学位論文要旨



No 115757
著者(漢字) 野々村,淑子
著者(英字)
著者(カナ) ノノムラ,トシコ
標題(和) 南北戦争前アメリカにおける家庭教育書・育児書の氾濫 : 「母」礼讃言説の構造とメカニズム
標題(洋)
報告番号 115757
報告番号 甲15757
学位授与日 2001.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第73号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 寺崎,弘昭
 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 助教授 汐見,稔幸
 東京大学 助教授 広田,照幸
 東京大学 助教授 恒吉,僚子
内容要旨 要旨を表示する

 南北戦争前(アンテベラム期)は、アメリカ史において、産業化、都市化が進展し、家族生活を始め、人々の暮らし方や生き方が大きく転換した時期とされている。本論文は、このような転換期において出現した、教育の歴史上注目すべき杜会現象について、その特徴を見出すべく史料分析を行なったものである。この現象とは、当時氾濫した「家庭的著述」のなかで「母の帝国(the empire of the mother)」(M.ライアン)とも称されるほどに、「愛」あふれる「母」の子育ての役割が、かつてないほどに言説化され礼讃され強調されたことである。これは、それまでの厳格な子育てから、「母」の「愛」による子育てのあり方へと変化していく重要な結節点であるばかりではなぐ、女性の人生において「愛」あふれる「母」として生きることが価値づけられていく転換期におこった現象であった。

 教育、親子関係、男女の人間形成のあり方が再編成されていく過程に生じたこの現象について、ライアンをはじめとする従来の研究は、数多く出版された様々な「家庭的著述」から特徴的な言説を抽出し繋ぎ合わせ、時代に共通した支配的な観念として提示し、その観念の杜会的機能を論じてきた。このような研究は、結果として、ある強力な観念がその時代の杜会やそこに生きる人々を制圧していくという歴史像の叙述に陥ることになる。

 それに対して本研究は、「家庭的著述」の言説構築過程からこの社会現象への時代の人々の主体的な関与の形を浮かびあがらせようとする。多くの人々に読んでもらうことを期待しつつ書かれた「母」の言説は、著者のみならず読者がそこに付与しようとした意味を組みこみつつ構築されているであろう。それを明らかにするために、アンテベラム期に氾濫した「家庭的著述」のなかでも代表的かつ典型的な史料五点を厳選し分析を行なった。これらの史料体の類型において最も重要な要素は、性差である。それは、当時の読書空間の性格を決定した、男女の「領域」分離主義によるものであった。その性差を軸に、それらがいかなる関係の間で何を主題として生産されたものであるか、という書物の全体像を明らかにしつつ、その関係性において書きこまれた言説の構築過程を構造化した。

 まず、序章では、上記のような先行研究との関係において、本研究が分析する対象と時代についての問題の所在を論じた。

 第一章では、「家庭的著述」とそこに書き込まれた「母」礼讃言説の氾濫現象の実情を書誌的に跡づけると共に、当時の社会背景について先行研究を整理しつつ本研究の課題を確認した。それは、大衆的読書空間の成立という社会的条件に加え、「共和国の母」思想の影響、産業化・都市化に伴う「中産階級」の出現とその指標としての「近代家族」の理想化、「クリスチャン・ホーム」のリバイバル、「身体教育」や発達段階への着目、「教育」の危機への「母」の「愛」による対応などである。従来の研究では、「母」礼讃現象は、以上のような社会背景によって生じたものとされてきた。しかし、第三章以下の分析からは、個々の書物において、このような総体的な時代の要請は重要な契機ではあったが、それに直ちに還元しえないずれやゆらぎ、それを回避し新たな価値を読者に説得すべく書きこまれた言説構築の過程が明らかにされる。そのような言説過程は、それらの言説が書かれたアンテベラム期が、価値観が転換していく揺籃期にあったことを示すものといえよう。

 第二章では、まず、アンテベラム期の「家庭的著述」と「母」言説の歴史的な位置づけをより明確に行なうべく、西欧古代から書き継がれてきたコンダクトブックの系譜を先行研究によりつつ整理した。さらに、その系譜上アンテベラム期に先立っこと半世紀前に英米でベストセラーとなった女性向けのコンダクトブック(『父から娘たちに贈ることば』(1774))の分析を介した上で、アンテベラム期の特徴を次のように指摘することができた。家父長向けの書物に含まれていた母親の養育役割についての助言が、母親向けに独立して書かれるようになった。それまでは貴婦人の嗜みや宗教上の義務、家事の仕方などに限られていた女性向けの助言書に、子育てという主題が参入したのである。このことは、「母」言説そのものの変化をもたらすことになる。従来のような当時の社会背景を要因としたアンテベラム期の言説のみの分析ではなく、それまでの長期にわたる言説群の系譜を見渡したことによって確認することができたのは、冒頭で述べたようなアンテベラム期の「母」言説の特徴、即ち、女性の人生における「母」であることが新たに価値づけられたこと、および、子育てにおける「母」の「愛」の有効性という新たな意識が生じたことである。

 第三章から第七章は、五点の史料についての個別な分析である。史料についての類型化、分析の意義やその手順などについては、第二章の最終部において論じた。本研究で分析される史料はいずれも、アンテベラム期の「母」礼讃言説という史料体の歴史的解明において、性差を重要な要素とするそれらの類型を代表する典型例として、必要不可欠なものであると同時に、十分なものである。このような史料について、言説構築過程を個別にしかも仔細に分析した結果、以下のような構造が明らかとなった。

 本論においては、初版刊行年代順に分析を進めたが、ここではより明確にするために、性差を軸に、明らかとされた構造を整理することにする。まずは、女性によって女性に対して書かれ、広く読まれた書物からみることにしよう。第三章のL.チャイルド『母の本』(1831)には、女性読者に「書物」の有害性を説くという混乱したメッセージに象徴されるような「女性性」についてのゆらぎがみられた。「娘」の「教育」論に傾斜していくその言説過程は、「女性性」の曖昧さによって生ずる、女性の人間形成についての危機意識の現われであるといえよう。この書物において、このようなゆらぎは、女性の「自己」や「個」の意識を「母」に付与し、「母」を女性の「自己統治」の拠点として語ることで解消されていく。第五章のL.シガニー『母への手紙』(1838)では、以下の二点で「母」言説のゆらぎが生じていた。第一に「母」の「愛」や「幸福」が、女性にとっての「特権」や「優美さ」「有益性」という交換条件を提示した上で初めて論じられることである。第二に、「共和国の母」の観念によって「母」の意義を強調する一方で、それを根拠づけるための「娘」の「教育」論が繰り返されることである。このような言説過程にみられる「母」の「愛」の非自明性は、読者である女性があるべき「母」の像に感ずるであろう不安や不満への共感の言葉と、繊細でセンチメンタルな言い回しによって、「力」や「特権」という欲望に転化されていく。第七章のC.ビーチャー『母と教育者』(1872)(刊行年は南北戦争後であるが、アンテベラム期の「母」礼讃現象に重要な役割を果たし、戦後も一貫した思想によって影響力をもった著者による、「母」についての唯一の書物)では、キリスト教倫理のもとで「普遍」とされ一見明快かつゆるぎなく語られる「母」は、しかし、女性の「経済的自立」への効用としてのみ理想的、観念的に語られていた。女性が「家庭」の「母」の価値を受け入れる際に生じるような具体的な場面についての叙述は全くみることはできない。「母」とは、それに期待される仕事の「専門家」となることによって「自立」をはかることを強調するときにのみ言及されるような、抽象的な観念であった。これら女性による女性向けの言説は、女性が「母」の価値を意識化し言説化していく揺籃期に、時代の要請を受けとめながらも新たな意味を付与しつつ構築された過程であるといえよう。

 次に、男性によって、女性のみではなく、男性か両性を対象に書かれた書物、第四章のT.ドワイト『父の本』(1835)、第六章のS.グッドリッチ『炉辺の教育』(1838)は共に、まずは「共和国市民」育成、「国家」の「文明化」や「治安」という当時の「男性の領域」の課題意識をもって書き起こされたものであった。しかし、前者においては「息子」への「男らしさ」の鑑としての「父」に助言されるのが「愛」を基調とした教育様態であり、具体的場面では「母」が登場する。後者においては、「愛による教育」への疑義を挟みながらも、「幸福な家庭」像の礼讃に収斂していくような過程がみられた。これらの言説は、「息子」の「教育」が「母」によって支配されつつあることへの反発、抵抗と妥協の過程であるといえるであろう。しかし、これらの二つの書物はあまり読まれることはなかった。

 これらの言説過程は著者による個別なものともいえる。しかし、この過程を、多くの、特に女性読者を巻き込んだ氾濫現象という言説の生成空間においてみるとき、興味深い点を指摘し得るであろう。女性による女性向けの言説に現われたゆらぎやそれを修正し読者を説得しようとするモーメントは、新たな「母」言説を増幅し氾濫させたダイナミズムであったといえよう。そして、そのモーメントとダイナミズムが、その後の「母」言説の展開、即ち、女性の杜会進出を支え杜会福祉事業の根幹となった「公的」な「母」と、育児書にみられるような「科学化」・「専門化」された「母」へと二極分解していくであろう「母」言説に、そもそも成立時において生じた矛盾やアポリアを回避し、正当化、自明化していく論理と契機を用意した。男性による言説のうち、女性に向けて書かれた医者などによる助言書はこの展開に沿うものであった。それに抵抗するような男性による言説は存在したが、結局のところは「母」礼讃現象の主流にのみこまれていくことになったのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、19世紀前半期のアメリカ合衆国において家庭教育書・育児書を含む「家庭的著述(domestic literature)」が氾濫し、そこで愛あふれる母の子育て役割がかつてないほどに言説化され礼賛され強調された社会的現象を対象として、その歴史的性格を解明しようとしたものである。

 そのために、本研究は、大きくは二つの解明作業で構成されている。一つは、19世紀前半期アメリカにおける母礼賛現象が歴史的に新しいものであることを、欧米それぞれの女性に対する助言書類の歴史の中で検証し分析すること(第二章)。二つには、19世紀前半期アメリカの母礼賛言説を構成する史料群の中に踏み込んでそこでの言説過程を具体的に分析することである。そのさい著者は、「家庭的著述」の著者および想定されている読者の性別により言説過程に差異が見られることに特に着目している(第三章から第七章)。

 これまでの先行研究では、19世紀前半期アメリカの母礼賛現象に関しては、その新しさが言及はされても、実際にそれ以前の女性に対する助言書類の歴史の中で書誌的に検証・分析されることはなかった。また、「家庭的著述」を無矛盾の一体的観念とみなしてその中にみられる特徴的な言説を繋ぎ合わせて時代の動向的特徴と対応させるにとどまる傾向にあり、母礼賛言説そのものの内部に立ち入ってそこでの言説過程の差異を分析することもなかった。その点で、これに対して上述のような解明作業により、「家庭的著述」研究に以下で述べるような新たな視野を拓いた本研究の意義は大きい。

 本論文において新たに明らかにされた主要な知見は、次のように整理される。まず第一に、19世紀前半期アメリカにおいて母性愛溢れる母であることが女性の人生にとって至上の価値だという言説が氾濫したのは、欧米の女性に対する助言書類の歴史上質的にも量的にも新しいものだということが、書誌的に明らかにされたことである。そのさい・これまで18世紀後半期に浸透し19世紀の母礼賛現象を先導したとされていた「共和国の母」観念に関しても、これが18世紀後半期に浸透せずまた19世紀においても女性の言説の中で疎遠な要素であったことが論証されている。第二に、著者が女性である「家庭的著述」には、母性愛溢れる母であることを自分の人生として具体的に引き受けるという点で逡巡が顕著であり、それを自己にも読者である女性(著者が女性の場合は読者にも女性が想定されていた)にも納得させるために言説上に「ゆらぎ」が生じさまざまなレトリックが駆使されあるいは抽象化されることになったことを明らかにしたことである。これに対し、男性著者の場合、こと母観念に関しては「ゆらぎ」は見られず、また男性読者向けの家庭教育論・育児論は版を重ねることがなかったことも明らかにされている。第一章での先行諸研究のレヴューも的確かつ詳細になされている。

 社会的要因との関連も含めた構造化という点で未だ不十分性を残しているとはいえ・しかし以上のように、本論文は、19世紀前半期アメリカの母礼賛言説研究に新たな視野を拓き、とくにその歴史的に新しい母観念に対する女性の言説の中での「ゆらぎ」を提示し得た点で、十分に学術的に大きな意味をもつものと評価される。よって、博士(教育学)の学位論文として十分優れたものと認められる。

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