学位論文要旨



No 115752
著者(漢字) 瀧澤,一永
著者(英字)
著者(カナ) タキザワ,カズナガ
標題(和) ショウジョウバエ中枢神経系におけるグリア細胞の分化とその神経回路形成における機能
標題(洋)
報告番号 115752
報告番号 甲15752
学位授与日 2001.02.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3875号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
内容要旨 要旨を表示する

 ショウジョウバエは、ヒトや他の脊椎動物の神経系に比べ、細胞数が少なく(ヒトの神経細胞がおよそ1010個であるのに対し、高々およそ104個)、構造が単純で、神経系の分化を研究するための非常に有用なモデル生物となる。しかも、ショウジョウバエで特定の働きを持つ遺伝子と類似の遺伝子が、ヒトや他の脊椎動物でも同様な働きを持つ例が多く示されており、ヒトを含めた脊椎動物の神経発生を研究する上でも有用である。

 ショウジョウバエ胚の神経系の形成は、大きく分けて四つの段階に分けることができる。はじめに、神経系を構成する細胞と表皮となる細胞が共通の細胞から分化し、神経芽細胞(NB:neuroblast)という神経細胞の幹細胞が形成される。つぎに、神経芽細胞が分裂し、神経系を構成する細胞(神経細胞とグリア細胞)ができる。続いて、分化した神経細胞が軸索を伸長し、グリア細胞が細胞移動を行って、神経系の骨格を作る。最後に、神経細胞の軸索は特定の標的とシナプスを形成し、神経系としての機能を開始する。

 ショウジョウバエでは、片体節当たり、規則正しく配列したおよそ300個の性質の異なった神経細胞と、30個のグリア細胞が作られる。特定の神経芽細胞や神経母細胞で発現し、それらの細胞に「個性」を与えると考えられる遺伝子は同定されているが、どのような機構によってグリア細胞が作られるのか不明であった。

 当研究室では、神経系の分化に働きを持つ遺伝を同定することを目的として、P因子の導入による突然変異体を作成し、神経系の形成に異常を持つ系統gcmを確立した。gcm遺伝子神経グリアの分化スイッチとして機能し、グリア細胞の分化についての初めての分子生物学的知見をもたらした。しかし、グリア細胞が、どのような機構で分化し、グリア細胞として機能するようになるのかということについては、ほとんどわかっていない。どのような遺伝子のはたらきによって、グリア細胞の分化が進み、逆に神経細胞としての分化が抑制されるのかということを知るために、はじめに、グリア細胞で発現することが知られている遺伝子の突然変異体(prospero:以下pros、RK2:以下repo、pointed:以下pnt、tramtrack:以下ttk、の各突然変異体体)でグリア細胞の形態を解析した。これらの突然変異体では、グリア細胞の細胞分裂は正常だが、移動や形態形成には異常があることが明らかになった。これらの表現型はgcmの表現型と同一である。次に、これらの遺伝子とgcmとの間の関係を調べた。抗体染色やin situハイブリダイゼーション法を用いてgcmにおけるグリア細胞特異的なマーカーの発現を調べると、これらのグリア細胞特異的遺伝子の発現はgcm突然変異体で消失するかまたは、gcmの強制発現によってプラスに誘導される(または、その両方)。神経細胞への分化に関しては、gcmの強制発現によって神経細胞特異的マーカーのelavの発現は減少することがわかったが、この表現型は、gcmがttkをプラスに制御することにより、elavの発現がなくなり神経細胞への分化が抑制されることによって起こることが遺伝学的解析から明らかとなった。pntとttkの各突然変異体では、隣接する神経軸索上の22C10抗原の発現が著しく弱くなることが知られている。gcm突然変異体でも同様の表現型が観察されたため、これら3つの遺伝子の関係を調べた。その結果、pntとttkとは遺伝学的に並列で、22C10抗原の誘導では、これら2つの遺伝子がgcmの下流に位置し、少なくとも2つのことなる経路があることが明らかとなった。

 個々の神経細胞は、決められた経路に軸索を送り、正しい標的とシナプスと作ることにより「神経回路」を作り上げる。軸索の走行路には、ガイドポストとよばれる細胞が存在し、軸索はガイドポストから情報を得て、正しい方向を選択してゆくと考えられている。神経細胞が軸索を送り「神経回路」を作る一方で、グリア細胞は、細胞特異的な運動を行い、特定の場所なで移動して(多くは軸索束に沿うように)、グリア細胞を特異的なプロセスを展開して、神経系を補佐する役割をもつ。グリア細胞の持つこのような性質から、グリア細胞が神経軸索の走行に役割をもつことが示唆されている。しかし、グリア細胞が軸索走行にどのような役割を担っているのか明確に規定した例はない。gcm突然変異体では、遺伝学的にグリア細胞が取り除かれているので、gcm突然変異体を用いて軸索走行を解析することによって、軸索走行におけるグリア細胞の役割を明らかにできると考えられる。本研究では、gcm突然変異体を用いて、免疫組織化学的手法により、軸索走行やグリア細胞の挙動、軸索の標的認識を解析し、以下の結論を得た。パイオニアニューロンの軸索を特異的の染め出す抗Fas 11抗体(MAb 1D4)、22C10抗体を用いて解析した結果、パイオニアニューロンは、グリア細胞がない状態でも正しい方向に軸索を伸ばす。グリア細胞の運動と、軸索走行との関連を調べるために、抗Fas 11抗体、22C10抗体、と抗Repo抗体を用いて解析した結果、グリア細胞は、移動して、軸索束に会合するが、グリア細胞に異常があっても、パイオニアニューロンの軸索走行に異常があっても会合が異常となることから、会合は神経軸索とグリア細胞の相互依存的である。フォロアーニューロンの軸索走行に関して、グリア細胞がないとフォローアーニューロンは正しい軸索伸長ができなくなり、最終的に、軸索束がなくなったり、誤った方向に軸索束が伸長されることと、グリア細胞が異常な位置にあると、軸索走行は異常になることから、グリア細胞は、フォロアーニューロンの軸索伸長に必要である。運動ニューロンはグリア細胞がない状態では、軸索走行がみだれるが、それにもかかわらず、標的認識は正しく行える。これらのことから、神経回路は、グリア細胞非依存的なパイオニアニューロンの軸索伸長、グリア細胞の会合、グリア細胞依存的なフォロアーニューロンの軸索伸長、グリア細胞非依存的な標的認識の順に形成されることが明らかとなった。

(1) グリア細胞依存的段階

(2) グリア細胞と神経軸索の会合

(3) 神経・グリア相互依存的段階

(4) 標的認識

神経回路はグリア細胞の機能で見ると4段階で形成される。

神経回路の形成は、グリア細胞の機能から見ると、次の4段階で形成される。パイオニアニューロンはグリア細胞がない状態でも正しい方向に軸策を伸長するので、パイオニアニューロンの軸索伸長にはグリア細胞は必要ではない(グリア細胞非依存的な軸索伸長)。グリア細胞はバイオニアニューロンの軸索に会合し、フォローアーニューロンの軸索はグリア細胞をつたって伸長される。またパイオニアニューロンの軸素走行がみだれると、グリア細胞は正常な位置に移動できない(パイオニアニューロンの軸索依存的なグリア細胞の会合)。グリア細胞がないと、フォロアーニューロンの軸策走行がみだれることから、グリア細胞は、フォローアーニューロンの軸索伸長をガイドする(グリア細胞依存的な軸策伸長)。運動ニューロンでは、グリア細胞がないと、軸索走行がみだれるが、標的は正しく認識される(グリア細胞非依存的な標的認識)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はショウジョウバエ中枢神経系におけるグリア細胞の分化と役割について、主として分子生物学的手法と細胞生物学の手法を駆使して解析したものである。本文は2章からなり、第1章は、グリア細胞の分化、第2章は、神経経路形成におけるグリア細胞の役割について述べられている。

 著者らは、神経系の分化に働く遺伝子を同定することを目的として、P因子の導入による突然変異体を作成し、神経系の形成に異常を持つ系統gcmを確立した。gcm遺伝子は神経グリアの分化スイッチとして機能し、グリア細胞の分化についての初めての分子生物学的知見をもたらした。しかし、グリア細胞が、どのような機構で分化し、グリア細胞として機能するようになるのかということについては、ほとんどわかっていなかった。第1章では、著者らは、どのような遺伝子のはたらきによって、グリア細胞の分化が進み、逆に神経細胞としての分化が抑制されるのかということを知るために、グリア細胞で発現することが知られている遺伝子の突然変異体(pros、repo、pnt、ttk、の各突然変異体)でグリア細胞の形態を解析した。これらの突然変異体では、グリア細胞の細胞分裂は正常だが、移動や形態形成には異常があることを明らかにした。次に、これらの遺伝子とgcmとの関係を調べた。抗体染色やin situハイブリダイゼーション法を用いてgcmにおけるグリア細胞特異的なマーカーの発現を調べ、これらのグリア細胞特異的遺伝子の発現はgcm突然変異体で消失するかまたは、gcmの強制発現によって誘導されることを示した。神経細胞への分化に関しては、gcmの強制発現によって神経細胞特異的マーカーのelavの発現は減少することがわかったが、この表現型は、gcmがttkを制御することによりelavの発現がなくなり神経細胞への分化が抑制されることによって起こることを遺伝学的解析から明らかにした。pntとttkの各突然変異体では、隣接する神経軸索上の22C10抗原の発現が著しく弱くなることが知られている。gcm突然変異体でも同様の表現型が観察されたため、これら3つの遺伝子の関係を調べた。その結果、pntとttkとは遺伝学的に並列で、22C10抗原の誘導では、これら2つの遺伝子がgcmの下流に位置し・少なくとも2つの異なる経路があることを明らかにした。

 神経細胞が軸索を送り「神経回路」を作る一方で、グリア細胞は、細胞特異的な運動を行い、特定の場所まで移動し、グリア細胞を特異的な細胞体を展開して・神経系を捕佐する役割をもつ。グリア細胞の持つこのような性質から・グリア細胞が神経軸索の走行に役割をもつことが示唆されている。しかし、グリア細胞が軸索走行にどのような役割を担っているのか明確に証明した例は少ない。第2章で著者らは、gcm突然変異体を用いて軸索走行を解析することによって、軸索走行におけるグリア細胞の役割を明らかにできると考え、gcm突然変異体を用いて、免疫組織化学的手法により、軸索走行やグリア細胞の挙動、軸索の標的認識を解析し、以下の結論を得た。パイオニアニューロンの軸索を特異的の染め出す抗Fas 11抗体(MAb 1 D4)、22C10抗体を用いて解析した結果、パイオニアニューロンは、グリア細胞がない状態でも正しい方向に軸索を伸ばす。グリア細胞の運動と、軸索走行との関連を調べるために、抗Fas 11抗体、22C10抗体、と抗Repo抗体を用いて解析した結果、グリア細胞は、移動して、軸索束に会合するが、グリア細胞に異常があっても、パイオニアニューロンの軸索走行に異常があっても会合が異常となることから、会合は神経軸索とグリア細胞の相互依存的である。フォロアーニューロンの軸索走行に関して、グリア細胞がないとフォロアーニューロンは正しい軸索伸長ができなくなり、最終的に、軸索束が欠損したり、誤った方向に軸索束が伸長されることと、グリア細胞が異常な位置にあると軸索走行は異常になることから、グリア細胞は、フォロアーニューロンの正しい軸索伸長に必要であることが明らかとなった。運動ニューロンはグリア細胞が存在しない状態では、軸索走行がみだれるが、それにもかかわらず標的認識は正しく行える。これらのことから、神経回路は、グリア細胞非依存的なパイオニアニューロンの軸索伸長、グリア細胞の会合、グリア細胞依存的なフォロアーニューロンの軸索伸長グリア細胞非依存的な標的認識の順に形成されることを明らかにした。なお、本論文は、堀田凱樹、細谷俊彦との共同研究となっているが論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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