学位論文要旨



No 115783
著者(漢字) 中神,由美子
著者(英字)
著者(カナ) ナカガミ,ユミコ
標題(和) ジョン・ロック政治思想の再構成 : 実践としての政治、「アート」としての政治
標題(洋)
報告番号 115783
報告番号 甲15783
学位授与日 2001.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第158号
研究科 法学政治学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,毅
 東京大学 教授 平石,直昭
 東京大学 教授 樋口,範雄
 東京大学 助教授 苅部,直
 東京大学 助教授 森,政稔
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、新しい観点からロック政治思想の再構成を試みたものである。従来ロックの政治思想研究においては『統治二論』における「自然権」「自然法」ないし「社会契約説」に関心が集中され、解釈枠組みとして<近代>ないし<自由主義>という枠組みが多用されてきた。本稿はこの枠組みをいったん取り外し、二つの種類の政治学ないし政治というロック自身による区別、即ち政治社会及び政治権力の起源ないし正統性に関する政治(ないし政治学)と「アートart」(=技量・芸術)としての政治(学)という区別を、他ならぬロックの政治思想を解釈する枠組みとして活用し、又ロックが学知の分類において政治学を実践学として位置づけたことをも重視しつつ、ロックの政治観の内容を解明する。その際、本稿は『統治二論』にのみテクストを限定することなく、時事的な政治論や哲学的著作、宗教論、教育論、経済論及び道徳論を含めた様々な小論考をも検討対象とし、狭義における政治観を支えるロックの人間観、秩序観及び学知観をも分析することによって、ロック政治思想を統一的に再構成することを狙いとする。

 内乱の余韻未だ醒めやらぬ王政復古期に著作活動を開始したロックは、その生涯の初期から政治秩序の安定を希求しており、又同時に法の斉一性が適用される領域とは区別される政治固有の領域を認識していた。更にロックはスコラ的な「正しい理性」の限界を認識し、人間の理性を認識能力の一部と位置づけ感覚との協働による認識能力を強調した。ロックにおいて初期の権威主義的な側面は以後劇的に変化することとなるが、世俗政治領域の優位性ないし固有性を確保しようとする態度とともに、人間知性の限界ないし人間の<部分性>についての認識は基本的に変わることはなく、特にこの後者の認識は人間における快苦の情念の決定的重要性の自覚と結びつき、道徳の実践という課題に対しモティベーション論、特に「評判」についての議論を発展させるようになった。ロックは人間が自己の「意見」に執着せざるを得ないことを承認するばかりか、このことをむしろ人間の尊厳の在処として寛容論を樹立してゆくようになり、こうした「自由への欲求」を持つ人間という観点はロックの政治観を構成する一つの重要な要素となった。

 そして人間の知性ないし認識において理性を絶対視することなく、感情や感覚の要素を予め排除しない視点は、哲学の議論にも貫かれることとなる。『人間知性論』においてロックは、一方でデカルトと同様真知或いは確実性の探究という課題を追究しつつも、他方で人間知性の限界への認識から蓋然知ないし「諸々の意見(臆見)」の領域を大幅に認め、「意見ないし評判の法」という議論を生み出した。更に重要なことに、ロックは我々が共通に感覚するところの<可感的世界>の存在への信頼を表明した。<政治の場>は様々な「意見」が交錯しあい又偶然性や蓋然性によって支配される余地が大きく、それ自体では変転常なき場であるが、この<政治の場>を安定化しかつ支える<可感的世界>ないし<可視的世界>がここにその拠り所を得ることになった。こうしてロックは当時哲学界を席巻していたデカルト哲学と一面で対決し、政治の世界の成立を困難ならしめる脅威を持ついわゆる<デカルト的不安>、即ち普遍的理性を自己の精神と同一視し、自己の情念や感覚及び身体のみならず自己が感覚する外界をも懐疑の対象とすることによって陥ってしまう、絶えざる不安の状態を回避し得たのであり、この消息にこそ言わば『知性論』の政治学上の意義が存するのである。

 続いてロックは学知の種類を分類し、対象が可変的である故に厳密で一義的な真知が成立し得ない実践学の中に政治学を位置づけた。ロックによれば、政治ないし政治学の対象とする領域においては、多様でかつ完全には知り得ない人間の諸々の気性や諸利害、諸力が働いている故に、様々な蓋然知や意見を勘案し判断する政治的「慎慮」能力即ち政治的判断力を行使することが不可欠となる。そして様々な偶然性や可塑性を有する政治領域であったればこそ、「政治のアート」も成立する。ロックは「政治のアート」をこうした政治の場における可塑的な未来に向かって発揮される「アート」(技量・芸術)として捉え、この<政治的アート>能力を陶冶するためには、歴史や実際の政治的経験に学ぶことが何よりも不可欠であり、又幅広く人間及び人間事象についての洞察を深めねばならないとした。更に古典古代の作家達から雄弁の「アートart」を学ぶことも称揚された。ロックにおいては、このように、言わば過去に向けた視点をも持つ<政治的慎慮>と未来へ向けて言わば投企される術たる<政治的アート>との両者は密接に結びついたものであった。即ち、過去を学ぶことによって初めて現在から未来を洞察することが可能となるのであり、「政治のアート」及び政治的「慎慮」を扱う政治学は、ロックの総合的な政治観において、政治社会及び政治権力の起源ないし正統性に関わる言わば原理的な政治学とは切り離すことはできないとはいえ、これとは別の性格を持つ政治学であり、ロックの諸著作を幅広くかつ子細に探索してゆくならば、むしろこの種類の政治的思考こそが無視し得ない重要な意味を持っているのである。そしてロックはこの経験的世界の中で自ら政治的実践活動にも携わったのであった。

 確かに周知のように『統治二論』において、人間の自然的平等や自由が弁証され、政治社会及び政治権力の起源ないし正統性に関わる原理としての政治学が展開される。しかしながら同時に、との種類の政治概念では捉え切れないプロパティ論、歴史論のみならず、国制論ないし政治機構論もこの著において論じられており、特に君主ないし政治家の「政治のアート」及び政治的「慎慮」に関わる議論もなされた。更に抵抗権論はプロパティ秩序の擁護という性格を示しており、この秩序を担う政治主体論とも結びついていた。

 そして、政治主体論は経済論においてより明確となる。勿論、ロックの構想する自由な政治社会とは、共和主義のそれとは一線を画す、経済が発展し人々の生命が尊重される平和的でかつ学問や技芸が盛んである<文明社会>であり、ロックはこうした政治社会の変容を前提として「政治のアート」が発揮されることを主張していた。だが同時に、ロックは一面で確かに政治が経済的発展を促進する方向性を採るのが望ましいとしていたとはいえ、経済論はむしろ政治論、秩序論(或いは道徳論)の一部として捉えられたのであり、そのことは、何よりも当時の政治を担う階層であった土地所有ジェントルマンが政治社会における政治主体として中核的位置に置かれるべきであるとする主張に現れていた。続いて『教育に関する考察』においては、政治主体--当時の土地所有階層に属する人々一の<徳>に関わる議論が行われる。ここでもロックは過去の歴史や経験に学ぶことを主張するが、特に重要なことは、彼が人間の自由を前提とするモティベーション論を基礎としつつ、「誇り」ないし<名誉感情>に訴えた教育論を展開したことである。ロックはこのr誇り」にまとわりつく支配欲の契機を認識しその危険性ないし<欺瞞性>を十分知悉しつつも、なおかつ「誇り」を自由な人間及び自由な政治社会にとって尊重すべきものとして位置付けた。ロックにとって、「誇り」は単に抑圧ないし排除さるべきものではなく、<評判>というモティベーションによって方向付けられ政治社会に有用なものへと変換されねばならなかった。「誇り」に伴う支配欲の契機は、自由な政治社会ないし<文明社会>に備わっている<評判のネットワーク>における卓越性即ち「徳」の獲得へ向かうこととなる。このように、人間に根源的な「自由への欲求」を基礎に据えたロックのモティベーション論ないし徳論は、「徳」を感情や感覚から切り離された専ら厳格に義務的なものとせず、人間に生来備わっている「快」ないし「自由」への欲求と接合させてゆく柔軟な思考を基礎に持つものであった。勿論ロックの議論においては、他の人々の尊重(=礼儀civility)という徳が強調され、暴力や武勇の誇示は斥けられる。従ってロックの徳論は彼の構想する自由な政治社会ないし<文明社会>像と結びついていたが、これは単に脱一政治的な<近代的諸徳>論として捉えられるべきものではなく、政治階層固有の徳論でもあった。即ち、政治を担う人々に対しては<公共的なるもの>への献身という「徳」が要求されると同時に、<可視的>にして<可感的>なものが重きをなす領域である公共一政治社会の場において、彼ら指導的地位にある人々の「徳」ないし<振る舞い方>の「優雅さ」や「美」が他の階層の人々にとっても<模範>となることが強調された。この議論は、ロックが初期から把持してきた人間における感情や感覚の重視、更に<可視的世界>ないし<可感的世界>の重要視とも連動していた。そしてロックにおいては、<評判のネットワーク>ないし<振る舞いのネットワーク>を備えた自由な政治社会を基礎として、政治的「慎慮」が行使され又「政治のアート」が発揮されることが期されていた。

 こうした<可感的世界>を基盤とし、人々の多様な「意見」や蓋然性に満ちた領域において成立する<政治>、即ち<実践としての政治>及び<アートとしての政治>観こそが、ロック政治思想において重要な構成要素を成していたのであった。

審査要旨 要旨を表示する

1.本論文はジョン・ロックの政治観を、その副題に見られるような新しい観点から再構成しようとした作品である。ロック政治思想の研究はニュアンスの違いはあれ、従来、『統治二論』に関心を集中し、自然権、自然法、所有権、社会契約説などに焦点を合わせ、その近代政治理論的・自由主義的性格を描き出すことを中心にしてきた。本論文はこのような解釈の伝統の有効性を否定することを目的とするものではないが、ロックの人間観、学問観、教育観などを広く渉猟することによってロックの政治観が従来の解釈枠組みを越えた人間論的・実践理論的裏づけを持っていたことを明らかにし、従来のロック像からの転換を試みたものである。

2.「序」において著者は自らのこうした分析を根拠づけるものとして、ロック自身が政治学を二つの構成要素からなるものと考えていたこと、すなわち、政治社会及び政治権力の起源と範囲に関する政治学と政治社会における具体的な統治に関わる「アート」としての政治学とからなるものと考えていたことを指摘する。このうち後者はアリストテレス以来の実践学の伝統に連なるものであるが、著者はここでこの二つの構成要素の存在を指摘した議論は学問論を初め、ロックの議論において随所に顔を出す重要な枠組みであること、特に、個別的状況での判断力としての政治的「慎慮」への注目は人間の被拘束性と人間の自由の可能性へに対するロックの認識を解明する上で極めて重要であることを指摘する。その上で、これまでの先行研究について具体的な検討を加え、本論文のような観点からする分析がこれまでのロック研究においてはなお散発的なものに止まっていることを確認している。

 第一部「秩序・人間・学知」はロックの人間観、秩序観、学問観の検討を行なう。第一章「秩序と道徳」は『世俗権力二論』の検討から始まるが、為政者の外面的世界における広範且つ絶対的権力を承認したとされるこの作品において著者は内面的自由の維持と公的秩序の両立を可能にする「慎慮ある自由」がロックの関心であったこと、為政者の裁量論などに個別的・偶然的契機を勘案した政治の「アート」への視点がすでに見られることに着目している。次いで著者は「自然法論』を取り上げ、ロックの議論はストアースコラ的自然法論と異なり感覚認識(sense-perception)が客観的秩序を認識する基礎的能力であり、理性はあくまで二次的・推論的能力に過ぎないと考えられていること、同時に、自然法の認識が現実には多くの人間にとって極めて困難であり、その拘束力についても人間的事象の相対性によって限定を受けざるをえないと考えていたことを指摘している。この理性への懐疑、諸情念の強力な支配力はロックにおいて早くから見られたが、著者はロックはこうした人間の偏向性そのものを批判・否定するのではなく、むしろ、それを前提にした上で道徳論や社会像の構築を行なったという観点を展開する。『寛容エッセイ』は『世俗権力二論』と多くの点で異なるが、特に、人間にとってさまざまな「意見」の持つ重要性を指摘し、それを包含する形で公的・政治的秩序を構成していくという構想を展開したという。これは道徳論において快苦を基本においたモティベーションに関心を向け、快との関係で「評判」が人間の活動の源泉であるのみならず、義務を実行可能にするものとして注目していくことにもつながるという。著者によれば、これはロックが倫理学においても正しいことについての規則を明らかにするだけではなく、それを実践させるための動機とそれを促す方法の考察が必要であると考えていたことに対応している。これを受けて著者は『寛容書簡』を取り上げ、それが「意見」の分裂や情念の根深さを前提にした上で「多様性における統一」を目標とする点で、人間についての諸考察が基礎になっていることを指摘している。また、「キリスト教の合理性』は「評判」と並んで道徳的義務を遵守させる動機となる「神の報酬(天国の至福)」を、理性を行使する条件を備えていない大部分の人間に対して啓示が如何に有効な形で教示しているかを論じたものと解釈される。

 第二章「可感的世界の肯定」はデカルトとの比較を念頭に『知性論』の分析を行なう。著者は先ず、ロックにおいて人間知性の吟味は真知(knowledge)と「意見」との区別に立脚し、知性の限界を究明しようとしていた点でデカルト的な哲学構想と大きく乖離していたことを指摘する。次いで生得観念の否定、観念の根源としての経験の重要性に言及しながら、ロックの知の体系における論証知と蓋然知との区別に着目し、前者が観念間の一致不一致に関わるものであるのに対して、外的世界についての知識の大半は蓋然知であるということが明らかにされる。著者によればこのことは絶対的真知の世界が極めて限定されたものであること、人間は多くの場合、蓋然知に従って判断行動して生きていること、このことをロックは否定的にはとらえず、むしろ、蓋然知の世界としての可感的世界と積極的に向かい合う「慎慮(prudence)」の積極的な承認と結びつけていた。それはまたロックが感覚と経験に基づいて蓋然知と「意見」が交錯する経験世界の実在性についてデカルトには見られなかった確信を持っていたことを意味していた。そして、『知性論』における「意見ないし評判の法」はこの蓋然知の交錯する経験世界における道徳の現実性(徳)の問題を解くという意味を持っていたことが示される。「感覚の共同性」に依拠したこの「意見ないし評判の法」は判断力や政治的思考の基盤となるというのが、著者の見解である。但し、このことはロックが社会的同調性の擁護者であることを意味せず、人間の自由と人格に基づいてこの可感的経験世界が可変的なものであり得ることを念頭に置いていたことを指摘して著者は本章を結んでいる。

 第三章「実践学としての政治学、実践としての政治」は『知性論』において実践学の伝統が継承されていること、政治学が基本的に蓋然知に居を置く実践学の領域に属することを確認した上で、『ジェントルマンの読書と勉学についての若干の考察』を手がかりに「序」で述べた政治学の複合的性格についての分析を行なっている。この作品は普遍的真知を求める哲学者とは異なった実践人のための議論であることもあって、雄弁術や「政治のアート」の体得に大きな比重が置かれている。そのための素材として歴史書の重要性が繰り返し強調されることになるが、著者はここに非歴史的な自然権・自然法論者ロックという解釈とはおよそ違うロックの姿が見られることを指摘している。ここにはアリストテレス以来の伝統に従い、歴史上の「模範」と「先例」に学ぶことによって実践的判断力を涵養していくという政治教育のあり方が示されているという。こうした分析を踏まえ、著者はロック自身が現実の政治に対してどのような実践的判断を下したかを素描していく。『カントリの友人への書簡』(このパンフレットの作者については論争があることを著者は認めている)におけるイングランドの古来の自由な国制(制限君主政)の観点からする「絶対的かつ恣意的な統治」への批判、『忠誠と名誉革命』における権力の正統性問題の重要性の指摘といったものを通して、ロックが「政治のアート」と並んで政治の原理的問題を常に念頭に置き、政治学の二つの構成要素を具体的事例を通して自ら展開してみせたことが示される。こうした議論を踏まえ、著者は『統治二論』の分析へと進んでいく。

 第二部「『統治二論』を読み直す」は著者独自の観点からこの古典を読み直そうとするものである。一方でこの古典は原理的な問題への応答を余儀なくされていたという事情に発する政治権力の正統性についての作品であることはロック自身が認めていたが、著者はそれに止まらない「政治のアート」の側面を同時に包含していることを指摘し、ロックの政治の場の具体像に迫ることを課題にしている。第一章「政治社会の起源と正統性」は従来のロック解釈を多くの点で継承、敷衍した内容を持っている。従って、著者はフィルマーの『パトリアーカ』とそれに対する第一論文でのロックの批判の綿密な検討を行ないつつ、第二論文における自然状態、自然法、社会契約、政治社会の成立についての論旨を辿っていくことになる。しかし同時に著者は、ロックの議論がこうした原理的問題への応答に尽きるのではなく、歴史的現実としての政治社会をも視野におさめたものであったことに注意を喚起している。例えば、明示的な契約を行なった政治社会の構成員と暗黙の同意によって政治社会に属している人々との区別を手がかりに、この政治社会の二重性に目配りをすることの必要性を説いている。

 第二章「プロパティと歴史」は、ロックのプロパティ論を原理的に正当化された自然的権利が具体化され、歴史と媒介されていく契機という観点から位置づけ直すことを主たる課題としている。フィルマーのプロパティ論に対するロックの批判、労働を根拠としたロックのプロパティ論を整理しつつ、著者は土地の相続問題と政治社会の構成員資格の問題との関連に言及し、社会契約の原理と土地(歴史的現実)とのリンクに腐心したこと、プロパティ秩序の担い手を政治秩序の究極的担い手をすることによって政治の場の現実的条件を挿入したことを指摘している。しかもロックの場合、このプロパティ秩序は労働を媒介にして常に経済的に繁栄し、生産性が向上するという社会経済史的展望によって支えられており、経済的発展にコミットする「政治のアート」を志向する点で強権的支配を強行する絶対主義とは質的に異なる「政治のアート」を内包していたという。これと並んでロックには権力の抑制均衡を本質とする「古来の国制」への積極的な支持が見られ、それは「混合され制限された君主政」という形で『統治二論』に登場することになった。

 第三章「政治社会の制度とその運営」は『統治二論』の機構部分の紹介とその運用の現実的可能性を吟味している。著者はロックの国制論の中核が抑制均衡を主旨とすること、この構想が人間的現実についてのロックの観察と結びついていること、執行権の担い手の政治的慎慮・「政治のアート」が現実には極めて大きな役割を持っていること、といった諸点を綿密に検討する。特に、基本法や立法権の原理的優位を前提にしつつも執行権の担い手である君主の「裁量」が--可変的な事態に対する法や規則の限界の故に--政治の現実において果たす役割を自らの解釈を裏づける重要な事例として詳述している。また、その際の「政治アート」の内容として、著者は征服を志向する絶対主義的なものではなく、自己保存の欲求を基礎においた「正直な勤労」とそれによる社会的富の増大を念頭に置いていたことを強調している。これはロックがシドニーなどの共和主義とも決別し、18世紀の文明社会論と極めて近い関係にあったことを示すものだという。

 第四章「抵抗権及び革命権」は同意による政治社会の成立という原理的議論を歴史の現実において担うのは誰かという問題を扱う。権力の濫用と信託に対する違反は「天への訴え」と呼ばれる抵抗行動を正当ならしめるが、著者はそこで問われるのは権力行使の是非についての判断力及び自己保存欲を超えた気概、それに良心であると説く。勿論、ロックの議論は徒に反抗と革命を促すものではなく、権力の濫用が「目に見え」、「感じ」ざるを得ない、止むに止まれぬ状況の産物であり、そこには被治者の側での共通感覚が作動していることが念頭にあると著者は説く。具体的にいえば、ロックにおける「社会の解体」と「政府の解体」との区別は抵抗権が基本的に後者に関わり、統治者の行為をめぐる紛争であり、人民相互の連帯はそれなりに維持されているという前提に立っていること、従って、その影響は限定されたものとして理論化されていると著者は主張する。「社会の解体」によって個人がばらばらになる状態は想定されておらず、「プロパティ秩序」は牢固として存続することが想定されている。そして正にプロパティの担い手たち、政治社会への参加を明示的に意思表示した人々こそ、この抵抗の担い手として想定されていたという。その意味で彼らもまた「政治のアート」の担い手たるべき存在であったのである。

 第三部「政治の主体とその徳」は社会的実態に踏み込む形で政治の主体の問題を更に具体的に検討する。第一章「政治と経済」はロックの経済論にそくして土地と士地所有層--いわゆるジェントルマン--の位置づけ、その重要性を吟味しようとする。この領域でのロックの議論の核心は国富の増大と経済の発展を可能にする方法は戦争や征服ではなく、土地を基礎とした製造業の振興に求められるということ、これに対して金融業者や賛沢奢侈品を扱う仲介業者はこれとは異なる利益を追求する存在であること、租税の負担者であるジェントルマンこそ経済的に守られなければならない階層であること、といった点にあったという。その意味でジェントルマンは経済と政治とを結びつける要の位置を占め、経済論は政治的観点と深く結びついたものであった。また、労働の重要性は富の源泉としての経済的な効果に限定されるものではなく、何よりも労働は人間に対する神の配慮の現れであるし、その上、社会秩序の平和と安寧にとって労働は非常に大きな効果を持つというのがロックの見解であった。上流及び下層階級における怠惰と腐敗はロックの批判の的であり、「誠実で有益な勤勉」を政策的にも奨励すべしというのがその見解であったという。ここでのジェントルマンはあくまで土地所有者として生活の基本を守り、政治社会に持続的関心を持ち続けている階層であり、宮廷に寄生して生活する上層階級とは明確に区別されていたのである。

 第二章「政治社会における政治主体の徳と教育」は『教育論』の詳細な検討を行なう。『教育論』の関心は政治的主体たるべきジェントルマンを「腐敗」から守り、徳を育てることに向けられているが、著者はロックの議論がその徳や能力の議論において、シドニーに代表される「武勇」を強調する共和主義の議論とはっきりと一線を画すものであることに注意を喚起している。ロックはその人間論に即応して慣習や「意見」が人間形成に及ぼす大きな影響に留意し、両親の権威によって悪徳とそれを培養する習慣を早々に根絶することの必要性を説く。そのためには教育を担当する者の実践的慎慮とアートが要請されることは言うまでもない。同時に教育は奴隷的な束縛や制裁に依拠するのではなく、「気概」や「誇り」を生かしていく工夫を伴わなければならないとされる。「気概」や「誇り」に付きまとう傲慢や暴力への傾向や「支配欲」を排除し、それらを「評判」や「賞賛」を通して「理性的な」内容を持つものに誘導していくことが提案されている。著者によれば、人間の動機づけとの関連で「意見ないし評判の法」は教育論にも及んでいるのである。かくして教育は子供たちの「誇り」や「気概」を生かし、「自由への愛」を活性化するものであり、規則や訓戒よりも「模範」と「実例」を活用するものとなる。ここには名誉感情の満足を「真の快」と考える立場が見られるが、著者はこのような議論が「政治のアート」の担い手にとって決定的に重要な意味を持つことについて関心を喚起している。また、ロックの勇気の観念は戦場でのそれから平時における「不屈の精神」や自由な政治社会にふさわしい形で「理性化」された態度として描かれるが、これは残虐さを批判し、「人間らしい感情」の大切さを説く態度とも通底するものであるという。そして、ロックが重要な徳とする叡智(wisdom)は実践的慎慮と同義であり、彼はそれを経験と努力、習熟によって獲得可能なものとして示したのであった。また、ロックが「洗練」や「優雅さ」の必要性について言及しているのは、人間の活動が可視的世界において行なわれることを念頭においた配慮と考えられる。自由な政治社会は、評判のネットワークを媒介にしたこうしたジェントルマン層の世界にその基盤を置いていたのである。その一方で学識はジェントルマンにとって必ずしも重要ではないという立場をとりつつ、『ジェントルマンの読書』におけると同様、歴史、法律、雄弁術についての勉学を勧めている。以上のようなロックの「嗜み」についての議論は、彼のジェントルマン像が従来上流階級のそれとされてきたものと大きく異なり、自ら農業を営み質素堅実を旨とする士着のジェントルマンとでもいうべきものであったことを示している。著者はここに人間類型の重大な転換が見られるとしている。

 「結び」において著者は全体の議論を要約し、これまでのロック研究において体系的に発掘されてこなかった「アートとしての政治」とその担い手の問題を描き出した本論文の意義を述べて全体を結んでいる。

3.以上が本論文の要約であり、以下において評価について述べる。長所としては第一に、ロックの政治思想の中に潜む政治的慎慮や「アートとしての政治」に連なる議論の系譜に着目し、そこから彼の政治思想全体の再構成を精力的に且つ説得的に行ったことがあげられる。この作業は『統治二論』以外の諸著作の綿密な渉猟とその読み直しによって可能になったものであり、『教育論』などの活用にそれが典型的に見られる。ここで著者が素材とした議論はこれまでも散発的には注目されてきたが、著者はこれらの議論を体系化し、ロックの政治思想の一つの根幹部分をなすものであるとみなすことによってその政治思想全体の再構成にまで議論を展開させたのであった。ロックの政治思想といえば『統治二論』を扱うことであるというこれまでの固定観念と比べ、『統治二論』を扱った部分は全体の三分の一に過ぎない。ここに本論文の方向感覚が如実に現れている。この刺激的な論旨は本論文全体を極めて特色あるものにしている。

 第二の長所として、この政治的慎慮論の系譜の発掘作業がロック解釈にとって幾つかの重要な貢献をもたらしたことがあげられる。例えば、ロックの感覚主義・経験主義がデカルトとのどのような相違につながつていたか、特に、それが人間と社会との関係についての両者の根本的な認識の違いに及んでいたかといった哲学的論点の他、ロックにおいて自然法と並んで言及される「意見ないし世評の法」の持っ意味について本論文は極めて説得的な議論を展開している。こうして理性中心主義とは異なった、意見と習慣づけの世界の持つ意味が解明されたことはロック解釈にとって非常に重要な意味を持つ。

 これと密接に絡む点として第三に、政治主体についての綿密な検討の結果をあげることができる。政治的慎慮の問題は望ましい政治秩序の現実的可能性を視野に置くものであり、必然的にその中枢的担い手の資質やその社会的基盤へと向かわざるを得ない。本論文はこの点について極めて自覚的であり、第三部は徳論などへの注目を含め、ロックの政治思想の具体的な内実に肉迫しようとしている。ここに現れた絶対主義との違いは勿論のこと、共和主義ともブルジョワ主義とも異なった政治主体の実相は興味深いものがあり、政治思想史研究にとって刺激を与える論点を多数含んでいる。

 短所としては次の二点があげられる。第一は、政治思想史の文脈の押さえ方において不十分な点が見られることである。特に、著者の描き出した「意見ないし世評の法」の世界は余りに十八世紀的であり、ロック解釈としては行き過ぎであること、政治的慎慮概念に着目するとしてもこの概念が十七世紀においてどのような経過を辿り、ロックにおいてどのような転換を迎えたかについてもっと着目する必要があることなどがそれである。

 第二に、論文のテーマの性格もあって叙述に重複が少なくなく、また、不用意な用語が出てくるなど、叙述についてなお改善の必要があると考えられる。

 こうした短所にもかかわらず、本論文はロックの政治観の再構成を試みた野心的な作品であり、学界に貢献することは疑問の余地がなく、従って、本論文の著者は博士(法学)の学位を授与されるのにふさわしいと認められる。

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