学位論文要旨



No 115786
著者(漢字) 山中,新太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,シンタロウ
標題(和) 建築空間の断面系列に関する研究
標題(洋)
報告番号 115786
報告番号 甲15786
学位授与日 2001.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4830号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 及川,清昭
内容要旨 要旨を表示する

 解剖学をはじめとした自然科学の諸分野では、常に「不可視の情報」へ視線が向けられ、可視的な情報の背後にある隠れた構造の解明により、技術的、あるいは理論的な進歩がなされてきた。しかし、建築計画学における空間分析の手法では、断面情報から空間を再構築するという発想が見られない。これは、建築空間が人為的に作られたものであり、実際に内部に入り細部にわたって観察できる「既知の情報」であるという特殊事情によるところが大きい。本来、空間は多様に解釈し得る可能性を持っている。その中で、ある視点からの映像は常に空間の一つの姿しか表現していない。われわれが建築空間に対して抱くイメージは、一つの映像ではなくシーンとしての断面の集積である。本研究はこうした考え方にもとづき、複数の断面による記述を通して建築空間の分析を行うものである。

 本論は序と第1章から第6章、APPENDIX、および参考資料からなる。第1章から第4章は複数の断面による記述方法およびその理論的背景の考察で、第5章は住居空間をモデルにした空間分析、第6章は論文全体の総括である。

 第1章は研究の目的と背景、研究方法、既往研究の考察、研究の位置付けを行う。本研究は一連の断面図群(これを「断面系列」と呼ぶ)を用いて建築空間を横断的に定量化する理論の確立と実践を目的とする。具体的には(1)「断面系列」の定義、(2)断面系列を用いた建築空間の定量化手法の提示と実践、を目的とする。研究方法は(1)関連諸分野の考察、(2)分析方法の提起および適用条件の整理、(3)幾何学モデルによるケーススタディ、(4)建築空間への適用、(5)手法の評価、という手順をとる。

 既往研究は建築計画・都市計画における空間の定量化の研究と、関連諸分野を含んだ断面に関する定量化の研究を説明する。また、建築計画学において空間を連続的かつ多角的に定量化する研究が稀であることを指摘し、本研究をコンピュータグラフィックスの理論や情報理論などを用いて断面情報から建築空間を定量的に分析する研究と位置づける。

 第2章は大きく2つの内容からなる。第1節から第4節までは、一連の断面図の系列すなわち「断面系列」の定義を行い、その幾何学的な性質を考察する。その中で等高線図との比較を通して断面系列の性質と対象の幾何学的な条件を整理する。さらに、切断面を指示する軸線(本論ではこれを「パス(Path)」と呼んでいる)と、切断面の関係からパスの条件を整理する。ここではパスを直線に限定せず、「結節点を持たない単純弧」とする。あわせて、本論で用いる用語の整理を行う。

 第5節以降は、切断面に現れる断面の輪郭線(以降単に「輪郭線」と呼ぶ)の形状から・断面を定量化する方法について述べる。輪郭線に対して「周長」「面積」「円環性」、「針状の度合い」などの一次的な指標と、「分節点逐次距離」「分節点最近隣距離」など輪郭線間の形態の差異を表す二次的な指標を設定し、円環面(トーラス)により境界付けられた対象を例に輪郭線の形状の変化を考察する。

 第3章は「レーブグラフ」を用いて断面構成を記述する方法を提起する。「レーブグラフ」は、CGなどで連続的な断面情報から立体を再構成する際に、情報を圧縮する手法として用いられるもので、対象の位相的な特異点の関係性を示すグラフである。このグラフは切断位置と断面との距離情報を保存して対象を表現することができる。この章では、任意形状の曲面に対して適用されてきたレーブグラフをソリッドなものへ適用するための条件を整理し、建築空間の分析手法としての準備を計る。また、グラフ理論におけるレーブグラフの特性を分析し、建築分野で領域分析に用いられる領域隣接グラフとの比較を通して、その相違を明らかにするし第6節はレーブグラフの「距離情報を保存する性質」に着目し、個々の輪郭線の形状指標値を高さとする立体化した「重み付きレーブグラフ」を考察する。

 第4章は断面やその集合である断面系列が持つ「情報量」について考える。内容は大きく2つに分かれる。第2節は断面系列におけるそれぞれの輪郭線の出現傾向を考察する。ここでは、レーブグラフの形状と輪郭線について分析し、断面構成を記述する場合に有効な断面(「有効断面」)や、輪郭線の組み合わせの出現率などにもとづくパスの方向性と断面情報の関係等を考察する。第3節、第4節は、各輪郭線の面積や切断面全体の面積を用いて断面系列の情報エントロピーを求め、単純な立体モデルを用いて指標の有効性を考察する。

 第5章は原・藤井研究室で行われた集落調査データをもとに住居をモデリングし、第3章、第4章で提起した分析手法を住居空間に適用する。分析は調査住居のモデリング、断面系列の作成、断面積の計測、レーブグラフの作成、有効断面の抽出、エントロピーを用いた各指標の演算という手順をとる。調査住居をモデリングする際には恣意的な判断が避けられないが、対象の範囲規定や各部分(室)の境界条件など作図上の便宜的な規則を述べる。分析は一定間隔で断面を作成する方法をとる。作成された断面系列のデータからレーブグラフを作成し、各部分(室)の出現傾向を表現する。エントロピーを用いた断面系列の情報量の分析は、天空比を一定にするような半球の曲面分割にもとづく1000の異なるパスを設定し、断面系列毎に「断面エントロピー」「部分断面エントロピー」「均質断面エントロピー」の3種類の指標値を演算する。得られた値から散布図を作成し対象の空間構成と各指標値の関係を考察する。

 第6章は本研究の意義と成果の総括であり、同時に今後の研究の方向性について述べる。本研究の意義は、(1)複数の断面図から空間を定量化する手法を提起しそれを用いた空間分析を実践したこと、(2)レーブグラフを用いて複雑な建築空間の断面構成をパスの方向に対して距離情報を残したまま記述する手法を提示したこと、(3)(情報理論における)エントロピーの概念を用いて断面系列の持つ情報量を計測する手法を提示したこと、(4)上記の手法を用いて海外の伝統的住居の空間分析を行ったこと、の4点である。本研究の特徴である連続的な事象に対する離散的な分析手法は、他の研究との連携により様々な事象の分析に展開できる可能性を有している。APPENDIXは分析に用いた調査住居の概要を示している。また、参考資料として、分析データ、プログラム、文献リストを記載している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は建築空間の特性を、その断面の性状から論じたものである。あらゆる建築空間は、任意の方向・位置でその断面を描くことが可能であるが、断面図は画法幾何学的にはある設定された画面への平行投象図に相当し、広義には平面図や立面図も水平あるいは鉛直に設定された投象面への断面図であると見なすことができる。

 本論は建築空間に対し、ある方向に線状の軸線(パス)を想定し、その軸上に一定の間隔に設定した投象面に描かれる一連の断面図の系列(断面系列)をもとに、その空間の性状を分析したものである。建築の内部空間は本来的に3次元の空間であるが、そこでの空間体験は断面構成の複雑さに依存する度合いが高い。この空間的な複雑さは平面図や立面図だけでは旨く表現できず、断面図にその状況が最も良く投象されている。建築の設計図面において断面図あるいは矩計図が重視される由縁である。断面図を系列化することにより、内部空間の複雑さをシークエンスとして表現できる。これは医療におけるCTスキャンに相当するもので、いわば建物の断層撮影図といえる。この断面系列をもとに、空間に内包されている空間構成の秩序を再構成し、その意味を読み解くのが本論の目的である。

 論文は序と6章、およびAPPENDIX、参考資料からなる。

 第1章は研究の目的と背景、研究方法、既往研究の考察、研究の位置付けである。

 本研究は一連の断面系列を用いて建築空間を定量化する理論の確立と実践を目的とする研究と位置づけられる。

 第2章は大きく2つに分かれる。第1節から第4節は、断面系列の定義とその幾何学的な性質の考察である。等高線図との比較を通して断面系列の性質と幾何学的な条件を整理し、次いで、パスと切断面の関係からパスの条件を整理し、あわせて、本論で用いる用語の整理を行なっている。第5節以降は、切断面に現れる断面の輪郭線の形状に基づく定量化の手法に関する記述で、「周長」、「面積」、「円環性」、「針状の度合い」などの1次的な指標と、「分節点逐次距離」、「分節点最近隣距離」などの2次的な指標を設定している。

 第3章は「レーブグラフ」を用いた断面構成の記述方法の提案である。レーブグラフは断面情報から立体を再構成する際に情報を圧縮する手法として用いられるが、断面の位相的な関係性を保存した表現になっている。このレーブグラフをソリッドな対象へ適用するための条件を整理し、建築空間の分析手法としての準備を計っている。

 第4章は断面やその集合である断面系列が持つ「情報量」についての考察である。先ず、断面系列におけるそれぞれの輪郭線の出現傾向を調べ、レーブグラフの形状と輪郭線についての関係性を分析し、断面構成を記述する際に有効な断面や、輪郭線の組み合わせの出現率などにもとづくパスの方向性と断面情報の関係等について分析している。次に、各輪郭線の面積や切断面全体の面積を用いて断面系列の情報エントロピーを求め、立体モデルを用いて指標の有効性を検証している。

 第5章は海外の伝統的な集落の住居データをもとに、第3章、第4章で提起した分析手法の有効性を検証したものである。ここでは断面系列のエントロピーを求め、「断面エントロピー」、「部分断面エントロピー」、「均質断面エントロピー」の3種類の指標を算出し、それらの散布図から空間構成と各指標の関係性を考察している。

 第6章は本研究の意義と成果の総括である。本研究の意義は、(1)複数の断面図から空間を定量化する手法を提案し、それを用いた空間分析を実践した、(2)レーブグラフを用いて複雑な建築空間の断面構成をパスの方向に対する距離情報を保存して記述する手法を提示した、(3)エントロピーの概念を用いて断面系列の持つ情報量を計測する手法を提示した、(4)上記の手法を用いて海外の伝統的住居の空間分析を行った、の4点である。ここで提示した分析手法は汎用的で、様々な事象の分析に展開できる可能性を有している。

 APPENDIXは分析に用いた調査住居の概要で、参考資料は分析データ、プログラム、文献リスト等である。

 以上要するに、本論文は断面系列という独自の視点から建築空間の分析手法を提示したもので、この手法を用いることにより、内部空間の複雑さという従来は客観的に数量化ができなかった様相を定量化することに成功している。この手法は建築空間に対する認識を新たなものにすると共に、設計行為と空間体験を合理的に説明する手法のひとつになりうるもので、建築計画学の分野に新たな空間論を導入するものとして、その意義は大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク