学位論文要旨



No 115814
著者(漢字) 佐々木,直哉
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ナオヤ
標題(和) 遺伝子工学を用いた細胞性粘菌ミオシンIIの機能解析
標題(洋) Mutational Analysis of Motor Functions of Dictyostelium Myosin II
報告番号 115814
報告番号 甲15814
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第299号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 小倉,尚志
内容要旨 要旨を表示する

 ミオシンはモータータンパク質の一種であり、ATPの加水分解により得られるエネルギーを用いてアクチン繊維上を滑走する。ミオシンIIは数多くのミオシンファミリータンパクの一つであり、最も多くの生化学的研究が行われてきたミオシンである。ミオシンIIのATP依存的なアクチン繊維上での滑走はN端領域の球状ドメイン(モータードメイン;S1dC)が担っている。ミオシンIIでは軽鎖が結合するαヘリックスがモータードメインに続き、軽鎖結合部位(レバーアーム)とモータードメインをあわせてサブフラグメント1(S1)と呼ぶ。ATP加水分解に伴ったモータードメインの構造変化により、レバーアームが振られて力発生するというモデルは「首振り説」として知られている。しかし、モータードメインの結晶構造は既に解かれているが、ATPの加水分解と構造変化、そして力発生の詳細なメカニズムは解明されていない。

 結晶構造ではモータードメインは25K、50K、20Kのサブドメインからなり、さらに50Kサブドメインが大きな溝(50Kクレフト)で上部・下部のサブドメインに分割されている。細胞性粘菌ミオシンIIのS1dCとさまざまなヌクレオチド、あるいはATP加水分解中間体アナログとの複合体の結晶構造から、モータードメインはタイプ1とタイプIIという二種類の構造をとりうることが明らかになった。この二種類の構造は各サブドメイン自体の構造でなく、各サブドメインの相対的位置が大きく異なっている。すなわち各サブドメインを繋ぐループがミオシンの機能の鍵であると考えられる。本研究ではこのような各サブドメインを繋ぐループのうち以下の3本のループに着目した。

1)スイッチIIループ;ATP結合部位においてATPのγ位リン酸を囲む三本のループ(pループ、スイッチ1ループ、スイッチIIループ)の一つである。

2)ミオパシーループ;上部50Kサブドメインの先端にあり、アクチン結合部位と推定されている。

3)ストラットループ;上部・下部50Kサブドメインを繋ぐ短いループ。

 細胞性粘菌のミオシンIIの上記ループに変異を導入し、各変異ミオシンの生化学的性質を決定することで、各ループの役割と力発生機構の解明を試みた。

1)スイッチIIループ

 ミオシンのATP結合部位周辺の立体構造はGタンパク質のRas等の多くのヌクレオチド結合タンパク質に類似している。これらのタンパク質ではヌクレオチド結合部位にP.ループ、スイッチIループ、そしてスイッチIIループという三本のループが配置されている。粘菌のミオシンIIでは454DISGFE459という配列のスイッチIIループの構造は、タイプIとタイプIIの間で大きく異なっている。タイプIIではGly457はγリン酸に水素結合しているが、タイプIではGly457は結合ヌクレオチドから遠ざかっている。そこで、このグリシンはATPase活性部位に結合したヌクレオチドのγリン酸基の状態を感じる"γリン酸センサー"として機能し、分子全体の構造変化の起点であると推測される。このことはGly457をアラニンに置換したG457A変異ミオシンの生化学的性質から明らかになった。この変異ミオシンはATPと正常に結合したが、これを加水分解できなかった。また、野生型ミオシンではATP結合直後に、内在性トリプトファンの蛍光強度の変化を伴う構造変化(異性化)がおこる。この異性化はミオシンレバーアームの動きを反映していると考えられる重要な構造変化である。G457Aではトリプトファンの蛍光の変化は観測されず、異性化が起こっていないことが分かった。このことから、ATP加水分解に伴うGly457でのスイッチIIループの構造変化が、レバーアームの動きやATP加水分解に必須であると結論できた。

 また、Glu459をアラニンヘと置換したE459A変異ミオシンはATPを結合して異性化を起こすが、ATPを加水分解できなかった。つまり、E459AはATPをほとんど不可逆的に結合したままATP加水分解直前の状態に安定に保持されていた。このE459Aは構造変化はできるが、ATPの加水分解はできない変異体であった。タイプIIの構造では、Glu459の側鎖が水分子と水素結合している。野生型では、タイプ1からタイプIIへの構造変化に伴って、Glu459側鎖に結合した水分子がATPγリン酸基近くに配置されるが、水分子を結合できない E459Aでは構造変化しても加水分解が起こらないのかもしれない。

 さらにF458A変異ミオシンは非常に高いMgATPase活性を示すが、野生型に見られるアクチンによるMgATPase活性の活性化は観測されなかった。結晶構造中ではPhe458の疎水性側鎖は下部50Kサブドメインの疎水性ポケットに埋まっており、アクチンによる野生型ミオシンのATPase活性の活性化は、アクチン結合に起因する下部50Kサブドメインの構造変化、そしてこれに伴うPhe458を介したATP結合部位での構造変化が原因であると考えられる。Phe458のアラニンヘの置換によって下部50Kサブドメインの構造変化とATP結合部位の構造変化が脱共役したために、アクチンによってMgATPase活性が活性化されないのかもしれない。

 いずれの結果からもATP結合に伴うSwitch IIの構造変化がその後の分子全体の構造変化や加水分解に必須であることが明らかになった。

2)アクチン結合部位

 ミオシンとアクチンの相互作用は、ATP加水分解の各ステップに対応して「強い相互作用状態」と「弱い相互作用状態」が交互に変化する。アクチンとミオシンの相互作用には疎水性相互作用と静電相互作用の両者が関わっていると考えられているが、強い相互作用状態は疎水性相互作用が主として担っていると考えられている。50Kサブドメインの先端には疎水性残基が露出しており、アクチンとの疎水性相互作用部位であると推定されている。そのひとつである上部50Kサブドメイン先端のループは、その根元に心筋肥大症(Hypertrophiccardiomyopathy)の原因変異が見つかったことから「ミオパシーループ」と呼ばれている。このミオパシーループを欠損させた変異ミオシンはアクチン上を滑走できなかった。さらにこの変異ミオシンではATP非存在下においてアクチンに対する結合能が著しく損なわれていた。このためこの変異ミオシンのモーター機能の喪失は、アクチンとの疎水結合に基づく強い相互作用が失われたためと結論できた。つまり、このミオパシーループは強い相互作用部位のひとつであり、かつ「強い相互作用状態」をとることがミオシンのモーター機能に必須であると言える。また、ミオパシーループに向き合うように突き出ている下部50Kサブドメインの疎水性領域にあるフェニルアラニン残基(Phe535)をアラニンに置換しても、アクチンとの強い相互作用は失われた。このように上部・下部50Kサブドメイン先端のいずれの疎水相互作用領域も、アクチンとの強い相互作用に必須であることが明らかになった。ミオシンモータードメイン先端のこれらふたつの疎水結合部位はアクチンのサブドメイン1の上下をつまむようにして結合していることが電子顕微鏡像から予想されている。両者の協同的な結合が「強い結合状態」をもたらすのに必須であると結論できる。

3)ストラットループ

 異性化以前で反応が停止するG457Aミオシンでも、ATPを加えると直ちに「強い結合状態」→「弱い結合状態」という状態変化がおこる。これはレバーアームの動きを引き起こすような大規模な構造変化なしにミオシンがアクチンから解離する可能性を示唆している。2)で述べた研究から、強い結合状態において上下両50Kサブドメインが協同的に機能していることが明らかになった。この協同性を何らかの形で崩しさえすれば、ミオシンモータードメインは「強い結合状態」から「弱い結合状態」に移行すると推測される。このような上部・下部、両50Kサブドメイン先端の疎水性結合部位をつなぐように、ストラット(支え)ループと呼ばれる短いループが存在する。このループの一次構造は各種ミオシン間で保存されており、重要な機能をはたしていることが予想される。タイプIとタイプIIの構造を比較すると、両者でストラットループ自体の構造に変化はないが、その両端に位置する上部・下部50Kサブドメイン先端の疎水性結合部位が互いにすこし回転する。このようなわずかな疎水性結合部位の位置の変化が、アクチンとの強い結合を失わせるのに十分であることを示すために、ストラットループのいろいろな位置にさまざまなアミノ酸残基を1残基だけ挿入した変異ミオシン、及び1残基だけ欠失させた変異ミオシンを作成した。このような変異ミオシンはいずれもモーター機能を完全に失っていた。これらの変異ミオシンは、ATPase活性に関してはほぼ野生型並の機能を維持しながら、アクチンと強く結合できなかった。このような表現型はミオパシーループの欠損変異ミオシンとほぼ同じだった。すなわち、わずかにストラットループの長さを変えただけで、アクチンとミオシンの強い結合が失われることが明らかになった。つまり、ストラットループ両脇にあるふたつの疎水性アクチン結合部位の位置関係がわずかに変わるだけで、「強い結合状態」→「弱い結合状態」という状態変化が起こることからATPase反応の途中でもこのようなわずかな構造変化によって「強い結合状態」⇔「弱い結合状態」という転移が実現されていると予想できる。

 これらの結果から以下のようなアクトミオシンのATPaseサイクルと力発生の共役機構が考えられる。アクトミオシンへのATPの結合は、速やかにミオシンのストラットループ両脇の疎水性アクチン結合部位のわずかな回転をもたらし、ミオシンは「弱い結合状態」に入る。その後、Gly457の動き→スイッチIIループの構造変化→トリプトファン蛍光強度の変化を伴うレバーアームの「振り上げ」が起こる。ATP結合部位ではGlu459が加水分解が進行できる状態に配置される。ATPの加水分解、リン酸放出に伴い、疎水性アクチン結合部位の位置が戻る。同時に、ミオシンは「強い結合状態」に入り、アクチンと結合してレバーアームの「振り下げ」が起こる。こうして、レバーアームの動きとミオシン・アクチン相互作用変化がATP結合部位での加水分解ステップと対応して協同的に進行し、アクチンフィラメント上でミオシンが力発生するというモデルを立てることができる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり、それぞれ遺伝子工学的手法を用いて変異ミオシンを作成し、その生化学的性質をしらべることで、ミオシンのモーター機能の発現機構をあきらかにしたものである。

 まず第1章では、ミオシン頭部領域のATPase活性部位にあるスイッチIIループに注目して、そのアラニンスキャニングによる機能解析をおこなった。この結果、このループのGly457はATPase活性部位に結合したヌクレオチドのγリン酸基の状態を感じる“γリン酸センサー”として機能し、分子全体の構造変化の起点であると結論できた。G457A変異ミオシンはATPと正常に結合したが、これを加水分解できなかった。また、G457AではATP結合直後の異性化反応が起こっていないことが分かった。このことから、ATP加水分解に伴うGly457でのスイッチIIループの構造変化が、レバーアームめ動きやATP加水分解に必須であると結論できた。また、Glu459をアラニンヘと置換したE459A変異ミオシンはATPを結合して異性化を起こすが、ATPを加水分解できなかった。つまり、E459AはATPをほとんど不可逆的に結合したままATP加水分解直前の状態に安定に保持されていた。

 第2章では、アクチンとの強い結合にかかわる部位を同定するため、ミオシン頭部の先端部に位置しているミオパシーループとよばれる領域に注目した。このミオパシーループを欠損させた変異ミオシンはアクチン上を滑走できなかった。さらにこの変異ミオシンではATP非存在下においてアクチンに対する結合能が著しく損なわれていた。このためこの変異ミオシンのモーター機能の喪失は、アクチンとの疎水結合に基づく強い相互作用が失われたためと結論できた。つまり、このミオパシーループは強い相互作用部位のひとつであり、かつ「強い相互作用状態」をとることがミオシンのモーター機能に必須であると言える。

 第3章では、ATP加水分解サイクルにともなう「強い結合状態」から「弱い結合状態」への転移に着目し、ストラットループとよばれる構造に関する変異ミオシンを作成した。ストラットループのいろいろな位置にさまざまなアミノ酸残基を1残基だけ挿入した変異ミオシン、及び1残基だけ欠失させた変異ミオシンを作成した。このような変異ミオシンはいずれもモーター機能を完全に失っていた。これらの変異ミオシンは、ATPase活性に関してはほぼ野生型並の機能を維持しながら、アクチンと強く結合できなかった。このような表現型はミオパシーループの欠損変異ミオシンとほぼ同じだった。すなわち、わずかにストラットループの長さを変えただけで、アクチンとミオシンの強い結合が失われることが明らかになった。つまり、ストラットループ両脇にあるふたつの疎水性アクチン結合部位の位置関係がわずかに変わるだけで、「強い結合状態」→「弱い結合状態」という状態変化が起こることからATPase反応の途中でもこのようなわずかな構造変化によって「強い結合状態」⇔「弱い結合状態」という転移が実現されていると予想できた。

 以上のように、多数の変異ミオシンを作成し、その生化学的な性質を精密に調べることで、ミオシンによるモーター機能発現の分子機構の一端があきらかになった。

 なお、本論文の1章、2章、3章とも数人との共同研究であるが、どの部分も論文提出者が主体となっておこなわれた研究であると判断できる。よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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