学位論文要旨



No 115758
著者(漢字) 韓,霖
著者(英字)
著者(カナ) カン,リン
標題(和) 心拍変動解析の心臓リハビリテーションの評価への応用
標題(洋)
報告番号 115758
報告番号 甲15758
学位授与日 2001.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第74号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 渡部,洋
 東京大学 助教授 川久保,清
内容要旨 要旨を表示する

 社会の高齢化とともに,死亡確率の要因として,悪性新生物,脳血管疾患についで心疾患が3番目に位置している。そして,心疾患による死亡者のうち,ほぼ半数が虚血性心疾患によるものである。こうした現状から,虚血性心疾患に対する予防,治療および予後の研究の必要性はますます増大しつつある。また一方で,時代の発展とともに変化する社会環境に対応するための健康的な生活習慣を確立することを目的として,健康教育の手法などの技術開発も重要である。

 近年,心疾患の治療および病気の回復には,運動療法を中心とした心臓リハビリテーションが導入されるようになった。これまでに,多くの研究により,運動トレーニングが心疾患患者の運動耐容能を高めることが明らかにされている。しかしながら,急速な社会の変化を背景に,心臓リハビリテーションの目的は体力を高めることだけではなく,精神的・社会的に,より高い質の生活復帰を目指すことも必要になってきた。したがって,リハビリテーションの効果を評価するには,こうした可能性を評価できるような指標も必要であり,最近では,自律神経活動の評価が心臓リハビリテーションにおいて注目されている。また,心筋梗塞発作の原因のひとつに,心臓自律神経活動が交感神経系亢進型/副交感神経系減退型となることが考えられていることからも,その評価は重要である。

 自律神経活動の評価方法にはさまざまあるが、その中でも,非侵襲的かつ容易に測定可能な評価方法として,心電図RR間隔時系列である心拍変動のスペクトル解析(Heart ratevariability spectral analysis)による手法が,近年,研究されている。そして,特に,この方法により交感神経および副交感神経のそれぞれの活動を推定することができることから,心臓リハビリテーションの効果判定の指標として用いるには非常に有用である。

 本研究では,心筋梗塞患者を対象に,発作後の15日〜30日から開始した8週間通院心臓リハビリテーション(通院CRP),および患者が退院してから杜会に復帰した後6ケ月〜1年間の在宅心臓リハビリテーション(在宅CRP)が自律神経活動および運動耐容能に及ぼす影響を調べた。

 被検者は11名の心筋梗塞患者(男性12名,女性1名,平均年齢53±12.5歳)であった。患者は,心筋梗塞発作後15日〜30日から心臓リハビリテーションを行い,一回約1時間のプログラムを週3回の頻度で,自転車エルゴメータあるいはトレッドミルを用い,有酸素性運動を実施した。運動強度はあらかじめ測定された換気性作業閾値(Tvent)の90%とし,その強度に対応する心拍数を超えないように調節された。粗視化スペクトル法(Yamamotoら,1991)を用い,約10分間の心拍変動を,周期性成分と非周期性成分に分離し,周期性成分について,高周波成分(>0.15Hz;HF),低周波成分(0.0-0.15Hz;LF)を算出した.自律神経活動は,LF/HFを交感神経活動指標,HF/TOT(総変動)を副交感神経活動指標として評価した。運動耐容能は,自転車エルゴメータを用いて,有酸素作業能力の指標のひとつである換気性作業閾値(Tvent)を測定した。また,運動負荷試験中の心拍数応答として,7名の患者について,仕事率一心拍数グラフより,Tvent以上での傾き(α+)およびそれ以下での傾き(α-)を2直線回帰により算出した。結果を表1に示す。8週間のCRP後,副交感神経活動指標は有意に増加した(P<0・01)。一方,交感神経活動指標は有意な変化が認められなかった。また、安静時心拍数は有意に低下した(P<0・05)。そして,運動耐容能が有意に向上した漸増負荷運動中の心拍数の上昇は,全体的に,CRP後で鈍化する傾向があった。これらの結果より,心筋梗塞患者が8週間の有酸素運動トレーニングを行った後,運動耐容能が高められるとともに,安静時の心拍変動より評価した心臓自律神経活動は副交感神経活動亢進型となることが示唆され,また,漸増負荷運動中の心拍応答が全体的に鈍化するとともに,心拍数の反応性が十分保たれることも明らかとなった。次いで,同じ8週間の通院CRPを実施した11名の心筋梗塞患者(男性,平均年齢32±11.5歳)に対し,退院してから6ケ月〜1年後の在宅CRP実施状況を調べ,通院CRP前後および在宅CRPの運動耐容能および自律神経活動の変化を検討した。結果は表2に示す。在宅CRP後の副交感神経活動指標は通院CRP時より低くなった(P<0.05)が,交感神経活動指標は有意な変化が認められなかったものの,在宅CRP後でやや上昇する傾向であった。安静時心拍数は通院CRP時が最も低く,在宅CRP後は通院CRP時と比べると上昇していた。在宅CRP後の運動耐容能は通院CRP時の水準を維持した。これらの結果より,在宅CRP後では,患者の運動耐容能が維持されたものの,副交感神経活動指標が低下,一方,交感神経活動指標には有意な変化が認められなかったものの,安静時収縮期血圧の上昇傾向がみられ,安静時心拍数がやや増加したことから,やや交感神経緊張型に変化したと解釈できるのではないかと推測された。こうした結果の要因として,アンケート調査による結果から,仕事に早期復帰したことによる社会的・精神的ストレス,体重の増加などの変化が自律神経活動のバランスに影響を与えた可能性があるかもしれないと推測された。以上より,運動トレーニングにより,心筋梗塞患者における運動耐容能が増加し,同時に,自律神経活動のバランスが改善されることがわかった。一方,長期間非監視の在宅CRPでは,杜会復帰により,日常生活環境などの変化が,自律神経活動のバランスに影響を及ぼしうることを考えると,自律神経活動のバランスを運動耐容能のように維持することが難しいと考えられた。また,こうした結果は,安静時心拍変動解析による自律神経活動指標および運動中心拍数の変化が,運動耐容能とは異なった側面から,心臓リハビリテーションの効果を判定することができることを示唆するものであり,心臓リハビリテーションの評価法に重要な役割を果たす可能性があると考えられた。

表1 通院リハビリテーションの効果

表2 在宅心臓リハビリテーションの結果

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ヒトの自律神経検査法として近年注目を集めている心拍動間隔の時系列解析(心拍変動解析)を用いて、心筋梗塞患者の回復期および維持期心臓リハビリテーション(CR)の効果判定を行い、本法のCRにおける有用性を検討したものである。

 本論文は、2つの調査研究を含む全5章より構成されている。

 心筋梗塞をはじめとする虚血性心疾患の増加、新たな治療法の開発による死亡率低下を背景に、患者の日常生活復帰、病気の再発予防を目的として実施されるCRが大きな課題となっている。従来、CRの中核が運動療法であった歴史的経緯もあり、運動耐容能の向上をもって効果判定を行うのが主流であったが、近年では、より高い質の生活復帰を目指し、運動耐容能を補完するような効果判定の指標の模索が行われている。第1,2章では、自律神経活動が、1)運動耐容能と並ぶ危険因子である肥満、高血圧、ストレスと関連が深いこと、2)しかしこれまでCRの効果判定にほとんど導入されてこなかったこと、3)心臓副交感神経系の活動亢進が心臓の電気的安定性を向上させることからCRの効果判定の指標として優れていることを示し、本論文の意義を確認している。

 第3章では、発作後15〜30日の心筋梗塞患者を対象に、運動療法を主体とした8週間の通院CRを行った際の安静時心拍変動および運動中の心拍数変化を、運動耐容能とともに測定・評価した。その結果、適度な有酸素性運動により、運動耐容能の向上に加えて、安静時の心臓自律神経活動が副交感神経系亢進型となること、および運動中の心拍反応が鈍化し、心筋酸素消費の観点からも好ましい効果が得られることが示された。

 第4章では、別の心筋梗塞患者を対象に、通院CRに引き続いて6ケ月〜1年間の在宅CRを行った際、同様の測定・評価を実施した。その結果、通院CRによって向上した運動耐容能は、運動療法・食事療法等を組み合わせた在宅CRによって維持されたが、安静時の自律神経活動については、副交感神経系活動が治療前と同水準まで再び低下した。維持期にこのような負の応答がみられた患者の多くは、職場復帰の程度が高く、体重・血圧の増加を伴っていたため、心拍変動解析による安静時の自律神経活動は、生活習慣上のストレスと密接に関与していることが示唆された。

 第5章では、以上の結果を総括して、従来の運動耐容能に偏ったCRの効果判定は不十分であり、心拍変動解析による安静時自律神経活動の評価がそのような欠点を補うものであるとの議論がなされている。

 以上のように、本論文は、心筋梗塞からの回復過程を、主として自律神経系の観点圭から長期に渡り観察したもので、CRの効果判定法の開発に新たな知見を与えたもので1ある。対照非治療群の欠如なども指摘されたが、臨床研究固有の制約もあり、本研究の価値を損なうほどのものではないと判断された。よって、本論文は、博士(教育学)の学位論文として十分優れたものと認められた。

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