学位論文要旨



No 115797
著者(漢字) 志野,好伸
著者(英字)
著者(カナ) シノ,ヨシノブ
標題(和) 韓愈試論 : 破壊の後に、幽霊と伴に
標題(洋)
報告番号 115797
報告番号 甲15797
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第315号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丘山,新
 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 助教授 小島,毅
 東京大学 助教授 大木,康
 東京大学 助教授 中島,隆博
内容要旨 要旨を表示する

 中唐期に生を享けた韓愈の課題は、「道が破壊された後に道を全う」(「与孟尚書書」)することであった。この課題を引き受けるにあたり、韓愈はしばしば幽霊(鬼神)の存在に言及する。本稿はなぜ韓愈がそうせざるをえなかったのかをを探り、それを通して上述の課題に韓愈がどう答えたのかを明らかにしようとするものである。

 韓愈の独自性は、同時代に生きた盟友とも言うべき柳宗元と比較することで際立つ。柳宗元は、韓愈を批判し、天と人との間に干渉を認めず、鬼神を問題にすべきでないと言う。それは確かに合理的な考え方ではある。けれども見方を変えれば、天や鬼神の人に対する介入、他者の自己に対する非調和的な介入について語った韓愈の方が、目前の不合理を糊塗せず、それだけ「破壊の後」という事態について深く考察したのだとも言える。

 韓愈の思想を語る上で避けて通れない「原道」もまた「破壊の後」という状況に敏感に反応したテクストである。「仁」を「博愛」と定義し、「道」を「虚位」だと言うことで、韓愈は儒家の道を道家の道や釈家の道とは次元の異なる、それらを包括する大文字の道として提示する。そしてなぜ儒家の道だけが他の小文字の道とは異なり、他学派を包括するのかを示すため、韓愈は歴史に訴える。すなわち儒家の教えがなければ、道家や釈家が活動しているこの世界自体がありえなかったと主張するのである。しかし「破壊の後」には歴史を語る言説も複数化しており、それらは儒家の語る歴史を歪曲する。この言説の複数化を言説でくいとめることはできず、韓愈は政治力を動員して道・釈の存在を抹消しようとする。韓愈の取ったこの第一の対策は、政治が機能しなくなったからこそ言説が複数化したのだという歴史を忘れたアナクロニズムに陥ったものである。

 それに対し、はじめから複数の言説を想定するのが第二の対策である。もはや道の普遍性を標榜することはできない。そこで韓愈は逆に自分の使うことばを徹底的に特異化することで、その特異性のうちに道の唯一性を保持しようとする。何物をも模倣することなく、ただ模倣しないということを模倣すること、この模倣なき継承こそが、破壊の後に道が受け継がれてきた仕方であると韓愈は言う。そしてこの模倣なき継承にふさわしいことばは、「すべてが己から出たもので、一言一句たりとも先人の文章を踏襲していない」(「南陽〓紹述墓誌銘」)奇なることばである。それは容易に他者からの理解を得られない<私だけのことば>である。韓愈を中心とした唐代古文運動は、共有すべきものをもたないことを唯一の共有物として、それぞれが独自のことばをつむぎ出していく運動としての共同体であったと言えよう。

 しかしこれで、破壊の後、複数の言説が氾濫する中、思い通りに道を継承できるわけではない。韓愈がしばしば言及する幽霊は私に取り憑き、私を操りさえする。韓愈は幽霊が「私の顔つきを憎らしく」「私のことばを味気なくしている」と書いている(「送窮文」)。しかもその幽霊は複数であることが明らかにされる。こうした私に取り憑く幽霊は、<私だけのことば>を不可能にする。<私だけのことば>は幽霊に共有されている。したがって<私だけのことば>自体がすでに複数性にさらされており、そのかぎりで他を模倣することばとの区別は曖昧になる。韓愈は運動としての共同体を構想するにあたり、私の単一性により道の唯一性が複数性から守られると考えた。ところが第二の対策は、一なるものが複数あることは想定していても、一がすでに複数性を帯びていることを考慮していない。私はわれわれ一般でもなければ私でもなく、私は複数として存在する。

 この事態にはみずから幽霊になりきることでしか対処しきれないのではないか。「石鼎聯句詩序」は韓愈が行なったこの思考実験の結果を伝えている。しかし私をなくすことで幽霊は私に取り憑くことをやめるが、幽霊が取り憑く相手は私にかぎらない。聯句に参加した劉師服や侯喜のことばは、いくら奇であろうとしても、やすやすと幽霊とおぼしき軒轅彌明により模倣される。幽霊の複数性には対処しきれない。複数性を唯一免れるとおぼしき彌明の<私だけのことば>は明かされない。ただ誰のことばをも模倣してしまう彌明のことば、幽霊のことばだけが語られる。この幽霊のことばは現に「ある」。それは単なる共同体批判のための観念的な道具ではなく、むしろそれを利用することで共同体という虚構が成り立つようなことばである。韓愈は操りきれない幽霊の魅力に取り憑かれつつ、それを何とか操ろうと格闘した。韓愈の独自性はこの点にこそ認められる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、中唐の文人である韓愈(768-824)をとりあげ、安史の乱以降、伝統的な儒家の道が廃れた時代に、すなわち「破壊の後に」生まれた彼は、六朝時代以来の修飾をこととする四六駢儷体を退け、形式にとらわれることなく自由に思想表現すること、すなわち後世にいう古文運動を通して、全く新しい儒家的秩序を構築することをめざしたが、その韓愈の文章の中で一見奇異にみえる「鬼神」すなわち筆者のいう「幽霊」がしばしば登場し、韓愈の思想構造において重要な要素となっていることに注目し、「幽霊」「言語」「共同体」という論者の設定する鍵言葉から韓愈の思想を新たに解明せんとしたものである。

 具体的に本論文では、韓愈は歴史家の責任が問われる場面において(第一章「柳宗元との応酬」)、道釈二家に対抗して儒家の道統を表明する場面において(第二章「破壊の後の道」)、さらには文章を書くという行為そのものについて論じる場面において(第三章「破壊の後の言語」)、すなわち韓愈の主張が色濃く現れる場面において、鬼神に言及する点に着目する。これらの場面における鬼神の出現は思考と論理を複雑にするものであり、韓愈の主張にとっては必ずしも有利にはたらいているわけではなく、時には論旨を混乱させ、論拠を台無しにしかねないものとして登場する。それにもかかわらず韓愈は、おそらくはそれを重々承知の上で、なぜ鬼神に言及せざるをえなかったのか、という問いを論者は根底に置く。そして論者は本論文の上記各章で取り上げた各方面からその疑問を解明していき、最終的には「韓愈は幽霊に取り憑かれてそうしたのだ」「すなわち幽霊には韓愈にそうさせる魅力があったのだ」と結論付ける。

 従来の研究においても、韓愈が鬼神を直接話題に取り上げた文章に関しては論じられ、伝奇小説の流れに深く関わるものとしてかなり注目されてきた。しかしその際も、鬼神の問題はある特定の文学上のジャンルの中においてのみ処理され、韓愈の理論的で思想的な言説にまで影響を及ぼしていること、しかも決定的な仕方で影響を及ぼしていることについては、全く論及されることがなかった。そもそも、韓愈の文章と思想には非常に歯切れの良い「陽」の部分と、それにも関わらず他方歯切れの悪い非合理的な「陰」の部分がある。本論文は、韓愈の文章を鬼神(論者のいう「幽霊」)の問題を軸に読み直すことで、韓愈の思想を陰の面という全く新たな視座から解明した点、また思想史と文学史という既存の領域を超えて韓愈の文章と思想とを総合的に解明した点とから、韓愈研究において新しい局面を拓いたものとして高く評価される。

 本論文において、時として論者は論者自身の独特の用語を用いており、その用語の定義が曖昧な場合があり、またそれらの用語が論者の意図に反して論証の明晰さを曖昧にする場合があるなどの疑問点が審査員から指摘されたが、それらの点は本論文の価値を些かも損なうものではない。

 本論文を以上のように評価した審査委員会は、本論文に対し、審査の結果、博士(文学)の学位を授与できると認める。

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