学位論文要旨



No 115753
著者(漢字) 李,承律
著者(英字)
著者(カナ) イ,スンリュル
標題(和) 郭店楚墓竹簡の儒家思想研究 : 郭店楚簡研究序論
標題(洋)
報告番号 115753
報告番号 甲15753
学位授与日 2001.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第300号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池田,知久
 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 助教授 大西,克也
 東京大学 教授 平勢,隆郎
 早稲田大学 教授 工藤,元男
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は郭店楚簡の儒家系の諸篇の内、特に『唐虞之道』『魯穆公問子思』の両篇を中心に、その思想的特徴、思想史的位置及びその意義、成立時期、所属学派などの諸問題を明らかにするものである。

 本研究は「序」、「第一部 研究編」、「第二部 訳注編」という、主に三つの部分から成り立っている。そしてさらに、第一部は「本編−『唐虞之道』」・「附編−『魯穆公問子思』の忠臣観について」、第二部は「I 郭店楚墓竹簡『唐虞之道』訳注」・「II郭店楚墓竹簡「魯穆公問子思』訳注」というそれぞれ二つの部分から構成されている。「序」,ではいわゆる「考古類型学」の間題点を指摘し、第一部では両篇の思想的特質及び位置・意義を論ずることに重点をおき、第二部では最近の古文字学の成果を利用しつつ、両篇の一字一句の意味及び思想的特質を解明している。

 「序」は、現在中国で楚墓の下葬年代を推定する方法として最も盛行しているいわゆる「考古類型学」の方法論の問題を分析し、郭店一号楚墓の下葬年代の見直しを提唱したものである。郭店一号楚墓の下葬年代を推定する際、その拠り所となっている楚墓の中には、包山二号墓のように紀年資料から年代がほぼ確定されつつある墳墓の場合はさておき、望山一号墓のように今でも共通の結論に至っていないものもあれば、包山一号墓・武昌義地楚墓・当陽趙家湖楚墓・雨台山楚墓のように、年代推定の方法論において根本的に見直すべき深刻な間題を多く抱えているものもある。したがって、下葬年代の不確かなものや『史記』の記事(「白起抜郢」)に対する表面的な捉え方を根拠にして、郭店一号楚墓の下葬年代の推定の拠り所としたり、ひいては「考古類型学」の方法論によって行われている楚墓研究は、方法論それ自体に対する根本的な見直しの必要があることを指摘した。

 第一部の本編は、『唐虞之道』のメインテーマである蕘舜禅譲説及び「愛親」と「尊賢」、そして蕘舜禅譲説を特徴づける「利・養生・命・謙遜」という四つのキーワードを考察したものである。第一章で「利天下而弗利」にまつわる社会「利」思想及び「弗利」の観念、第二章では養生思想、第三章では禅譲される前の舜の態度・能力を指す「知命」、第四章では禅譲された後の舜の為政者としての態度を指す謙遜思想、第五章では蕘舜禅譲説、第六・七章では蕘舜の実践した二大事績である「愛親」と「尊賢」、をそれぞれ中心テーマに据えている。その結果、まず儒家の外部においては、特に墨家(社会的「利上「天人」相互関係・普遍的「愛」の思想)及び道家(「命・安命」・謙遜思想)の思想が、『唐虞之道』の成立において最も甚大な影響を及ぼしたと考えられた。そして、儒家の内部において『唐虞之道』と最も近いのは『筍子』である。すなわち、(1)社会的「利」及び「弗利」思想、(2)人為的努力を強調する「天人」思想、(3)謙遜思想、(4)「忠・孝」が並称されたり、かつ立場は違うが両者の矛盾・衝突をより高い次元から統一・解消している点、(5)尚賢論、大略以上の問題において『唐虞之道』の先駆をなしている。ただ蕘舜禅譲説においては『筍子』正論篇と鋭く対立していることから、『唐虞之道』は正論篇の後、その論理を舜の倫理的政治的能力・資質の再定義及び禅譲への新たな意味づけ(養生思想・「弗利」)という方法をもって克服できる理論を整えつつ、後出の諸文献に大きな影響を与えたと考えられる。そうして、『唐虞之道』は『筍子』正論篇よりやや後れて、それ以前の諸学派のいくつかの最も特徴的でかつ重要な諸思想を積極的に旺盛に取り入れて、既存の蕘舜禅譲説を再構築しようと試みた儒家の一派の手になったものであることを論証した。

 第一部の附編は、『魯穆公問子思』の中心思想である忠臣観や、「爵禄」と「義」をめぐる思想的歴史的背景を、先秦時代の様々な文献資料と比較考察したものである。その結果、「忠臣」という語は『筍子』以前の文献にはほとんど登場せず、『筍子』前後の戦国後期から末期にかけて本格的に議論され始めたものであろうということから、『魯穆公問子思』は『孟子』より遅く、『筍子』臣道篇や『墨子』魯問・貴義・耕柱篇よりやや早いことを論証した。

 第二部は、最近の古文字学の成果を利用しつつ、両篇の一字一句の意味及び思想的特質を解明したものである。郭店楚簡の文字は、中国古代の文字の中でも最も難解と言われる戦国時代の六国文字の一つであり、文字学的な操作を経ることによってはじめて、我々はその内容を理解することができる。これはすべての出土資料に共通する問題でもあるが、一つの文字を誤って判定・解釈することは、その資料全体の文脈や意味を損なってしまう危険性を常に有している。それを解決するために、甲骨文や金文から見た文字の成り立ち、音韻学的な面からの考察、他の竹簡・帛書の文字との比較検討、文献資料との比較考察などといった作業を通じて、ある程度その輪郭が明らかになったと思う。

審査要旨 要旨を表示する

 中国湖北省荊門市博物館編『郭店楚墓竹簡』は、1993年に戦国時代の楚の地より出土し1998年に北京の文物出版社より公刊された、最新の重要な中国古代思想の資料である。

 本論文は、その中の儒家系の『唐虞之道』と『魯穆公問子思』の両篇の思想内容を、両篇に見出されるいくつかの鍵をなす思想(蕘舜禅譲説・尚賢論・忠臣観等々)の分析を通して、単に戦国時代の儒家の思想史の枠内だけではなく、広く春秋・戦国・秦・漢時代の他学派を含む中国思想史全体の中で把握し、両篇の思想史的な位置と意義を解明しようと試みた力作である。全体は、序、第一部研究編(本編−『唐虞之道』、附編−『魯穆公問子思』の忠臣観について)、第二部訳注編(I 郭店楚墓竹簡『唐虞之道』訳注、II 郭店楚墓竹簡『魯穆公問子思』訳注)、結、文献目録、より構成される。

 序では、両篇は純然たる儒家の子思・孟子学派の作、当該楚墓の下葬年代は戦国中期とする中国で盛行している定説に疑問を呈し、両篇に関する研究史とその方法を網羅的に批判・総括しつつ、楚墓の下葬年代を推定する方法としての「考古類型学」を詳細に検討した上で、その問題点を指摘する。

 第一部研究編の本編では、『唐虞之道』のメーン・テーマである蕘舜禅譲説・愛親・尊賢の思想、及びそれらに付随する利天下而弗利・養生・知命・謙遜の合計七つの思想の分析に各一章を当て、それらの内容を詳密かつ多角的に考察して、それぞれの思想史的な位置と意義を解明する。その際、筆者は、中国の表面的で思想内容に深く立ち入らない研究に対して、鋭く明確に反対の意を表明するとともに、自らは必要な類似資料を古代文献の中より徹底的に渉猟し、関連する従来の中国や日本の研究論著を遺漏なく調査した上で、それらを一々引用し、善し悪しを批判的に検討しながら、『唐虞之道』の思想的真実に肉薄しようと努める。その結果、『唐虞之道』は、戦国後期の『筍子』正論篇より後、同じく成相篇より前に、既存の蕘舜禅譲説を再構築しようと試みた儒家の一派が、先行する儒家・墨家・道家等々の諸思想を積極的に取り入れて成書したものという結論に達した。

 また、研究編の附編では、『魯穆公問子思』のメーン・テーマである忠臣観を、先秦・秦・漢の主な文献資料における「忠臣」との比較を通して検討し、『魯穆公問子思』は『孟子』より後、『筍子』臣道篇や『墨子』魯問篇などより前に、社会的現実よりも理念を重視する儒家の一派の手によって成ったものと結論づけた。

 第二部訳注編は、以上の第一部研究編における思想内容の考察の基礎をなす作業であるが、この部分だけ単独でも学問的に有意義な仕事と評し得る労作である。筆者は、難解な楚系文字を一字一句丹念に解読し、中国・日本を始めとする世界の、従来の見解のすべてに目を通し、それらを引用し批判的に検討しながら、合理的で妥当な解釈に到達しようと努める。なお、巻末の文献目録は、本論文提出当時は『郭店楚簡』についての、世界で最も完備したビブリオグラフィーであった。

 本論文は、郭店楚簡『唐虞之道』と『魯穆公問子思』の思想内容に関して、研究史上初めて深く立ち入った本格的な解明を行った研究として、高く評価することができる。以上を総合して、本論文を博士(文学)の学位を授与するに十分に値するものと認定する。

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