学位論文要旨



No 115766
著者(漢字) 伊藤,雅充
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,マサミツ
標題(和) 筋活動中の筋-腱複合体の形状変化
標題(洋) Changes in architecture of a muscle tendon unit during muscle actions
報告番号 115766
報告番号 甲15766
学位授与日 2001.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第284号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 浮代,千之
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 川上,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

第1章 緒論

 ヒトの身体運動は、筋線維の収縮により発揮された張力が腱を介して骨に伝達され、関節を動作させることにより起こる。つまり、関節の動き(トルクや角度変化)はそれを構成する筋線維、腱組織及び骨の配列の仕方や位置関係といった構造的影響を受ける。筋線維の長さ変化が関節角度変化として、また筋線維の発揮した力が関節トルクとして身体外部に表れるため、ヒト生体では関節角度もしくは関節角速度と関節トルクとの関係が、筋線維の長さ−力、力−速度関係を反映したものとして求められてきた。しかし、最近の研究で筋線維の活動が関節の活動として表れるまでに筋−腱複合体の形状が影響を与えていることが明らかにされてきた。筋線維が発揮した張力および筋線維の長さ変化が腱組織へ伝達されるとき、羽状角(筋線維が腱組織に付着する角度)が影響を及ぼし、さらに腱組織へ伝達された長さ変化と張力は骨に伝達される前に腱とモーメントアーム(筋・腱の牽引方向と関節回転中心との距離)の影響を受けている。

 腱の特性に関する研究では,主として摘出腱を用いてスティッフネスやヤング率が求められてきた(Wooら,1980;Ker,1981など)。しかし、筋や腱の長さや太さは筋によりまた個体により異なるので,摘出筋や摘出腱による研究結果をヒト生体での研究結果に直接当てはめることはできない。従って,ヒト生体における筋活動中の筋一腱複合体の形状変化を定量化する必要がある。

 モーメントアームは、主としてヒト屍体を用いて関節角度変化と腱の移動量の関係(Anら、1983;Spoorら、1990;Delpら、1994)や関節トルクと腱張力の関係(Groodら、1984)から求められたり、ヒト生体でMRI等を用いて(Ruggら、1990;Marshallら、1990)測定されてきた。モーメントアームも筋や腱と同様に個体差があるため、ヒト屍体での研究結果をヒト生体に直接当てはめることはできない。ヒト生体でMRI等を用いてモーメントアームを測定する方法では、筋・腱の牽引方向が考慮されていない点や関節の回転中心の決定が問題となる。屍体の研究で行われているような機能的側面を考慮した手法を用いて、ヒト生体でモーメントアームを求めることが望ましい。

 近年,開発されてきた超音波断層撮影法を用いれば,ヒト随意筋活動中の筋線維や腱組織の動態をリアルタイムで計測することが可能である。そこで本論文では、超音波断層法を用いて筋活動による筋形状変化、腱の特性及びモーメントアームをヒト生体で直接的に評価することにより、それらの機能へ与える影響について明らかにすることを目的とした。

第2章ヒト骨格筋等尺性収縮中の筋束の非等尺性動態

 本実験では健康成人6名を被験者とし、足関節を固定した足背屈筋力発揮時(いわゆる‘等尺性’収縮)の前脛骨筋の筋形状(筋束長・羽状角)を超音波法を用いて測定した。その結果、随意最大筋力(MVC)発揮により、筋束は90±7mm(mean±SEM)から76±7mmまで16%短縮し、羽状角は10±1°から12±1°まで20%増加した。以上のように,筋−腱複合体の長さは一定であるにも関わらず、筋線維張力により腱が伸張され、その結果、筋線維は短縮することが確認された。そのとき、筋線維の短縮による機械的仕事は3.4±0.4Jと算出された。

 また、健康成人9名を被験者とし、‘等尺性’収縮中の前脛骨筋内に観察される腱組織の伸張量(△x)を超音波法を用いて定量することにより腱のスティッフネス及びヤング率を求めた。MVC発揮により、前脛骨筋の遠位腱は15±2mm伸張した。測定された関節トルクとモーメントアーム(Ruggら,1990)とから腱張力(Ft)を算出し,△x-Ft関係より腱のスティッフネスを算出した。また、腱の断面積(CSAt)を超音波法を用いて測定し、腱の初期長(Ltini)を第1中足骨から超音波計測点までとして測定することにより、ストレス(Ft/CRAt、)−ストレイン(△x/Ltini)関係を求めヤング率を算出した。スティッフネスは10N/mm(Et=10N)から32N/mm(Ft250N)に、ヤング率は157MPaから530MPaに増加した。これらの値は先行研究の範囲内(スティッフネス:10.5〜261.2N/mm、ヤング率:188〜1650MPa)にあった。腱の長さ−力関係は曲線部分(toeregion)とそれに続く直線部分から成るが、得られたスティッフネス(もしくはヤング率)-Ft関係から、ヒト生体内ではtoe regionが主に用いられていると考えられた。

第3章 Bモード超音波法を用いたヒト生体でのモーメントアーム算出

 本実験では健康成人7名を被験者とし、MVCの0、30、60%のトルク発揮中に関節角度を変化させ、そのときの腱の移動距離を超音波法を用いて計測し、腱の移動距離を関節角度変化で除することによりモーメントアーム(m)を算出した(Anら、1983)。得られたモーメントアーム-関節角度(a)関係をm=Rsin(a+△)を用いて最小二乗法で回帰した(MillerとDennis、1996)。Rは最大のモーメントアーム値、△はRが出現するときの関節角度を90°からのオフセットとして求めたものである。その結果、Rには30%と60%条件間には有意差は認められなかったが、能動的2条件と受動的(0%)条件間には有意差(pくO.01)が認められた。従って、両能動的条件から求められたモーメントアーム値(30%:49mm、60%:50mm)は妥当であると考えられる。

第4章 ヒト前脛骨筋の長さ-力関係と固有筋力

 本実験では健康成人6名を被験者とし、静的足背屈随意最大トルク(MVC)-足関節角度関係を求めた。MVC発揮中に超音波法を用いて前脛骨筋の縦断画像を撮像し、その画像から筋束長と羽状角を求めた。第3章で用いた方法でモーメントアームを求め、トルクを腱張力に換算した。このとき、先行研究(Yamaguchiら,1990)で報告されている生理学的断面積比から足背屈トルクの49.8%を前脛骨筋が発揮したものと仮定した。次に、腱張力から羽状角の値を用いて筋力(筋束方向の力)を求めた。筋体積を核磁気共鳴画像法を用いて求め、腱張力が最大となったときの筋束長と羽状角の値を用いて生理学的断面積を算出し、更に腱張力を生理学的断面積で除することにより固有筋力を求めた。足背屈トルクは関節角度100度で最大であったが、筋力は120度で最大となった。すなわち、最大の足背屈トルクは筋の長さ−力関係の上向脚で起こっていることがわかった。また、固有筋力の値は32.0±5.3N/cm2であった。

第5章 総括論議

 本論文では、超音波断層法を用いて筋活動中の筋-腱複合体の形状変化を評価した。ヒト身体運動中の筋-腱複合体の振る舞いについては、関節トルクや角度を入力パラメータとしたモデルを用いて議論されることが多かった。超音波断層法を用いると、様々な運動中の筋束の長さ変化や羽状角の変化等が定量化可能で、また、筋-腱複合体の持つ様々な形状的特性が求められる(本論文ではモーメントアーム、腱の弾性特性、固有筋力)。今後、超音波断層法とモデルを組み合わせた研究が、ヒト身体運動のメカニズム解明に大きく貢献すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文“Changes in architecture of a muscle-tendon unit during muscleactions”(和訳:「筋活動中の筋−腱複合体の形状変化」)では、超音波断層法を用いてヒト生体に於ける筋収縮中の筋腱複合体(MTC)の動態を測定することにより、関節を固定した状態での筋活動(静的筋活動)中に腱組織が伸長し,筋線維が短縮する事が明らかになった.更に,筋線維と腱組織との接合部位の移動する距離を定量する事により足関節のモーメントアーム長を測定する事が可能になった.また,関節角度を変化させることにより筋線維の発揮張力と筋線維長との関係を明らかにする事から筋の最大発揮張力が推定され、筋活動中の各種パラメータを用いてヒト生体での固有筋力を算出する事ができた.これらの研究から得られた知見は、身体運動科学における研究の新しい方向を示すものとして注目される。本論文は以下のようにまとめられる。

 (1)「ヒト骨格筋等尺性収縮中の筋束の非等尺性動態」を明らかにする為に,健康成人6名を被験者とし、足関節を固定した足背屈筋力発揮時(いわゆる‘等尺性’収縮)の前脛骨筋の筋形状(筋束長・羽状角)を超音波法を用いて測定した。その結果、随意最大筋力(MVC)発揮により、筋束は90±7mm(mean±SEM)から76±7mmで16%短縮し、羽状角は10±1°から12±1°まで20%増加した。以上のように,筋−腱複合体の長さは一定であるにも関わらず、筋線維張力により腱が伸張され、その結果、筋線維は短縮することが確認された。そのとき、筋線維の短縮による機械的仕事は3.4±0.4Jと算出された。また、健康成人9名を被験者とし、等尺性,収縮中の前脛骨筋内に観察される腱組織の伸張量(Dx)を超音波法を用いて定量することにより腱のスティッフネス及びヤング率を求めた。MVC発揮により、前脛骨筋の遠位腱は15±2mm伸張した。測定された関節トルクとモーメントアーム(Rug9ら,1990)とから腱張力(Ft)を算出し,Dx-Ft関係より腱のスティッフネスを算出した。また、腱の断面積(CSAt)を超音波法を用いて測定し、腱の初期長(Ltini)を第1中足骨から超音波計測点までとして測定することにより、ストレス(Ft/CSAt)-ストレイン(Dx/Ltini)関係を求めヤング率を算出した。スティッフフネスは10N/mm(Ft=10N)から32N/mm(Ft=250N)に、ヤング率は157MPaから530MPaに増加した。これらの値は先行研究の範囲内(スティッフネス:10.5〜261.2N/mm、ヤング率:188〜1650MPa)にあった。腱の長さ−力関係は曲線部分(toe region)とそれに続く直線部分から成るが、得られたスティッフネス(もしくはヤング率)-Ft関係から、ヒト生体内ではtoeregionが主に用いられていると考えられた。

(2)「Bモード超音波法を用いたヒト生体でのモーメントアーム」を算出する方法の開発する為に,健康成人7名を被験者とし、MVCの0、30、60%のトルク発揮中に関節角度を変化させ、そのときの腱の移動距離を超音波法を用いて計測し、腱の移動距離を関節角度変化で除することによりモーメントアーム(m)を算出した(Anら、1983)。得られたモーメントアーム−-関節角度(a)関係をm=Rsin(a+D)を用いて最小二乗法で回帰した(MillerとDemis、1996)。Rは最大のモーメントアーム値、DはRが出現するときの関節角度を90°からのオフセットとして求めたものである。その結果、Rには30%と60%条件間には有意差は認められなかったが、能動的2条件と受動的(0%)条件間には有意差(P<0・01)が認められた。従って、両能動的条件から求められたモーメントアーム値(30%:49mm、60%:50mm)は妥当であると考えられた.

(3)「ヒト前脛骨筋の長さ-力関係を明らかにし,固有筋力を算出する」ために,健康成人6名を被験者とし、静的足背屈随意最大トルクMVC)−足関節角度関係を求めた.MVC発揮中に超音波法を用いて前脛骨筋の縦断画像を撮像し、その画像から筋束長と羽状角を求めた。第3章で用いた方法でモーメントアームを求め、トルクを腱張力に換算した.このとき、先行研究(Yamaguchiら,1990)で報告されている生理学的断面積比から足背屈トルクの49.8%を前脛骨筋が発揮したものと仮定した.次に、腱張力から羽状角の値を用いて筋力(筋束方向の力)を求めた.筋体積を核磁気共鳴画像法を用いて求め、腱張力が最大となったときの筋束長と羽状角の値を用いて生理学的断面積を算出し、更に腱張力を生理学的断面積で除することにより固有筋力を求めた.その結果,足背屈トルクは関節角度100度で最大であったが、筋線維の発揮張力は120度で最大となった.すなわち、最大の足背屈トルクは筋の長さ-力関係の上向脚でを用いて発揮されていることが明らかになった.また、筋線維の長さ−力関係から至適長での最大張力が推定され,更に,筋収縮時のモーメントアーム,羽状角の測定から,固有筋力の値は32.0±5.3N/cm2と算出された.この値は,従来推定でしか明らかにされていなかった値をヒト生体で直接測定したものとして価値あるものである.

 以上のように、伊藤雅充君の論文は、ヒト生体における筋活動中の筋-腱複合体の振る舞いを定量し、随意努力下での張力発揮時の筋線維の長さ変化やモーメントアーム長変化を明らかにしたもので、身体運動科学の分野における意義は非常に大きいものがある。従って、伊藤雅充君により提出された本論文は、東京大学大学院課程による学位(学術)の授与に相応しいと内容と判定した。

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