学位論文要旨



No 115771
著者(漢字) 尾上,正人
著者(英字)
著者(カナ) オノウエ,マサト
標題(和) ミドル・クラスの社会主義 : 20世紀前半の英国労働党と産業国有化
標題(洋)
報告番号 115771
報告番号 甲15771
学位授与日 2001.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第306号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 助教授 武川,正吾
 東京大学 教授 近藤,和彦
内容要旨 要旨を表示する

 1995年春の、英国労働党党首トニー・ブレアによる党規約改正(公的所有条項の廃棄)は、通念的には、あるいはブレアら「新生労働党(ニュー・レイバー)」の唱道者たちによっても、20世紀を特徴づけた国権社会主義との訣別として、および、労働組合勢力がこの党で伝統的に有してきた隠然たる影響力を中和して「国民政党」へと変貌したことを象徴する事件として、受けとめられてきた。けれども、20世紀前半の英国労働党内の政治的・階層的布置状況を調べてゆくと、これらの見解とは全く異なった様相が明らかになる。すなわち、草創期の労働党で産業国有化を初めとする公的所有の拡延を主唱していたのはブレアと出自の似通ったミドル・クラスであり、労働組合勢力は国有化のような今日的な意味での社会主義色の強い政策に対しては消極的、場合によっては敵対的ですらあったのである。本論文は、このように20世紀前半の英国労働党と産業国有化を題材としつつ、ミドル・クラスと社会主義の関係を歴史的な視点から照射するものである。

 1918年に労働党が初めて明確な社会主義的信条として公的所有条項を採用したことのうちには、2つの主要な要因が働いていた。一つには、それまで労働党イデオロギーの重要な一角をなしていた非国教派キリスト教の、またそれを体現していた独立労働党の倫理的改革思想が、社会の世俗化の波に押されてさらには第一次世界大戦初期の労働者大衆の熱狂的愛国主義のために、正当性を失って凋落したことである。もう一つには、組織資本主義化の流れの中で新時代の新結合(シュムペーター)の担い手としてのニュー・ミドル・クラスが台頭して、経済活動だけでなく社会主義運動の中にまで深く浸透していったことである。第一次大戦中に、独立労働党の2人のプロレタリア出身ミドル・クラス(ケア・ハーディとマクドナルド)が死去ないし権威失墜して、代わってテクノクラート型ミドル・クラスの権化とも言うべきシドニー・ウェッブが党の中枢部に入ったことは、この2つの過程の進行を象徴していた。1906年の結党以来、社会主義を掲げない労働組合勢力と社会主義ミドル・クラスの寄り合い所帯であった労働党は、ウェッブが起草した18年の公的所有条項によって初めて、後者勢力のヘゲモニーの下に今日的意味での社会主義政党に変貌したのである―これは社会主義そのものの世俗化をも意味した。

 その後、アトリー政権期に至るまでの公的所有条項の実践過程もまた錯綜しているのであるが、重要な点は、労働組合が次第に公的所有を受け入れてゆくようになる一方で、先進的に公的所有を実践していたのは(特にロンドンの)ミドル・クラス主導の都市社会主義だったということである。ロンドンから中央政界に躍り出たモリソンは公的所有の方法として、労組勢力の経営参加を否定する「公社」を唱えて、彼らと対立し続けた。また、1930年代に英国史上ほぼ初めて群として出現した知識人=「ハイ・ブラウ」は、現実政治への影響力は軽微であったけれども、その高い言語操作能力のゆえに、社会主義を定義し、さらには「現実」化する上での役割は大きかった。「ハイ・ブラウ」によって、あるいはなお個々には宗教的・倫理的社会観を保持していた労働党政治家によって、第二次大戦は理想的な「民衆の戦争」、つまり階級障壁が打破される総力戦体制として「現実」化され、この戦時の「社会主義的」雰囲気がアトリー期の社会主義政策に繋がったという定式化もなされてきた。しかし、こうした社会主義的ミドル・クラスによって作られた「現実」とは別のところに労働者および広範な国民大衆の実際の生活・価値観はあったわけで、そのギャップによってアトリー政権の産業国有化に代表される社会主義政策は早期に後退を強いられていったと考えられる。

 本論文は理論的には、ミドル・クラスー般の概念史に光を当てつつ、社会主義的ミドル・クラスの3類型(プロレタリア出身者、テクノクラート型ミドル・クラス、「ハイ・ブラウ」)をも定式化した。第1類型から第3類型へと時代を下るほど彼らは、労働者大衆の生活世界から乖離した独自の世界認識をするようになる一方で、大衆を教化・煽動してゆくことへの情熱を消失していったと言える。ブレアら新生労働党」のミドル・クラスはそのいずれにも属さず、テクノクラート型国権社会主義を忌避して18〜19世紀の宗教的・倫理的社会主義への先祖返りを構想しているのだが、自らの理念の参照・準拠対象を現実社会の階層的存在(例えば「労働者階級」なり「ロウ・ブラウ」なり)に求めることがなくなったという点では、独自性もあるかもしれない。

審査要旨 要旨を表示する

 本稿は、主として20世紀英国労働党と産業国有化を題材としながら、ミドル・クラスの社会主義運動への参集を現在の英国労働党の戦略の到達までを歴史社会学的に考察し、広範なミドル・クラスと社会主義の関係を再考したものである。1995年春の、英国労働党党首トニー・ブレアによる党規約改正(公的所有条項の廃棄)は、通念的には、あるいはブレアら「新生労働党(ニュー・レイバー)」の唱道者たちによっても、20世紀を特徴づけた国権社会主義との訣別として、および、労働組合勢力がこの党で伝統的に有してきた隠然たる影響力を中和して「国民政党」へと変貌したことを象欲する事件として、受けとめられてきた。けれとも、20世紀前半の英国労他党内の政治的・階層的布置状況を調べてゆくと、これらの見解とは全く異なった様相が明らかになることを、ミドルークラス類型論と知識人論から論じている.第1章1995年の英国労働党党首トニー・ブレアが行なった党規約第4条改正―国有化条項すなわち「クローズIV社金主義」の廃棄―の歴史的意味を再考し、ブレアは少なくとも理念的には、「第三の道」論が鋭くような全く新しい時代の社会学志主義政党のためのアジェンダを設定しているというよりもむしろ、旧「クローズIV」を擁することによって「世俗化」してきたこの党の流れを再び19世紀社金主義的な方向へ引き戻そうとしていると捉えることもできるのでる、と指摘する。第2章では、「クローズIV社会主義」の推進に労組勢力以上に深く関わってきたミドル・クラスついて、英米圏に対象を限定してその概念史を追った上で、本稿なりの3類型のミドル・クラスの定義づけを行ない、それぞれ、第1類型;「ブルジョアジー」としての「ミドル・クラス」は、英国では19世紀末にブルジョアジーが土地貴族と融合して支配階級になることにより現実的な意味を失ったが、その後も「ミドル・クラスの徳」という形で理念像としては存続した層。第2類型;これと前後して出現したニュー・ミドル・クラスは、英国では米独と比べて産業の組織化の進捗が緩やかであったためにそれほど目立たず、当初は「下層ミドル・クラス」として概念化された層。第3類型;20世紀後半になって脱工業化・サーヴイス経済化・情報技術革命の流れの中で、「専門職ミドル・クラス」が、旧来的なホワイトカラーとしての「ニュー・ミドル・クラス」とは区別される特徴を持つ階層、である。

 第3章では、上で定義したミドル・クラスと労働者階級の政治的同盟関係を軸に、1918年の「クローズIV社会主義」成立以前の、社会主義に限らず広く社会改革運動において非国教派キリスト教が持った影響力を論じ、近代社会を一路世俗化・脱神秘化の過程と捉える通俗的見解とは裏腹に、英国では19世紀後半に至るまで、政治・社会運動上は国教会と非国教派の間の宗教対立を主軸としており、その軸は(後世の視点から見れば)階級横断的であって、したがって当時頻繁に見られたミドル・クラス(ブルジョアジー)と労働者の同盟関係の背後には宗教上の共通性(非国教派)があったと見ることもできる、と指摘する。第4章では、モリソンが体系化した公社思想のうちにすでに、労働党の産業国有化運動を特徴づけたミドル・クラスの覇権が胚胎していたことを示す。「生産手段の全的所有」を謳った旧「クローズIV」は、20世紀初頭から1920年代にかけては当面のところ、ガス・水道などの公益事業を都市自治体の統一的な所有の下に置くという、いわゆる「市有化(municipalisation)」を意味し、労働党周辺において市有化を思想的に体現していたのは、「都市社会主義」と呼ばれた潮流であったものであり、そこから、彼らの公的所有の拡延論や、社会主義とは、より根本的には、国民的生産力の組織化と制御を通じて経済の浪費と非効率性をなくすことにあり、公有化された企業の経営は、専門知識を持つプロフェッショナルな経営者に任せるべきであり、労働者参加や自主管理の発想は彼らには皆無であった、と指摘する。第5章では、上記の類型に当てはまらないミドル・クラスとしての知識人を考察し、1930年代の「ハイ・ブラウ」と呼ばれる一群の知識人勢力が登場によって、彼らに独特の主意主義的世界認識、普遍性への強い志向、また社会成員を「ハイ・ブラウ」「ロウ・ブラウ」に区分する手法などは、旧来の大衆指導型、あるいはテクノクラート型ミドル・クラスには見られないもので、階級社会的認識粋組に代わるものを予感させた、と指摘する一方、「ロウ・ブラウ」=民衆・大衆との断絶を過度に強調するがゆえに、人民戦線に代表されるような当時の社会運動において有効な役割を果たすことができなかった。第6章では、上記の「ハイ・ブラウ」や労働党政治家たちを中心に第二次大戦中当時から喧伝された、いわゆる「民衆の戦争(People's War)」論を批判的に検討している。この論は、総力戦体制が強いた挙国一致の生産動員体制によるモラール向上や、疎開・シェルターといった非日常的生活によって異なる国民諸階層が一同に参する機会が増えたことなどから、戦前からの階級障壁が打破されて共同体的雰囲気が生まれたことを強調し、この雰囲気が大戦末期からの世論の左傾化を促進して45年総選挙での労働党の地滑り的勝利をもたらし、アトリー政権の下での産業国有化・福祉国家といった社会(民主)主義的政策を背後で支え、ひいてはサッチャー政権登場まで続く「合意の政治」の国民意識レヴェルでの礎となった、とするものであるが、当時の社会史的な史料を振り返ると、「民衆の戦争」論に背馳する事実も多いことから、この説に異議を唱える。第7章では、すでに第一次大戦前後から特に議会労働党においてミドル・クラスの比重が高まっていたこと、またこのミドル・クラスの覇権の下にアトリー期の産業国有化政策が推進されていったことを概観し、45年総選挙での労働党の当選者は労組出身者が3分の1を割り、代わってミドル・クラスの新人議員が多数誕生し、少なくとも人員構成の面ではブレアの言う「新しき労働党」はこの時すでに胎動していた、と考察を進める。本論文ではこれらを踏まえて、20世紀前半の英国における社会主義的ミドル・クラスの3類型(プロレタリア出身者、テクノクラート型ミドル・クラス、「ハイ・ブラウ」)をも定式化した。第1類型から第3類型へと時代を下るほど彼らは、労働者大衆の生活世界から乖離した独自の世界認識をするようになる一方で、大衆を教化・煽動してゆくことへの情熱を消失していったと指摘し、ブレアら「新生労働党」のミドル・クラスはそのいずれにも属さず、テクノクラート型国権社会主義を忌避して18〜19世紀の宗教的・倫理的社会主義への先祖返りを構想している。と結論づける。

 本論文は、可能なかぎりでの資料と関連歴史研究書を丁寧に渉猟し、西ヨーロッパの社会主義思想全社会主義政党の階級的階層的通説に対する対抗を試みた野心作であるといえよう。特に4章は日本の研究の水準を引き上げたといえよう。ただ、社会学的な階層論と本論文の構想する階層類型とに、十分な整合性を今後一層考えねばならぬ点も見受けられるが、社会学が歴史研究を独自の資料と歴史学、政治学の研究成果を組み込みでほぼ1世紀の英国労働党を分析した作業とその結論への筋道は、本論文の目的を十分に達成したものと高く評価される。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものと結論をえた。

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