学位論文要旨



No 115796
著者(漢字) 姜, 抮亜
著者(英字)
著者(カナ) カン,ジナ
標題(和) 1930年代広東省の財政政策 : 中央・地方・商人の三者関係を中心に
標題(洋)
報告番号 115796
報告番号 甲15796
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第314号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱下,武志
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 助教授 黒田,明伸
 東京大学 助教授 安冨,歩
 信州大学 教授 久保,亨
内容要旨 要旨を表示する

本稿では、1930年代広東省陳済棠政権の財政政策とそれをめぐる南京政府及び広東省内外の商人階層の動向を分析するため、1930年代広東省政府の財政政策を三つの側面から検討した。第1章では、1930年代広東省の最大財源となった専税を考察した。南京政府の関税引き上げ政策と「裁厘加税」政策に対抗し、広東省は自らの財源を保護するため地方関税である専税を創設した。専税は、財源調達の意味合いのほかに、自省保護主義的な貿易障壁の役割を果たしたが、反面、日本との国際問題となり、1935年の汕頭事件を引き起こした。とりわけ、広東省は中国最大の食糧市場であったので、洋米専税は莫大な税収をあげた。しかし、洋米専税は、南京政府の洋米輸入税政策を破壊したものであった故に寧粤関係を緊張させ、食糧への課税は広東省内の世論の反発をかった。この論戦は、1936年の両広事変以降は、洋米課税と国産化を主張する上海及び産米省と洋米免税と食糧供給の安定化を主張する広東省の間で新たな形で再現した。第2章では、財政における請負制度の改革過程を検討した。広東省政府による請負改革の特徴は、公開入札を通じて請負商人を選択し、請負商人の準商人的な性格を薄め、準官僚的な性格を強めようとした点にある。なお、政治力が弱く、行政システムが完備していない政府にとって、商人による税金請負は、徴税費用を最小化でき、定額の税収を保証する魅力があった.結果的に、請負制度は当該時期の広東省のインフラ建設において最小資本による最大効果を発揮し、大いに寄与した.第3章では、陳済棠広東省政府の貨幣金融改革及び両広事変以降繰り広げられた大洋と小洋との交換レート論争を考察する。広東省の金融は独自の小洋圏を形成し、上海を中心とする中国の大洋圏と隔離されていた。折しも1930年代は、中国の貨幣・金融統一の機運が高まり、如上の状況の転換期となった.広東省政府と南京政府は、改革の主導権をめぐって対立したものの、幣制改革と金融統一の方向性は共有した。1935年11月に南京政府が幣制改革を行うと、広東省政府は独自の小洋圏に基づく幣制改革を行った。しかし、金融・為替市場は広東省政府の小洋法幣に対して割引風潮と取り付け騒ぎで反応し、省政府の厳格な取り締まりにもかかわらず、香港ドルとの為替市場で小洋法幣は更に急落した。為替危機はついに陳済棠政権の政治的な没落の引き金となった。

 以上の検討を通じて、本稿では以下の諸点の結論を帰納しえた。第一に、中央政府の「国家建設」と広東省政府の「国家建設」の間には相互補完・相互依存的な側面が強かった。第二に、1930年代は統制経済の強化による国家権力の民間社会への浸透が強化された点である。世界大恐慌の影響下で、経済における「国家代行主義」の台頭と同様に、国家の財政政策が民間経済に及ぼす影響力をかつてなく強化させ、財政国家としての現代国家の姿が現れた。なお、広東省政府の割拠的・自立的統制経済の志向は南京政府及び上海を中心とする中国の主流経済圏の膨張により頓挫した。第三に、商人階層は、組織化された請願運動をはじめ、密輸・紙幣の取り付け・為替投機等で積極に国家の浸透に応戦し、自らの階層利益を貫徹させ、なお時代的に共有されつつあった「国家利益」との共存を図った。そして、その経済的な行為は陳済棠政権の没落を導いた為替危機のように政治的な民意の反映として集結されうるのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、1930年代広東省政府の財政政策の構造とその特質を、1990年代に入り広東省史料館で公開された原資料を駆使し、中央・地方・商人の三者関係の中で検討し、さらにその分析を通して、中国における広東省それ自体の地域的特徴を明らかにした、近年稀に見る優秀な論文である。

 本論文は、1930年代広東省政府の財政政策を、「税制改革」「財政請負制度の改革」「金融幣制改革」の三側面から検討し、それらの政策はいずれも広東省政府により積極的に推進された結果、中央政府ならびに商人層に大きな議論を呼び起こしたことを明らかにする。そこでは、三者それぞれの利害関係の交錯と対立が、如何なる問題と如何なる条件の下で発生しているかという点を分析的・実証的かつ動態的に論じており、それらは以下の諸点として特徴付けられる。

 第一に、中央政府の「国家建設」と広東省政府の「国家建設」とは、必ずしも常に対立したのではなく、むしろ両者は相互補完・相互依存的な側面を持っていたという点を実証的に再検討したことである。

 税制改革の目玉として導入された専税の場合は、新たな流通税であるという国内の非難と、関税協定違反であるとする国際問題を招いた。また、洋米に対する専税の賦課は、広東省が中国最大の糧食輸入市場であることから、1936年の両広事変で南京政府が広東省を接収した後、上海及び長江産米五省の利害とも衝突したこと、また広東省の商人と東南アジア華僑との結びつきの強さも示した。

 第二に、1930年代には、統制経済の強化による国家権力の民間社会への浸透が強化された点を明らかにした。国家の財政政策が民間経済に及ぼす影響力をかってなく強化させたが、これは世界的な潮流でもあり、とりわけ1930年代の世界大恐慌は、民間経済に対する国家の積極的な介入を促進させた。しかし、広東省政府の割拠的・自立的統制経済の志向は、南京政府及び上海を中心とする華中経済圏の膨張により活力を後退させていることが比較史的に明らかにされる。

 第三に、商人階層が経済活動を通して政治的な意思表示を行い、経済力ならびにその財政との関係を圧力として行使したことも広東省の特徴の一つであることが検討された。

1930年代の南京政府の「国家建設」はナショナリズムを宣伝し、また広東省政府のそれは地域保護主義を掲げ、ともに商人階層の支持を得ようとしたという、国家と民間の競合関係を指摘している。

 ただし、極めて意欲的に1930年代の広東省財政の全体像を広く捉えようとする試みは、広東省内部の地帯構造をより細部にわたって吟味することが求められるであろう。と同時に、貨幣論や為替論などより原理的な検討も不可欠である。しかし、本論文において十分には論及されなかったこれらの点は、むしろ多くの研究課題を積極的に開拓することにつながるものとして評価することが可能である。

 本委員会は、上記のような画期的な成果をあげていることに鑑み、本論文が博士(文学)の学位に十分に相当するものであると判断する。

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