学位論文要旨



No 115765
著者(漢字) 高橋,誠一郎
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,セイイチロウ
標題(和) らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖の培養細胞による産生
標題(洋)
報告番号 115765
報告番号 甲15765
学位授与日 2001.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第283号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 教授 赤沼,宏健
 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 助教授 松田,良一
 東京大学 助教授 豊島,陽子
内容要旨 要旨を表示する

 コラーゲンタンパク質の生合成・分泌機構についてはI型コラーゲンに関する研究の成果から,生体内で機能を果たしている三本鎖らせん構造を有しているコラーゲン分子だけが産生されるように細胞内の生合成・分泌調節機構により保証されていると一般に受け入れられている.すなわち,コラーゲン分子は三本のポリペプチド鎖(各ポリペプチドをコラーゲンタンパク質ではα鎖と呼ぶ)が三本鎖らせんを形成され完成されたものだけが細胞外へ分泌され,らせん構造を持たないコラーゲンα鎖は分泌されず,生合成過程で除去される機構(品質管理機構)が働いて,細胞内で分解を受ける.

 一方,らせんを持たないIV型コラーゲンのα鎖[IV型コラーゲンのα鎖をα(IV)鎖と書く]が培養細胞によって産生されたとの先行研究がある.ところが,これらの先行研究で用いた細胞は腫瘍由来のもの,あるいはα(IV)鎖を強制発現させたものであることから,非生理的な条件での現象と考察している.すなわち,らせん構造を持たないα(IV)鎖の産生・分泌の原因は,IV型コラーゲン分子の構成成分(IV型コラーゲン分子は異なるα鎖から構成されている)である,どちらかのα(IV)鎖が翻訳されていない,または不足しているため,余剰のα鎖が分解されずに,たまたま細胞外に検出されたとの考察,あるいは,コラーゲン分子の生合成過程における品質管理機構が働いていないためであろうと考察され,生理的意義についてはふれていない,

 私ははらせん構造を持たない一本のポリペプチド鎖からなるIV型コラーゲン遺伝子産物α(IV)が生理的な条件下でも分泌される可能性に着目して研究を展開し,その結果,培養正常ヒト胎児肺由来線維芽細胞(TIG-1)は生理的に変動しうる範囲の細胞外の環境に依存して,らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖を産生するとの結論を得た.これらの研究過程から,らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖の産生が生理的な意義があるとの考えを持つに至った.

 得られた研究の成果の概要は次の通りである.ヒト胎児肺由来線維芽細胞TIG-1細胞は長期培養すると,I型コラーゲンだけでなく,IV型コラーゲンを産生・分泌し,細胞層へ蓄積していく.IV型コラーゲンの細胞層への蓄積と細胞上清中の量との関係を培養時間経過とともに検討する過程で,培養上清中に時折IV型コラーゲンα1鎖に特異的なアミノ酸配列を認識する単クローン抗体と反応する,サイズ180Kのポリペプチドが存在することを見いだした.IV型コラーゲン分子中のα1(IV)鎖は三本鎖らせん構造を形成しているだけでなく,鎖間にジスルフィド結合を有するので,非還元条件でウェスタンブロットするとα鎖の3倍のサイズ,500kDa(これをγ鎖と呼ぶ)になるのに対し,サイズ180Kポリペプチド鎖は非還元条件で見られる(NR180K).このポリペプチド鎖(NR180K)がどのような培養条件で産生されるのかを試行錯誤した結果,血清を添加した培養液の場合で,しかも,培養の開始後,未だ細胞外マトリックス成分等が十分蓄積されていない培養期間中で,再現性よく分泌されることを見いだした.

 培養上清中のNR180の量は,らせんを喪失したIV型コラーゲンα1(IV)のアミノ酸配列を認識する抗α1(IV)鎖抗体JK132を用いたELISAの値と相関する実験結果が得られた.そこで,NR180の構造を解明するために,NIU80含量の高い培養上清から,JK132抗体アフィニティーカラムを用いてNR180を単離することを試みた.その結果,NR180のみが結合画分に回収された.単離したNR80をバクテリア・コラゲナーゼにより処理すると,IV型コラーゲン鎖のNC1領域(NCはnon-collagenousの略)のサイズに相当する約30kDaのポリペプチド鎖が得られた.精製したNR180のV8proteaseの消化断片のアミノ酸配列を一部(17残基)決定した結果,ヒトα1(IV)鎖だけに存在する配列を得た.また,培養上清中のNR180はIV型コラーゲン分子中で鎖間でジスルフィド結合したα1(IV)鎖に比べて,トリプシンにより容易に(約1/100の濃度で)消化された.すなわち,NR180はらせんを持つIV型コラーゲン分子が示すプロテアーゼ耐性を示さなかった.以上のことから,NR180は鎖間S-S結合をしていない,らせん構造を持たないIV型コラーゲンα1鎖であると結論した.

 らせん構造を持たず会合もしていないα1(IV)鎖と,らせん構造を持ち鎖間にジスルフィド結合を有するα1(IV)鎖との,産生・分泌における関連を明らかにすべく,IV型コラーゲン分子を構成するもうひとつのα鎖であるα2(IV)鎖についての挙動を検討した.血清添加の培養上清で,かつ,NR180が存在する培養上清中だけに非還元で約180kDaの位置に移動するペプチド鎖(NR180-)が抗α2(IV)鎖抗体で検出された.IV型コラーゲン分子中のα2(IV)鎖は還元後に180kDaに移動することから,NR180-IIは鎖間S-S結合のないα2(IV)鎖であると結論した.また,抗体JK132アフィニティーカラムを利用して精製したNR180の濃縮画分にはNR180-IIは存在しなかった。これはNR180とNR180-IIとは非共有結合性の相互作用による会合もしていないことを示す.IV型コラーゲンα1鎖とα2鎖がらせん構造を持つか,持たないかということと,会合しているか,いないかが連動している可能性が示唆された.らせんを持たないα(IV)鎖とらせん構造を持ち,還元後にα(IV)鎖になるポリペプチド鎖は尿素中でのSDS電気泳動で異なる移動度を示すことから,翻訳後修飾に差があることが推論される.翻訳後修飾反応とα鎖の会合,らせん構造の形成が関係する可能性が想定されたので,らせん構造の形成の有無等に影響する細胞培養の条件が全α(IV)鎖の発現量およびα1(IV)鎖とα2(IV)鎖の量比にどのように関係するかを検討した.

 長期培養により培養上清中にらせんを持たないα(IV)鎖が検出できなくなった細胞層をトリプシンで分散し細胞を継代培養すると,再びらせんを持たないα(IV)鎖を産生するようになった.らせんを持たないα(IV)鎖の産生は細胞外の因子による影響は可逆的であると結論づけられる.血清の添加の有無によりα(IV)鎖間のジスルフィド結合の形成およびらせん構造の形成は影響を受けるが,α1(IV)鎖に対するα2(IV)鎖の量比はらせん構造形成の有無に無関係に一定であった.すなわち,IV型コラーゲン分子の構成成分であるα鎖の翻訳量のアンバランスが本現象を引き起こす原因とは考えられない.TGF-βの添加により,らせんを持たないα(IV)鎖(α1(IV)鎖とα2(IV)鎖)とらせんを持っα(IV)鎖を合わせたトータルのα(IV)鎖の産生量は増加するが,この場合も,α1(IV)鎖に対するα2(IV)鎖の量比は変化しない.つまり,翻訳されるα1(IV)鎖とα2(IV)鎖の量比は全翻訳量と関係ないと想定される.これらの結果を総合的に考慮すると,らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖(NR180およびNR180-II)が産生・分泌されたのは翻訳されたα(IV)鎖が三量体として会合する段階,あるいは,その後の三本鎖らせん構造の形成段階が進行しなかった結果であることを示唆する.さらに,NR180のアミノ酸配列にヒドロキシプロリンが含まれているが,NR180とNR180-IIとは会合していないことから,培養液に血清を添加した培養細胞内ではIV型コラーゲンα鎖がC末端領域で三本鎖に会合することが進行しないと解釈すると本研究で得られた現象が説明できる.

 本研究により,細胞外の環境を変えることにより可逆的にIV型コラーゲンのらせん構造形成の有無が左右されること(らせん構造をとるか,とらないかが細胞外の環境によって決定される)が示唆された.この現象がどのようなコラーゲンタンパク質にも当てはまるのか,それともIV型コラーゲンに特有のことか,という新たな課題をもたらした.仮に,本研究で見いだされた新事実がIV型コラーゲンに特有のことであるとすると,IV型コラーゲンに特異的なこととして何が考えられるかということが問題になる.らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖がらせん構造を持ち,鎖間にジスルフィド結合したIV型コラーゲンα鎖とは翻訳後の化学修飾が異なることはコラーゲン生合成・分泌機構において,細胞外から制御あるいは影響を受ける,新たなステップが存在することを示唆する.

審査要旨 要旨を表示する

 コラーゲンタンパク質はポリペプチド三本が会合し、コラーゲン三重らせんを形成してはじめて細胞外へ分泌される。三本鎖らせん構造を有しているコラーゲン分子だけが、生体内で機能を果たしているものであるとされている。細胞により合成されるコラーゲンタンパク質の品質管理機構として、コラーゲンらせん構造の形成についての研究が進んでいる。このようなコラーゲンタンパク質の現状の中で、論文提出者はらせん構造を持たない一本のポリペプチド鎖からなるIV型コラーゲン遺伝子産物α(IV)(コラーゲンタンパク質分子を構成する一本のポリペプチド鎖をα鎖と呼び、その後に示すローマン数字でコラーゲンの型を表す)が生理的な条件下でも分泌される可能性に着目して研究を展開し、その結果、培養正常ヒト胎児肺由来線維芽細胞(TIG-1)は生理的に変動しうる範囲の細胞外の環境に依存して、鎖間にジスルフィド結合のない、また、らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖を産生するとの結論を得た。

 得られた研究の成果の概要は次の通りである。TIG-1細胞は長期培養すると、I型コラーゲンだけでなく、IV型コラーゲンを産生・分泌し、細胞層へ蓄積していく。IV型コラーゲンの細胞層への蓄積の時間経過と細胞上清中の量との関係を検討する過程で、培養上清中に時折IV型コラーゲンα1鎖に特異的なアミノ酸配列を認識する単クローン抗体と反応する、サイズ180Kのポリペプチドが存在することを見いだした。IV型コラーゲン分子中のα(IV))鎖は三本で、らせん構造を形成しているだけでなく、鎖間にジスルフィド結合を有するので、非還元条件でウェスタンブロットするとα鎖の3倍のサイズ、500kDa(これをγ鎖と呼ぶ)が染色されるのに対し、180Kポリペプチド鎖は非還元条件で見られる(NR180K)。このポリペプチド鎖(NR180K)がどのような培養条件で産生されるのかを試行錯誤した結果、血清を添加した培養液の場合で、しかも、培養の開始後まだ細胞外マトリックス成分等が十分蓄積されていない培養期間では、再現性よく分泌されていることを見いだした。このポリペプチド鎖を抗体を用いたアフィニティークロマトにより、IV型コラーゲンから分離・精製し,構造を解析した結果、鎖間でジスルフィド結合を持たず、らせん構造を持たないα1(IV)鎖であることを見いだした。さらに、三本鎖らせん構造を有し、鎖間にジスルフィド結合をもったIV型コラーゲンを構成するもう一つのα鎖である、α2(IV)についても検討した結果、NR180K(NRα1(IV))と連動して、NR180K-II((NRα2(IV))鎖が出滅することが判明した。

 細胞を長期間培養していると、三重らせん構造を有するIV型コラーゲンだけが産生され、らせんを持たないα(IV)鎖は分泌されなくなる。しかし、長期培養した細胞層をトリプシンで分散し細胞を継代培養すると、再び、らせん構造を持たないα(IV)鎖を産生するようになった。ジスルフィド結合したIV型コラーゲン中のα1(IV)鎖とα2(IV)鎖の量比は、らせんを持たないα1(IV)鎖とα2(IV)鎖の量比と変わらなかった。すたわち、翻訳されたα1(IV)鎖とα2(IV)鎖の比はらせん構造形成の有無、したがって、鎖間のジスルフィド結合の有無に無関係に一定であった。また、培養が長期にわたり、らせんを持たないα(IV)鎖(α1(IV)鎖とα2(IV)鎖)の産生量が落ちると、その分だけ、還元後に生じるα1(IV)鎖(R180)の量が増加していた。全α鎖の翻訳量はらせん形成する、しないを決める要因に依らず一定であった。このような事実を最も単純に説明できるモデルを提唱した。すなわち、らせん構造を持たないIV型コラーゲンα鎖(NR180およびNR180-II)の産生・分泌は、翻訳されたα(IV)鎖が三量体として会合する段階あるいはその後の三本鎖らせん構造の形成段階が進まないことによる。NR180のアミノ酸配列にヒドロキシプロリンが含まれていること、また、NRl80とNR180-IIとが会合していないことから、IV型コラーゲンα鎖のC末端領域での三本鎖の会合が細胞外の血清中に存在する因子により抑制されるとの解釈が示された。

 本研究により、IV型コラーゲンポリペプチド鎖がらせん構造をとるか、とらないかが細胞外の環境によって決定され、細胞外の環境を変えることにより可逆的にらせん構造形成の有無を操作できることが示唆された。これはIV型コラーゲンの生合成機構についての新知見であるが、どのようなコラーゲンタンパク質にも当てはまるのか、それともIV型コラーゲンに特有のことか、という新たな課題をもたらした。また、仮に、本研究で見いだされた新事実がIV型コラーゲンに特有のことであるとするとどのようなIV型コラーゲンに特異的なこととして何が考えられるかということが問題になるが、コラーゲンの生合成機構にさらなる複雑なステップを考慮せざるをえないことを意味する。一方、らせん構造を持たないコラーゲンポリペプチド鎖に何らかの生理的な機能がありうるのか、これまで、誰も想像もしなかった課題が生まれた。腫瘍細胞の転移や腫瘍組織の拡張を抑えると報告されている、マトリックスメタロプロテアーゼの阻害作用物質あるいは血管新生の阻害物質の一つとして、らせん構造を持たないα(IV)鎖が関与することも想定される。本論文の研究成果は全く新しい観点からの発見であり、IV型コラーゲンだけでなく、コラーゲンタンパク質ファミリーの構造と機能およびその制御について、新たな分野を展開するための糸口となると思われる。

 以上の論文の内容の一部は共同研究として公表されているが、申請者の貢献度が最も高い。これらの内容について審査委員会で評価した結果、審査委員全員一致して、申請者論文は博士(学術)の学位にふさわしいと結論した。

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