学位論文要旨



No 115785
著者(漢字) 永田,雅子
著者(英字)
著者(カナ) ナガタ,モトコ
標題(和) スパニッシュ様式の歴史的研究 : 日本近代建築におけるアメリカの影響
標題(洋)
報告番号 115785
報告番号 甲15785
学位授与日 2001.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4829号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 伊藤,毅
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、1920、30年代の日本で、主に住宅建築において流行したスパニッシュ様式に関する歴史的研究である。スパニッシュ様式は、1920年頃より顕著となる日本近代建築におけるアメリカの影響の一つであり、その流行の全容を明らかにすることで、日米間の建築文化交流の一面を明らかにするものである。以下各章の論旨を記す。

 第1章 序論

 本章では既往研究におけるスパニッシュ様式の歴史的評価と、本研究の目的を示す。

 従来の日本近代建築史研究では、様式論はモダンデザインを中心に語られ、スパニッシュを含む歴史主義様式は時代の潮流の中の障害物にしかみなされない傾向があった。そのため1993年の拙論「日本近代に於けるスパニッシュ建築に関する歴史的研究」(修士論文、東京大学)までスパニッシュ様式を歴史的に論じたものはなかった。

 また従来の日本近代住宅史研究では、生活様式と平面型に重点がおかれ、建築様式は表面的なものとして軽視される傾向があった。そのため住宅史では、スパニッシュは、1930年代後半の建売住宅という限定された範囲で好まれた様式として位置づけられたことがあるに過ぎなかった。

 個々の建築家や建築組織の研究では、それぞれの作品については論じられたものの、日本のスパニッシュ様式のなかで評価されることはなかった。

 1993年の拙論では、戦前「スパニッシュ」、「スペイン風(好み、趣味)」、「ミッション」、「南欧風」と説明された作品を中心に約250例を取り上げ、共通点として抽出される様式の主な特徴を列記し、流行の概要を明らかにした。

 本研究は、1993年の拙論で得られた成果をもとに、日本のスパニッシュ様式を再考し、個々の建築家の活動や作品を、日本のスパニッシュ様式のなかで評価をすることを目的としている。

 第2章 アメリカのスペイン系建築

 本章ではアメリカのスペイン系建築様式、すなわちスペイン植民地の建築、ミッション建築、プエブロ建築と、それぞれのリヴァイヴァル様式について、歴史と様式の特徴を説明する。また1920、30年代のアメリカの作品を取り上げ、日本のスパニッシュ様式の独自性を明らかにするための材料とする。

 第3章 様式の導入

 本章では日本にアメリカの様式が導入された過程について述べる。

 1910年代半ば武田五一はスペイン系リヴァイヴァル様式に着目しているが、日本の建築界一般には、まだあまり注目されていなかった。1920年頃から雑誌書籍の輸入が著しく増加し、建築家多数が訪米するなか、アメリカ建築への関心が高まり、スペイン系リヴァイヴァル様式にも大きな関心が寄せられるようになる。

 一方、スペイン本国の建築に対しては関心が持たれず、スペインを訪れる建築家は少なかった。アルハンブラ宮とエル・グレコの家に代表されるイメージのみ、スペインに求められた。日本のスパニッシュ様式は、初めから完全にアメリカの様式だったのである。

 1920、30年代には、スパニッシュ様式の採用を巡って賛否両論が展開した。スパニッシュ様式の緩勾配の瓦屋根は、和風住宅と相性が良いとする意見、スパニッシュ様式の小さい開口と軒は、日本の気候風土に不適だとする意見、スパニッシュ様式は日本の藏造りだとする考え方まであった。さらに1930年代後半には防空建築として歓迎されるにいたった。

 第4章 スパニッシュ様式の歴史

 本章ではスパニッシュ様式の流行の推移を述べる。

 まず住宅設計競技においてスパニッシュ様式は流行した。1921年の設計競技でアメリカのスパニッシュ・バンガローを手本とした作品が1等に当選して以来、スパニッシュ案の入選が相次いだ。1927年には流行のピークに達し、1928年から29年にかけてスパニッシュと和風の折衷案が提示されたのち、スパニッシュ案の当選は減少する。

 現実は設計競技の結果を追いかけるように推移した。スパニッシュ初期(-1929/03)にはアメリカ人建築家、大林組と清水組、武田五一の教え子たち、住友営繕の建築家、1920年代前後に渡米経験のある建築家などの手により、外国人、キリスト教関係者、留学経験のある知識人、芸術家などを建築主とする個別性の強い作品が生れた。

 中期(-1934)にスパニッシュは流行のピークを迎える。住宅を専門とする建設会社や、住宅地開発を行った土地会社や電鉄会社などもスパニッシュを手がけるようになる。作品の傾向は二極化し、一方ではアメリカの様式に忠実な作品が作られ、目本のスパニッシュ建築を代表する作品が生れた。また一方では様式の「定型化」、「簡略化」、「日本化」が進み、スパニッシュ様式は日本の住宅地に浸透していった。

 後期(1935-)までには、スパニッシュは日本の洋風住宅の主な様式とみなされ、スパニッシュと和風の折衷様式も日本の住宅の一様式として認識されていた。建売住宅に好んで用いられるようになり、スパニッシュ住宅は商品化した。初期から携わっていた武田五一の教え子たち、住友営繕の建築家、渡米経験のある建築家はすでにスパニッシュから離れ、大手建設会社と住宅会社においてはますます活発にスパニッシュを取り入れた。

 第5章 スパニッシュ様式の特徴

 本章では日本のスパニッシュ様式の特徴を説明する。

 緩い屋根勾配、小さい軒の出、明るい外壁、小さい開口は、屋根を軽やかに見せ、外壁に存在感を持たせる。屋根材は丸みを帯びた粘土瓦で、アメリカの「ミッション瓦」が日本の「スパニッシュ瓦」に、アメリカの「スパニッシュ瓦」が日本の「アメリカ式」となり、その後「S型」瓦と呼ばれるようになる。スパニッシュの装飾的な要素では、煙突、連続アーチ形、ねじれた形、四葉形、四葉形と正方形を組み合わせた「スパニッシュの星形」、色鮮やかなテラコッタやタイルの装飾、装飾的な鍛鉄製品(アイアングリル)などがある。

 玄関は、単アーチか3連アーチ形の開口を持つポーチをつけるか、ポーチをつけず、玄関入口周辺に集中的に装飾が施される。小穴が縦横に並んだ開口は、和風にもモダニズムにも合う要素として多用された。出窓は設けられず、鉄製や木製のバルコニーが用いられた。規模の大きな作品では塔がついた。

 日本のスパニッシュ様式は主に外観に現われ、内部や平面にほとんど影響をあたえなかった。そのためパティオは必要とされなかった。代わりに壁泉や噴水が多用された。本格的なスパニッシュの内装や家具は、一部の建築家の作品のみに見られた。逆にそれらの建築家は、スパニッシュでない作品の内装にもスパニッシュを応用することがあった。

 第6章 建築家とスパニッシュ作品

 本章ではスパニッシュ様式の担い手となった建築家たちの活動と作品を、日本のスパニッシュ様式のなかで評価する。

 W.M.ヴォーリズは、一設計事務所としては最多の作品を残し、東京と京阪神を中心とする広い地域で、スパニッシュ流行の初期から後期まで一貫して、流行に左右されない設計を続け、質量両面で流行を支えた。関西建築界の父武田五一は、スパニッシュ流行の理論的な指導者として位置づけられる。彼自身に作品は少ないが、教え子たちがスパニッシュを手がけている。大林組は住宅設計競技の頃から常に流行をリードしてきた。初期に住宅部を新設し、武田五一の愛弟子を部長に据え、スパニッシュ路線を明確に打ち出していた。

 そのほか米国留学生だった松田軍平、住友営繕の長谷部鋭吉、笹川慎一、安井武雄らは、様式を「抽象化」し、独自の建築様式を創出することに成功している。

 第7章結論

 スパニッシュは、当時歴史主義様式として導入されたものではなく、むしろ日本の住宅を改良する手法として導入された。その意味では同時期のアメリカの影響である、施工や設備などの技術やシステムと同種のものであった。

 スパニッシュは決して時代の潮流の障害物などではなく、むしろ潮流に乗り、すっかり流れに溶け込み今日にいたったと言えよう。

 また優れた建築家の手によって、日本化以外の方向への「抽象化」が行われ、独自の設計が行われたことは、日本近代建築史において大きな収穫であったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、1920、30年代の日本で、主に住宅建築において流行したスパニッシュ様式に関する歴史的研究である。スパニッシュ様式は、1920年頃より顕薯となる日本近代建築におけるアメリカの影響の一つであり、その流行の全容を明らかにすることで、日米間の建築文化交流の一面を示そうとしたものである。

 まず第1章では、既往研究におけるスパニッシュ様式の歴史的評価と、本研究の目的を示している。

 第2章では、アメリカのスペイン系建築様式、すなわちスペイン植民地の建築、ミッション建築、プエブロ建築と、それぞれのリヴァイヴァル様式について、歴史と様式の特徴を示している。また1920、30年代のアメリカの作品を取り上げ、日本のスパニッシュ様式の独自性を明らかにするための比較材料を提供している。

 第3章では、日本にアメリカの様式が導入された過程について論じている。1910年代半ば、武田五一はいち早くスペイン系リヴァイヴァル様式に着目しているが、日本の建築界一般は、この様式にまだ注目していなかったとし、1920年頃から雑誌書籍の輸入が著しく増加し、建築家多数が訪米するなか、アメリカ建築への関心が高まり、スペイン系リヴァイヴァル様式にも大きな関心が寄せられるようになったことを指摘している。一方、スペイン本国の建築に対しては関心が持たれず、イメージのみがスペインに求められ、日本のスパニッシュ様式は、初めから完全にアメリカの様式だったことを指摘している。

 第4章では、スパニッシュ様式の流行の推移を論じている。まず、住宅設計競技においてスパニッシュ様式は流行し、1921年の設計競技でアメリカのスパニッシュ・バンガローを手本とした作品が1等に当選して以来、スパニッシュ案の入選が相次ぎ、1927年には流行のピークに達し、1928年から29年にかけてスパニッシュと和風の折衷案が提示された後、スパニッシュ案の当選は減少することを指摘している。

 現実は設計競技の結果を追随するように推移し、スパニッシュ初期にはアメリカ人建築家、大林組と清水組、武田五一の教え子たち、住友営繕の建築家、1920年代前後に渡米経験のある建築家などの手により、外国人、キリスト教関係者、留学経験のある知識人、芸術家などを建築主とする個別性の強い作品が生まれたことを指摘している。

 中期にスパニッシュ様式は流行のピークを迎え、住宅を専門とする建設会社や、住宅地開発を行った電鉄会社などもスパニッシュ様式を手がけるようになったとしている。そこでは、作品の傾向は二極化し、一方ではアメリカの様式に忠実な作品が作られ、目本のスパニッシュ建築を代表する作品が生まれ、また一方では、様式の「定型化」、「簡略化」、「日本化」が見られ、スパニッシュ様式は日本の住宅地に浸透していったことを指摘している。

 後期までには、スパニッシュは日本の洋風住宅の主な様式とみなされ、スパニッシュと和風の折衷様式も目本の住宅の一様式として認識されていったとし、建売住宅に好んで用いられるようになり、スパニッシュ住宅は商品化したことを指摘している。

 第5章では、日本のスパニッシュ様式の特徴を論じている。日本のスパニッシュ様式は主に外観に現れ、内部や平面にはほとんど影響を与えなかったとし、そのため、パティオは必要とされず、代わりに壁泉や噴水が多用され、本格的なスパニッシュの内装や家具は、一部の建築家の作品にのみ見られたことを指摘している。

 第6章では、スパニッシュ様式の担い手となった建築家たちの活動と作品を、日本のスパニッシュ様式のなかで評価している。まず、W.M.ヴォーリズは、建築家個人の名前を冠した設計事務所としては最多の作品を残し、東京と京阪神を中心とする広い地域で、流行に左右されない設計を続け、.質量の両面で流行を支えたことを指摘している。また関西建築界の父と称される武田五一は、スパニッシュ流行の理論的な指導者であったとし、作品は少ないが、教え子たちがスパニッシュを手がけていることを示し、さらに大林組は住宅設計競技の頃から常に流行をリードし、スパニッシュ路線を明確に打ち出していたことを指摘している。そのほか、米国留学生だった松田軍平、住友営繕の長谷部鋭吉、笹川慎一、安井武雄らは、様式を「抽象化」し、独自の建築様式を創出することに成功したと評価している。

 第7章は、本論文の結論となっている。スパニッシュ様式は、一部の建築家の活動と作品を除き、一般の住宅には装飾的な歴史主義様式としてではなく、住宅を改良する手法として導入されたとし、その意味では、同時期にアメリカの影響を受けた、施工や設備などの技術やシステムと同種のものであったことを明らかにしている。またスパニッシュは時代の潮流に乗り、さらには、優れた建築家の手によって、日本化以外の方向への「抽象化」が行われ、独自の設計が行われたことは、大きな収穫であったと結論づけている。

 以上、総論と各論のそれぞれによって、スパニッシュ様式がわが国近代建築成立の重要な側面を有していたことを明らかにした。従来までの断片的な捉え方から、大きな一歩を踏み出したものであり、今後の近代建築史研究における新しい展望を拓いたものと言えるよう。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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