学位論文要旨



No 115776
著者(漢字) 白石,清乃
著者(英字)
著者(カナ) シライシ,キヨノ
標題(和) ティラピアの胚と仔魚における卵黄嚢上皮塩類細胞の機能的分化
標題(洋) Functional Differentiation of Chloride Cells in the Yolk-Sac Membrane of Tilapia Embryos and Larvae
報告番号 115776
報告番号 甲15776
学位授与日 2001.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3878号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 渡邊,俊樹
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 朴,民根
内容要旨 要旨を表示する

 生息環境が水中である魚類では、環境水と体液の間に起こる水とイオンの受動的な流入や流出を免れえないが、鰓、腸、腎臓など浸透圧調節器官の統合的な働きにより、体液浸透圧の恒常性が保持されている。このうち鰓に存在する塩類細胞が、イオンの海水中での排出と、淡水中での取り込みに関与していることが知られている。一方、それらの器官が未発達な胚や仔魚では、卵黄嚢上皮に存在する塩類細胞が浸透圧調節に関与していると思われているが、十分な知見は得られていない。

 本研究では、まず卵黄嚢上皮塩類細胞の浸透圧調節部位としての機能を検討するため、ティラピア(Oreochromis mossambicus)の胚と仔魚を用いて、環境水の塩濃度に依る塩類細胞の形態学的変化を解析した(第一章)。ティラピアは、淡水から海水まで幅広い塩濃度の環境水に適応でき繁殖も行うため、本研究に最適な実験動物である。孵化前においては淡水と海水間の直接移行に耐える事を利用し、淡水産の同腹の胚で淡水群、海水移行群を作成した。抗Na+,K+-ATPase抗体を用いた免疫組織化学染色により、淡水群と海水群の卵黄嚢上皮には共に多くの塩類細胞が存在することがわかった。淡水群では小型の丸い細胞が多いが、海水群においては細胞は大型化し多角であった。走査型電子顕微鏡による観察で、海水中ではクロライドイオンの排出口が著しく拡大することが分かった。透過型電子顕微鏡と共焦点レーザー顕微鏡を用いた観察を行ったところ、成魚の鰓では見られない現象であるが、淡水群では塩類細胞が個々に散在しているのに対し、海水群では数個が集合し、1つのクロライドイオンの排出口を共有した複合体を形成する傾向があった。この細胞複合体の形成は、細胞間経路を通るナトリウムの排出効率を高めると考えられる。さらにクロライドテストとX線解析により、海水群の塩類細胞が実際にクロライドイオンの排出を行っていることを明らかにした。これらの結果から、環境水の塩濃度変化に伴い卵黄嚢上皮の塩類細胞が、淡水型から海水型へと機能的に分化しているものと結論づけた。

 塩類細胞の機能的分化の調節機構は、まだ明らかではない。成魚を用いた研究では、コルチゾルが塩類細胞の形態やナトリウムポンプとしての機能を活性化し、逆にプロラクチンはそれらを不活性化することが示唆されている。発達初期においては胚自身の内分泌器官の発達はまだ十分でないと思われるが、ティラピアの卵黄嚢上皮塩類細胞は孵化3日前ですでに、海水型と淡水型の分化が明瞭である。一方で胚の卵黄中にはコルチゾル、甲状腺ホルモンといった浸透圧調節に重要とされるホルモンが存在しており、これら母由来と考えられるホルモンが利用されている可能性もある。卵黄嚢上皮塩類細胞が機能的に分化する際に、発達中の胚のコントロールを必要とするかどうかは重要な問題である。そこで胚の内分泌的及び神経的支配を遮断した上で、卵黄嚢上皮塩類細胞の変化を調べるために、“yolk ball”培養系を確立した(第2章)。孵化2日前の淡水産の胚から胚体を切除し、卵黄をそれを包む卵黄嚢上皮と共にリンガー液中で数時間の培養を行ったところ、胚体切除によって生じる卵黄嚢上皮の損傷部分は修復された。損傷修復後は卵黄嚢上皮が卵黄を完全に被覆しているため、リンガー液から淡水あるいは海水への移行が可能であり、“yolk ball”は塩類細胞の機能的分化を調べるための非常に有効な実験モデルとなった。“yolk ball”をリンガー液中で3時間の培養後、淡水または海水へ移行し、塩類細胞の形態学的比較を行ったところ、海水群では、細胞の大型化と細胞複合体の形成が顕著に認められた。一方淡水群では、細胞は小型で個々に散在していた。この形態変化は、生体の胚の海水群、淡水群の場合と良く一致しており、卵黄嚢上皮塩類細胞は胚体の関与なしに環境水塩濃度に応じて機能的に分化していることが示唆された。分化機構の詳細は不明であるが、環境水の塩濃度は直接的或いは間接的に塩類細胞の分化を引き起こすと思われる。コルチゾルは海水適応に重要なホルモンとされ、淡水中の成魚に注射することにより鰓の塩類細胞が大型化することが報告されている。そこで淡水中の“yolk ball”にコルチゾルを添加し、塩類細胞への影響を調べた。しかし、塩類細胞の形態、大きさ共にコルチゾル添加による変化は認められなかった。その原因として卵黄中のコルチゾルがすでに十分量存在するためか、或いは成魚とは調節機構が異なっているとも考えられる。過去に行われた鰓蓋膜と卵黄嚢上皮の器官培養の実験によると、塩類細胞は培養後数時間で消失してしまうが、コルチゾルを培養液中に添加することにより生存させることが出来る。“yolk ball”培養系では、コルチゾルの添加なしに細胞が維持できることから、卵黄中のコルチゾルが塩類細胞の維持に働いているものと考えられる。

 発達初期のティラピアにおけるプロラクチンやコルチゾルの存在は、よく調べられている。胚では卵黄中に母由来と思われるホルモンが存在し、孵化後には胚自身の内分泌器官が合成を開始する。しかし、ホルモンの作用部位の研究は、試料が小さくレセプターアッセイなど従来の方法では測定が困難なため殆ど知見がない。そこで卵黄嚢上皮や未発達な胚体にホルモン受容体が存在するか、また環境塩濃度による発現調節が行われているかを明らかにするため、プロラクチン及びコルチゾルの受容体mRNAの微量測定法を確立し定量を行った(第3章)。微量な試料の定量に有効な競合PCR法を用いて、ハウスキーピング遺伝子であるβ一アクチンとの比を利用して定量を行った。その結果、成魚の鰓においてプロラクチン受容体のmRNAの発現は、淡水中で海水中よりも有意に高いことが分かった。血中プロラクチンの濃度は淡水中の方が海水中よりも著しく高く、それを受けて受容体発現量が調節されていると考えられる。一方、コルチゾル受容体mRNAは淡水と海水間の発現量の相違は認められなかった。次に胚から胚体、卵黄嚢上皮のみを取り出しそれぞれの測定を行ったところ、孵化3日前において卵黄嚢上皮および胚体に両ホルモン受容体のmRNAの存在が確認された。さらに孵化3日目の胚体では、プロラクチン受容体のmRNAの発現は、淡水中の方が海水中よりも有意に大きかった。これは成魚の鰓での結果と一致しており、孵化3日目の胚の鰓が、環境水塩濃度に応じて受容体量の調節を行っていることを示唆している。しかし、卵黄嚢上皮ではプロラクチン受容体のmRNAの発現量に、淡水と海水との間で有意な差はなかったので、卵黄嚢上皮のプロラクチン受容体の発現は鰓と異なる調節を受けているか、或いはすでに機能を終えているとも考えられる。一方、コルチゾル受容体のmRNAの発現は、胚体と卵黄嚢上皮において、塩濃度の違いに応じた差は認められなかった。コルチゾルに対する感受性が、他にmRNAの安定性、転写効率、リガンドと受容体の結合親和性など、コルチゾル受容体のmRNA発現量以外の因子で調節されている可能性は捨てられない。しかし、コルチゾル受容体の発現が、淡水中と海水中で同レベルであったことは、コルチゾルはむしろ塩類細胞としての分化の維持に関与している可能性を示唆している。

本研究のまとめ

1)ティラピアの胚と仔魚の卵黄嚢上皮塩類細胞は、淡水から海水に移行することにより著しく活性化されることを明らかにし、クロライドイオンを排出する海水型塩類細胞へと機能的に分化することを示した。

2)“yolk ball”培養法を確立し、塩類細胞の機能的分化が胚体の関与を受けずに行われることを明らかにした。

3)卵黄嚢上皮にコルチゾルおよびプロラクチン受容体のmRNAが存在していることを明らかにし、卵黄中のコルチゾルが卵黄嚢上皮の塩類細胞の維持に関与していることを示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

 魚類の鰓、腸、腎臓などは、体液浸透圧の恒常性を維持するための調節器官として統合的に働いている。例えば鰓に存在する塩類細胞は、イオンの排出と取り込みに関与していることが知られている。一方、これら調節器官が未発達な胚や仔魚では、卵黄嚢上皮に存在する塩類細胞が浸透圧調節に関与していると考えられる。

 論文提出者は、まず卵黄嚢上皮塩類細胞の浸透圧調節機能を検討するため、ティラピア(Oreochromis mossambicus)の胚と仔魚を用いて、環境水の塩濃度を変えた時の塩類細胞の形態学的変化を解析した(第一章)。淡水或いは海水中で飼育・孵化したティラピアの卵黄嚢上皮には、共に多くの塩類細胞が存在するが、淡水群では小型で丸く、海水群では大型化し多角であった。また、海水群では数個の塩類細胞が集合し、著しく拡大した1つのクロライドイオンの排出口を共有した複合体を形成する傾向があった。この細胞複合体の形成は、細胞間経路を通るナトリウムイオンの排出効率を高めるためと考えられる。続いてクロライドテストとX線解析により、海水群の塩類細胞が実際にクロライドイオンの排出を行っていることを明らかにした。これらの結果から、環境水の塩濃度の変化に伴い、卵黄嚢上皮の塩類細胞は淡水型から海水型へと機能的に分化しているものと結論づけた。

 続いて論文提出者は、塩類細胞の機能的分化の調節機構に興味を広げた。卵黄嚢上皮塩類細胞の分化には、胚体による内分泌的及び神経的支配、或いは胚の卵黄中に存在する母由来のホルモンによる支配の、どちらかが関与しているのか否か明らかでない。そこで胚体を除去し、卵黄嚢上皮と卵黄のみで実験可能な“yolk ball”培養系を確立した(第2章)。“yolk bal1”を淡水または海水で培養し、形態学的比較を行った結果、卵黄嚢上皮塩類細胞は胚体の関与なしに、環境水塩濃度に応じて機能的に分化することが示唆された。すなわち環境水の塩濃度変化は、直接的或いは間接的に、塩類細胞の分化を引き起こすと思われる。次に成魚の鰓の塩類細胞で、大型化(海水型)を促進することが報告されているコルチゾルを“yolk ball”に添加したが、塩類細胞の形態、大きさ共に変化は認められなかった。鰓蓋膜と卵黄嚢上皮の器官培養実験によると、塩類細胞は培養後数時間で消失してしまうが、コルチゾルを培養液中に添加することにより生存させることが出来る。“yolk ball”培養系では、コルチゾルの添加なしに細胞が維持できることから、卵黄中のコルチゾルはむしろ塩類細胞の生存に関与し、分化は環境水の塩濃度により自律的に起こっている可能性が高いと考えられる。

 さらに論文提出者は、卵黄嚢上皮や未発達な胚体にホルモン受容体が存在するか、また環境塩濃度による発現調節が行われているかを明らかにするため、プロラクチン受容体(PRLR)及びコルチゾル受容体(CR)のmRNAの微量測定法を確立し、定量を行った(第3章)。その結果、成魚の鰓においてはPRLRのmRNAの発現は、淡水中で海水中よりも有意に高いことが分かった。血中プロラクチンの濃度は海水中よりも淡水中で著しく高く、それを受けてPRLRの発現量が、促進的に調節されていると考えられる。次に胚から胚体、卵黄嚢上皮を取りだし、それぞれ測定を行った結果、孵化3日前において淡水中の卵黄嚢上皮および胚体に両ホルモン受容体mRNAの存在が確認された。さらに孵化3日目の胚体では、PRLRのmRNAの発現は、海水中より淡水中で有意に大きかった。これは、孵化3日目の胚の鰓が、環境水塩濃度に応じて受容体量の調節を行っていることを示唆している。しかし、卵黄嚢上皮ではPRLRmRNAの発現量に有意な差はなく、卵黄嚢上皮のPRLRの発現は鰓と異なる調節を受けているか、或いはすでに機能を終えているとも考えられる。一方、CRのmRNAの発現は、成魚の鰓、胚体及び卵黄嚢上皮において、塩濃度の違いに応じた差は認められず、コルチゾルが塩類細胞の機能的分化ではなく生存に関与し、間接的に浸透圧調節に関わっている可能性を支持する結果となった。

 以上のように、本研究は魚類の卵黄嚢上皮塩類細胞が、環境水塩濃度に応じて行う機能について、形態学的、生理学的及び分子生物学的手法を用いて実験的に解析したものであり、当分野の発展に大きく貢献したと認められる。また、本研究の一部は守,隆夫(第2、3章)・平野,哲也(第1,2,3章)・金子,豊二(第1、2章)・松田,学(第2,3章)・長谷川,早苗(第1章)・廣井,準也(第2章)との共同研究になっているが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、その寄与は十分であるものと判断する。

 したがって、論文提出者、白石清乃は東京大学博士(理学)の学位を受ける一のに十分な資格をもつと判定した。

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