学位論文要旨



No 115740
著者(漢字) 酒井,恵子
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ケイコ
標題(和) 価値志向性の構造に関する心理測定論的検討
標題(洋)
報告番号 115740
報告番号 甲15740
学位授与日 2001.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第72号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 教授 中田,基昭
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 助教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 下山,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

 本論においては、E.Sprangerが“Lebensfomen”(1950)において展開している価値論に立脚し、理論・経済・審美・宗教・社会・権力という6つの価値への志向をそれぞれ測定する「価値志向性尺度」を構成し、Sprangerの6価値モデルに心理測定論的な表現を与えると同時に、因子分析モデルおよび項目反応理論を援用しつつ、尺度の数理的構造を明らかにすることを通じて、価値志向性という構成概念の構造を明らかにし、価値志向的な心理の多様性を、6価値モデルによって系統的に記述することを試みた。

 Sprangerは6価値を志向する心の働きを「精神作用」と呼ぶ。理論的精神作用とは、対象の普遍的同一性を見出すこと、経済的精神作用とは、自己の欲求に基づき対象との間に心理生理的な力関係を体験すること、審美的精神作用とは、対象から受ける印象が同時に自己の心の表現でもあるような境地を目指すこと、宗教的精神作用とは、個々の価値体験を自己の生の全体価値に結びつけること、社会的精神作用とは、他者の生命を愛し他者に献身し共感を注ぐこと、権力的精神作用とは、他者に力を及ぼし優越し支配すること、と表現される。

 Sprangerの価値論を詳細に検討すると、意外にも、因子分析モデルや項目反応理論のような心理測定モデルとの間に、多くの類似点を見出すことができる。例えば、Sprangerが上記の6精神作用を見出したプロセスは、因子分析における因子の抽出に通じるものがある。また、Sprangerは6価値各々について、素朴な形態から究極的な形態に至る一次元的発展を考えているが、このことは、項目反応理論において、特性値の低い人から高い人へ、あるいは、項目困難度の低い項目から高い項目へという、一次元的な序列が存在することに対応すると考えられる。さらにSprangerは、6価値のうちのいずれかが支配的であるような、6つの価値類型(「理論的人間」等)を構築しているが、これらの類型は、6つの価値志向性のいずれかが極端に高いプロフィールとして表現されると考えられる。

 Sprangerの価値論を心理測定に応用した例としては、Allportら(1960)の作成した“Study of Values”というパーソナリティ尺度が知られている。しかしこの尺度は、因子分析を行うと3〜4因子程度に集約されてしまい、Sprangerの理論通りの6因子構造が得られないことが指摘されており、また、文化的にやや高度な内容を含み、ごく一般的な人々における価値の測定には必ずしも適さないとの批判もある。

 Sprangerの6価値を測定する上で生じる第1の問題は、現実の人間の心においては、6価値が常に交錯し合い渾然一体となって働いていると考えられるために、それらの価値を概念上明確に区別して捉えることが困難だということである。“Study of Values”が独立した6因子構造をなさないということも、この点に由来するのではないかと考えられる。そこで本論においては、因子分析を数度にわたり反復し、項目の選定および修正を重ね、きれいな直交6因子構造をなす尺度項目群からなる「価値志向性6因子尺度」を構成する作業を通じて、6つの価値概念を区別し明確化していくという方法をとることとした。

 また、Sprangerの6価値を測定する上での第2の問題は、各価値における未発展で未分化な形態について明確なイメージを形成することが困難であるために、困難度の低い項目が想定しにくいということである。“Study of Values”の内容が文化的に高度であり、ごく一般的な人々の測定に適さないとされていることも、この点に由来するのではないかと考えられる。そこで本論においては、項目反応理論の適用により、各価値について、困難度の低い項目から高い項目に至る一次元的な序列がきれいに成り立っている項目群からなる「価値志向性ガットマン尺度」を構成する作業を通じて、各価値における一次元的発展の様相を明らかにしていくという方法をとることとした。

 本論では、最初に、因子分析モデルを援用しつつ、6つの価値尺度が全体として直交6因子構造をなし、6価値を独立に測定し得るような、「価値志向性6因子尺度」を構成すると共に、その作業を通じて、各価値の持つ独自の意義について明らかにすることに取り組んだ。

 本論の2章においては、まず、Sprangerの叙述および面接調査を参考にして、6価値を測る上で適切と思われる項目群を作成した。これらの項目について因子分析を行い、因子負荷量を参考に、項目の選定および修正を行い、尺度項目群の収束的妥当性ならびに弁別的妥当性を高めていった。その中で、各価値内における意味のまとまりが次第に明確になり、価値相互の意味的な重複が解消されていき、最終的に、6つの価値尺度全体として直交6因子構造をなすような、「価値志向性6因子尺度」を構成することができた。

 続く3章では、「価値志向性6因子尺度」を現象記述のための基準として活用することにより、価値概念における個人差について明らかにした。すなわち、心理学を専攻する大学生5名に、6価値を測る尺度項目を作成するよう求め、これらの項目と、「価値志向性6因子尺度」との相関関係を検討することにより、5名の間に見られる価値概念の相違について明らかにした。また、項目作成者5名の価値態度を「価値志向性6因子尺度」によって測定し、価値概念の形成過程において、概念形成者自身の価値態度が関与している可能性をも示唆しつつ、多様な価値概念が形成される背景について考察した。

 このように、6価値を独立のものとして捉え、明確に構造化された6価値モデルとすることにより、今後さらに多様な現象を記述していく上での、基準となる枠組みが構築されたといえよう。

 次に本論では、項目反応理論を援用しつつ、尺度項目が困難度の高低によって一次元的に序列づけられ、幅広い被験者層において高い弁別力を発揮するような、「価値志向性ガットマン尺度」を構成すると共に、その作業を通じて、各価値における一次元的発展の様相を明らかにすることに取り組んだ。

 本論の4章では、「価値志向性6因子尺度」に項目反応理論を適用し、項目特性曲線どうしの並行関係を基準として、尺度項目に対する反応のしやすさの順序が全ての被験者層において等しい、すなわち“強い一次元性”の成り立っている3項目ずつを抽出し、「価値志向性ガットマン尺度」を構成した。さらに、被験者を特性値の高さによって4群に分け、各被験者群の、各項目に対する反応を、被験者の自由記述に基づいて比較検討した結果、被験者の特性値が高まるにつれて、当該価値がより積極的に、より徹底して、より深く追求され、各価値に特有の規範へと向かって、人間的な“高まり”ないし“深まり”が一貫して進行していくことが示唆された。このような一貫した方向性を持った“高まり”や“深まり”は、まさに価値の発展と呼ぶにふさわしいといえよう。

 続く5章では、「価値志向性ガットマン尺度」を素材に用いて、同じ価値を測る3項目を困難度の高低によって序列づけるという課題(「項目困難度判断課題」)を作成・実施し、項目間の一次元的序列が、一般の人々にどの程度了解されるかを検討した。その結果、課題に対する正答率は必ずしも高いとはいえず、また、項目内容を実現・実行する上での難しさではなく、項目文の意味内容が抽象的で難しいものが“困難度が高い”と判断するという、一種の誤概念の存在も示唆され、項目を正しく序列づけることは必ずしも容易ではないことが明らかになった。本課題に正答できるためには、各価値を志向する心の状態について、正しく把握することが必要であると考えられる。

 このように、6価値の一次元的発展の全容を思い描くことは必ずしも容易ではないが、各価値尺度の一次元的構造を明らかにすることは、各価値において一貫して目指されている規範を明らかにすることにつながり、各価値が如何なる意味において“有意義”であり“有価値”であるのか、すなわち、価値の価値たる所以を了解する上で、助けになると考えられる。

 Sprangerの6価値モデルの持つ大きな特長は、わずか6つの価値を縦横に展開することにより、幅広い現象を記述し得ていることであり、また、そのように応用可能性の高い6価値を見出したことが、Sprangerの価値論の貢献であるといえる。本論においては、尺度構成のプロセスを通じて、6価値の観点から現象の多様性を記述すると同時に、価値志向性という構成概念の構造を明確化して、6価値モデルに具体的な内容を盛り込み、6価値モデルと現実とを緊密に対応づけることを目指してきた。

 今後に残された課題は、6価値モデルによって捉えきれていないものを明らかにしていくことである。例えば、6価値モデルをより広い理論的文脈の中に位置づけ、他の諸研究の成果と突き合わせることで、6価値以外の価値カテゴリへと視野を広げていくことは重要であろう。また、例えば項目反応理論におけるモデルの適合度の分析を導入し、モデルから逸脱した特異な反応パターンを示す個人を検出し、モデルと現実との間に如何なる齟齬が生じているかを明らかにしていくという方法も考えられる。これらの方法により、6価値モデルの特色と限界とを見極めると共に、より有効性の高いモデルへと洗練していくことが求められるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、E.Sprangerが提唱した価値論に基づき、理論、経済、審美、宗教、社会、権力という6つの価値志向性に関する心理尺度の構成を通して、価値志向性という概念の構造を明らかにしようとする試みである。

 Sprangerの価値論に基づく心理尺度の構成は、G.W.Allportらによる“Study of Values”を含め、すでにいくつか存在する。しかし、それらは、想定された価値志向が明確な6因子構造として見出されずに終わっており、また、文化的に高度な内容の項目を多く用いたために、一般の人々における価値の測定にはそぐわない等の問題点があった。

 それらの試みに対し、本研究ではまず、第1章において、価値を志向する精神作用から6つの基本的価値志向性を抽出しているSprangerの哲学的記述にまで遡及することによって、そこに因子分析や項目反応理論に通ずる考え方があることを見出している。すなわち、個々の体験やパーソナリティは個別性、複雑性を有しているものの、必要にして十分な精神作用の組合せによってとらえられ、それらの精神的精神作用を「孤立化」し「理念化」することが必要であるというSprangerの主張は、心理測定では、因子分析法に通ずるものであること、また、ある価値に対する素朴で未発展な形態から、高度に発展した極限的な形態に至る推移を想定している点は、ガットマン尺度に対応づけられることが明らかにされる。

 第2章では、項目の選定や修正を繰り返すことで、6因子構造をなす項目群を構成することができ、その過程を通じて、6つの価値概念を区別し明確化することが可能であることを示している。続く第3章では、大学生の被験者がSprangerの理論を通読しただけの段階では、明瞭な6因子構造をもつ項目群を作成することができないことを明らかにし、項目作成者自身の価値態度によって内容が影響されることを示した。ここでは、それぞれの価値観を測定するために被験者が作成した項目を詳細に分析することで、概念の個人差とその背景についても考察している。こうした綿密な尺度構成の手続きと考察は、従来の価値志向性尺度の試みが不満足なものに終わっていた原因について大きな示唆を与えるものといえる。

 また、第4章では、項目反応理論を適用して、それぞれの価値志向につき困難度の低い項目から高い項目に至る1次元的なガットマン尺度をなす項目を選定することで、価値の発展の様子を具体的に表現している。さらに、第5章では、こうした心理測定論的な方法で見出される項目間順序関係が、一般の人々にも認識されているかどうかを、項目困難度を判断させる課題を通じて検討している。「項目困難度」という項目反応理論の概念を教示によって理解することの難しさもあり、各価値に対する1次元的発展を了解することは困難であるという結果を得ている。

 以上のように、本論文は、Sprangerの理論を単に応用して尺度を作成したものではなく、尺度構成という心理測定論的な方法による検討を加えることで、価値志向性の概念を明確化したものであり、その哲学的考察や作成された心理尺度は、パーソナリティの相互理解、自己理解において学術的に大きな意味をもつものと評価される。よって、博士(教育学)の学位論文として十分優れたものと認められる。

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