学位論文要旨



No 115791
著者(漢字) 山本,芳久
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヨシヒサ
標題(和) 自立性と関係性 : トマス・アクィナスにおける理性的実体としてのペルソナ
標題(洋)
報告番号 115791
報告番号 甲15791
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第309号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 高山,守
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
 東京大学 教授 宮本,久雄
内容要旨 要旨を表示する

 トマスは、「ペルソナ・人格(persona)」という言葉を人間について使用するさい、ボエティウスに由来する「理性的な本性を有する個別的な実体」という定義に基づいて論を進めている。そこから読み取れることは、ペルソナということが語られる原初的な局面においては、ペルソナは、他のペルソナや他の存在者との「関係」において捉えられているのではなく、自立的な「実体」として捉えられている、ということである。

 だが、ペルソナの実体性や自立性の強調は、ペルソナを自己自身へと閉ざされたものとしてしまうのではないだろうか。実体であり「完結した全体」と言われるペルソナとしての人間において、他の存在者との「関係」はどのようにして遂行されるのであろうか。トマスにおいて、ペルソナの実体的・自立的な性格と関係的な性格とは、あくまでも実体的・自立的な性格に重心を置きながら統合されているのであるが、そこにどのような積極的な意味があるのかということが、本論文の明らかにしようとする問題である。それゆえ、本論文においては、認識者としての側面と実践者としての側面との双方に焦点を置きつつ、換言すれば、ペルソナにおける知性のはたらきと意志のはたらきとの双方に注目しつつ、「自立性と関係性」という観点から、理性的実体であるペルソナとしての人間の存在論的な構造を順序立てて明らかにしていくことが目指される。

 まず、第1部「理性的実体としてのペルソナの基本的構造」においては、ペルソナの存在論的な基本構造を浮き彫りにしている。即ち、ペルソナとしての人間は、可感的な世界に存在するかぎりにおいて、諸々の付帯性を獲得したり喪失したりしながら存在し、様々な側面において絶えず変化し続けているが、そのような付帯性を担っている基体・実体であるペルソナ自体は、そのような変化を貫いて一性を保ち続けている。ペルソナは、「個別的・不可分割的(individuum)」であるかぎりにおいて、分割することも、他のペルソナと存在論的に融合することもありえない自立的で根源的な一性と全体性を有している。このような形で、「理性的な本性を有する個別的な実体」であるペルソナとしての人間を理解することによって、トマスは、諸々の付帯性を自立的な形で担っている自存者であるところの自己支配的な個体を存在論的に語り明かすことに成功しているのである。

 次に、第II部「ペルソナにおけるはたらきの構造(1)−知性のはたらき−」においては、次のようなことを明らかにしている。即ち、ペルソナとしての人間は、「完結した全体」でありつつ、認識のはたらきにおいて実在の全体と関係しながらそれに対して自らを明示的に開放しつつ受容していくことによって、他のものとの関係を取り結ぶとともに自己自身へと還帰し、より高次の仕方で自立性を実現していくことができる。理性的実体の本性を形作っている全存在との合一−それは「魂は或る意味ですべてのものである」というアリストテレスに由来する命題によって表現されている-が、はたらきによる個別的な認識関係の形成を基礎づけつつ、逆にそれによって完成させられていくのである。

 次に、第皿部「ペルソナにおけるはたらきの構造(2)-意志のはたらき-」においては、ペルソナである人間における意志のはたらきの構造を「愛」のはたらきに注目しながら分析している。トマスは、「友愛は何らかの一致を含意しているが・・・・・・各々の人間は自己自身に対して一性を有しているのであり、一性は一致よりもより優れたものである。それゆえ、一性が一致の根源であるように、人が自己自身を愛する愛が友愛の形相であり根源である」と述べているが、このような言明のうちには、自立した理性的実体としてのペルソナの一なる存在論的な核が、ペルソナの相互的な関係性の形成を可能としているという構造が読み取られうる。人間は、他者との関わりを通して自己へとより深く立ち戻るという在り方の中で、自己自身の存在の一性を自己伝達的・自己還帰的な仕方で遂行することによって、自己ならざる他者を個体的に肯定するとともに、そのような仕方で他者を肯定している自己自身をより十全な仕方で肯定していくことができるのである。「完結した全体」としてのペルソナは、このような仕方で、既存の境界を流動化させ、新たな全体性を形成し直していくことができるのである。

 このような仕方で、自立性を担ったペルソナに支えられていることによって、知性と意志のはたらきは、他者や他の諸事物との関係性の徹底的な構築のただ中においても、自立性を確保するとともに、それを新たな仕方で完成させていくことができる。一性と全体性という存在論的な完全性を常にすでに有しているペルソナは、はたらきによる関係性の形成を通して、さらに高次の完全性・全体性へと進んでいくことによって、自らの自立性を自他とのより深い関係性を含み込んだより高次の仕方で完成させていくことができるのである。

審査要旨 要旨を表示する

 現代の「人格(person)」概念の淵源とも言うべき中世の「ペルソナ(persona)」概念は、元来、「三位一体論」と「キリスト論」の文脈で用いられたものであり、トマス・アクィナスにおける「ペルソナ」概念もその例外ではない。しかし、本論文は、そのような「ペルソナ」概念の研究ではなく、「ペルソナ」という語をキーワードにして、トマスの人間論を倫理学的・存在論的に再構成し、その現代的意義を示すことを目的とするものである。

 第I部「理性的実体としてのペルソナの基本的構造」においては、トマスにおける(人間の)ペルソナの存在論的な基本構造が明らかにされている。すなわち、第一章「人間論的概念としてのペルソナの輪郭」では、トマスが「自存的・自立的な実体」として定義している人間のペルソナの根本性格と構造が解明され、第二章「ペルソナの自己根源性--被造物としての人間の自立性」では、トマスの人間論において被造物としての人間にどのようにして自立性と意志の自由が認められるのかが示されている。

 第II部「ペルソナにおけるはたらきの構造(1)--知性のはたらき」においては、人間の知性のはたらきにおけるペルソナの自立性と関係性が明らかにされている。すなわち、第三章「知性認識におけるペルソナの自立性と関係性」では、トマスが魂の「固有性」,と規定する知性が、認識において、自立的であると同時に他者との関係を含んでいるということが示され、第四章「神認識におけるペルソナの自立性と関係性--神の把握不可能性の含意するもの」では、自然的理性によって神を認識し尽くすことはできないというトマスの主張は、被造物全体も、更には我々自身も認識し尽くすことはできないということを含意しており、我々を果てしない探求へと促すという意味を持つということが明らかにされている。

 第III部「ペルソナにおけるはたらきの構造(2)--意志のはたらき」においては、他者との関係性が実践的・倫理的観点から解明されている。すなわち、第五章「根源的な受動性としての愛--ペルソナの全体性における情念の意味」では、受動性(情念)としての「愛」というトマス独特の概念の解明を通して、その「愛」は原因としても結果としてもまたそれ自体としても他者との「一致」に存することが示され、第六章「ペルソナとペルソナの相互関係--『友愛』における一性の存在論」では、他者との友愛関係が自己および他者の善を実現するものであるというトマスの考え方が明らかにされている。

 筆者の論述は極めて明快で説得力があるが、個々の問題を哲学的にもっと掘り下げる必要もあるだろう。とは言え、本論文は、トマスが主題的に論じてはいない問題をテーマとして立て、そのテーマに関連するテキストをトマスの作品群から拾い集めて筆者独自の観点から論を構成したものであり、この点で筆者の独創性と手腕は高い評価に値する。よって、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判定する。

UTokyo Repositoryリンク