学位論文要旨



No 115759
著者(漢字) 林,姫辰
著者(英字)
著者(カナ) イム,ヒジン
標題(和) ストレスに関する健康教育プログラムの開発 : 韓国の高校生を対象とした実証的研究
標題(洋)
報告番号 115759
報告番号 甲15759
学位授与日 2001.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第75号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 土方,苑子
 東京大学 助教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 下山,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は高校生のストレスに関する健康教育プログラムの開発を目的とした。この目的を達成するため,まず,対象集団の実態を把握したり,プログラムの有効性を評価したりする評価法を開発し,次に,高等学校教師の協力を得て,学校においてアクションリサーチを行った。

 ストレスは対象によって,また文化的,社会的背景によって,さまざまに変化するものである。そこで,本研究では対象を学歴偏重の進んだ韓国の高校生に限定した。生徒のストレスは学業に関するものが多く,中でも受験ストレスが高いことはよく知られている。韓国のように教育に関心の高い社会では,入試中心の教育を受けている高校生のストレスは高いと予測される。また,韓国は社会全般に深く,根づよい学閥による社会階層が形成されていると言われているので,大学に進学せず,高校卒業後就職を予定している高校生にとってもストレスは高いと思われる。このように,韓国では青少年をめぐる上述の社会間題に対処する必要性が高く,受験をはじめて経験するのが大学受験であることを考えると,韓国の高校生にストレスに関する健康教育を実施する意義は十分にあると思われる。

 プログラムの評価法の開発

 健康教育プログラムを開発したり,実践する場合は,プログラムの有効性を評価するための指標が必要である。そこで,本研究ではプログラムの開発の準備段階として,ストレスの過程を重視し,4段階で評価する質問紙調査を韓国ソウル市内の高校生1,188名に行い,「認知的ストレス尺度(98項目,36下位尺度,14上位尺度)」,「ストレス対処法尺度(41項目,22下位尺度,7上位尺度)」,「ストレス反応尺度(65項目,22下位尺度,3上位尺度)」からなるストレスに関する健康教育プログラムの評価法を開発した。このように下位尺度だけではなく,下位尺度をさらに統合した形の上位尺度を設けたことで,対象者の実態やプログラムの効果を総合的に,かつ,詳細にとらえることができる。

 尺度構成にあたって,あらかじめ対象としている高校生(1,196名)から自由記述法を用いて可能な限り多くのストレスに関する高校生自身の考えを収集したので,項目の母集団に近い項目が得られたと考えられる。これにより,本研究では過去の研究よりも多くの下位尺度が構成され,かつ,対象である高校生独自の下位尺度も得られたので,高校生のストレスの詳細な評価ができる。さらに,尺度得点の分布を考慮してパーセンタイル順位や丁得点による評価基準を設定した。また,本研究は健康教育を前提としているので,下位尺度の主成分分析を実施して,それぞれ14尺度,7尺度,3尺度に統合し,さらに個人評価票を用意し,プロフィールを描くことによって個人差や個人内差を視覚的に示すこともできるようにした。教育現場において,この調査票を課題とし,生徒が自分のプロフィール(個人評価票)を自分で作成することにより,生徒に自分のストレス状態を気づかせるような教育的効果も期待できる。

 さらに,上述とは異なる対象として韓国の女子高校生320名を選び,同じ質問紙を用いた調査を実施し,共分散構造分析を用いて認知的ストレス尺度,ストレス対処法尺度,ストレス反応尺度の交差妥当性を検討した結果,新しいデータに対する適合度としては高い値が得られ,高い因子負荷量が得られた。次に,韓国の女子高校生121名に対して1ヵ月間隔で調査を2度実施し,再テスト法による信頼性係数を推定した結果,高い値が得られた。したがって,本研究で提案した尺度の交差妥当性,信頼性はかなり高いといえる。これまで,ストレスに関する尺度は多数提案されてきたが,交差妥当性を検討した研究は皆無である。この意味で,本研究はストレスに関する尺度の標準化を目指した数少ない研究といえる。

 プログラムの開発 : アクションリサーチ−

 上述の3つの尺度を用いて韓国の一般系高校(academic high school,以下「進学校」)および実業系高校(vocational high school,以下「就職校」)の男女高校生のストレスの実態を検討した結果,ストレス反応の下位尺度のほとんどで女子進学校の生徒の得点が高く,このような顕著な差が認知的ストレス,ストレス対処法では見られなかったことから,女子進学校の生徒に対する介入の重要性が示唆された。また,2年生が最も自分自身の将来のことについて深く考え,悩む時期であると考えられ,新しい対処法も身につける時期であることや,ストレスの短期的影響であると考えられる「精神的反応」と「抵抗力の低下」では2年生,ストレスの長期的影響であると考えられる「身体的反応」では3年生が高い得点を示したことから,介入時期については第2学年の1学期が適当であると考えられた。

 本研究では,“「認知的ストレス」→「ストレス対処法」→「ストレス反応」”を基本とする仮説的因果モデルを仮定し,共分散構造分析を用いて,ストレスの過程を検証した。その結果,モデルの適合度は十分に高いとは言えないが,安定したパラメータの推定値が得られた。また,韓国の高校生がストレッサーを強いストレスとして認知するほど,自己合理化や我慢・あきらめの対処法をよく用い,さらに自己合理化や我慢・あきらめの対処法をよく用いる生徒は精神的反応を起こしやすい傾向があることが明らかになった。このように,本研究の対象者が認知的ストレスに対して,健康に望ましくない影響をもたらす自己合理化,我慢・あきらめの対処法をよく用いていたという事実は,韓国の高校生にストレスに関する健康教育を実施する必要性を示唆するものである。

 以上で明らかになった知見を考慮して,高校生の集団を対象とするストレスに関する健康教育プログラムを開発した。本研究で作成されたプログラムは,不登校やいじめなどの特定のケースの予防のためのものではなく,青少年の誰もが感じているストレス状態を和らげ,健康に望ましくない行動の発現を防止し,健康を推進させ,青少年の生活の質を高めることをめざしている。また,学校において集団を対象にする介入でありながら,介入する側から押しつけることなく,各活動において個人の気づきや認知過程を重視した。学習の全過程において対象者は参加型で学習活動を行い,主体的に取り組む。生徒が自主的に自らの行動を変容していき,それを援助するのである。このプログラムはストレッサーの認知,ストレス対処法,ストレス反応を過程として理解させ,健康的な対処法の大切さを認識させることをねらいとしている。プログラムの長さに関しては,長ければ長いほどその効果は期待できるが,現実にはストレスに関するプログラムを10時間も20時間も学校で実施することは不可能に近い。生徒に健康教育できる時間内に健康のいろいろな面を考慮し,バランスよく計画することが重要である。韓国では高等学校の教練における「精神衛生」の時間数が通常2時間であり,体育の保健編における「精神健康」の時間数も2時間程度である。そこで,本研究では課題としても実施可能な「ストレスの自己評価」を加えた3時間(課題+2時間)で完結するプログラムを開発した。

 このプログラムを実施し,その有効性を検討することを目的に,介入群(95名),対照群I(96名),対照群II(81名)を各々2クラスずつ設け,比較研究を行った。2時間にわたって,介入群には本プログラムを実施し,対照群Iには「精神衛生」の授業を例年どおり行った。対照群IIには「応急処置」の授業が行われた。その結果,本プログラムは対照群IIおよび対照群Iよりもストレッサーの認知の改善やストレス反応として現われる健康問題を減少させることが明らかになった。したがって,本プログラムは生徒のストレス状態の改善およびストレス反応の予防に有効であると推測された。

 このように,本研究では生徒の気づきや主体的学習活動による健康教育の有効性が確認された。今後,このアプローチをストレスに関する領域だけでなく,喫煙防止教育,薬物乱用防止教育や性教育などの健康教育全般に応用していくことが期待される。また,ストレス対処法としてたばこを吸ったり,酒を飲む生徒もかなりいることが明らかになったことから,喫煙防止教育や薬物乱用防止教育にもストレスを考慮した総合的健康教育が必要と思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、韓国の高校生を対象とし、自らのストレスに気づき、うまく対処できることを意図した健康教育プログラムの開発を目的とした研究について書かれたものである。(第I章)

 まず、先行研究を検討し、上記の目的にかなう学校教育で活用しうるプログラムの必要性が高いにもかかわらず、科学的根拠に裏付けられた教育方法や教材が乏しいことを示した。(第II章)この目的にかなうストレスに対する健康教育プログラム(以下、「プログラム」)を開発するために、対象者のストレス状態の把握、それらを測定する方法の開発、健康教育の実施・評価まで行ったのが本研究の大きな特色である。

 まず、「プログラム」やその評価法の開発を目指すこととし、韓国の複数の高等学校の生徒を対象として自由記述によるデータを収集し、それらに主成分分析を行い「認知的ストレス尺度(98項目)」、「ストレス対処法尺度(41項目)」、「ストレス反応尺度(65項目)」を構成した。そして、これらを実用性の観点から単純化し、それぞれ14尺度、7尺度、3尺度に統合した。(第III章)

 次に上記3つの尺度の交差妥当性を検討するため、上記とは異なる対象者について調査を実施し、仮説的モデルの適合性を共分散構造分析を用いて検討し、尺度の交差妥当性が高いことを明らかにした。さらに、対象者に1ヵ月間隔で2回調査し、信頼性の確認も行っている。(第IV章)以上を「プログラム」の評価法とした。

 健康教育プログラムの開発に先立ち、認知的ストレス、ストレス対処法、ストレス反応における性、学校、学年による差を検討し、高校生が感ずるストレスの内容や学年、性による違いが明らかになり、介入の時期としては第2学年が適当であるとの示唆が得られた。(第V章)

 また、効果的「プログラム」作成の基礎的検討として「認知的ストレス」、「ストレス対処法」、「ストレス反応」の3者がかかわると想定したストレス過程の仮説的因果モデルを検討し、因果関係の安定さを確かめた。(第VI章)

 以上を元に、ストレスの自己評価、ストレスの過程、ストレスの対処法からなる3時間で完結する高校生向け「プログラム」を開発し、2校の女子高校第2学年を対象とし、介入群と2種類の対照群を置いた「プログラム」の有効性の検討を行った。(第VII章)この結果、本「プログラム」が生徒のストレス状態の改善およびストレス反応の予防に有効であるという結論を得た。(第VIII章)

 本論文は、韓国の現代社会における青少年の健康状況を広く見据えた上で研究課題を設定し、実際に多量のデータを収集した上で、統計学的手法を駆使して尺度を作り調査票と評価法を開発し、その上でストレスに関する健康教育のアクションリサーチを実施した系統的な研究である。試みた「プログラム」の実施規模は必ずしも大きくはないが、本人自身が開発した点は評価に値する。以上より、本研究は当該領域の研究の進展に寄与するところ大であり、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいと判断された。

UTokyo Repositoryリンク