学位論文要旨



No 115800
著者(漢字) 黄,淑妙
著者(英字)
著者(カナ) コウ,シュクミョウ
標題(和) 日本語と中国語の動詞句に関する対照研究 : 概念構成における語彙化と構造化を中心に
標題(洋)
報告番号 115800
報告番号 甲15800
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第285号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山中,桂一
 東京大学 助教授 ラマール,クリスティーヌ
 東京大学 助教授 楊,凱栄
 東京大学 教授 坂梨,隆三
 東京大学 助教授 木村,英樹
 神戸大学 助教授 定延,利之
内容要旨 要旨を表示する

 本稿はテ形補助動詞による拡張までを範囲として、単純動詞、複合動詞(中国語では動補構造)、そして動詞の文法化を中心に、対照研究の立場から、日本語と中国語における動詞句の語彙化および構造化について比較・検討し、両言語における特徴を明らかにするものである。

 本稿は7章から成り、第1章では複合動詞・動補構造を中心とした先行研究を取り上げ、第2章では日本語の述語文の構造について概観し、述語文における動詞句の位置づけを行った。第3章では、日本語と中国語における単純動詞の意味構造を分析したうえで、複合動詞および動補構造における組み合わせおよび制約について仮説を提出し、かつその仮説の検証を行った。第4章では、日本語の語彙的複合動詞・統語的複合動詞として兼用できる後項動詞およびテ形補助動詞を中心とする日本語の動詞句における文法化について論じた。第5章では、中国語の動補構造における文法化について考察した。さらに、第6章では翻訳と誤用例から見た日中両語における表現構造の相違について比較・検討した。最後は上述の6章のまとめとして、結論を述べた。各章の考察により、日本語と中国語の動詞句に関して、主に以下のことが明らかになった。

 まず第1に、単純動詞について、日本語の単純動詞には強・弱結果性、強・弱動作性、状態性という連続の意味範疇が存在しているが、中国語の単純動詞には強結果性という意味のカテゴリーが存在せず、<弱結果性>と<動作性>という二つのカテゴリーを除き、中国語と日本語における動詞のカテゴリーは互いに一致せず、中国語で特に結果性を明確に表現するためには[動詞+結果補語]という別の形式で表される。一方、日本語は結果性弱に当たる動詞および動作性動詞は複合動詞を取る形で結果性を高めることができる。同本語と中国語における動詞の意味カテゴリーの対応関係は次のようになる。

 第2に、日本語の複合動詞の中には、影山の「他動性調和の原則」では説明できない「煮崩れる」、「煮こぼれる」、「焼き重なる」、「折り重なる」などの複合動詞が実際に存在していることをきっかけに、複合動詞として表出される意味範囲の側面から、複合動詞の仕組みを考え直し、「動作性動詞複合または修飾原則」および「結果性または限界性補足原則」の2つの仮説を提出した。

 仮説を検証するため、まず、各カテゴリーに属する動詞を組み合わせてテストを行い、その結果、下記のような組み合わせが得られた。

 *結果性+結果性、*結果性+動作性、*結果性+状態性、

 動作性+動作性、動作性+結果性、動作性+状態性、

 状態性+状態性、状態性+動作性、*状態性+結果性

 また、この組み合わせに照らして、既存の複合動詞を検証してみた。以上の二つの側面から検証した結果、二つの仮説を下記(1)のように修正した。

(1) 日本語の複合動詞の意味的な結合原則

I 動作性(弱)動詞複合または修飾原則

複合動詞全体は一つの複合した動作概念の事象を表す。ただし、V1とV2の組み合わせに次のような制約がある。

a 動作性動詞複合の場合、類似した概念の動作性動詞同士が結合しやすい。<連続動作>、<弱−強動作>、<(様態+動作)−限界>の意味を表す。

b 動作性動詞を修飾する場合、<様態−動作>や<動作−様態>の意味を表し、VlがV2またはV2がVlを修飾する。

II 結果性または限界性補足原則

動作を表す単純動詞に[+結果性][+限界性]の意味を表す動詞を付け加え、複合動詞全体は一つの[+結果性]あるいは[+限界性]の事象を表す。<動作−結果>、<過程−結果>、<動作−限界>の意味を表す。

 他方、中国語の動補構造の意味的な結合原則は、<動作−過分>を表す例も多くはないが存在し、また、程度補語を用いて表される事象は<状態−程度>を表しているが、主として、(2)a「結果性または限界性補足原則」に従うと結論づけた。中国語の動補構造に適用する意味的な結合原則は(2)のようにまとめられる。

(2)中国語の動補構造の意味的な結合原則

a 結果性または限界性補足原則

 動作を表す単純動詞に[+結果性][+限界性]の意味を表す補語を付け加え、動補構造全体は一つの[+結果性]あるいは[+限界性]の事象を表す。<動作−結果>、<動作−限界>の意味を表す。

b. 前項述語を修飾する原則

 動作性動詞を修飾する場合は<動作−過分>、程度補語の場合は<状態−程度>の意味を表す。

 なお、日本語の<自他同形動詞>が複合動詞に組み込まれると、A視点かP視点かのどちらかになり、視点は一貫しているのに対して、中国語には数多くの<自他同形>動補構造が存在していることから分かるように、中国語の動補構造にはA・P視点が存在しており、視点の転換が可能である。中国語の動詞句と比べてみると、日本語の複合動詞に厳密な制約があることは、日本語に中国語のようなA・P視点が存在していないことに起因すると主張した。

 第3に、日本語の動詞句における文法化について、後項動詞における語彙的複合動詞から統語的複合動詞への文法化の傾向は、総合的に(A)で包括することができる。

(A)『<空間>→<非具体的空間>⇒<時間>→<状態>」

 語彙的複合動詞から統語的複合動詞への文法化は、統語的特徴である格助詞の逸脱または変化、Vlにおける結果性および動作性の弱化と、意味的特徴である意味の漂白化(semantic bleaching)との間に、相即性が見られる。

 一方、本動詞から補助動詞への文法化の傾向は、(B)でまとめることができる。

(B)本動詞から補助動詞への文法化の傾向

a 同じ領域から同じ領域へ拡張する

b 類似性のある領域へ拡張する

c <非具体的空間>⇒<時間>

 「本動詞⇒補助動詞」の文法化は、音韻および形態的には語形の縮約(contraction)、意味的には意味の漂白化、そして、統語的には格標識の脱落や転移および統語的な要素の挿入がより制限される(第4章2.2.参照)などの現象に照応している。

 第4に、中国語の動補構造における補語および複合方向補語の文法化の傾向は、総合的に(C)で包括することができる。

(C) 中国語の補語における文法化の領向

a 「<空間移動>⇒<時間>→<状態>」(「〜到」に限る)

b 「<空間移動>⇒<空間>→<非具体的空間>→<時間>→<状態>」

 上記(C)しに見るような中国語の補語における文法化の傾向と日本語の動詞句における文法化の傾向(A)とは、拡張の傾向においては一致しているが、<語彙的形式⇒統語的形式>の転換点においては興味あるずれが観察される。中国語の動補構造においては、<空間>次元における意味拡張が始まると同時に統語的形式への切り換えが起こるが、日本語の動詞句においては、<時間>の次元に拡張された段階で統語的形式への転換が生じるという差異が見られるのである。

[動作+結果]の複合動詞

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は対照言語学の立場から日本語と中国語における動詞句の語彙化および構造化について比較・検討し、複合動詞形成の根本的理由、単純動詞の語義との相関等を明確にすることによって、両言語の陳述表現における概念構成の性格と特色を明らかにするとともに、目本人による中国語習得、中国人による日本語習得の円滑化に資するにすることを目的としている。

 論文は全7章から成っており、第1章は動詞の範疇的意味、動詞複合の構造、動補構造(中国語、「推+開」等)を中心とした先行研究の慨観と吟味に充てられ、第2章では日本語の動詞および動詞句の構造記述と、動詞述語文における動詞句の位置づけが行なわれている。第3章では、日本語と中国語における単純動詞の意味構造を分析し、さらに両言語の動詞句の展開構造を照合したうえでテ形補助動詞(「て+みる」等)までを上限として、動詞複合(日)および動補構造(中)における2動詞間の組合せ条件についてそれぞれ仮説を提出し、その検証と修正を行なっている。第4章では、語彙的複合と統語的複合との差異および両立、テ形補助動詞を対象として日本語の動詞複合における文法化の度合いを検討し、文法範疇の形成プロセス、およびそれと表裏の関係にある語義の漂白化を論じている。第5章は中国語における動補構造の意味条件と、同構造における補語要素の文法化の問題とを扱い、その結果を踏まえたうえで、第6章では翻訳と誤用を検討し、概念の構造化・言語化にともなう日中両言語の相違が学習者にいかなる局面で、いかなる障害を与えているかを検出し、それへの対応の方策を探ろうとしている。最後の章では結論と将来の研究への展望が述べられている。

 言語の対照研究は外国語教育の基幹部門として重要な役割を負わされているにもかかわらず、それぞれ独自の差異化と構造化によってなりたち、コード化の密度と方式において異なる任意・複数個の言語を比較・対照するという方法論のせいで不可避的に生じる困難と限界を備えている。たとえば日本語と中国語について「動詞句」という用語を使用した段階ですでに文法範疇および言語化方式の非対応という大きな問題に直面せざるを得ないが、著者は両言語における単純動詞を意味相にもとづいて細分化し、そのレベルでの一致点を探り出したうえで不一致の範囲と分節方式の相違とを割り出し、さらには同じ意味カテゴリーの区分によって動詞の複合に際し前項・後項それぞれに掛かる制約を明らかにするという方法を採用している。それによれば次表のように、日本語の単純動詞に対しては強/弱結果性、強/弱動作性、状態性という連続の意味相を認めることができるが、中国語の単純動詞に強結果性という意味カテゴリーは存在せず動作性動詞(および弱結果性動詞の一部)を除いて2言語間に一致点は見いだされない。

ここに著者は、中国語ではとくに結果性を明確に表現するうえで動詞+結果補語という構文的手段に訴え、他方日本語においては弱結果性および動作性動詞が複合という手段によって[+結果性]を表現する深因を見いだしている。

 日本語の動詞の複合に関しては従来「他動性調和の原則」(影山1996,ほか)が唱えられているが、この原則では説明できない複合動詞が存在していることをきっかけに、著者は意味カテゴリー間の組合せを精査することによって、自他の対立というよりむしろ意味カテゴリーのうえで類似した動作概念どうしが結びつき、また[+結果性][+限界性]を表出するために複合手段が用いられることを立証し、この事実を説明すべく(1)弱動作性動詞複合または修飾原則、および(2)結果性・限界性補足原則という概略二つの仮説を提唱し、その検証と修正を行なっている。別の角度からいえば、複合動詞には単純動詞と違い[+限界性]という別種の意味カテゴリーが加わるという主張になる。

 他方、強結果性がある段階から動補構造による表出へ切り替わるとされるとされた中国語についても、動詞と補語との結合に際しては上述の第二原則がほぼ該当することを著者は確認している。動補構造を動詞の分布特性という角度から見ると、もっぱら動詞としてのみ使われる辞項、もっぱら補語として使われる辞項、および動詞・補語両様の用法をもつ辞項の3種類に分かれるが、この点について著者は動詞用法しか持たない辞項には[結果状態]を表わす働きがなく、逆に補語としてのみ生起する辞項は[一意志性、+状態性、+結果性]の非対格動詞であると結論づけている。

 このような制約のもとで行なわれる、日本語においては動詞の複合、中国語の場合は動補構造化は、それぞれある種の辞項が本来の語義を削ぎ落としもっぱらアスペクト的な意味を担う補助動詞ないし補語として固定してゆき、さらには形態のうえでも縮約を起こす、いわゆる「文法化」「脱範疇化」の傾向を見せるが、著者はこのプロセスが格支配の揺らぎと単純化に照応している事実に着目し、日本語の語彙的複合動詞が統語的複合動詞へ、そしてさらには統語的複合動詞の後項が補助動詞へと変化してゆく文法化の諸段階と、中国語の補語における文法化の諸段階とを定式化し、日本語の場合、統語的複合動詞化については空間化>非具体化;時間化>状態化、そして補助動詞に至る文法化については外在的意味>内在的意味>メタ言語的意味>表現緩和的意味という一般化(Traugott l989)が当てはまるものの、中国語の場合にはむしろ空間化>非具体化>時間化>状態化という経路をたどり、空間化>時間化>性質化という3段階を普遍視する旧来の説が一語一範疇とも言いうる「到」にしか当てはまらないことを論証している。

 これらの分析結果にもとづいて、日本語の動詞句における文法化の経路と中国語の補語における文法化の経路は、拡張の傾向においてはおおむね一致しているものの、語彙的形式から統語的形式に移る転換点において興味あるずれを示し、中国語の動補構造においては空間次元における意味拡張が始まると同時に統語的形式への切り替えが起こるのに対して、日本語の動詞句においては時間次元に拡張された段階で転換が生じるという結論が導き出されている。

 動詞の複合と動補構造との二者はこのように、第一義的には結果性の表出方式における違いとして捉えられるが、他方これには視点の移動という別の側面もともなうことを著者は指摘している。日本語の動詞複合に加わる制約は前項と後項とが統一的な視点から選ばれることを要求しており、たとえば状態変化+状態変化は適格であるのに状態変化+位置変化というタイプの結合は不適格である。同じ制約は自他同形動詞が複合動詞に組み込まれた際、格支配ないし視点が結合先の動詞に同化するという現象にも見ることができる。こめ事実を説明するものとしては、ある物体について、単文内でそれを二つ以上の経路(path)について叙述することができないとする「一義的経路の制約」(Heineetal.1991)があり日本語には概略妥当するが、他方、中国語の動詞は結果性(=結果状態、位置変化)を含意せず、一方補語は結果もしくは位置変化という意味のみを表わすため、動作手側から被動者側への視点移動が自由であり、従ってこの統語形式に関しては一義的経路の制約が成立しないことを著者は指摘している。

 まとめとして著者は目的語移動標識「把」、自他同形動補構造の夥しさ等、中国語におけるいくつかの特異事象が能格性という言語特性の作用に関わっている可能性に触れ、また「する/なる」という言語性格論の視点を中国語に適用し日中英の比較を試みているが、これらの問題について詳説するには至っていない。また日本語に借入された漢語動詞は語基そのものに動補構造を内包する場合があり、格助詞の選択あるいはその揺らぎなど興味ある諸問題につながっているけれども、これの考察は将来の研究テーマとされている。

 ほかにも記すべき点は多いが、ほぼ以上が本論文の主要な論点と具体的な提言および結論の概要である。見るように著者はいくつかの所説や一般化に対して明確な対案を示し、また少なからぬ問題に関して新説を提唱しており、これらは本論文の顕著な達成のうちに数えることができる。しかし特筆すべきは、周到に考慮された立論と、分析の手法および結果を客観的ならしめるために執られた着実・厳正な手法である。具体的に述べると、(1)分析・対照を行なうに当たっては構造や事象の大枠をまず明示化したうえで、扱おうとする問題圏を特定し、これによってランダムな因子間の比較・対照に陥る危険を細心に排除している点、(2)種々の理論用語や手法を適用するに際して必ず基本から問い直し、分析や分類の際に照査基準を重視して既存のものについては吟味・改良を加え、そうした参照基準がない場合には自らこれを設定している点、(3)分類ないし範疇設定に際してはつねに複数個の照査基準を用い、かつ当該範疇のメンバーを特定して一覧表を作成するか、あるいは既存のリストの補完・修正をつうじてより完全なものを提示している点、などは高く評価されるべきところで、これによって記述と論証の精度を高水準に保つことに成功している。

 こうして、動詞の意味カテゴリーの設定、単純動詞の意味カテゴリーの分類、非対格性の判定基準、日本語動詞の意味カテゴリー別リスト、中国語動詞の意味カテゴリー別リスト、日本語における複合動詞と中国語動補構造の概念構造(=項構造)の対照表、日中両言語において許容される意味カテゴリー間の結合表、その他はいずれも追試・修正の可能なかたちで提示されており、これらの問題領域に関して向後無視することのできない確実な基盤を提供したものとして高く評価できる。

 とはいえ欠陥や改善の余地が全くないという訳ではない。まず叙述スタイルについて、日本語と中国語が独立的に交互に扱われるので各章の論理的連関が見えにくくなっている恨みがある。また同一の事象について複数の、時として理論的枠組みの異なる定式化を引証・吟味することは折衷主義の観を与えかねず、説明方式・説明概念の過剰を統一的な視点から整理する努力が足りなかったことが惜しまれる。さらにこの論文の所期の目的という点からいうと、叙述を対象2言語の差異の特定とその内的原因の究明にとどめており、日本語および中国語における概念表出の特性という新しい地点から眺望したとき、両言語の特質についていかなる洞察と一般化が可能になるかより深く追究していないことが惜しまれる。しかしこれらの瑕疵は論の根幹を左右するようなものではなく、また多くは著者の将来の研鑚に期すべき事柄であり、本論文の大きな学的貢献をいささかも損なうものではない。以上の理由により、本論文を博士(学術)の学位に相応しいものであると認める。

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