学位論文要旨



No 115762
著者(漢字) 田川,一彦
著者(英字)
著者(カナ) タガワ,カズヒコ
標題(和) 骨格筋特異的に発現するカルパイン(p94)の生理機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 115762
報告番号 甲15762
学位授与日 2001.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1690号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝木,元也
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 広澤,一成
内容要旨 要旨を表示する

序論

 p94(カルパイン3)は骨格筋特異的に発現し、カルパインスーパーファミリーに属する。カルパインスーパーファミリーにおいて代表的なのは哺乳類μ-、m-カルパインである。この2つのアイソザイムはCa2+により制御される細胞内システインプロテアーゼであり、組織普遍的な分布を示す。それぞれの分子は分子量約80kDaの活性サブユニットと両者に共通である約30kDaの調節サブユニットから構成されるヘテロ二量体である。p94は全長にわたってμ-、m-カルパインの活性サブユニットと高い相同性をもち、一方で特異的な3つの挿入配列(NS、IS1、IS2)を有する。IS1、IS2領域は自己消化あるいは自身の寿命に関与し、またIS2領域は巨大筋タンパク質コネクチンへの結合部位となっているが、NS領域についての機能は明らかではない。またμ-、m-カルパインの活性サブユニットとは異なり調節サブユニットとヘテロ二量体は構成しない。p94は自己消化活性が高く、タンパク質として検出と精製することが困難である。

 1995年に、p94が肢帯型筋ジストロフィー2A型(LGMD2A)の責任遺伝子産物であることが報告された。筋ジストロフィーは骨格筋の筋線維の壊死と再生を主な筋病理的所見とし、進行性の筋萎縮と筋力低下がみられる遺伝性疾患である。このうちLGMDは四肢近位と腰帯部の筋力低下と筋萎縮を特徴とする。LGMDは様々な責任遺伝子による不均一な疾病群であるが、現在までに遺伝子座の違いにより14種類に分類されている。その筋病理所見の特徴は筋線維の壊死・再生、大小不同、肥大線維、分葉線維、分割線維である。この疾患群の一つであるLGMD2Aは常染色体劣性遺伝形式をとる。筋ジストロフィーにおいて、なぜ筋線維が壊死に陥るかはいまだ明らかとはされていないが、ジストロフィンとその複合体や関連タンパク質の発見により筋細胞膜に一次的あるいは二次的な原因があると考えられるている。

 本論文では、p94の生理機能とLGMD2Aの病態分子機構との関係を解明するために、活性中心アミノ酸残基であるCys-129をSerに置換したP94のプロテアーゼ不活性型変異体(p94:C129S)を発現するトランスジェニックマウスを作製した。このトランスジエニックマウスの表現型よりp94のプロテアーゼ活性という生理機能が失われた状態を明らかとしたい。また、LGMD2Aの発症分子機構を研究していくためのモデル動物となり得るかを検討する。

結果

 骨格筋を含む多くの組織でp94:C129Sを発現する独立した3系統のトランスジェニックマウスS21、S44、S62系統を確立した。骨格筋で発現している外来性p94:C129Sタンパク質が内在性の野生型p94タンパク質とは区別できないためそれぞれの量は比較できなかったが、p94:C129S mRNAの量はS62≫S44〓S21であった。また骨格筋で発現しているp94:C129SmRNAの量は内在性の野生型p94mRNAと比較して一番多いS62系統マウスで約10%、S44とS21系統マウスで1%以下であった。C57BL/6CrSlc(B6)マウスと比較してp94:C129S-トランスジェニックマウスは外見上の明らかな違いが観察されず、12週齢まで体重も同程度であった。しかしながら、20週齢以降S62系統マウスはB6マウスより体重が増加していた。実際、解剖したときにS62系統マウスはB6マウスと比較して多くの脂肪組織が観察された。次に運動機能として握力を測定すると、p94:C129SmRNAの発現量の増加と加齢に依存して握力が低下していた。S21系統マウスにおいてはごくわずかな減少であったが、S44とS62系統マウスでは有意な減少を示した。S62系統マウスの体重増加については、その筋力の低下によりB6マウスより活動的でなくなり、脂肪組織の多い肥満な状態になったのではないかと考えられた。次に106週齢S62系統マウスの連続凍結切片による組織化学的な解析により、tubular aggregate様構造、中心核、分葉線維、分割線維といったミオパチー様の異常を明らかに示した。特に中心核と分割線維はLGMDに特徴的な所見であり、分葉線維においてはLGMD2Aに特徴的な所見であった。しかしながら筋ジストロフィーを特徴づける壊死再生線維そのものは観察されなかった。このような筋病理所見は、同週齢のB6マウスには観察されないか明らかにその程度が低かった。対照的に、40週齢のS62系統とB6マウスの筋線維には前述のミオパチー様の筋病理所見をはじめとして異常は認められなかった。最後にこの106週齢S62系統の骨格筋にはp94:C129Sタンパク質が蓄積していることが強く示唆された。

考察

 p94の機能における以前の知見とこの研究における結果より、LGMD2Aの病態分子機構に関して以下のように考察した。

(1)p94:C129Sの発現がミオパチー様表現型を引き起こすことは、他の因子あるいは遺伝子がLGMD2Aに関連している可能性はあるが、p94タンパク質自身、特にそのプロテアーゼ活性の欠失あるいは低下がLGMD2Aにおける症状の原因である。

(2)加齢したp94:C129S−トランスジェニックマウスマウスの骨格筋においてp94:C129Sが蓄積していた理由については次のように考察する。p94:C129Sタンパク質のターンオーバーは野生型p94より遅い。結果としてコネクチンに結合しているp94:C129Sタンパク質は時間とともにゆっくりと増加し、ついには野生型p94に対して優勢となると考えられる。一方でコネクチンと結合しているp94だけが骨格筋中で安定に存在できる状態を保っていると考えられるため、コネクチンから解離している野生型p94とp94:C129Sは急激に自己消化されるか野生型p94および他のプロテアーゼのいずれかあるいは両方によりプロテオリシスされると考えられる。つまりp94:C129Sタンパク質の優勢化とp94タンパク質の全体量の恒常性によりp94:C129Sが蓄積したと考えられる。また、p94の急激な自己消化活性は、このp94タンパク質の量(分子数)を限定する機構の重要な部分であると考えられる。

(3)LGMD2Aが常染色体劣性遺伝形式であるにもかかわらず、野生型p94を発現しているp94:Cl29S−トランスジェニックマウスが機能獲得的な表現型を示したということは見かけ上矛盾している。この点については以下のように説明する。

 三次構造を変化させることなくプロテアーゼ活性のみを完全に不活性化していると考えられるp94:C129Sの変異はLGM2Aにおいていまだ見いだされてはいない。高次構造が保たれているp94:C129Sは一見“正常な”タンパク質として振る舞い、このため細胞の分解系から逃れたと考えられる。その結果として、p94:C129Sタンパク質が蓄積し、時間経過に従い野生型p94タンパク質と比較してp94:C129Sの優勢さがおき、p94のプロテオリシス活性という観点からみたときにドミナントネガティブな状態へ移行していると考えられる。このようにp94:C129Sは他のLGMD2Aの変異と比較して異なる性質もっている可能性がある。

 p94:C129Sの発現はプロモータが異なるため空間時間的に発現形式が内在性のp94遺伝子とは異なると考えられる。そのため発生あるいは発育の初期段階の野生型p94遺伝子の発現は非常に低いのでその時点でのp94:C129Sの発現が優勢であるかもしれない。このように、発生初期段階のp94:C129Sタンパク質の優勢さが骨格筋のその後の分化と成長に影響を及ぼすかもしれない。また、成体の筋線維ではそのタイプに依存して野生型のp94の発現が変化している。この場合骨格筋全体においてp94:C129S mRNAの総量は野生型より少ないが、野生型p94を非常に少量発現している筋線維ではp94:C129S mRNAが優勢に発現しているかもしない。異常はこれらの筋線維にのみ現れて、その結果骨格筋全体では穏やかな機能不全となるかもしれない。

(4)プロテアーゼの不活性化がタンパク質分解を含む筋肉の壊死を引き起こすことは珍しい事象と考えられる。DMDや他の筋ジストロフィーにおいては、ジストロフィン、サルコグリカン群あるいは他の骨格筋の構造タンパク質が欠損し、筋細胞膜の構造が不安定化する。そして引き起こされたCa2+濃度の上昇によりμ-、m-カルパインが活性化し、壊死に至る。しかしながら、LGMD2Aにおいてはp94の活性の欠失あるいは低下が最終的にLGMD2Aを引き起こす。これは既存の筋ジストロフィー発症過程を説明する場合におけるμ-、m-カルパインの作用とは逆の考え方である。カルパインの活性が低下すると標的となるタンパク質が不安定化するという同様の事象がSacch arom yces cerevisiaeのカルパイン様システインプロテアーゼをコードするCPL1にみいだされる。ひとつの仮説は、p94が筋線維の壊死に関連したプロテアーゼあるいはプロテアーゼの活性化因子を不活性化しているということである。このように、p94とCpllpは細胞内のプロテオリシスを制御している新しいタイプのプロテアーゼであると考えられる。

 p94(カルパイン3)の分子レベルにおける生理機能に関する情報はまだまだ少なく、LGMD2Aの病態分子機構についても未解決である。今回のp94:C129S-トランスジェニックマウスの研究によって、p94プロテアーゼ活性とLGMD2A様表現型の関係は証明された。今後はp94がいつ、どこで、どのようなシグナルを受け、何を基質としているかという点を解決していく必要がある。まず最初はp94の生理的な基質に関して研究を進めて行くべきであると考えている。また、このp94の機能としてはタンパク質代謝的なプロテオリシスというよりシグナル伝達の系として考えるべきであろう。基質の解析とともにp94を解離させるシグナルについての研究も大変興味あるところである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、骨格筋特異的に発現しているp94の生理機能と肢帯型筋ジストロフィー2A型(LGMD2A)の病態分子機構との関係を解明するために、活性中心アミノ酸残基であるCys-129をSerに置換したp94のプロテアーゼ不活性型変異体(p94:C129S)を発現するトランスジェニックマウスを作製した。このトランスジェニックマウスの表現型よりp94のプロテアーゼ活性という生理機能が失われた状態が明らかとし、LGMD2Aの発症分子機構を研究していくためのモデル動物となり得るかを検討するために解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.骨格筋を含む多くの組織でp94:C129Sを発現する独立した3系統のトランスジェニックマウスS21、S44、S62系統を確立た。p94:C129S mRNAの量はS62≫S44〓S21であり、骨格筋で発現しているその量は内在性の野生型p94 mRNAと比較して一番多いS62系統マウスで約10%、S44とS21系統マウスで1%以下であった。C57BL/6CrSlc(B6)マウスと比較してp94:C129S−トランスジェニックマウスは外見上の明らかな違いは観察されなかった。

2.運動機能として握力を測定すると、p94:C129S mRNAの発現量の増加と加齢に依存して握力が低下していた。S21系統マウスにおいてはごくわずかな減少であったが、S44とS62系統マウスでは有意な減少を示した。

3.106週齢S62系統マウスの連続凍結切片による組織化学的な解析により、tubular aggregate様構造、中心核、分葉線維、分割線維といったミオパチー様の異常を明らかに示した。特に中心核と分割線維はLGMDに特徴的な所見であり、分葉線維においてはLGMD2Aに特徴的な所見であった。しかしながら筋ジストロフィーを特徴づける壊死再生線維そのものは観察されなかった。このような筋病理所見は、同週齢のB6マウスには観察されないか明らかにその程度が低かった。対照的に、40週齢のS62系統とB6マウスの筋一線維には前述のミオパチー様の筋病理所見をはじめとして異常は認められなかった。

4.106週齢S62系統の骨格筋には同週齢のB6マウスと比較して、p94タンパク質が蓄積し、その自己消化活性が減少していた。つまりp94:C129Sタンパク質が蓄積していることが強く示唆された。

 以上、本論文はp94:C129Sの発現がLGMD2A様表現型を引き起こしたことより、そのプロテアーゼ活性がLGMD2Aにおける症状の原因であることを明らかとした。本研究はこれまでほとんど未知であったLGMD2Aの病態分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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