学位論文要旨



No 115775
著者(漢字) 浅野,由香子
著者(英字)
著者(カナ) アサノ,ユカコ
標題(和) タンパク質ホスファターゼ阻害剤calyculin-Aによってウニ未受精卵に誘導される表層収縮現象の解析
標題(洋) A study of cortical contraction induced in sea urchin eggs by calyculin-A
報告番号 115775
報告番号 甲15775
学位授与日 2001.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3877号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 室伏,擴
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 広野,雅文
内容要旨 要旨を表示する

 動物細胞の細胞質分裂は、細胞赤道面表層に形成される収縮環がアクチンとミオシンの滑り運動によって収縮し、細胞を二つにくびり切る現象である。近年、様々な生物で遺伝学的手法や生化学的手法により細胞質分裂に関与するタンパク質の同定は進んでいるものの、その制御機構は未だ明らかにされていない。しかしタンパク質の機能調節に重要であるリン酸化反応の関与を示唆する報告が蓄積しつつあり、その一つに、タンパク質ホスファターゼの阻害剤であるcalyculin-A(CL-A)がウニ未受精卵に細胞質分裂に類似した形態変化を誘導するという報告がある(Tosuji et al.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA89:10613-10617(1992))。すなわち、ウニ未受精卵をCL-Aで処理することにより、卵表層でアクチンの重合、束化が起こり、やがてアクチン繊維束はリング状に集積し、収縮して卵を二つにくびりきる、というものである。この現象を利用して細胞質分裂に関連した細胞表層の性質について知見を得ることを目的として実験を開始した。ウニ卵は顕微鏡観察に適した大きさであること、分裂周期の同調性が良いことなどの利点があり、古くから細胞分裂の研究に広く用いられていたため、アクチン関連タンパク質の豊富な知見があり、本研究の実験材料に適していた。本研究では、CL-Aで短時間処理するとウニ未受精卵表層が収縮することを見い出し、この現象について細胞生物学的、生化学的手法を用いて解析を行った。

 まず、表層が収縮する構造的基盤を明らかにする目的で形態学的観察を行った。収縮した表層を遠心操作により単離回収して光顕観察を行ったところ、蛍光標識ファラシジンで強く染色されるカップ状の構造だった。本研究ではこれをアクチンカップと呼ぶこととした(図1)。次に電顕で形態観察を行ったところ、アクチンカップは電子密度の高い層、その層からこれに対して垂直方向にのびる繊維からなる層、その外側の顆粒が多く見られる部分から成っていた。上記の繊維にはミオシンS1が結合したことから、これらはアクチン繊維であり、その方向性は外側にbarbed endが位置することがわかった。さらに細胞膜との位置関係を明らかにするために、界面活性剤を含まない単離溶液を用いてアクチンカップを単離し、観察した。このアクチンカップでは、細胞膜のすぐ内側にアクチン繊維の集積が見られ、細胞膜へ連結しているアクチン繊維も観察できた。細胞膜付近では枝分かれ構造が見られた。アクチン繊維の枝分かれ構造はアフリカツメガエルの培養細胞などで観察されており、細胞表層での迅速なアクチンの重合はこの構造の存在によると考えられている。また、収縮前の状態である、CL-Aで処理した卵の表層付近の電子顕微鏡観察では、細胞膜直下にアクチンが重合しており、この部分が収縮してアクチンカップとなると考えられた。

 CL-A処理により表層でアクチン繊維が増加することが知られているが、卵の変形が見られるのは処理後約20分以降で、それまでは球形を保っている。しかしCL-A処理卵を界面活性剤を含む低張液に移すとすぐに表層の収縮が見られることから、数分のCL-A処理で表層に収縮力が発生していることが予想された。そこで、CL-A処理前後の卵の張力の変化を調べたところ、処理直後から張力は増加していることがわかった(図2)。このことから、処理開始後すぐにアクチン繊維とミオシンは相互作用している可能性が考えられた。

 ミオシンATPase活性の阻害剤として知られるbutanedione monoximやアクチン繊維のbarbed endに結合して重合を阻害するサイトカラシンBで卵を処理することでアクチンカップ形成が起こらなくなったことから、CL-Aの誘導する収縮にはアクチン繊維とミオシンのATPase活性が必要であることが示唆された。また、冷却した単離溶液を用いると収縮の程度の少ない、大きめのアクチンカップが得られたが、これに外からATPを添加した場合にさらに収縮が起こった。これはアクチンカップの収縮はミオシンのATPase活性によるという上記の推論を支持する。

 アクチンカップには構成成分として数種のアクチン調節タンパク質が含まれており、その一部のタンパク質に関しては免疫電顕によりアクチンカップ中の局在を調べた。ミオシン、スペクトリン、Arp2、Arp3、トロポミオシン、はアクチンカップに濃縮されていた。スペクトリンは細胞膜の裏打ち構造を構築していると考えられている。Arp2、Arp3はアクチンに30-40%のホモロジーを持つタンパク質で他の5つのタンパク質と複合体を形成して、アクチン重合を加速すること、アクチン繊維のpointed endに結合して枝分かれ構造を作ることが知られている。一方、ペプチド延長因子EF1αはアクチン繊維束化活性があり収縮環で機能する可能性が考えられているが、アクチンカップヘの濃縮は見られなかった。また、受精卵表層に多く存在し微絨毛中でアクチン繊維を束化するファシンや、アクチンモノマーに結合するプロフィリンもアクチンカップに濃縮されていなかった。

 別のタンパク質ホスファターゼ阻害剤であるtautomycinによってもアクチンカップは形成された。このことから、カップの形成は1型または2A型ホスファターゼの阻害によることが考えられた。タンパク質ホスファターゼの活性が抑えられることで、タンパク質リン酸化が亢進して、アクチンの重合、束化に至る一連の反応が起こると考えられる。この経路でどのタンパク質のリン酸化が重要かを調べることを目的として、32P正リン酸ラベル実験を行った。その結果CL-A処理により複数のタンパク質にリン酸が取り込まれたが、その一つがミオシン調節軽鎖(MRLC)であることがわかった。これまで平滑筋、非筋ミオシンについてMRLCのSer-19とThr-18がリン酸化されるとミオシンのATPase活性が上昇しフィラメント形成が起こることがin vitro実験で示され、平滑筋ではin vivoでSer-19のリン酸化により収縮が起こることなどが知られている。アクチンカップではこれらの部位がリン酸化されていることをリン酸化ペプチド抗体を用いて示した(図3)。また、CL-A処理卵ではMRLCのこれらの部位のリン酸化は処理時間5分の時点で見られ、その後処理時間の増加とともにリン酸化量は増加した。Thr-18のリン酸化についてはこれまでに検出報告が少なく、生理的意義はわかっていない。しかし最近、細胞分裂部位でMRLCがSer-19とThr-18の二重リン酸化を受けていることが報告され、これに関与するキナーゼの同定が進んでいる。

 本研究で調べた現象は収縮位置が限定されないことや収縮後の収縮構造の消失が起こらない点で細胞質分裂とは異なる。しかし、表層の収縮であることやアクチンとミオシンが関与すること、さらにMRLCのリン酸化を伴うことなどが細胞質分裂と共通しており、アクチンカップの単離は容易で未受精卵に誘導できるという利点があるため、細胞質分裂の一連の過程のうち、特に収縮段階のモデルになる可能性あると考えられる。

図1 収縮表層(アクチンカップ)の構造

 Aは蛍光標識ファラシジンによるアクチン繊維の染色像。Bはアクチンカップ全体の透過型d電顕像。CはBの部分拡大。矢印は電子密度の高い層、括弧はアクチン繊維のひろがっている属、矢じりは外側の顆粒状物質にアクチン織維が結合しているところをそれぞれ示している。バーはA:2μm、B:0.5μm。

図2 卵の張力の変化

 卵にガラス片を載せて上下に押しつぶしてからCL-Aを添加すると、卵の張力の増大により鮒丸い形に戻ろうとしガラス片を持ち上げる。この変化を水平方向での卵の直径の変化で追跡した。CL-Aを添加後、すぐに直径が減少し始め、張力が増加したことがわかった。

図3 アクチンカップ中のミオシン調節軽鎖(MRLC)のリン酸化

 Urea/glycerol-PAGEによりMRLCをリン酸化型と非リン酸化型に分離し、MRLCを認識する抗体、Ser-19のみがリン酸化されたMRLCを認識する抗体P1)、Ser-19とThr-18がリン酸化されたMRLCを認識する抗体(PP1)で検出した。アクチンカップのMRLCの約70%がリン酸化されていた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、ウニ未受精卵においてタンパク質ホスファターゼ阻害剤calyculin-A(CL-A)で処理することによって誘導される表層収縮現象について述べられている。

 動物細胞の細胞質分裂は、細胞赤道面表層に形成される収縮環がアクチンとミオシンの滑り運動によって収縮し、細胞を二つにくびり切る現象である。近年、様々な生物で細胞質分裂に関与するタンパク質の同定は進んでいるものの、その制御機構は明らかにされていない。1992年にCL-Aがウニ未受精卵に細胞質分裂に類似した形態変化を誘導するという報告があり、本研究はこの現象を利用して細胞質分裂に関連した細胞表層の性質について知見を得ることを目的として行われた。その過程で、CL-Aで短時間処理するとウニ未受精卵表層が収縮することを見い出し、この現象について細胞生物学的、生化学的方法を用いて解析した。まず、卵表層が収縮する構造的基盤を明らかにするため、収縮した表層の光学顕微鏡観察を行ったところ、蛍光標識ファラシジンで強く染色されるカップ状の構造だった(アクチンカップと呼ぶ)。続いて電子顕微鏡観察で超微細構造を明らかにした。主成分の繊維にはミオシンS1が結合したことから、これらはアクチン繊維であり、方向性は外側にbarbed endが位置することが判明した。さらに、細胞膜を保存したアクチンカップと、収縮前の状態であるCL-A処理卵の電顕観察により、アクチンカップの形成過程を解明した。

 次にCL-A処理卵の張力の変化を調べたところ、処理開始直後から張力が増加して表層に収縮力が発生していることがわかり、処理開始後すぐにアクチン繊維とミオシンは相互作用している可能性が考えられた。ミオシンATPase活性の阻害剤であるbutanedione monoximやアクチン繊維のbarbed endに結合して重合を阻害するサイトカラシンBで卵を処理することでアクチンカップ形成が起こらなくなったことから、CL-Aの誘導する収縮にはアクチン繊維とミオシンのATPase活性が必要であることが示唆された。またアクチンカップには、ミオシンの他に、アクチン調節タンパク質であるスペクトリン、Arp2、Arp3、トロポミオシンが濃縮されていた。

 別のタンパク質ホスファターゼ阻害剤であるtautomycinによってもアクチンカップは形成されたことから、アクチンカップの形成は1型または2A型ホスファターゼの阻害によると考えられた。タンパク質ホスファターゼの活性が抑えられることで、タンパク質リン酸化が亢進して、アクチンの重合、束化、収縮に至る一連の反応が起こると考えられる。生きた卵を32P正リン酸でラベルした後にアクチンカップを単離する実験の結果、アクチンカップ中の複数のタンパク質がリン酸化されており、その一つがミオシン調節軽鎖(MRLC)であることが明らかとなった。これまでに平滑筋、非筋細胞ミオシンについてMRLCのSer-19とThr-18がリン酸化されるとミオシンのATPase活性が上昇しフィラメント形成が起こることがin vitro実験で示され、平滑筋ではin vivoでSer-19のリン酸化により収縮が起こることなどが知られている。アクチンカップではこれらの部位がリン酸化されていることをリン酸化ペプチド抗体を用いて示した。また、CL-A処理卵ではMRLCのこれらの部位のリン酸化は処理時間5分の時点で見られ、その後処理時間の増加とともにリン酸化量は増加するという知見も得られた。

 本研究で解析した現象は、収縮位置が限定されないことや収縮後の収縮構造の消失が起こらない点で細胞質分裂とは異なるが、表層の収縮であることやアクチンとミオシンが関与すること、さらにMRLCのリン酸化を伴うことなどが細胞質分裂と共通している。またアクチンカップの単離は容易で未受精卵に誘導できるという利点があるため、細胞質分裂の一連の過程のうち特に収縮段階のモデルになる可能性あると考えられる。

 なお、本論文は、馬渕,一誠との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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