学位論文要旨



No 115761
著者(漢字) 市原,優
著者(英字)
著者(カナ) イチハラ,ユウ
標題(和) マツノザイセンチュウの樹体内移動と病徴発現機構の解明
標題(洋)
報告番号 115761
報告番号 甲15761
学位授与日 2001.03.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2204号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 助教授 福田,健二
 東京大学 助教授 山田,利博
内容要旨 要旨を表示する

 マツノザイセンチュウ(Bursaphelenchus xylophilus(Steiner and Buhrer)Nickle)がマツ材線虫病の病原体であることが発見されて以来,約30年が経過するにもかかわらず,マツ材線虫病による被害はいまだ衰えず,日本や東アジアでは被害が続き,ヨーロッパにおいてもマツ材輸入等によりヨーロッパアカマツへの被害が懸念されている。いままでに,本病の枯死機構に関して数多くの研究がなされてきているが,その最も基礎的な線虫の移動経路と病徴発現部位との対応関係について,いまだ明らかでないことが多い。本研究では,マツ樹体内におけるマツノザイセンチュウの移動経路を把握することを第一の目的とし,さらに,マツ組織内の線虫存在部位と病徴発現部位との対応関係を明らかにすることにより,マツ材線虫病の病徴発現機構を明らかにすることを目的とした。

マツ樹体内における線虫の初期移動と病徴発現

 マツ樹体内における線虫の初期移動と病徴発現部位との対応を明らかにするために,1年生クロマツ(Pinus thunbergii Parl.)樹体内における,線虫の初期移動と病徴を調べた。線虫の移動を制御するために,線虫の病原性や温度条件を変えた処理区を設けた。高温下においた強病原性の線虫は,樹皮と木部の両方に分布し,解剖学的にはおもに皮層樹脂道や,皮層組織,木部垂直樹脂道,木部放射樹脂道に存在した。線虫は樹脂道をおもな移動経路としていることが明らかになった。さらに,線虫が形成層を横断する経路は,形成層を横切る木部放射樹脂道であることが明らかになった。弱病原性の線虫と,低温下の強病原性の線虫は,おもに皮層樹脂道に分布し,皮層組織,木部樹脂道への侵入はわずかだった。木部と樹皮の両方に線虫が侵入したときには,初期病徴と細胞死は,木部,樹皮ともに広く生じた。これに対し,線虫の侵入が皮層樹脂道に制限された場合,初期病徴は皮層樹脂道内に限られ,線虫がわずかに侵入した皮層組織と木部樹脂道では,ほとんど発現しなかった。以上から,線虫の存在部位と細胞死,初期病徴発現部位とに対応関係が認められ,線虫が侵入することによって細胞死が生じ,初期病徴が引き起こされることが示唆された。

針葉樹6属7種における線虫の移動と病徴発現

針葉樹には,樹皮と木部に樹脂道がある種,皮層樹脂道のみがある種,樹脂道がない種があり,このうち樹脂道の存在部位が異なる6属7種の切り枝と苗木を用いて,線虫接種後の線虫移動と病徴発現,枯死率について検討を加えた。木部と樹皮に樹脂道があるクロマツ,カラマツ,エゾマツでは,線虫が木部と樹皮の両方を移動し,樹皮の褐変と木部通道阻害が発生した。樹皮のみに樹脂道があるトドマツ,モミでは,線虫は樹皮を移動して褐変を引き起こしたのに対して,木部にはほとんど侵入せず,木部通道阻害はほとんど発生しなかった。樹脂道がないスギ,ヒノキでは,樹皮に傷害樹脂道が形成され褐変したが,木部に線虫は侵入せず,木部通道阻害はほとんど発生しなかった。樹脂道がある樹種では枯死木が発生したが,樹脂道がないスギ,ヒノキでは枯死木は発生しなかった。以上から,マツ属以外の樹種でも線虫の移動経路は樹脂道であることが明らかになり,線虫の定着,増殖には樹脂道の存在が必要であることが示唆された。また,樹脂道が存在する組織において線虫の侵入と病徴発現が起こったことから,組織学的な病徴発現には,線虫が侵入することが必要であると考えられた。

樹皮における線虫移動の周皮による抑制

 マツの成木と苗木では,皮層樹脂道の樹体内分布様式が異なるため,線虫の移動経路が異なることが予想される。そこで,皮層の構造が線虫の初期移動に与える影響を明らかにするために,皮層樹脂道と周皮の分布様式と,線虫の初期移動の関係について調べた。線虫は,当年枝から2年枝の樹皮部を通過することができたが,周皮が形成された3年枝では移動が抑制された。3年枝において,皮層樹脂道は周皮によって閉塞されていた。また,線虫の感染を以前に受けたことにより,傷害周皮が形成されている切り枝においても,線虫の初期移動は抑制された。成木の枝の周皮や,以前の感染による傷害周皮によって,樹皮における線虫の移動は抑制されることが明らかになった。このことから,成木の枝から幹へと線虫が移動する経路は,木部の樹脂道と考えられる。

木部における線虫の移動と病徴発現

 木部における線虫の移動経路と病徴発現部位の対応関係を明らかにすることを目的として,6〜7年生クロマツの樹幹に線虫を接種し,樹幹の全周へ線虫が分散する過程と病徴発現を調べた。接種直後,線虫接種部側に線虫が分散し木部通道阻害が発生したが,反対側には線虫は分散せず,木部通道阻害も生じなかった。しかし,その後の時間の経過とともに,反対側にも線虫が侵入し,木部通道阻害が生じた。接種部上下に切り込みを入れ,軸方向への線虫の移動を阻害した場合でも,接種部の反対側へ線虫は分散し,木部通道阻害が生じた。以上から,線虫は幹の木部を円周方向へ分散しにくいが,樹幹上部や下部を経由せずに,接種部と反対側に移動できることが示された。このことから,線虫は放射樹脂道と垂直樹脂道のつながりを移動経路として,幹の全周に分散すると考えられた。また,線虫が侵入した部位で木部通道阻害が生じたことから,幹全周で木部通道阻害が拡大するには,線虫が全周に分散する必要があると考えられる。

形成層への線虫の侵入

病徴の進展期において,形成層の壊死がマツの枯死要因として重要とされているが,形成層壊死の直接の原因はいまだ明らかでない。そこで,形成層の壊死原因を明らかにするために,12年生のクロマツに線虫を接種し,病徴進展期において解剖学的観察を行った。形成層は,線虫が侵入することによって生じたキャビティによって壊死していた。また,キャビティに近接した木部では,線虫の密度が非常に高かったのに対し,キャビティが形成されていない形成層に接した木部では,線虫の密度が低いことが多かった。以上から,形成層のキャビティは,近接する組織で線虫が高密度になり,形成層に侵入することによって形成されると考えられた。このことから,形成層壊死が生じるには,線虫が高密度に増殖する必要があると考えられる。

病徴進展過程における線虫の形成層への侵入時期

 病徴進展過程における形成層壊死の経時的な変化を明らかにするために,6年生クロマツに線虫を接種し,線虫と形成層壊死部の分布,病徴進展を調べた。病徴進展の初期には,木部通道阻害の拡大と平行して,光合成と蒸散が低下した。病徴進展期には,木部通道阻害がさらに拡大したのに伴い,光合成と蒸散が停止し,これに遅れて水ポテンシャルが低下するという,病徴進展経過をたどった。線虫は,病徴初期に樹体全体へと分散し,進展期に当年生部位で増殖した。キャビティによる形成層壊死部は,病徴初期には認められず,進展期に水ポテンシャルが低下して萎凋した時でも,当年生部位に局在していた。以上から,キャビティによる形成層壊死は,病徴初期には起こらず,進展期に線虫が高密度に増殖した部位で生じることが明らかになった。このような形成層壊死の経時的な観察から,マツの萎凋を表す水ポテンシャルの低下は,形成層壊死が直接の原因ではなく,木部における水分通道抵抗の増大がおもな原因と考えられた。

まとめ

 マツノザイセンチュウのクロマツ樹体内における移動経路が明らかになり,さらに,線虫の存在部位と病徴発現部位に対応関係が認められた。

 線虫の移動経路についてみると,当年枝の傷から皮層樹脂道に侵入した線虫は,おもに皮層樹脂道内を移動していく。皮層樹脂道は3年生枝付近で周皮によって閉塞されているために,線虫はそれ以上樹皮を移動できない。皮層樹脂道から,組織を破壊して皮層組織へと侵入した線虫は,形成層を横断している放射樹脂道の末端に侵入し,木部樹脂道に侵入する。木部の樹脂道は,軸方向と放射方向に長いため,円周方向には移動しにくい。しかし,時間とともに樹幹全体に線虫が分布する。病徴進展期には,線虫は爆発的に増殖する。線虫が高密度になった木部では,線虫は放射樹脂道を経由して近接する形成層に侵入し,形成層の組織を破壊してキャビティを形成する。

 病徴発現についてみると,初期には,線虫が侵入した柔組織で細胞死が起こり,それに伴って,皮層組織には褐変が生じ,木部ではパッチ状の通道阻害が生じる。進展期には,線虫が侵入した形成層にキャビティが形成され褐変する。このように,線虫の存在部位と組織学的な病徴発現部位との間には,密接な対応関係があることが明らかにされた。さらに,木部において線虫が移動分散することにより,木部通道阻害が増大することが,病徴進展において重要であると考察された。

審査要旨 要旨を表示する

 マツノザイセンチュウ(以下,材線虫)がマツ材線虫病の病原であることが明らかにされて約30年が経過したが,本病による被害は未だに衰えずアジア各地で流行病となり,ヨーロッパにおけるマツ林への蔓延が懸念されている。しかし,本病の萎凋枯死機構の最も基礎的な部分であるマツ樹体内における材線虫の移動経路については,病徴発現との関係を含めて,未だに不明な点が多い。

 本論文は,マツ樹体内における材線虫の移動経路を明らかにし,さらに,樹体内における材線虫侵入部位と病徴発現部位との対応関係によって,マツ材線虫病の病徴発現機構を明らかにしたもので,4章よりなっている。

 第1章は,序論にあてられ,本病に関する既往の研究と問題点について検討され,本論文の目的について述べている。

 第2章では,マツ樹体内における材線虫の初期移動と病徴発現との関係について,材線虫の初期移動は,樹脂道をおもな移動経路とし,さらに,形成層を横断する経路は形成層を横切る木部放射樹脂道であることを明らかにした。また,木部と樹皮の両方に材線虫が侵入したときには,初期病徴と樹体組織の細胞死が,木部,樹皮ともに広く生ずることを示した。そして,材線虫の侵入部位と細胞死および初期病徴発現部位とには明瞭な対応関係が認められ,材線虫が侵入することによって細胞死が生じ,初期病徴が引き起こされることが明らかにされた。

 針葉樹6属7種における材線虫の移動と病徴発現との関係についてみると,マツ属以外の樹種でも材線虫の侵入経路は樹脂道であり,樹脂道が存在する組織において材線虫の侵入と病徴が発現することから,材線虫の定着・増殖には樹脂道の存在が不可欠であることを明らかにした。

 一方,マツの成木と苗木では皮層樹脂道の樹体内分布様式が異なるため,材線虫の移動経路が異なることが予想される。そこで,皮層の構造が材線虫の初期移動に与える影響について検討し,樹皮における材線虫の移動は成木の枝の周皮や傷害周皮によって抑制されることを明らかにした。

 また,木部における材線虫の移動は,幹の木部を円周方向へ分散しにくいものの,樹幹上部や下部を経由せずに接種部と反対側に移動できることが示された。すなわち,材線虫は放射樹脂道と垂直樹脂道のつながりを移動経路として幹の全周に分散するものと考えられた。

 第3章では,従来の萎凋枯死機構の解明では,接種材料として小さな苗木を用いた実験が殆どであることから,成木を用いて形成層の壊死が樹体に及ぼす影響について明らかにした。

 形成層は,病徴の進展期には,材線虫が侵入することによって生じたキャビティによって壊死している。この原因は,キャビティに近接した木部での材線虫密度が高まり,近接する形成層へと侵入することによって引き起こされるものと考えられた。このことから,形成層壊死が生じるには,線虫が高密度に増殖する必要があることを明らかにした。

 病徴進展過程における形成層壊死の経時的な推移は,病徴進展の初期には,木部通道阻害の拡大と平行して,光合成と蒸散が低下した。病徴進展期には,木部通道阻害がさらに拡大することにともない,光合成と蒸散が停止し,これに遅れて水ポテンシャルが低下するという病徴進展経過をたどった。材線虫は,病徴初期に樹体全体へと分散し,進展期には当年生部位で増殖した。キャビティによる形成層壊死部は,病徴初期には認められず,進展期に水ポテンシャルが低下して萎凋した時点でも,当年生部位に局在していた。以上のことから,キャビティの形成によって引き起こされる形成層の壊死は,病徴の初期には認められず,病徴の進展期に線虫が高密度に増殖した部位で生じることが明らかにされた。このような形成層壊死の経時的な観察から,マツの萎凋の指標となる水ポテンシャルの低下は,形成層壊死が直接の原因ではなく,木部における水分通道抵抗の増大がおもな原因と考えられた。

 第4章では,材線虫の樹体内移動と病徴発現機構が総合的に考察された。

 以上を要するに,本論文は材線虫のマツ樹体内での移動経路を明らかにし,材線虫の存在部位と病徴発現部位との対応関係を明らかにしたもので,学術上,応用上,貢献することが少なくない。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク