胚を何らかの機構で認識し子宮へ輸送していることが判明した。

 胚の透明帯表層を構成している主要な成分であるZP分子(糖タンパク質)と胚の卵管輸送との関係については全く明らかにされていない。第二章では、マウス透明帯表層に存在するZP2-20、ZP3-5、ZP3-6およびZP3-9の一部ペプチド領域を抗原として作製された抗体を用いて、マウス胚の卵管輸送におけるZP分子の重要性について検討した。各種抗体をマウス2細胞期胚に作用させた(37℃、5%CO2、95%空気、30分間)後、マウス卵管に移植し、一定時間後に灌流により回収した結果、抗ZP2-20ならびに抗ZP3-9抗体を作用させた胚で子宮への輸送が有意に阻害された。抗ZP2-20抗体は、異なった動物の透明帯に共通なペプチド配列を抗原として、また、抗ZP3-9はマウス透明帯に特異的なペプチド配列を抗原としてそれぞれ作製されたものである。本実験の結果は、これらのZPペプチド領域がマウス卵管の胚に対する種特異性を認識する上で極めて重要であることを示している。

 第三章では、糖質、タンパク質、脂質に対する各種分解酵素を透明帯に作用させた場合に、胚の卵管輸送にどのような影響を及ぼすかを検討した。なお。本実験では、ウシ胚と同様にブタ成熟卵子でもマウス卵管内での顕著な滞留が認められたので、入手が容易なブタ卵子を異種胚として用いた。分解酵素としては、タンパク分解酵素、糖質分解酵素、脂質分解酵素を用いた。各種酵素をブタ卵ならびにマウス胚に作用させた後、それらを偽妊娠マウスの卵管に移植し、一定時間後に回収する実験を行った。その結果、ブタ卵では、neuraminidase処理で有意な輸送が、マウス胚では、trypsinならびにβ-glucosidase(βG)処理胚で有意な滞留が認められた。とくに、βG処理胚で極めて顕著な滞留が認められたので、その特異性について検討するため、βGのインヒビターをβGと同時に添加してマウス胚に作用させた結果、移植胚の滞留はほとんど認められなかった。また、βG処理により透明帯の構造的な破壊が生じ、そのため胚の輸送が阻害されている可能性も考えられたので、βG処理胚を電顕により観察した結果、無処理胚と差異は認められなかった。これらの結果から、ZP分子内糖鎖を含め透明帯表層に存在する糖質が卵管の胚に対する種特異的認識に重要であることが示された。

 以上、本研究で得られた結果は、卵管が胚の透明帯表層に存在する種特異的ZP分子を認識することにより卵管内輸送を制御していることを初めて示したものである。また、本研究における異種胚移植による実験系は、哺乳類卵および胚の卵管内輸送における細胞ならびに分子機構を解明する上で極めて有用な手段であることを示し、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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