学位論文要旨



No 115813
著者(漢字) 櫻井,静香
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,シズカ
標題(和) ダイナミックなターゲットヒッティングスポーツ動作の神経制御メカニズム
標題(洋) Neural control mechanism of dynamic target-hitting sports movements
報告番号 115813
報告番号 甲15813
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第298号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 福林,徹
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 深谷,千之
内容要旨 要旨を表示する

 熟練度の高い巧みなスポーツ競技選手は、見る者を強烈に引き付ける様々な要素をたくさん持っている。特に球技系スポーツ種目などでは、スピードやパワーもさることながら、機敏さや動作の切り替えの素早さ、正確性の高い動作、などといった非常にハイレベルな「スキル」を目にすることができる。しかし、従来のスポーツ動作のメカニズムに関する研究はその多くが運動力学的変数やエネルギー論的観点に主眼が置かれており、いわゆるこの神経-筋協調性(スキル)のメカニズムに関した、身体内部情報を主要な検討対象として取り上げた研究は非常に数少ない。このことは、神経系の機能を測定する方法や具体的にスキルを評価する方法が困難であることなどが影響しているためと思われる。しかし、スポーツの分野においては、反応のタイミングや各固有筋出力におけるポジショニングの協調性、適切なタイミングに伴うグレーディングなどの神経系的要素は、巧みな動作を構成する上で、大変重要な要素であると考えられる。

 そこで、本研究ではダイナミックな全身動作を取り上げることによって、生物本来の運動機能に関わる神経制御ストラテジーを明らかにし、そしてスポーツパフォーマンス課題におけるスキルメカニズムについて神経生理学的視点から観察を行い、熟練度の高いスポーツ競技者はどのようなスキルをもってして動作遂行しているのかを検討することを目的とした。本研究はできる限りスポーツ競技特性を考慮し、スキルメカニズムに関与すると考えられる要因を抽出して検討を重ねた。実験課題として、球技系スポーツ種目でよく見受けられる素早いターゲットヒッティング動作、及びその検証実験課題としてタイミング予測反応動作を選び、筋電図(EMG)とパフォーマンスの関係及び動作キネマティクスからの分析を中心に分析を行った。

 第1章(実験1:フィールド上におけるターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作))では、実際のフィールド上において、ターゲットヒッティング動作の一つであるバドミントンスマッシュ動作を取り上げ、スキルレベルの違いとその動作を産出する筋活動の特徴について検討した。その結果、同じ熟練者群の中でもスキルレベルに応じたパフォーマンス特性が示された。また、そのパフォーマンスを生み出す筋活動様式を上腕・前腕・肩の筋群に焦点を当てて検討したところ、熟練者の安定した素早いスイングの背景には、拮抗筋→主働筋→拮抗筋という素早い筋活動の切り替え動作の相反的神経制御メカニズムが明らかに認められた。更に、スキルレベルの違いによって生じる各筋の休止期の時間間隔や、振幅パターンの違い、ラケット支持安定の為に積極的に活動する筋活動様式などが異なることが明らかとなった。

 第2章(実験2:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)における筋活動とパフォーマンス.上肢・前腕筋群の筋活動を中心に.)では、シャトルの動きをより安定させるために実験1で実施したターゲットヒッティング動作をフィールド実験から実験室上へと場所を移動し、この動作中の上腕・前腕・肩の筋群における筋活動様式とパフォーマンスの関係をより詳しく検討した。実験1で見られたような熟練者特有の筋活動の切り替え動作制御メカニズムがより明確にされたことに加え、インパクト時刻から見た各測定筋の最大振幅出現時刻が熟練者群と非熟練者群とで大きく異なり、良好なパフォーマンスを生み出す熟練者特有のパターンがより一層明らかに示された。

 第3章(実験3:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)における筋活動とパフォーマンス.練習による影響.)では、実験2で行ったターゲットヒッティング動作を6日間練習させ、練習による筋活動の変化とパフォーマンスの変化との関係について縦断的に検討した。その結果、6日間の試行において、非熟練者が熟練者のスキルメカニズムに近似していく筋活動パターン及びパフォーマンスの変化が定量的にも視覚的にも明確に示された。その際、特に上肢帯及び上腕の近位筋での練習効果練が顕著であるのに対し、遠位筋である前腕筋群は向上の程度が良好でないといった現象が観察されたことから、本実験のような課題に於いては、練習効果は近位の筋から遠位の筋へと拡散していき、この遠位の筋がシャトルのコースの正確性を決定付ける重要な筋であるといった神経メカニズムが明らかになった。又、これに伴いバドミントンスマッシュ動作における熟練者の特徴的な筋活動パターン更に裏付ける要素が明らかに示された。

 第4章(実験4:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)におけるタイミングフェイントの影響.実験3の検証.)では、実験2、3のターゲットヒッティング動作に外乱(タイミングフェイント刺激)を加え、ターゲットヒッティングスキルに対する予測・タイミングコントロール能力の関連を検討した。予告刺激から一定時間後にシャトルが放出される試行を「一定タイミング試行」と設定し、それよりも早い時刻にシャトルが放出される試行を「早いタイミングフェイント試行」、反対に遅く放出される試行を「遅いタイミングフェイント試行」と設定した。これにより、早いタイミングフェイント試行時には、インパクト前の準備状態・インパクト後の筋活動において筋電図休止期の消失、振幅値の上昇といった特異的な現象が観察され、一定タイミング試行で見られていたような適切な興奮-抑制制御が行われなくなっていることが示唆された。また、遅いタイミングフェイント試行時においては、動作の開始時刻が早まってしまうような筋活動様式や振幅の異常増強に伴う休止期の消失などが観察された。こういった外乱を与える実験からも、この休止期が存在することがパフォーマンスを大きく左右するといったことが明確に示された。

 第5章(実験5:急速照準動作課題におけるタイミングフェイントの影響.実験4の検証.)は、実験4を検証するため、肘関節の伸展という単関節による急速照準動作(ディスプレー上に呈示されるターゲットへできるだけ素早くそして正確にカーソルを合わせる実験)を用いたタイミングコントロール能力について検討した。実験4同様に多数の一定タイミング試行に早いタイミング・遅いタイミングフェイント試行をランダムに混ぜて行わせたところ、早いタイミングフェイント試行時では、一定タイミング試行時とは異なり、加速期における加速度波形の振幅と動作軌跡が大きく上昇し、パフォーマンスの正確性が低下する結果が得られた。またこれを裏付ける筋活動では、実験4で観察された主働筋の休止期の消失現象や振幅値の上昇も明確に示された。遅いタイミングフェイント試行も実験4同様、動作の開始に大きく影響を及ぼしていた。よってこれらの現象が早い・遅いタイミングフェイント刺激に対する反応時に起こる特有の動作現象であることが推察された。

 第6章(実験6:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)におけるバイオメカニクス的検証.実験1、2、3の検証.)では、再びフィールド上でスマッシュ動作を行わせ、筋活動の記録と共に動作を高速度カメラで撮影してバイオメカニクス的な3次元解析を行い、実験1、2、3で得られた熟練者の筋活動パターンが本当に熟練動作のものであるのかを検証した。結果、インパクト直前に肘伸展動作が急激に生じ、その直後から手関節が後を追うように伸展動作を開始するような先行研究におけるトッププレーヤーのデータとほとんど一致した動作キネマティクスが得られた。また、動作キネマティクスの急激な変化の前に既にその動作を起すような筋活動が開始され、動作とのタイムラグが見られた。更に、筋の活動はそれまでの実験と同様のものであったことから、本研究によって明らかとなった熟練者特有の筋活動パターンが熟練者固有筋活動パターンであるとして証明され、かつ、熟練者の動作キネマティクスとEMGの関係が取得できたことが示された。

 以上の結果から、本研究では予測とタイミングの能力を要するターゲットヒッティングスポーツ動作課題に関しての熟練者・非熟練者の神経制御メカニズムを、実験室における実験及びフィールド上の実験から明らかにすることができた。極めて短時間の間に高速移動する物体に道具を命中させ、さらにそれを別のものへと命中させるという素早い複雑な動作遂行に於いては、予測に基づいて適切な筋を選択し、興奮-抑制制御が適切な強さとタイミングで配分された運動指令をそれらの筋へと送る、といった運動の制御が重要であり、この背景には主働筋と拮抗筋の相反的な神経制御メカニズムが存在していることを、段階を追って明確に呈示できたのではないかと考える。

 たった一回の偶然的な成功ではなく、何度でも同じパフォーマンスを繰り返し行うことができてはじめて熟練と呼ばれる(調枝,1994)、また、タイミング予測がスポーツ動作おいては非常に重要である(大築,1988)といった先行研究を筋電図から裏付けた本研究は、パフォーマンスと筋電図を合わせた形で実際の動作のスキルメカニズムを検討している先行研究が非常に少なく情報に乏しかった現状に、一つの新たな知見を加えたものともいえるのではないだろうか。また、ダイナミックな多関節動作のみならず、基礎的な単関節な動作遂行にも共通する予測タイミング反応の神経-筋協調メカニズムが明らかとなったことから、本研究で得られたスキルメカニズムの特性は本研究で用いられた動作のみならず、他のターゲットヒッティングスポーツ、あるいはヒトの日常的な随意運動におけるタイミング制御のメカニズムとして一般化しうる可能性をもっているのではないかと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ヒトの巧みなスポーツ動作の一つである、素早いターゲットヒッティング動作をとりあげ、生理学的にnaturalな状態での熟練者と未熟練者の動作の違いを筋電図および動作分析法を用いて解析することによって、熟練動作における筋の使い方の特性、およびこの種の動作に不可欠な予測とそれに基づくタイミングコントロールに関する脳・神経系の運動制御特性を追究した一連の研究をまとめたものである。

 ヒトの主要な骨格筋の多くは、危険からの逃避等の動物本来の素早い全身動作を実行するため必要不可欠である。そのような筋が、適切な適切な時刻に適切な強さで活動するように、適切な状況判断を行い、適切な運動指令を筋に送り込むことは、生物として基本的に重要な機能である。本研究は、ダイナミックな全身動作をとりあげることによって、生物本来の運動機能に関わる神経制御ストラテジーを明らかにするとともに、スポーツ動作に熟練するための練習やトレーニングのための論拠を提示し、激しい動作による障害の発生機序の一端を明らかにした意義深い研究であると考えられる。

 本論文は、学位申請者が本研究で取り上げたテーマに関する過去の研究状況及び諸概念の規定を序章で詳細に述べ、申請者が行った6つの実験の結果を第1章から第6章までの各章にまとめ、第7章に総括論議を、第8章に論文要旨を加えて構成されている。

 第1章(実験1:フィールド上におけるターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)中の筋活動とパフォーマンス-熟練者・非熟練者群の比較から-)では、まず、熟練者と非熟練者に実際のコート上において、ターゲットヒッティング動作の一つであるバドミントンスマッシュを行わせ、スキルレベルの違いとその動作および筋活動の特徴との関係について検討している。特に上腕・前腕・肩の筋群に焦点を当てて筋活動様式を検討したところ、熟練者の安定した素早いスイングの背景には、拮抗筋→主働筋→拮抗筋という筋活動の素早い明確な切り替えを可能にする相反性神経制御メカニズムが存在することが確認された。更に、スキルレベルの違いによって各筋の休止期の時間間隔や、振幅パターン、シャトル打球後の筋活動の持続時間等が異なることが明らかとなった。

 第2章(実験2:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)における筋活動とパフォーマンス-上肢・前腕筋群の筋活動を中心に-)の実験では、ターゲット(シャトル)の動きをより安定させるために、シャトル発射装置を特製し、同様のターゲットヒッティング動作を実験室内で実施し、上腕・前腕・肩の筋群における筋活動様式とパフォーマンスの関係をより詳しく検討している。その結果、第1章と同様の熟練者特有の相反的筋活動切り替えに加えて、インパクト時刻を基準にした各測定筋の最大振幅出現時刻が熟練者群と非熟練者群とで大きく異なるという事実が明かとなり、良好なパフォーマンスを生み出す熟練者特有の筋活動パターンが一層明らかとなった。

 第3章(実験3:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)における筋活動とパフォーマンス-学習による影響-)では、実験2で実施したターゲットヒッティング動作を1日100試行ずつ6日間練習させ、学習による筋活動の変化とパフォーマンス変化との関係について縦断的に検討している。その結果、練習によって、的の中心からの距離、的を含む平面上での2次元到達点分布領域指標であるマハラノビス楕円面積は熟練者非熟練者共に減少し、非熟練者特有の筋活動パターンが熟練者のパターンに近似していくことが明らかとなった。その際、特に上肢帯及び上腕の近位筋の向上が顕著であるのに対し、遠位筋である前腕の手根屈筋は向上の程度が悪いという興味深い現象が観察されたことから、本実験のようなターゲットヒッティング課題では、練習効果は近位の筋から遠位の筋へと拡散すること、遠位の筋は主としてシャトルコースの正確さを決定する機能を果たしていることというスキル獲得の神経メカニズムが明かとなった。

 第4章(実験4:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)におけるタイミングフェイントの影響-実験3の検証-)では、前述のターゲットヒッティング動作に外乱(タイミングフェイント刺激)を加えることによって、ターゲットヒッティングスキルに対する予測・タイミングコントロール能力の関連を検討している。具体的には、予告刺激から一定時間後にターゲットが発現(シャトル放出)する試行(通常タイミング試行)と、それよりも早い時刻にシャトルが放出される試行(早いタイミングフェイント試行)と遅れてシャトルが放出される試行(遅いタイミングフェイント試行)を少数(各10%)ランダムに混ぜたところ、熟練者において、インパクト前の準備期及びインパクト後の筋電図休止期の消失や振幅値の異常な上昇、といった特異的な現象が観察された。このことから、フェイント試行においては、通常タイミング試行で見られていたような適切な興奮・抑制制御が行われなくなっていることが推察された。また、遅いタイミングフェイント試行においては、刺激が実際には呈示されていないにも関わらず動作を起こしてしまう例がしばしば観察され、その場合に改めて実行される正規の打球動作において、筋電図振幅の異常増強及び休止期の消失、シャトル到達点のターゲットからの大きなずれが観察された。このような外乱実験からも、適切な筋活動休止期が存在するかどうかがパフォーマンスを大きく左右することが明確に示された。

 第5章(実験5:急速照準動作課題におけるタイミングフェイントの影響-実験4の検証-)では、実験4を検証するため、肘関節の伸展という単関節による急速照準動作(CRTディスプレー上に呈示されるターゲット位置へできるだけ早くカーソルを合わせる動作)を用いて、予測とタイミングコントロール特性について検討した。実験4と同様、多数の通常タイミング試行に少数の早いタイミング・遅いタイミング試行をランダムに混ぜて行わせたところ、通常よりも早く刺激が呈示される早いタイミングフェイント試行時では、通常タイミング試行時とは異なり、肘関節伸展の加速期における加速度波形の振幅が上昇し、動作軌跡が大きくターゲットをオーバーシュートする結果、パフォーマンスの正確性が低下した。またこれを裏付ける筋活動においては、実験4で観察された主働筋の休止期の消失現象や振幅値の上昇も明確に示された。遅いタイミングフェイント試行においても実験4同様、動作の開始が大きく影響され、特に尚早反応を起こしてしまった場合には正規反応の筋電図が周期振動的に持続する現象が観察された。

 第6章(実験6:ターゲットヒッティング課題(バドミントンスマッシュ動作)におけるバイオメカニクス的検証-実験1、2、3の検証-)では、再びフィールドでスマッシュ動作を行わせ、筋活動の記録とともに動作を高速度ビデオ撮影して3次元解析を行い、実験1、2、3で得られた熟練者の筋活動パターンが本当に熟練動作のものであるのかどうかをバイオメカニクス的に検証している。分析の結果、熟練度の高い被験者において、インパクト直前に肘伸展動作が急激に生じ、その直後から手関節が後を追うように伸展動作を開始するという、先行研究におけるトッププレーヤーのキネマティックスデータとほとんど一致したデータが得られ、筋活動はこれまでの実験と同様の結果であったことから、本研究によって明かとなった熟練者特有の筋活動パターンが熟練者の固有筋活動パターンとして妥当であることが証明された。

 以上の結果に基づき、申請者は第7章において、バドミントンスマッシュのような、極めて短時間の間に、高速移動する物体に道具を命中させ、さらにその物体を別の的に命中させるという素早く複雑な課題の遂行においては、移動物体を正確に補足するための予測、その予測に基づいて適切な筋を選定し、興奮と抑制が適切な強さとタイミングで配分された運動指令をそれらの筋に送り込むという運動制御が重要であり、そのような制御の基礎には主働筋と拮抗筋の相反性制御という神経制御メカニズムが存在すると論議している。

 本審査委員会は、平成13年2月7日に審査会を開催し、本論文の内容に関する審議を行った結果、フィールドにおける実際の動作の記録から得られた熟練動作の基礎としての相反性神経制御メカニズムを、練習というポジティブドライブ、フェイント外乱というネガティブドライブを付加して確認し、先行研究の結果と対応させて結論付けるという適切な実験方法を用いて検証しており、多くのオリジナルな知見が呈示されていること、研究テーマに関するレビューも精細かつ周到であること、スポーツ動作の指導及びしばしばバドミントンで生じる腱断裂等の障害発生機序解明の基礎資料としても役立つことなどの点に鑑み、本論文は学術業績として極めて有意義であり、博士(学術)の学位を授与するにふさわしい論文であると判断した。

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