学位論文要旨



No 115784
著者(漢字) 横山,文野
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,フミノ
標題(和) 戦後日本の女性政策の研究 : ジェンダーの視点から見た公共政策の展開
標題(洋)
報告番号 115784
報告番号 甲15784
学位授与日 2001.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第159号
研究科 法学政治学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,朗
 東京大学 教授 馬場,康雄
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 寺尾,美子
 東京大学 教授 田邊,國昭
内容要旨 要旨を表示する

 本論文はジェンダーに配慮した指標で構成される二つのモデル、家族単位モデルと個人単位モデルに照らして、戦後日本の公共政策の展開を跡づけることを目的とする。分析枠組は、ジェンダー関係に関わりの深い指標を抜き出し、社会政策の国際比較を行って福祉国家の類型化を試みたスウェーデンの社会政策学者セインズベリーの研究をべースとする。彼女は男性稼得モデル(Male breadwinnermodel)と個人モデル(Individual model)という二つの理念型からなる分析枠組を設定し、各国を二つのモデルの間に相対的に位置づけた。

 セインズベリーのモデルを参考にして日本の公共政策を分析するため設定した枠組が下の表である。この分析枠組に従い、()内に例示した複数の政策領域を各時代区分に応じて分析する。家族単位モデルと個人単位モデルのどちらにより接近していたのか、時代ごとに相対的位置づけを確認し、変遷をたどり、その要因を考察することが本研究の課題である。

 戦後復興期から高度経済成長期までは、全ての政策分野が家族単位モデルに合致していた。経済成長が鈍化し、低成長に転じた頃から、揺らぎが生じたが家族単位モデルは堅持された。1970年代末から1980年代には家族単位モデルを強化する動きと個人単位モデルへの改革を求める動きが対立し、家族イデオロギーと労働政策の分野で個人単位モデル的な要素が見られるようになった。そしてその動きはさらに他の政策分野にも波及し、1990年代には制度改革の必要性が認識されるようになった。現段階では認識にとどまっており、家族単位モデルを個人単位モデルに切り替えるような大幅な制度改革はまだ行われていない。そのため、家族単位モデルが優位さを保ちつつ、個人単位モデル的要素が混在しているという状況である。

 このような公共政策の展開は、「戦後家族」と密接に結びついてきた。「戦後家族」とは、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を行う核家族のことである。1960年代は「戦後家族」の確立期、1970年代は「戦後家族」の定着と動揺の時期、1980年代は「戦後家族」の強化の時期、そして1990年代以降は「戦後家族」の超克の時期である。

 性別役割分業は日本では経済成長の進展と共に登場し、定着した。1960年代は性別役割分業家族が理想的な家族像として大衆化し、「家族の戦後体制」として確立した時期である。現在につながる公共政策の大部分はこの家族を標準として形成された。女性=結婚=主婦という特性教育が行われ、税制と年金制度における「被扶養の妻」という存在が定着したのがこの時期である。高度経済成長期に一般化した主婦は家事だけで1日が飽和しない「現代主婦」であり、家事労働の省力化は潜在的にこうした主婦の就労を促進した。そして経済成長は若年労働力の代替労働力として主婦を求めた。こうして再生産役割を侵害しない範囲での女性の就労が増大していった。

 女性の学歴が上昇し、自分で収入を得る女性が増え、男性との平等を求める意識が高まると、「戦後家族」の中核である性別役割分業は揺らぎ、その家族を基準とする体制も動揺する。折からの経済成長の鈍化と財政危機によって、家族は社会保障の担い手として期待されるようになった。特に重要だったのは主婦のケア役割である。1970年代後半から1980年代半ばは「戦後家族」の強化が図られた時期である。家族法や税制、年金で「主婦役割」を保護する施策が実施された。この時期には、家族を強化する動きに併存する形で、性別役割分業を克服し、男女の平等を追及しようという動きも生まれていた。

 1980年代後半から1990年代にかけては、混在していた二つの方向のうち、個人の自由と権利を認め、性による不平等をなくし、家族の変容を受け入れようという方向が徐々に強まった。戦後の公共政策は法律婚をした夫婦と子どもからなる核家族を基礎にした。夫婦はこの基礎単位の中で性による役割分業を行い、法制度はそうした家族を支えてきた。しかし、社会は変化し、価値観の多様化が進んだ。性別役割分業は流動化し、離婚が増加し、法律婚も絶対的なものではなくなってきた。そうした現状に対応すべく、家族単位モデルから個人単位モデルへの転換が真剣に論じられるようになった。

 そのような動きに対して追い風となったのが、少子化の衝撃である。合計特殊出生率の大幅な低下は、家族単位モデルに依拠した日本社会が女性にとって生きにくいところであることを浮き彫りにした。働く女性がこれだけ一般化した中で、女性だけが家事や育児の責任を担う性別役割分業を維持することは不可能になっていた。少子化現象は、根本的な性別役割分業の変革がないままに、女性が家庭に加えてさらに仕事という二重の責任を負う状況から生じた、ある意味必然の結末だった。出生率の大幅低下が明らかになった1990年前後がジェンダーの視点から見た公共政策の転換期だったと言える。

表1 分析枠組

表2 ジェンダーの視点から見た戦後日本の公共政策の変遷

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「戦後日本の女性政策の研究-ジェンダーの視点から見た公共政策の展開一」は、戦後半世紀における日本社会の変化を背景として、女性に関わる公共政策が総体として「一定の家族モデル」を基に構築、展開され、変遷してきたことを実証しようとする、400字詰原稿用紙にして1810枚に及ぶ論文である。

 著者は、このような観点からみた戦後の杜会的変化は、家族の構造・構成の変化、女性の就労状況の変化、男女平等社会への志向と整理することができ、これらの社会的変化が様々な分野の公共政策のあり方を規定し、それらが相互に交錯しつつ、女性の社会的地位に影響を与えてきたと述べ、このような日本における公共政策の特質を、行政学のみならず、女性学、法律学、経済学、社会学等の研究成果をも取り入れて、社会的文化的に形成された性差を前提に作られてきた社会的制度に内在的な偏向を問い直す「ジェンダーの視点」から明らかにしようとする。

 その研究方法上の特徴は、第1に、これまでのわが国の行政学ではほとんど前例のなかったジェンダーという視点から、関連する公共政策について、明瞭なモデルを用い、一貫した分析を試みていること、第2に、家族法、年金、税制、ケアワーク、労働政策という多分野の公共政策について、相互の関連性を抽出しつつ、それらに影響を与えた共通の要因を明らかにしようとしていること、第3に、このような多分野の公共政策に関する考察を、戦後の制度形成期から1990年代の終わりまで、包括的、網羅的に対象として行っていること、そして第4に、わが国の公共政策の状況を考察する際の比較対象として、先進自由主義諸国の制度の分析を行っていることにある。

 本論文は、序章と終章を含め、全部で9章からなる。序章では、今述べた本論文の狙いと「ジェンダー」、「公共政策」等のキーワードの定義を行い、続く第1章においては、本論文における分析の基礎となるモデルの整理を、福祉国家論を中心とした先行研究の分析を通して行い、本論文で用いるモデルを提示している。第2章では、家族法、税制等、本論文が対象とした政策分野の構造と課題を論じ、第3章から第6章に至る4章においては、それぞれ戦後から1960年代、1970年代、1980年代、そして1990年代におけるそれらの政策の変化と、各政策分野を貫く変化要因の分析を行っている。第7章では、諸外国の動向が比較の視点から展開され、終章において、本論文の結論として現在の状況と今後の課題が述べられている。

 第1章「分析枠組の設定」では、まず、これまでの福祉国家論を検討し、3章以下で行うわが国の公共政策分析のための枠組の設定を行っている。すなわち、戦後の福祉国家論は、産業化による経済的な豊かさの実現が福祉国家をもたらすという単線的な収斂理論から始まっているが、その後の研究は、福祉国家への途は複数あることを前提として、それらを規定する要素の抽出へと向かっている。そして、その過程で、福祉国家の諸政策が一定の家族モデルを前提に組み立てられていることが指摘され、それらの政策に内在的なジェンダー・バイアスの究明をめざすフェミニスト・アプローチの研究も進むことになった。このような福祉国家についての研究は、エスピン・アンデルセンの福祉国家類型論の研究が発表されて以来、各類型を規定する要因についてのより詳細な分析が進められることになる。しかし、アンデルセンの福祉国家の3類型が家庭労働の領域を分析の対象から除外している等、ジェンダーに対する考慮を欠いているため、ジェンダーの観点からアンデルセンの3類型とは異なる福祉国家の類型を提示しようと試みる研究も行われるようになった。

 著者は、このような文脈において、ジェンダーの視点を取り入れた種々の福祉国家の類型論を検討し、セインズベリーの「男性稼得モデル」と「個人モデル」等を参考にしつつ、本論文で分析に用いる「家族単位モデル」と「個人単位モデル」を提示する。前者の家族単位モデルとは、税制、年金等の制度が、個人ではなく、家族を単位として形成されているものであって、そこでは男性が外で収入を得、女性が家庭を守るという家族観に基づいた性別役割分業が前提とされている。他方、個人単位モデルとは、このような一定の家族観を前提とせず、制度が、男性女性を区別せず、あくまでも個人を単位として作られているものを指す。著者は、これらのモデルを分析の媒介項として用い、戦後日本の諸制度およびその前提となった政策の基礎に共通してどのようなジェンダー認識が存在していたかを明らかにし、戦後の社会的変化によってそれらがどのように変遷を遂げてきたかを示そうとする。

 第2章「各政策領域の構造と問題の所在」では、本論文で分析の対象とした家族イデオロギー、年金、税制、保育・育児休業制度等のケアワーク、そして労働政策のそれぞれについて、制度の基本的な構造とジェンダーの観点からみた問題点が明らかにされる。家族イデオロギーと著者が呼ぶ領域においては、まず家族法に関して、戸籍等の制度における家族単位の表記のあり方、記載する順序、記載方法等が問題点として指摘される。また、教育システムが家族イデオロギーの形成・維持・再生産において果たす役割の重要性から、教科書検定や学習指導要領のあり方も問題となる。年金制度に関しては、国民年金において、一般サラリーマンが大半を占める2号被保険者の妻である「3号被保険者」の問題がある。国民年金制度は、1986年から新制度に切り替えられたが、従来から課題であった3号被保険者の費用負担については、新制度においても、独自の負担を求める制度とはされなかった。税制に関しては、所得税における配偶者控除、配偶者特別控除の制度が、片働き世帯と共働き世帯の間に実質的な不平等を作り出している点が問題として指摘されている。制度上は、配偶者であればよく、夫と妻の区別はされていないが、実際には、圧倒的に妻がその対象として想定されているからである。保育所、育児休業制度、児童手当というケアワークに関しては、家族単位モデルでは、性別役割分業観に基づいて、基本的に私的分野の事柄として扱われ、国が公的責任を負うべきではないとされてきた点が、労働政策については、家族モデルに基づいた「家族賃金」の考え方が、実質的に賃金の男女格差を作り出している点が問題となる。

 第3章「経済成長と「戦後家族」の確立-1945〜1960年代-」では、1章で提示した枠組を用い、2章で挙げた各領域の問題点について、戦後の制度形成期における公共政策の分析が行われる。戦後改革によって、民法上の家制度が廃止され、男女平等が規定された。教育の世界においても、男女共学制となり、家庭科教育も男女共学で始まった。しかし、こうした改革も、時代が安定すると「逆コース」による保守化の波に飲み込まれ、家族法は法律婚夫婦を単位とする家族を標準とし、国民皆年金が実現したものの、年金制度も、保険料の納付義務者は世帯主とされ、給付水準も世帯としての年金額を基準とされた。また、税制改正により、課税単位は世帯から個人に変わったが、妻の「内助の功」を評価した配偶者控除の制度が設けられた。ケアワークに関しては、母親を中心とした個人の責任で私的に行われるべきものとされ、基本的に公的支援の対象とは考えられていなかった。労働政策に関しては、高度成長を契機に既婚女性の就労が進んだが、あくまでも男性が基幹的労働力であるという発想は強く、賃金格差、職域分離等、男性優位の状態が存在した。この時期は、すべての領域で家族単位モデルに基づいて政策が作られており、産業化等によって社会的変化も生じ既婚女性の社会進出も増えたにもかかわらず、そのイメージは、再生産労働だけで1日が飽和しないだけの時間的余裕をもつようになった「現代主婦」のそれであり、性別役割分担の発想は強固に維持されていた、と著者は述べる。

 第4章「男女平等の胎動と「戦後家族」の揺らぎ-1970年代-」では、1970年代の状況が論じられる。この時代を特徴づける要因としては、高度成長から低成長への転換と男女差別撤廃の国際的な動きがあるが、年金、税制をはじめとして本論文で取り上げた政策領域についていえば、大きな政策の変化はみられない。国際婦人年を契機に、教育における家庭科の男女共修運動などが起こったが、制度改革へは結びつかなかった。むしろケアワークの領域では、70年代後半に登場した旧本型福祉社会論」が家族の機能を強調し、他の領域にも影響を及ぼした。それでも、育児休業制度に関しては、75年に育児休業法が成立した。だが、これも男性を視野には入れていない。

 第5章「性差別撤廃のうねりと「戦後家族」の強化一1980年代一」では、80年代の変化が論じられる。80年代には、国際的な性差別撤廃の動きが高まったが、反面において、相反する方向を指向する新保守主義の動きも活発化し、必ずしも大きな制度改革には結びつかなかった。しかし、家庭科教育については、89年に全面的に見直しが行われるとともに、年金制度に関しては86年に抜本的な改正が行われ、すべての国民が年金を受給できるようになった。だが、3号被保険者である被用者の無職の妻については、前述のように、独自の負担を求められることはなかった。ケアワークに関しては、保守的な考え方と改革の主張とが混在していたが、育児への公的な介入は限定すべきであるという考え方を維持することは困難になってきていた。少子化にしても高齢化にしても、この時期には、まだ深刻な問題としてそれほど意識されてはいなかったのである。

 第6章「少子化の衝撃とジェンダー平等への志向-1990年代-」では、これまでの胎動が顕在化し、制度に変化が生じた時代である。もはや伝統的な家族単位モデルを維持することが困難になった領域が多数生じてきたものの、伝統的な考え方も根強く、家族法、年金、税制面での改革は実現しなかった。他方、急速な高齢化と少子化が大きなインパクトを与え、とくに後者の「1.57ショック」は、現実の制度改革をもたらした。すなわち、ケアワークの領域における保育政策に関しては、児童福祉法が改正され、保育が措置から選択制となるとともに、育児休業法が92年に制定され、その後95年と97年にも改正が行われ、制度の問題点の改善も進んだ。90年代は、全面的な制度改正には至らなかったが、徐々に高まりつつあったジェンダー平等への志向と少子化の衝撃が結びつき、家族単位モデルに依拠した日本の公共政策をこれまでになく揺さぶった時代ということができる。

 第7章『ジェンダーと公共政策−諸外国の動向−」では、アメリカ、イギリス、フランス、スウェーデンの先進4カ国について、同様の視点から、制度の現状とその背景にある家族観を概観している。それによると、いずれの国も女性の社会進出の増加や意識の変化かから、ジェンダー・フリーの方向に向かいつつあるが、性差別解消の程度、支援の程度は、国によって異なっている。著者のモデルに従えば、多くの国では、まだ家族単位モデルに依拠した制度・政策が一般的であるが、たとえばスウェーデンのように、大半の領域で個人単位モデルへの移行を達成した国もある。

 終章の第8章「ジェンダー公正な社会をめざして-21世紀に向けて-」では、本論文での考察を総括して、戦後から高度成長期までは、全政策分野が家族単位モデルに合致していたが、低成長期に転じたころから揺らぎが生じた。しかし、家族単位モデルは堅持された。70年代から80年代にかけては、変化した社会において家族単位モデルを強化する動きと個人単位モデルヘの改革を求める動きとが対立し、一部の分野で個人単位的モデルに基づく政策がみられるようになった。そして、その動きはさらに他の分野にも波及し、90年代には制度改革の必要性が認識されるようになったが、現段階では、まだ認識に留まっており、両モデルが混在している状況にある、と述べている。そして、今後の展望として、ジェンダー・フリーな社会を実現するためには、基本法の制定、強力な国家的機関の設置、ジェンダーの視点からのモニタリング・システムの整備等が必要であると結んでいる。

 以上が本論文の要旨であり、以下はその評価である。

 本論文の長所としては、第1に、これまで研究がないに等しい行政学におけるジェンダーの視点からの初めての本格的な研究であり、他分野の研究をも取り入れて、複数の政策分野に共通する一定の家族観の抽出とその変化が諸政策にもたらした変化の分析を試みたアプローチの明晰さを挙げることができる。もとより、家族法をはじめ、年金、税制、労働政策などのそれぞれの政策分野については、これまでもジェンダーの視点からの研究の蓄積はあるが、それらの政策の対象を把握する最小単位を「家族単位モデル」と「個人単位モデル」との対比によって分析を行い、社会経済的要素や国民意識等の環境変数の変化によって引き起こされた、個別の政策領域に共通するジェンダー認識の動きと達成された制度改革の姿を明らかにしている点は評価できよう。

 第2に、考察の対象を、広く戦後の改革期から1990年代末まで、50年以上にわたって、しかも家族法、教育、年金、税制等8つの政策分野について、包括的かつ網羅的に、制度の構造とジェンダーの観点からみたその問題点、社会的変化とその政策への影響について考察するという、広い範囲の考察を一定の密度で行った実証分析の力量は高く評価できる。ある制度について、一見変化が生じなかったようにみえる時期においても、例えば就労女性数の増加や出生率の低下等の社会的変化が制度に与えた影響や、改革要求の声、それへの反論等を広く拾い上げることによって、その制度をめぐる動きを漏れなく叙述している点は、今後の研究にも大いに資するものといえる。

 第3に、考察の視点が明確で叙述にブレがなく、かなり長文の論文であるにもかかわらず、論理の混乱や飛躍がない点、また多分野の政策について制度の細部にわたって論じているにもかかわらず、容易に理解できる点を挙げることができる。さらに、文章も平易で読みやすく、随所に図表、グラフが挿入されており、複雑な制度について簡潔かつわかりやすく説明するとともに、錯綜した問題状況の理解を助けてくれる点も付記しておきたい。

 しかし、本論文にも短所がないわけではない。

 第1に、政策の基礎にあるジェンダー認識を中心に、これを家族単位と個人単位との二項対立として把握しようとしていることの反面として、複雑な現実に対する分析においてやや緻密さに欠ける点が惜しまれる。もとより50年以上にわたって、多様な政策分野について、制度を構成する多数の要素を特定し、それらの要素と社会現象との因果関係の厳密な解明を行うことが容易な作業ではないことは理解できるが、著者のいう社会的変化の変数と政策変化を引き起こすメカニズムをもっと明らかにできたならば、その主張はさらに説得力をもったと思われる。

 第2に、広範な分野、時期を対象としていることもあり、各時期の特定の政策の分析に当たって用いた資料が、主として審議会答申や議事録等に限定されている点も含めて、考察の掘り下げが必ずしも充分とはいえない点である。一定の社会的変化が制度改革をもたらす場合に、その政治過程は重要である。そこにおけるアクター、用いられた戦術、最終的な解決のあり方等の分析が充分になされてこそ、社会的変化がある形の政策の変化をもたらす過程の分析といえよう。関連して、考察対象についての記述が網羅的であるため、叙述が平板でやや緊張感に欠けることも否定できない。

 第3に、外国との比較を行っているが、各国の特徴について、もう一段掘り下げた叙述がなされ、その多様性についての考察があれば、わが国が向かっている方向をより鮮明に示すことができたと思われる点である。

 以上のように、本論文にも若干の短所はあるものの、それらは先に述べた本論文の価値を損なうほどのものではない。本論文は、戦後の女性に関わる政策についての体系的な研究であり、今後の行政学におけるジェンダーの視点からの研究に大きく貢献するものと評価できる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与されるにふさわしいものと認められる。

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