学位論文要旨



No 115818
著者(漢字) 北田,晃司
著者(英字)
著者(カナ) キタダ,コウジ
標題(和) 韓国の都市システムの形成と変容
標題(洋)
報告番号 115818
報告番号 甲15818
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第303号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 愛知教育大学 教授 阿部,和俊
内容要旨 要旨を表示する

 都市システムとは、時間の経過とともに変化を遂げる存在であり、近年、都市システムの変遷過程を扱った研究が増加している。しかしこれらの研究は、ノード、リンクといった、都市システムの一側面のみにおける変化に注目したものや、都市システムに変化を与える要因を列挙するに留まっているものが大半を占め、 「都市システムの変遷」そのものに対する一般的合意が欠如しているために、実際には大きな壁に突き当たっていると言える。

 都市システムの変遷過程研究においてはまず、都市システムに変化を与える要因の総合性、多様性を認識することが不可欠である。これらの要因は、特定の国家体制や社会的状況を背景とした、政治、経済、人口等の様々な要因を合わせた合ベクトルと捉えることが可能であり、筆者はこれを「都市システム形成要因」と呼ぶ。そして都市システムの変遷過程に注目する上で最も重要なことは、現在および過去の都市システム形成要因の力関係に注目すること、つまり力学と歴史とを同時に組み込むことである。また、都市システム形成要因が、都市システムという現実の空間にいかなる形で反映されるのかについても、都市間の垂直的分業(都市間階層構造)のみならず、水平的分業(機能分化)や、ノードとリンクの相互規定関係の変化にも注目する必要がある。

 以上のことから、都市システムの変遷過程とは、現在および過去の都市システム形成要因が相拮抗しながら、都市システムという現実の空間を構成するノード、リンク、さらにノード、リンク両者の相互規定関係に変化を与えることであると定義できる。本研究ではこのような前提のもとに、近代化過程から高度経済成長期に至るまで、都市システムの急激な変貌を経験した東アジア諸国のうち、韓国の都市システムの変遷過程について検討する。

 第II章では、韓国の都市システムに関する既存の研究動向について概観した。韓国の都市システム研究は、高度経済成長が本格化した1970年代以降、急速に増加した。しかし、同国の都市システムが、近代的交通網の登場と資本主義体制への編入を経験した植民地時代から現在に至るまで、一貫して分析した研究はほぼ皆無である。また、各都市の位置付けについても、首都ソウルの圧倒的優位を再確認するに留まっているものがほとんどである。このような状況を踏まえた上で、本研究は、植民地時代から現在に至るまでの韓国の都市システムの変遷過程を、ノード(中枢管理機能の立地)とリンク(都市間交通流動)の両側面から、地方都市の動向にも配慮して検討した。

 植民地時代の朝鮮の都市システムは、第III章および第IV章から明らかになったように、ノードの側面においては、主に行政的中枢管理機能が立地する伝統的都市と、主に経済的中枢管理機能が立地する新興都市という二元的構造が存在し、都市の間に明確な水平的分業が見られた。これは朝鮮の都市システムが、特に開港地を経由して、日本内地の都市システムと強力に結び付けられていたことを反映している。一方、朝鮮は日本内地と中国大陸との中間にある半島に位置しているため、大陸への橋頭堡としての性格をも担わされた。京釜線や京義線などの半島縦断鉄道はその象徴である。1920年代になると、これらの鉄道は一時的に軍事的性格を弱め、その沿線に大邱、平壌、大田、新義州など、少なくとも道レベルにおいては、経済的中枢管理機能と行政的中枢管理機能とをほぼ均等に保持した都市が登場した。また当時は、産米増殖計画を背景として、群山、木浦などの南部の諸都市の経済的中枢管理機能が、北部の諸都市よりも優勢であった。しかし1930年代に入ると、満州事変を契機として戦時体制が強化され、半島縦断鉄道の重要性が再び高まった。それとともに鉱産資源の豊富な平壌、咸興、清津などの北部の諸都市が工業化によって急成長を遂げ、特に平壌はこれまでの行政的中枢管理機能に加えて、経済的中枢管理機能でも広域中心都市としての地位を固めた。これに対して、農業中心の経済政策の中心地ともいうべき南部の諸都市は、農産物の輸出港である開港地はもちろん、京釜線沿線の都市も伸び悩みが見られた。

 このように、植民地時代の朝鮮の都市システムは、開港地周辺の鉄道および半島縦断鉄道という2つのリンクが主要都市の動向を左右するという状態にあり、宗主国日本の強い影響下にあった。これは別の言い方をすれば、植民地時代の朝鮮が基本的には、米などの1次産品の日本への供給地、かつ大陸への通路として位置付けられていたことを意味する。ゆえに主要都市の成長も、朝鮮総督府の経済政策および大陸政策の影響を強く受け、これらの政策において重視された地域で、1920年代の湖南線沿線(木浦など)や、1930年代から40年代にかけての咸鏡線沿線(咸興、清津など)の都市のように、中枢管理機能の強化や、鉄道旅客収入の顕著な増加が見られた。これは、近代化過程の都市システムと、それ以前の都市システムとの連続性が比較的維持されていた日本の都市システムとは対照的であり、韓国の都市システムにおいて、近代化への過程とは文字通り植民地体制の確立を意味するものであった。

 続く第V章および第VI章では、高度経済成長期における韓国の都市システムに注目した。韓国では1960年代中盤以降、主に輸出に重点を置いた工業化政策が強力に推し進められたことで、都市化と工業化が急激に進展し、それに伴って都市システムも大きな変化を遂げた。

 まずノードの側面については、第V章に示したように、首都ソウルや、釜山、大邸、光州、大田などの広域中心都市、あるいは浦項、蔚山、馬山等の新興工業都市などが急激に成長し、ソウルを頂点として、その下に広域中心都市、さらに新興工業都市や小規模な道庁所在地などが続くという、強固な階層構造が形成された。また第VI章で扱った、主要38都市間の長距離旅客流動に関する分析から、これらのノードの側面における都市階層が、一定の時間的間隔を置いた上で、リンクの側面にも強く反映されるに至ったことが明らかになった。このことから、高度経済成長期の韓国の都市システムにおいては、まず政府の出先機関や工業団地の立地によってノードが成長し、それらのノードを結ぶ形で「京釜軸」などのリンクが活性化されたと言える。

 しかしその一方で、高度経済成長から取り残された地方の都市は停滞し、ソウルなどの京釜軸周辺に分布する大都市の「選別的成長」が見られる。このように、高度経済成長期の韓国の都市システムにおいては、高度経済成長を牽引する政府の中央集権的かつ上位下達式の国土政策と、より良質のインフラや、豊富な労働力を求める企業の立地行動とが合体する形で、極めて大きな影響力を行使してきた。

 だが、高度経済成長期の韓国の都市システムにおいて、このように極めて単純な構成要素からなる都市システム形成要因による強力な作用を可能にしたのは、それ以前の都市システム形成要因、特に植民地時代における都市システム形成要因の作用の結果であったことも看過できない。つまり韓国の都市システムは、植民地体制のもと守、宗主国日本の利益を最大限にすべく歪曲化されていた上に、独立後間もなく勃発した朝鮮戦争等の混乱により、都市システム形成要因を構成する有力な要素がほとんどなくなっていたことが、軍事政権による強力な国土政策と企業の立地行動が、他要因の影響をほとんど受けることなく、新たな都市システム形成要因を構成することを可能にしたのである。

 第VII章では、韓国の都市システムの今後の動向について展望した。韓国の高度経済成長は1980年代末にはほぼ終了し、今後は社会の脱工業化が進展する中で、情報産業およびサービス産業の発達、国際化の進展、国家の南北統一などが、都市システム形成要因において重要な部分を構成すると考えられる。これらの3つの要素はそのいずれもが、首都ソウルの圧倒的優位をさらに強める方向に作用する可能性が極めて高い。しかし地方都市の側でも、これらの新たな都市システム形成要因を、自らの発展のために利用できる可能性は十分にあり、しかもそれは釜山を除くと、大田、原州、木浦、江陵など、むしろ高度経済成長期における工業化から取り残された都市に有利に働くことが予想される。

 これまで述べてきたように、韓国の都市システムは、植民地時代および高度経済成長期を通して、特定の国家目的に沿った形で、極めて単純な都市システム形成要因のもとに形成され、各都市はまさに、中枢管理機能を「植え付けられた」存在であった。今後は都市システム形成要因の多様化を利用して、より弾力性のある都市システムを形成することが重要課題であると言える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、都市システムの形成と変容の過程を、韓国の都市システムを事例として、実証的に解明したものである。都市システムは、地理学における重要な研究課題の一つであるが、従来、都市システムの形成と変容の過程をその要因まで含めて動態的に考察する研究の蓄積は十分ではなかった。このような状況に鑑み、この研究課題に取り組んだ本論文の意義は高く評価される。

 本論文は8章から成る。第1章及び第2章は、研究展望を含む研究方法の提示である。第1章では、都市システムの変遷過程に関する先行研究を整理しつつ、従来の研究では十分には扱われていなかった都市システム形成要因に着目してその重要性を指摘し、都市システムの構成要素であるノードとリンクの相互規定関係とその変化に重点を置いて、都市システムの変化に関する独自の分析モデルを提示した。すなわちこのモデルは、ある特定の段階における都市システムの構造には、その段階の形成要因のみならずそれ以前の段階の形成要因も影響していること、そしてリンクがノードを規定する段階からノードがリンクを規定する段階へ、さらに再びリンクがノードを規定する段階へと移行することを骨子とする発展段階モデルである。そして第2章では、韓国の都市システムに関する先行研究を整理して、これらの到達点と問題点を示し、第1章で提示した分析モデルに基づく実証的事例研究の意義を明らかにした。

 第3章及び第4章は、第2次世界大戦前の日本統治時代の朝鮮を対象とする事例研究である。第3章ではノードの指標として行政的中枢管理機能及び経済的中枢管理機能の立地を分析し、第4章ではリンクの指標として鉄道網の発達及び都市間鉄道旅客流動を分析した。その結果、基本的にはリンクがノードを規定し、近代以前の都市システムの影響と目本の植民地統治政策による影響に基づく二元的構造から、次第に日本の植民地統治のもとで一元的構造へと変化しながら、第2次世界大戦前の都市システムが形成され変化してきた過程を明らかにした。

 第5章及び第6章は、第2次世界大戦後の高度経済成長期の韓国を対象とする事例研究である。第5章ではノードの指標として行政的中枢管理機能及び経済的中枢管理機能の立地を分析し、第6章ではリンクの指標として鉄道・バス・航空による都市間旅客流動を分析した。その結果、戦前から継承された都市システムに対する高度経済成長期の産業構造及び経済政策の影響のもとで、基本的には戦前とは逆にノードがリンクを規定しながら、現在の都市システムが形成されてきたことを明らかにした。

 第7章では、今後の脱工業化・サービス化・情報化の進展に伴う韓国の都市システムの変化について、これまでに得られた知見に基づいて展望を試み、新たな形でリンクがノードを規定する段階に至る可能性を提示した。そして第8章では、結論として、上記の各章において得られた知見を整理した。

 以上のように本論文は、韓国の都市システムの実証的分析を通じて、都市システムの形成と変化の過程を分析するための新たな研究の枠組を提示し、異なる地域や発展段階への応用可能性を示すことによって、地理学及び関連分野に貴重な知見を提供し、多大な寄与をなしたと評価出来る。よって、博士(学術)の学位を授与出来ると認める。

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