学位論文要旨



No 115810
著者(漢字) 加藤,浩
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヒロシ
標題(和) 遺伝子改変した好熱性シアノバクテリア Synechococcus elongatusの光化学系2複合体の生化学的解析
標題(洋) Biochemical characterization of Photosystem II complexes from the genetically engineered thermophilic cyanobacterium Synechococcus elongatus
報告番号 115810
報告番号 甲15810
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第295号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 助教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 シアノバクテリアや植物の光合成機能は生物にとって酸素供給源、栄養源として必須である。その中でも光化学系2複合体(モデルを図1に示した)は光エネルギーを利用して水から電子を取り出し、酸素を供給する他に類のないユニークな酵素であり、その構造と機能を解明することは光合成研究において重要な課題である。光化学系2複合体は20種類以上のサブユニットタンパク質から構築されている。これまで、常温性シアノバクテリアおよび緑藻の光化学系2遺伝子破壊株を用いて解析されているにもかかわらず、光化学系2複合体が不安定で生化学的な解析が困難なため、その構造と機能はよくわかっていない。この問題を解決するため、熱安定性が高く、おもに生化学的解析によく使われてきた好熱性シアノバクテリアを用いた。好熱性シアノバクテリアには、機能解析に欠かせない遺伝子導入法が未発達であるが、生化学的に解析できる利点がある。そこで、本研究では至適生育温度が55〜57℃の好熱性シアノバクテリアSynechococcus elongatusを用いて、遺伝子工学的アプローチで光化学系2複合体の構造と機能の解明を目指した。

結果と考察

 1.遺伝子のクローニングと遺伝子破壊株の作出

 まず、既知のアミノ酸配列や塩基配列に基づき、S.elongatusより新たに光化学系2遺伝子(psbI、psbK、psbU、psbV、psbX)をクローニングし、その塩基配列を決定した。これらの遺伝子内に薬剤耐性遺伝子を挿入したプラスミドを構築し、S. elongatusにエレクトロポレーション法で導入した。従来のスクリーニング法を改善するため、寒天中に埋め込んでスクリーニングするトップアガー法を開発した。この方法は形質転換体を短期間で確実に単離できるだけでなく、独立したクローンが得られる利点もあり、将来の部位特異的変異の導入も可能になった。この方法で得られた形質転換株の遺伝子破壊をサザン分析で確認し、これらの遺伝子破壊株を解析した。

 2.psbVの解析

 psbV遺伝子はチトクロムc-550という光化学系2複合体の水分解系に結合する17kDaの表在性タンパク質(図1)をコードしており、シアノバクテリア、下等真核藻類に存在する。クローニングした遺伝子から推定されたタンパク質は他のシアノバクテリアよりも灰色藻や紅藻のチトクロムc-550と相同性が高かった。これは、好熱性シアノバクテリアが葉緑体の祖先と近縁である可能性を示しているのかもしれない。

 psbV遺伝子の下流には、チトクロムc-550と相同性を示す新規c型チトクロム様タンパク質をコードするpsbV2遺伝子とチトクロムc-553をコードするpetJ遺伝子が存在していた(図2)。この並びはpsbV2がpsbVとpetJの重複と組み換えによって生じた可能性を示唆する。また、16S rRNAの系統樹で、最初に分岐したとされるGloeobactor vlolaceusにもpsbV2と相同性のある遺伝子が存在していたことがごく最近わかった。このことは、シアノバクテリアの祖先型がpsbV2を持っていて、その後の進化の過程で多くのシアノバクテリアで失われた可能性を示唆している。

 psbV破壊株は光合成増殖でCL-要求性を示した。これは、マンガンクラスターでの反応の安定化にCl-が必要であるという知見を支持している。また、低濃度のCO2で培養したところ増殖阻害が見られた。

 破壊株から単離したチラコイド膜の系2活性である酸素発生活性を測定したところ、野生株の約30%まで活性が低下した。これは、チトクロムc-550を欠損したことによって酸素発生の触媒部位であるマンガンクラスターが不安定になったためと推測される。

 次に、本研究で発見されたpsbV2の機能を調べるために、常温性のシアノバクテリアSynechocystis sp.PCC 6803のpsbV破壊株にpsbV2遺伝子を導入した。この株は光独立栄養条件ではpsbV破壊株よりも増殖が速まったが、この破壊株の表現型(光独立栄養増殖にCa2+、Cl-を要求)を抑圧できなかった。一方、S.elongatusのpsbVを導入した場合では増殖を促進するとともにいずれのイオン要求性を抑圧した。この結果はシアノバクテリア間でチトクロムc-550の機能に差がないことを示しており、また、psbV2がコードすると予想されるチトクロムc-550様新規タンパク質は光化学系2複合体に関与している可能性が示唆された。今後psbV2がどのような性質を持ったc型チトクロムなのかを確かめる必要がある。

 3.psbXの解析

 psbX遺伝子は植物からシアノバクテリアに広く存在し、系2複合体に結合している4.1kDaの膜貫通タンパク質(図1)をコードしており、高等植物からシアノバクテリアまで幅広く存在するが、これまで機能に関する知見はない。クローニングした遺伝子から推定されるPsbXタンパク質には他のシアノバクテリアに存在しないプレ配列があった。これは好熱性シアノバクテリアのPsbXタンパク質にある電荷を持ったN末側をチラコイド膜内腔に輸送するためではないかと考えられる。

 psbX遺伝子破壊株からチラコイド膜を単離して、系2活性への人工キノンの濃度依存性を測定したところ、低濃度側では野生株と違いはなかったが、高濃度側では活性が低かった(図3)。また、より詳細な解析をするために系2複合体を単離して同様の測定したところ、チラコイド膜よりも活性が高く、チラコイド膜に近い依存性を示した(図3)。これは、系2複合体が濃縮されたこととチラコイド膜に近い状態で複合体が単離できていることを示している。この濃度依存性は光化学系2複合体におけるキノンの電子受容経路が2種類あるという佐藤らの仮説にもとづいてキノン濃度と活性の両逆数プロットをとりQB部位への人工キノンの最大活性を求めたところ、野生株では1230μmolO2/mg Chl/h、破壊株では500μmolO2/mg Chl/hが得られた。この結果から系2の電子受容側のQB部位の電子の授受にpsbX遺伝子産物が重要な働きをしていることを示唆している。なお、系2複合体のタンパク質組成にPsbXタンパク質以外の欠損は見られなかった(図4)。

 4. psbIの解析

 psbIは植物からシアノバクテリアに広く存在し、光化学系2複合体の反応中心近傍に結合している4.8kDaの膜貫通型タンパク質(図1)をコードしている。これまでの遺伝子破壊株の表現型から、光依存性の酸素発生活性の低下が起こることが知られている。遺伝子をクローニングした遺伝子から推定されるタンパク質は他のPsbIタンパク質と高い相同性を示した。遺伝子破壊株のチラコイド膜、系2複合体での系2活性を調べたところ、psbI破壊株の系2は野生株の60-80%の活性を示した。これは、Psblタンパク質が活性に大きな影響を与えない可能性を示唆している。一般に系2複合体は二量体を形成していることが知られているが、psbI破壊株の系2複合体は単量体がほとんどであった(図5)。この系2複合体のタンパク質組成にPsbIタンパク質以外の欠損は見られなかった(図6)。一方、psbX破壊株から単離した系2複合体は野生株と比べて二量体形成に大きな違いは認められなかった。よってPsbIタンパク質は光化学系2複合体の二量体化に必要であると考えられた。光化学系2複合体の2量体化の生理的意義はわからないが、一おそらく集光効率を高めるためと考えられる。今後、この可能性を検討するためpsbI破壊株の酸素発生活性の光依存性測定、構造解析を行なう必要がある。

まとめ

 本研究では、好熱性シアノバクテリアから光化学系2遺伝子をクローニングし、遺伝子破壊株を作出し、特にpsbX、psbI破壊株からは生化学的に解析できる光化学系2複合体を単離できることを初めて示した。psbV破壊株では生化学的な解析はできなかったが、チトクロムc-550様新規タンパク質が光化学系2複合体に関与する可能性を示した。機能解析では、機能未知のPsbXタンパク質が系2のQB部位に関与する可能性を、反応中心に結合しているPsbIタンパク質は複合体の二量体の構造安定化に関与することを示した。このような解析は従来の常温性シアノバクテリアを使った実験では困難である。本研究は好熱性シアノバクテリアでの遺伝子操作法を確立し、変異株の系2複合体を単離して解析できることを示しており、今後の構造解析に重要な知見を与えると期待される。

図1 シアノバクテリアの光化学系2モデル

図2 S.elongatusのpsvV遺伝子とその周辺に存在するORF

図3 野生株とpsbX破壊株のチラコイド膜と系2複合体の酸素発生活性のキノン濃度依存性

図4 陰イオンカラムで精製したPSllのSDS-PAGE

図5 陰イオンカラムクロマトグラフィーの溶出パターン

図6 陰イオンカラムで精製した

PSIIのSDS-PAGE

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「Biochemical characterization of PhotosystemII complexes from the genetically engineered thermophilic cyanobacterium Synechococcus elongatus (遺伝子改変した好熱性シアノバクテリアSynechococcus elongatusの光化学系2複合体の生化学的解析)」は3章からなっている。第1章では、水分解系の表在性タンパク質チトクロムc550の遺伝子psbVをクローニングし、その近傍に見いだした新規チトクロムcの遺伝子psbV2と合わせて、それらの機能を解析した。第2章では、これまで報告されていなかったpsbX破壊株を作出し、酸素発生活性を保持した光化学系2複合体を単離解析し、電子受容側のQB部位に顕著な影響が出ていることを示した。第3章では、光化学系2反応中心複合体に結合しているタンパク質の遺伝子psbIをクローニング・破壊株を作出し、酸素発生活性を保持した光化学系2複合体を単離することによって、psbIがコードするタンパク質が光化学系2複合体の二量体化に関わっていることを示した。これらの研究に先立って、これまでできなかった好熱性シアノバクテリアSynechococcus elongatusの形質転換法を確立した。このように、新しい光化学系遺伝子の発見、光化学系タンパク質の新しい機能の発見を通して、好熱性シアノバクテリアの光合成系の研究を分子生物学への拡張を実証したことは、これまでの光合成の研究に大きな貢献をするとともに、不安定なタンパク質複合体の研究の先駆けとして、また今後の遺伝子機能の解析への大きな波及効果が期待される。

 第1章では、破壊株の作製と他生物への導入を目的として、水分解系の表在性タンパク質チトクロムc550の遺伝子psbVをクローニングし、その近傍に新規チトクロムcの遺伝子psbV2を見いだした。このpsbV破壊株を作出し、その増殖特性を調べて、すでに報告されている常温性シアノバクテリアのpsbV破壊株と基本的に同じであることを確かめた。なお、好熱菌ではあっても、psbV破壊株から酸素発生活性を保持した光化学系2複合体を単離することはできなかった。一方、psbV2の機能を確認するために、psbVを破壊した常温性シアノバクテリアに導入発現した。光合成による細胞増殖はpsbVの破壊によって大きく抑制されたが、好熱性S. elongatusのpsbVと同様にpsbV2の導入によっても回復した。psbVは、光合成増殖におけるCa2+やCl-イオンの要求性を緩和することが知られているが、psbV破壊株にS. elongatusのpsbVを導入した場合は緩和されたが、psbV2では回復しなかった。このことは、psbV2が光化学系2の酸素発生系においてpsbVと似た働きをしているが、未知の機能を持っていることを示唆している。

 第2章では、近縁種で報告されていた塩基配列に基づいて、S. elongatusからpsbXをクローニングし、破壊株を初めて作出し、光合成増殖に必須ではないことを示した。しかし、その増殖は野生株よりもやや遅く、とくに低CO2条件で遅くなっていた。psbX遺伝子の破壊の影響を調べたところ、光化学系2の蓄積や細胞の酸素発生活性にはほとんど影響は見られなかった。そこで、活性のあるチラコイド膜や系2複合体を単離して、電子受容側への遺伝子破壊の影響を調べた。低濃度の2,6dichlorobenzoquinoneや2,6dimethylbenzoquinoneにおける酸素発生活性は野生株とほぼ同じだが、高濃度では著しく活性が低かった。一般に、プラストキノン類似のキノン化合物は光化学系2のQB部位とプラストキノンプールの両方から電子を受けとるが、高濃度側ではQB部位からの授受が主要となることが知られている。したがって、光化学系2のQB部位での電子伝達が、野生株と比べてpsbX研破壊株では低下していることが示唆される。なお、精製した系2複合体のタンパク質組成は4.1kDaのバンドだけが消失しており、他のタンパク質組成には違いが見られず、光化学系2複合体の形成にpsbXは必須ではないと推論された。

 第3章では、すでに報告されていた近縁種のアミノ酸配列に基づいて、S. elongatusのpsbI遺伝子をクローニングし、その破壊株を作製した。これまでの研究で、psbIコードするPSII-Iタンパク質は光化学系2複合体の反応中心に結合しているが、これまでに作製されたpsbI破壊株の解析は細胞レベルにとどまり、その機能は不明であった。第3章では、好熱菌の破壊株から活性を保持した系2複合体を単離することができ、その酸素発生活性が野生株に近いこと、タンパク質組成においても5kDaバンド(PSII-Iタンパク質)の消失以外には影響が見られないことが示された。一方、イオン交換クロマトグラフィーとゲル濾過クロマトグラフィーにおける光化学系2複合体の溶出の特徴は、野生株と異なっていた。つまり、野生株では約550kDaの二量体と約300kDaの単量体として回収されたのに対し、psbI破壊株では後者の単量体だけが回収された。植物やシアノバクテリアの光化学系2複合体は本来二量体として存在していることが知られているので、psbIがコードするPSII-Iタンパク質が複合体の二量体化もしくは二量体の安定化に関わっていることが示唆された。これまで光化学系2複合体の二量体構造の生理的意義として、光集光の効率化やストレスに対する耐性などが提案されてきたが、はっきりしていなかった。今後、psbI破壊株の性質を詳しく解析することによって、二量体構造の生理的意義が解明されることが期待される。

 これらの研究成果をまとめると、好熱性シアノバクテリアみSynechococcus elongatusはこれまでに研究されてきた光合成生物と系統的に離れているが、その安定な光化学系2複合体は分子生物学的手法と生化学的手法を組みあわせて研究できることを実証しており、今後の幅広いタンパク質の構造機能研究への波及効果が期待される。

 なお、本論文の第1章は、沈建仁、伊藤須和子、池内昌彦との共同研究、第2章と第3章は池内昌彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究の立案、遂行を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(学術)の学位を授与できると認める。

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