学位論文要旨



No 115745
著者(漢字) 小池,正史
著者(英字)
著者(カナ) コイケ,マサフミ
標題(和) ニュートリノファクトリーによるレプトンのTおよびCPの破れの探索
標題(洋) Lepton T- and CP-violation search with neutrino factory
報告番号 115745
報告番号 甲15745
学位授与日 2001.01.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3872号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 和田,純夫
 東京大学 教授 藤川,和夫
 東京大学 教授 福来,正孝
 東京大学 教授 森,義治
 東京大学 助教授 加藤,光裕
内容要旨 要旨を表示する

 ニュートリノの質量は他の素粒子と比べて非常に小さく、実験的には質量の上限値のみが知られている。このような小さな質量は高エネルギーの物理が反映された結果であると考えられており、ニュートリノの質量の研究は理論・実験ともに精力的に行われている。ニュートリノの質量の存在を示唆する代表的な実験事実には、以下のようなものがある。

・太陽内部で生成されて地球にやってくるニュートリノのフラックスが、理論的に計算して予測される量に比べて顕著に小さい(太陽ニュートリノ問題)。

・宇宙線が大気と相互作用して生成するニュートリノについて、上からやってくるνμおよびνμの数が、下からやってくる数よりも少ない(大気ニュートリノの天頂角分布の異常)。veおよびν-eについてはこのような異常はない。また、νμ(νμ)とνe(νe)のフラックスの比が理論的予測よりも少ない(フレーバー比の異常)。

これらの実験結果は、ニュートリノ振動によって統一的に説明することができる。ニュートリノ振動は、ニュートリノに質量があるときに、世代間の混合によってニュートリノの種類が時間とともに変化する現象である。

 この現象を確認するため、加速器を用いた長基線ニュートリノ振動実験が行われつつある。これは、加速器で作ったνμのビームを数百キロメートル離れた地点で観測し、ニュートリノ振動によって数が変化していることを確認しようとするものである。このような実験でニュートリノ振動が確認されると、さらにレプトンのCPないしTの破れを観測できる可能性がある。CPないしTの破れは、クォーク(ハドロン)セクターでは小さいながら観測されている。レプトンにもCPの破れが発見されれば、CPの破れの起源を明らかにする素粒子模型の構築に重要なヒントを得られると期待される。また、宇宙初期のバリオン生成にもCPの破れは不可欠な条件であるため、その起源の解明は宇宙論的にも重要な問題である。

 本論文では、長基線ニュートリノ振動実験によるレプトンのCPないしTの破れの観測可能性を議論した。CPの破れはνα→νβと→να-νβ({α,β}⊂{e,μ,τ},α≠β)の振動確率の比較により探索し、Tの破れはνα→νβとνβ→ναの振動確率の比較により探索する。特に、ニュートリノビームの源として、μ粒子の貯蔵リングを用いたニュートリノファクトリーを想定した。これはμ粒子衝突型加速器の研究から派生し、近年その可能性が活発に議論されているものである。ニュートリノファクトリーでは極めて大きな輝度のニュートリノビームが得られると考えられている。また、従来のπ±の崩壊によって作られるニュートリノビームはもっぱらνμ(νμ)であるのに対し、μ粒子のνe(νe)ビームが取り出せるという利点もある。これらの特徴は、いずれもCPないしTの破れを観測するために有利である。我々はニュートリノは3種類[質量m1,m2,m3]とし、sterileニュートリノや重いニュートリノは考えない。また、パラメータ{δmij2(≡mi2-mj2),3つの混合角φ,ψ,ω、およびCPの破れの位相δ〓は大気ニュートリノおよび太陽ニュートリノの観測結果をともに説明できるようにとった。このような前提のもとでCPの破れの観測の可能性を指摘したのは、我々が最初であった。

 1. L〜O(100km)でνμおよびνμを使って振動実験を行う場合

 第1に、基線長L〜O(100km)でνμおよびνμを使って振動実験を行う場合を考えた。νμ→νeの振動確率とνμ→νeの振動確率は、CPの破れによって差が生じる。しかし、基線上にある物質との相互作用がニュートリノと反ニュートリノで異なるため、物質効果も振動確率の差に寄与してしまう。物質中のニュートリノの波動関数ν(x)=(νe(x),νμ(x),ντ(x))Tが従う方程式は、エネルギーEと真空中の混合行列Uを用いて

で与えられる。α≡2〓GFneE(neは物質の電子数密度)が物質の効果である。反ニュートリノはU→U*(真のCPの破れの効果)とa→-a(物質効果)という置き換えによって得られる。そこで、νとνの振動確率の差から、真のCPの破れの効果と物質効果とを区別する方法が必要になる。

 そのためには、振動確率の定性的な性質を知ると見通しがよい。我々は、基線上の物質密度を一定としてδm212,α≪δm312とL<(1000〜2000)kmの成り立つときに使える近似を提示し、振動確率の差を真空中のパラメータで書き下した。物質効果と真のCPの破れの効果をL/Eの関数として見ると図1のようになっており、包絡線の形の違いから分離できることがわかった。さらに、図1から、低エネルギー領域では、CPの破れの効果は大きくなり、物質効果は小さくなるため、CPの破れを観測するには有利であることがわかる。別法として、L/Eを共通になるようにしてLとEを変えて、その振動確率の差を測定すると、その差は物質効果のみによるので、CPの破れの効果と分離できる。以上を踏まえて、実験的に許される範囲内にCPの大きくなるパラメータを任意に1つとりCPの破れの大きさを見たところ、L=250km,E〜400MeVで5%近くにまで大きくなり、実験的に手の届く範囲にCPの破れの観測可能性があることを示した。

 なお、振動確率の近似式を求めるにあたり、基線上の物質密度を一定とした近似が妥当となる条件も議論した。

 2. 低エネルギーのμ粒子の崩壊によって生成するニュートリノを使う場合

 現在進められている実験計画であるJHLの一環であるPRISM構想では、高輝度でエネルギーのそろった、低エネルギー(1GeV以下)のμ粒子が生成できる。このμの崩壊から生じるニュートリノのエネルギーは500MeV以下であり、前節で得られた結果よりCPの破れの探索に最適であると考えられる。また、ニュートリノの源としてμを使うため、入射ビームにνe(νe)を使用することが可能であり、物質効果のないTの破れを観測することができる。そこで、低エネルギー領域でどの程度の大きさのCPおよびTの破れが観測されるかを、実験と矛盾しない範囲でいくつかのパラメータについて示した。PRISMは茨城県東海村に設置される予定なので、L=300km(東海〜神岡間の距離)を想定した。Tの破れの効果は、最も楽観的な場合にはE(a few)×100MeVで10%程度ないしそれ以上となる可能性もあることがわかった。

 さらに、ここで設定したL〜O(100km),E〜(a few)×100MeVという設定は、統計的にも有利であることを指摘した。Eは低い方がCPは大きく見えるが、νμ+N→μ+Xのしきいエネルギーの範囲内でE〜0(100MeV)ととる。一方、CPの破れの統計誤差のE依存性を考察すると、E〜δm312Lの成り立つ付近で最小となることがわかる。この条件はE〜O(100MeV),δm312〜10-2〜10-3eV2のとき、L〜O(100km)を与える。よってこの実験設定はTの破れを探索するのに有利である。

 3. μから生成されるニュートリノを用いた10000km程度の超長基線振動実験の場合

 L〜10000km,E<1GeVという設定でのTの破れの大きさを考察した。現時点ではこのような実験の現実味は薄いが、この場合にはTの破れの効果が共鳴的に大きくなるという興味ある現象が起きる。

 この場合、1.で求めた振動確率の近似式の条件L<(1000〜2000)kmが成立していない。そこで、δm221,α≪δm312のみを用いて摂動計算を行い、最低次までで振動確率の近似式を求めた。その結果、この場合には、振動確率の表式は真空中でのものと近いが、質量パラメータδmij2と、第1・第2世代間の混合角ωのみが捕正を受けることがわかった。物質中での第1・第2世代間の混合角ωは、

で与えられる。ここで、φは真空中の第1・第3世代間の混合角である。これより、E(∝α)がちょうどαcos2φ=δm212cos2ωを満たすときには、ω自体が小さくてもω=π/4となり、物質中では最大混合になる。実際、CPの破れの大きさの指標となるJarlskogパラメータをエネルギーの関数としてみるとピークを持つ。この結果、かなり混合角が小さい場合でも、CPの破れの効果が20%〜30%程度にまでなりうることを示した。どの程度ωが小さな領域までTの破れの探索をできるかを考察すると、(1)ωが小さくなると、Jarlskogパラメータのピークが鋭く狭くなるため、ついにはエネルギー解像度よりも細くなって観測できなくなってしまうと考えられる。(2)ωが小さくなっていくにつれ、物質中での振動長が地球の直径よりも長くなってしまい、振動が見えなくなる。これらの制限にも関わらず、現在許されている大角度MSW解のほぼ全域でTないしCPの破れの探索の可能であることがわかった。

 4. 実験的な必要条件の見積もり

 以上の考察で、様々な場合についてCPないしTの破れの実験的な探索の可能性が示された。そこで、μ蓄積リングからのビームを利用してTの破れを観測するために、どれだけのμ粒子とどれだけの大きさの検出器が必要かを見積もった。この際、・ニュートリノは核子との準弾性散乱によって検出される・ニュートリノのエネルギーは再構成可能である・親μ粒子は偏極していない・CPの破れの位相δ以外のパラメータや検出効率は既知とするといった理想的な仮定をおいた。

 CPの破れの位相がδであるとき、ναビームから得られるνβのイベント数をN(δ)、νβビームから得られるναのイベント数をN(δ)とする({α,β}⊂{e,μ,τ},α≠β)。これらを比較してTの破れの存在を探索したいのだが、もともとναとνβではビームのエネルギースペクトルが異なるので単純に比較できない。そこで、

をTの破れの指標とした。この量は、δ=0で確かに0となる量であるが、N(0),N(0)は理論的に計算せねばならず、パラメータを知っている必要がある。式(3)に基づき、Tの破れを90%(99%)の信頼度で観測できるための条件を

とした。これによって、検出効率ε、親μ粒子の数Nμおよび検出器の質量Mdetの積の下限が与えられる。例として、α=e,β=μとし、実験の制限で許される範囲にパラメータをとって、この下限がどのような大きさになるのかをδの関数として示した(図2)。これより、δが大きい場合にはCPの破れを実験的に観測できる可能性があることが確かめられた。

図1: 物質効果と真のCPの破れの効果の、E/Lの関数としての定性的な振る舞い。我々の近似では、振動の波長は同じであるが、包絡線の形が異なる。

図2: 信頼度90%(99%)でTの破れを検出するのに必要なμ粒子数Nμと検出器の質量Mdetを、CPの破れの位相δの関数として表したもの。εは検出効率。縦軸は、現在実験的に可能と想定されている値で1になるように規格化されている。CPの破れが大きい(δが1に近い)時には、Tの破れが実験的に観測できる可能性があることがわかる。ここではμ粒子のエネルギーは1GeVとし、L=300km,ρ=2.34g/cm3ととった。他のパラメータは、δm312=3×10-3eV2,δm212=1×10-4eV2;sinψ=1/〓,sinφ=0.5,sinφ=0.1とした。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は8章からなる。

 第1章は序文であり、ニュートリノ振動に関するこれまでの観測の結果、および今後行なわれうるニュートリノ・ファクトリー(μ粒子蓄積リングを使った実験)の簡単な説明がある。CPの破れや時間反転の破れは素粒子模型の構築にとっても、宇宙論的にも大問題だが、ニュートリノ振動の観測によって、その知見が大きく進むと期待されている。

 第2章ではまず、ニュートリノ振動の基本的な公式の説明を行なう。質量行列の効果と、ニュートリノが通過する物質による効果が解説される。

 第3章は、現在すでに行なわれている実験・観測からの、ニュートリノ振動に対する知見をまとめる。太陽からのニュートリノ、加速器および原子炉での実験結果がまとめられる。また、今後行なわれうる実験、特に、レプトンのCPの破れに関係する計画が要約される。

 第4章は、長さ100km程度の長基線実験で、CPの破れの効果を観測する方法を検討する。これは加速器で発生したビームを遠方で観測し、発生したはずの各ニュートリノが途中で入れ替わっているか(振動と呼ぶ)否かを観測する実験である。各ニュートリノでの振動の様子の違いを見ることにより、CPの破れや時間反転の破れを調べることができる(CPT不変性を考えれば、この2つは同等)。

 まずこの章では、μニュートリノと反μニュートリノのビームが存在すると仮定する。CPの破れは、両ビームでの振動確率の差として観測される。その場合、物質効果もあるのでそれを分離しなければならない。エネルギー依存性が違うことに注目して、その分離方法を議論する。エネルギー依存性は振動するが、その包絡線を使うことが提案される。CPの破れがある程度大きい、しあし現在のデータで許される範囲のパラメータを仮定すると、CPの破れの効果は5%近くになりうることを示す。

 第5章は第4章と同じ設定だが、電子ニュートリノおよびその反粒子のビームが存在すると仮定する。この場合には、CPの破れが物質効果とは無関係に観測することができる。CPの破れが大きければ、10%以上の効果が観測されうることがわかる。また、統計的誤差から考えて、最適なニュートリノ・エネルギーと基線の長さについて検討する。

 第6章は、基線がさらに長く、1万km程度になったとしたときのニュートリノ振動の実験の可能性について検討する。物質効果との干渉により共鳴ピークが存在するために、一般には不利な、ニュートリノ間の混合角がかなり小さい場合でも、かなりのCPの破れの効果が存在し、20〜30%にまでなりうることを示す。

 第7章は、ニュートリノ・ファクトリーでの現実の実験における観測可能性の議論である。時間反転の破れを観測するために必要なμの数、および実験時間(および標的の量)を評価する。ただし、ビーム中のニュートリノのエネルギーは、散乱後の状態から再構成可能である、などの理想的な仮定をおく。

 また異なるニュートリノのビーム内でのエネルギー・スペクトラムは異なるが、それは理論計算によって補正できるとする。

 時間反転の破れの効果が90%以上の信頼度で観測できるための条件は、親のμ粒子の個数が2×1020/年以上、時間と標的の量の積は100kt・年以上であることがわかる。これは実現不可能ではない。

 第8章は要約である。

 なお本論文は、荒船次郎および佐藤丈との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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